第18話 祭りの夜
遅れを取り戻すように、木々が芽吹き花が咲き始めた。天候が元の通りになったことを自然も喜んでいるようなその様子に、村の人々の心も浮き立つようだった。
それとは別の理由で、村の若者は浮き足立っているのだけれど。
天候がおかしくなるまでは、春になると盛大に祭りが行われていた。
美味しい食べ物をたくさん食べ、お酒やジュースを飲み、音楽に合わせ歌い踊る賑やかな祭り。
明日の食べ物もままならない日々から抜け出すことができたから、今年は久しぶりにそれを開催することになった。長きにわたって続いていた悪天候が終わりを迎えたことを、無事に暮らしていけることを、喜び感謝しようという祭りだ。
その祭りは若者にとっては社交場にもなるから、みんなそわそわしている。
気になる人を誘って祭りに行くもよし。その場で意気投合した相手と踊るもよし。……ようは、ちょっとしたお見合いみたいなことが行われるのだ。未婚の若者にとっては、かなり重要な催しというわけだ。
だからマリエもユリアも今から何を着て行くか、誰に誘ってもらえそうかなんて話をしている。
そうはいっても、私にはあまり関係のないことだ。みんながそわそわとしている中、毎日黙々と薬屋再開に向けて忙しい。
「エミリアー、いるー?」
「はーい、いるわよー」
ノックと共に元気な声がする。返事をすると、馴染みの顔がドアから覗いた。
「ユリア、どうしたの?」
「パンを焼いたから神様のところに届けてもらおうと思って」
「……手が空いてるなら自分で行ってよ。私、今あそこに行くのは嫌なのよ」
「またそんなこと言って。……気にしなくっていいのに」
ユリアが持ってきた籠いっぱいのパンを見て、私は溜息が出てしまった。ユリアが悪いわけではない。今までだったら私はそれを持って神殿に行くのが当たり前だったのだから。
でも、今は何となく神殿に足が向かないのだ。
少し前から、神様のところに村の女の子たちがやって来るようになった。きっかけは、神殿の前を通りかかった子がクーノの姿を目にして、その美しさを村中に触れ回ったことだったと思う。
それ以来、ひと目神様を見ようと暇を見つけては女の子たちが通うようになったのだ。
そうなると、
「文句を言ってるのは一部の子たちで、あんたは何も悪いことしてないんだから堂々としてればいいのよ」
「でも……争いの種にはなりたくないの。そんなの、神様も望んでないし。あんまり嫌な気持ちにさせたくないのよ。できたら、心穏やかに過ごさせてあげたい」
神様がすごく美しい男の人だとわかってから、私が神の御使いとして神殿に出入りすることに不満を口にする子たちが現れた。
私が何をして神の御使いと呼ばれているか知っている人はほとんどいないから、そういった不満が出るのは仕方がないと思う。傍目には私がたまたま村の偉い人に頼まれてやっているようにしか見えないわけだし。
それに、不満を言っている子たちというのはいわゆる自分に自信のあるような人種だから、地味で綺麗でもない私が美しい神様のそばにいるのは相応しくないということを匂わせていた。
表向きは、神様のそばに仕えるという重要な役割はきちんと平等に選ぶべき、なんて言っているけれど。
本音が見えたあたりで私は嫌気がさして神殿から足が遠のいてしまった。
容姿のことでチクチク言われるのも嫌だったし、何より神様の耳に入るところで争いごとに巻き込まれるのが耐えられなかったのだ。
クーノは人が争うのを好まないはずだ。悪感情というものには、きっと普通の人よりも敏感だと思うし。
だから、私が身を引いて丸く収まるのならそうしたい。
「エミリアには感謝してもしきれないのにね。みんな知らないからって失礼なこと言っちゃってさ」
「知らないから仕方ないよ……」
村の人たちのほとんどには、私はただいなくなったものとされている。六十年前のウォルたちのことがあって神隠しがこの世に存在するものとして扱われているから、それと同じように考えられているのだ。
私が森へ行かされていたことを知られていないということは、神の御使いと呼ばれる理由も、当然みんな知らない。
