第14話 暗闇を抜けて

 道なき道を歩き続けていた。靴が捉える地面の感触と、杖を持っていないほうの手が触れるものだけが、私が感じられる世界だった。他には、何もわからない。

 いよいよ疲れてきたからか、杖の先の光の玉が心なしか小さくなり始めていた。ろうそくの炎が風に揺らめくように、光の玉も弱々しく揺れる。

 本当ならどこかで座って食事を取るべきなのだろうけれど、歩けるうちは歩いておきたかった。一度座り込むと、二度と立ち上がれない気がするから。そのくらい疲れていた。

 でも、空気の重苦しさが一段と増して、魔物が近いことがわかって緊張もしていた。

 魔物の放つこの空気は、こちらを決して安らがせまいというような強烈な感じがする。

 圧迫感というか威圧感というか、とにかくそんな空気に私は落ち着かなくなっていた。見えないものにゆっくりと締め上げられるような、そんな苦しさがある。


「……何か聞こえる?」


 それまで小石の多い地面の上を歩く足音しかしなかったのに、それとは別の音が聞こえてきた。

 耳を澄ますと、それが誰かの話し声だとわかる。もしかしたら、行ってしまった彼らのうちの誰かかもしれない。そう思うといてもたってもいられなくなって、私は声のするほうへ急ぎ足で駆けていった。



「……エミリアが……よね」

「……そうそう……で森に……」


 声のするほうへ近づいていくと、それは聞き覚えのある女の子たちのものだった。姿は見えないけれど、村の友達の声だ。

 それがわかった瞬間、頭の中に急激に音と情景が流れ込んでくる。


「エミリア、森に行かされちゃうなんて可哀想だね」

「うん、可哀想。だって、森って魔物がいるんでしょ?」

「魔物って何? おばけみたいなもの?」

「わかんない。とにかく、危ない所に行かされるなんて可哀想。私だったら耐えられない」

「私も」


 話しているのは、村の学校で仲良しだったマリエとユリアだった。私のことを話題にしているけれど、全くもって緊張感がない感じだ。現実に起こったことではなく、まるで本の中やどこか遠く、自分に関係のない出来事を語るかのような軽口だ。


(でも、まあそうだよね……)


 私だって、あまり自分の置かれた状況の深刻さを理解していなかった。だから、当事者ではない、きちんと説明もされていない二人が事態を重く受け止めていないのは仕方がないのかもしれない。


「……エミリア、帰ってこないのかな」

「わかんない。でも、帰ってこないってことは死んじゃうってこと?」

「そうなるのかな……だって、森に行ったんだもんね」


 二人の話題が、私が死んでしまうことに変わって、私は少し身構えた。こういうのは、あまり聞きたくない。

 村で重い病気の人が出たときなんかは、死んでしまうのか持ち直せるのかということは話題にのぼる。でも、それとは何だか違う気がする。……自分のことを話題にされているのが嫌なのかもしれないけれど、とにかく聞いていて気持ちの良いものじゃない。


「えー、エミリア死んじゃったら嫌だな。友達が死んじゃうとか嫌だよ」

「まぁそうだけど……でも、私ちょっとあの子苦手だったんだよね」

「そうなの?」

「うん。嫌いとかじゃないけど、付き合いにくいところあったじゃない? ほら、おばあちゃんと暮らしてるから、みんなで町に行こうってときも誘うとき遠慮しちゃうし」

「それはあったね。あと、妙に真面目っていうか」

「あの子、絶対自分のことを頭が良くて良い子だって思ってたでしょ」

「わかる。そういうところはあった」

「だからさ、もし死んじゃってもしょうがないかなって」

「まぁ、誰かが森に行かなきゃいけなくて、それがエミリアだったってだけだもんね」


 無邪気な、それゆえに彼女たちの物言いは残酷だ。聞いていると、背筋がぞわりとする。

 たぶん、「今日って雨なの。最悪ー」というような、大して悪意もない軽はずみなおしゃべりなのだと思う。

 でも、それだけに傷ついた。私の存在や生死は彼女たちにとって、そんなふうに語ることができるほど軽いものだということが。

 悲しんですらもらえないということが、「しょうがない」と簡単にあきらめられてしまうことが、すごく辛い。


(村のために、森までやってきたのに……)