マリエとユリアには、少しだけ事情を話しているから、こうして身勝手な女の子たちに怒ってくれるのだ。
「何かさ、春祭りのお相手として神様をって考えてる子たちが結構いるみたいだよ。エミリアはそれでいいの?」
「いいのって……神様と一緒にお祭りに行こうだなんて畏れ多いよ。それに私は薬湯の屋台を出すから、そんなことしてる場合じゃないし」
「そんなの、でーんと大鍋で作って広場の真ん中にでも置いておいて勝手に飲ませたらいいのよ」
ユリアはそんなことを言うけれど、私はお店をやってみたかったから別にいいのだ。
飲んだり食べたりすれば胃が弱る。だから、祭りの次の日に胃薬を求めて朝から殺到されるより、当日に健胃作用のある薬湯を出したほうがいいかなと思ったのだ。
ウォルたちも手伝ってくれるというから淋しくないし、村の人のためになるから本当に不満はない。
……少しだけ、綺麗な服を着てお祭りを歩いてみたいなとは思うけれど。
「せめておめかしだけはしなよ? 店に来てくれた人があんたのこと可愛いなあって思って、踊りに誘ってくれるかもしれないんだから」
「わかった」
帰っていくユリアに手を振りながら、私はおめかしできそうな服はあっただろうかと考えてみた。
お母さんが若い頃着ていた服を繕い直せば着られるかもしれないけれど、私はあまり裁縫が得意ではない。
これから薬の準備をする合間に少しずつやっても、当日までに縫い上げるのは難しい気がする。
「まぁ、別に誰かと踊りたいわけじゃないしね」
言い訳でも何でもなく、誰かと踊る自分を想像できなかった。前だったら、男の子に誘われたらどうしよう……なんて考えてワクワクしていたけれど、本当に好きな人ができた今は誰でも良いわけじゃないのだ。
クーノと踊りたい。でも、それは村の女の子なら誰でも思うことで、私だけ特別扱いしてもらうわけにはいかない。
クーノのことは大好きだけれど、「狡い」と言われてまでそばにいる強さが、私にはなかった。
元々、村に帰ってきて冷静になって、私はクーノの隣に立つ自分に違和感を覚えていた。森で出会ったときは二人きりだったから、呑気に好きだなんて考えられていただけなのだ。
クーノが神様として祀られ、特別なのだとかった今、そんなこと畏れ多くて言えやしない。
容姿も心も綺麗な子がいたら、そんな子がクーノには相応しいと思うから。
わかっていたことだ。覚悟していたことだ。ただ、思っていたよりも早く離れなければならなくなったけれど。
***
祭り当日。
この日に合わせて大急ぎで花をつけたかのように、村中の花々が美しく咲いていた。
こんなにも春を感じたのは、本当にいつぶりだろう。
色づいた景色を見るだけで、心が浮き立って仕方がなかった。
「……綺麗」
それに、持ってきてもらった大きな鏡に自分の姿を映しても、今日はウキウキしてたまらない。
「気に入ってくれた?」
「うん! ありがとう、ティノ」
私は、ティノが作ってくれたワンピースをもう一度鏡で見てみた。その場で一回転すると、たっぷりとしたスカートがふわりと揺れて、もうそれだけで幸せな気持ちになる。
森の新緑のような鮮やかな緑色の服なんて日常で着る機会なんてなくて、だからこそ気持ちが高揚する。
仕立屋さんを始めたティノがまず最初に作ってくれたのは、この服だったのだという。
何も言わずに用意してくれたことが嬉しかったし、何よりティノのお客さん第一号になれたのが嬉しい。
「こんな素敵なお洋服、本当にもらっちゃっていいの?」
「いいんだよ。俺からの気持ちなんだから。それにエミリアが着て歩いてくれたら評判になるだろうし」
「ありがとう!」
オシャレなティノの仕立屋さんは早くも女の子たちの憧れになりつつある。そんなお店のお洋服を着られるなんてすごく光栄だ。
もう今日はそれだけで大満足だ。
「お前……そんなに嬉しいならクーノに見せに行けばいいのに」
私が支度する様子をジッと見ていたウォルが拗ねたような口調で言った。
店を手伝ってくれると申し出てくれたのはいいのだけれど、ずっとクーノのことを話題にしては不機嫌になっているのだ。
「クーノは……神様は、祭壇にいなくちゃいけないから会えないわ。それに、神様のそばには選ばれた巫女たちがいるから」