 それ以上聞いていられなくて、逃げ出すように私は耳を塞いで駆け出した。それなのに、頭の中に直接聞こえてくる声は止まない。



「あの子は、無事やり遂げましたかね」

「帰ってこないということは、まぁ今頃森で……」


 今度は、男の人たちの声が聞こえてきた。これは、私に森へ行くよう言った村の偉い人たちの声だ。


「もし運良く帰ってきたらどうしますか?」

「そうだな……知恵の働く子だったから、何とか戻ってくることも考えられるのか」

「帰ってきたら困るだろう。あの子は、森へ生贄として行かせたんだから」

「もし帰ってきたら……今度は絶対に戻って来られないようにしてもう一度行かせるしかないだろう」

「……可哀想だが、村のためだ。森の魔物を鎮めなければ、もっとたくさんの者が死ぬのだから」

「そうだな……このままでは、大勢死ぬな」

「仕方がないんだ」

「誰かが犠牲にならなければいけないのだから……」


 マリエとユリアとは違って、村の偉い人たちは事実の重さがわかっている口ぶりだ。

 でも、わかっているのは村の置かれた状況の深刻さだけ。この人たちの言い分の中には、私の気持ちや人生なんてものを慮るということは微塵ない。そのことが、すごく腹立たしい。

 私が森で死ぬことを望むその口ぶりが、ものすごく嫌になる。事態が好転する根拠もないのに、私に死んでもらわなければ困ると主張する、その頑なさが。


(私の命は、私のものなのに)


 悔しくなって、声を聞くまいとするけれど、いろんな声がどんどん頭に流れ込んでくる。

 ティノが言っていたのはこれだったのだろうか。声から逃げるように進み続けているのに、逃れられない。

 聞こえてくる声に、自分の気持ちが沈んでいくのがわかった。

 負けちゃいけないと言い聞かせても、ああいったことを言われるのはやっぱり辛い。



 聞かないようにして、ただ早足で進み続けていると、今度は大勢の叫び声が聞こえてきた。

 たくさんの人が集まって同じことを叫んでいる。一回では何を言っているのか聞き取れなかったけれど、その叫び声から怒りの力を感じることはできた。

 怒りが集まって、大きな波になってこちらに押し寄せてくるようだ。


「魔女を殺せ!」

「魔女を殺せー!」

「火をくれてやれ!」

「火を!」


 誰が率いているのかはわからないけれど、号令とそれに続く叫びが聞こてくる。大勢の人たちの声だ。

 たくさん集まった人々の怒りの声とまとう怒気が、ごうごうと燃え上がっているみたいに感じられる。

 どうやら、誰かを魔女として断ずるつもりらしい。……もしかしなくても、それは私だろう。私のことを魔女として殺すつもりみたいだ。


「まず家を燃やせ! 家ごと魔女の呪いを焼き払え!」


 指導者と見られる人間の号令によって、松明を手にした人々は一点に向かって走り出す。向かう場所は、私の家だ。おばあちゃんと暮らした小さな家。

 そこに私はいないのに、彼らは火を付けるというらしい。


「やめてー!」


 叫んでも、その声が彼らに届くことはないとわかっている。でも、叫ばずにはいられなかった。

 私の制止も虚しく、火は放たれた。

 大量の松明の火が徐々にくっつき、ひとつになり、やがて大きな火柱になった。その火柱は容赦無く私の家に襲いかかった。

 風が吹くたびまるで意思を持っているように、炎が家をひと舐めする。

 炎に何度もそうして舐められるうち、家全体が真っ赤に染まった。そして、あっという間に黒焦げになり、ズブズブと崩れていく。

 黒い煙があがり、それが炎と一体化して空まで届くかに見える。その大きな炎と煙は家を包み込んで、塵ひとつ残さないほどに焼いていく。

 おばあちゃんと暮らした思い出も、私が帰る場所も、炎がすべて燃やし尽くしてしまった。


「魔女はいたか? 探し出して殺せ!」


 燃やすものをなくした火は、人々によって鎮火された。その瓦礫の山を踏み荒らしながら、怒号を上げ私を探している。


「魔女を殺せ!」

「魔女を殺せー!」

「村を呪う魔女を殺せ!」

「殺せー!」


 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ……いつまでも続くその恐ろしげな大合唱に、私は目眩を覚えた。

 足元がグラグラするのか、自分が揺れているのか、もうわからない。とにかく立っているのがやっとで、気持ち悪くてたまらなかった。

 人々は手になたや鎌を持っていて「殺す」というのが比喩や冗談ではないことがわかる。

 彼らは、本気で私の命を奪うことを望んでいるのだ。

 私が何をしたっていうのだろう。

 私はただ村で生きていただけで、あんなふうに恨まれることなんてしていないのに。

 殺されなければならないことなんて、絶対にしていない。


(ああ……これはもしかして、クーノの記憶?)


 ふと、そんな考えが頭に浮かんだ。

 聞こえた声も頭の中で流れた状景も、現実のものではないと思う。私がかつて体験した記憶ですらない。

 それなら、きっとこれは誰かがかつて見たものなのだろう。そう考えると、クーノのものだとするのが自然だ。

 友達や村の偉い人たちの声は私の恐れが聞かせたものだったとしても、さっきの生々しい光景はきっとかつてクーノが見たものに違いない。


「……こんな酷いことをされて……」


 ありもしないことを理由に村を追われ、家を焼かれ、森に行くしかなかったクーノなことを思うと、体の内から震えるような心地がした。

 恐ろしさと、悔しさと、深い悲しみ。

 絶望して森に逃げ込んだクーノがそこで闇に飲まれてしまったのは、仕方がないことだと思う。誰かを憎んだとしても、責められることじゃない。


 こんな絶望と恨みの念がクーノを魔物に変えてしまったとしたら?

 そして今もそんな黒々とした感情に苛まれてこの森でひとりでいるのだとしたら?


 行ってやらなければいけない。

 ひとりで苦しんでいていいわけがない。何の罪もないクーノが、未だ苦しみの中にいていいわけがない。

 村のことでもウォルたちのことでも、ましてや自分のことでもなく、クーノを救ってあげたい――私は心からそう思った。


 震える体を何とか動かして、私は硬い地面に膝を折って座った。そして手を合わせ、目を閉じて神に祈った。

 森で出会ったあの神様ではなく、この世界を作ったという偉大な神に。

 クーノを憎しみから解放して、ただ安らぎを与えてください、と。


 その瞬間、頭の中で響いていた恐ろしげな声の嵐が止んだ。

 そして、今までのどんなときよりもはっきりと、魔物の気配を強く感じるようになった。


 目を開けると、そこには変わらず闇が存在していた。けれど、その闇よりもさらにくっきりと際立つ“黒”が、そこにはあった。

 見ているだけでカタカタと体が震え出すような、寒々とした恐怖をそれは与える。それなのに、目を逸らすことも許さないような吸引力がそれにはあった。

 禍々しい、というのがこれほどぴったりなものを私は知らない。

 禍々しく、そして悲しい。許されるのなら、わんわんと泣き喚きたいような、そんな気分にもさせられる。不安で、心細くて、寂しくて、苦しい。すべての辛い気持ちが凝縮して一気に胸の中に溢れてきたような、そんな感覚だ。


「……そこに、いる、のね……」


 よろよろと立ち上がって、私はその“黒”に向かって歩き出した。

 近づいてはいけない――全身でそう感じるけれど、それでも私は一歩一歩踏みしめて進み続けた。

 それのいる場所にたどり着けば、すべてが終わるとわかっているから。

 終わらせなければならないから。

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