ウォルを納得させるために口にしたことだけれど、言いながら気持ちが沈んだ。
村の女の子たちの
そのために村の偉い人たちが考えたのが、神官と巫女という制度だ。
神官も巫女も希望者を募って集めたのだけれど、当然のように集まったのは巫女ばかりだ。その中からさらに選ばれた数名がきちんと巫女として認められ、朝夕の礼拝やお勤めと呼ばれる雑務が課せられ、その見返りとして一日のうちわずかな間だけ神様にお目通りが叶うという仕組みになっているのだという。
クーノを煩わせないため、村の中に混乱を生まないためと村の偉い人たちは言っていたけれど、実際は権威付けにクーノを利用しているように見える。
それに、巫女として選ばれた女の子たちがすべていわゆる権力者の家の子たちだったというのを見ると、そういう人たちのご機嫌取りだったとしか思えない。
……そんなことを考えると腹が立つし僻みっぽい自分がイヤになるから、考えないようにしていたけれど。
「それでもさ、祭りの会場にはいるんだろ? 祭壇近くまでいけば、クーノに見てもらえるんじゃないか?」
「たくさんの人たちに囲まれてるから、私の姿なんて見えないよ。それに、それどころじゃないだろうし……」
ウォルは納得していないようだけど、だからといって私にできることはない。睨まれたって、考えを変えることもない。
「お前、勝手にそうやっていじけてろよ」
「いじけてるのはウォルでしょ? 何でそんなぷりぷりしてるか知らないけど」
「まぁまぁ二人とも、今日はお祭りなんだから仲良くね」
ティノにとりなされて、私とウォルは睨み合いを止めることになった。
同い年だからウォルとは一番の仲良しだけれど、そのぶん喧嘩も多くて嫌になってしまう。
ティノの言うとおり、今日はお祭りで忙しいのだから喧嘩をしている場合ではないけれど。
「お前は、見た目とかそんなことよりも、気持ちに寄り添ってくれる人をクーノが求めてるってわかってるんだと思ってた」
荷物を広場に運ぶ途中、ウォルがそうボソッと呟いた。
どういうことかと聞き返したかったのに、その後は何食わぬ顔でお店の準備を始めてしまった。自分で考えろということらしい。
祭りが始まってからは、賑やかで慌ただしかった。
神の御使いの薬湯なんて言って有り難がって飲みに来てくれる人がたくさんいたし、ウォルが女の人になかなかの人気だったのだ。
踊りに誘ってくれるお姉さんもいた。でもウォルは、全部「俺は忙しいんだ」と断ってしまっていた。
私も声をかけられはしたけれど、何となく冷やかされている気しかしなくて、笑って流しておいた。
「エミリアちゃん、来たよ」
「繁盛してるみたいだな」
「ルー! ハインも! 二人とも一杯いる?」
大鍋いっぱい作った分が全部なくなって、第二弾を仕込んだ頃、ルーとハインがやって来た。二人は鍋を覗き込んで、その匂いと色を確認すると同じような顔をして首を横に振った。この二人は薬嫌いということでは非常に気が合うらしく、健康のために日頃から摂取できる薬草の話なんかをすると決まって逃げ出すのだ。
「俺はそんな恐ろしげなものを飲むために来たんじゃねぇよ。可愛いエミリアちゃんを踊りに誘いに来た」
「俺も。あんたと堂々と手を繋げる日なんてなかなかないからな」
「ナンパなら帰れよ」
どちらが私と踊るのか、それとも二人ともと踊るのかという話で揉め始めたルーとハインをウォルが迷惑そうに追い払う。
でも、二人が私を慰めるためにこうして来てくれているのはわかるから、それが私は嬉しかった。余計なことは言わないけれど、私のことを案じてくれていることが嬉しい。そしてそれを、はっきり言葉に出さずにいてくれることも。
「……なんだなんだ?」
お客さんが途切れているのをいいことに三人が騒いでいると、少し離れたところで女の子たちの声が上がった。
慌てたルーがその長身を生かして様子を探ろうとしている。……でも私は、見なくても何があったのかすぐにわかった。
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