第11話 行くも戻るも

 色々あって疲れたはずなのに、横になってもなかなか寝つけなかった。森に来て、こんなことは初めてだ。眠ることを意識するより先に眠っていたくらいなのに。

 明日からのことに備えて早めに寝ようねとクラウスに言われたのに、今日に限って眠れないのだ。

 たぶん、緊張しているのだと思う。

 これから森の奥に進み、魔物と戦うのだと思うと、どうやったって気持ちが落ち着くことはない。気持ちは嫌でも高ぶり、目が冴えてしまう。

 それはみんなも同じらしくて、結局洞窟の外に出て焚き火を囲んでいる。



「森の中で夜を過ごすなんて、不思議な感じだね」


 誰に言うともなくクラウスが言った。

 洞窟の中でもそうだったけれど、森の暗がりの中では簡単に見失ってしまいそうな姿をしている。でも、この中で一番落ち着きのある頼れる人だ。


「私にとっては森に入ること自体、信じられないことよ。入る人はいなかったし、入っちゃダメだって言われてたから」

「僕たちがいた頃は、頻繁にじゃなくても出入りしてたけどね。……魔物がいるから入っちゃダメだっていうのは、いろいろあったあとのことだろう。少なくとも、六十年前はそんな話は聞かなかった」


 “いろいろ”の部分にかなり含みを持たせてクラウスは言う。

 確かに、いろいろあっただろう。

 病気から立ち直るのも大変だったと思うけれど、生活の中から森を排除するに至るには、かなりの事情があったと推測できる。

 魔物と対峙した人も、襲われた人もいるのかもしれない。


「森の奥って、どんな感じなのかな?」

「もうここも、大分奥なんだと思うよ。実は、みんなと合流する前に僕は奥へ行こうと思ったんだけど……あまりも雰囲気が違って引き返したんだ」


 そのときのことを思い出したのか、クラウスは少し身震いした。

 私にも、何となくクラウスの言っていることはわかる気がした。

 ひとりで森に入ったとき、激しく拒まれるような疎外感を覚えたのだ。森に対して私が恐れを持っていたからかと思ったけれど、激しい雨に降られて身動きが取れなくなったから、気のせいではないのだと思う。

 この森には、人間を拒む大いなる意思とでも呼べそうなものを感じる。

 それはきっと、奥に行くほど強くなるにちがいない。


「……これからきっと、厳しい道のりになるのよね」

「もしエミリアが歩けなくなったら、俺が背中に乗せてやるから安心しろ」

「ありがとう、ウォル」


 私の不安を感じ取ったのか、隣にいたウォルがぴったりと体を寄せて来てくれた。こうしてくっつくのは気持ちが落ち着く。

 元の姿に戻ったら同い年の男の子だから、恥ずかしくてとてもこんなことできないだろうけれど。でも今は、恥じらいなどなく触れ合うことができる。


「エミリアの魔法の杖があれば、きっと魔物なんてすぐにやっつけられるから大丈夫だよ」


 お守りのように持っていた杖を見て、ティノが言った。その言葉に、みんなの視線が杖に集まるのがわかった。

 みんなこれまで何も言わなかっただけで、この杖のことを気にしてはいたのだと思う。

 六十年前で時が止まってしまっている彼らからすれば、魔法なんて得体の知れないものだろう。

 王都ならともかく、地方の村の子供にすぎない私だって、そんなに馴染みがあるわけではないのだから。


「この魔法の杖は神様がくれたものだから、私が魔法を使えるってわけじゃないよ」

「じゃあ俺も使えるかな? ……ダメだ。何も反応しない」

「俺も……ダメだな」


 ティノとハインが杖を振ったけれど、何も反応しなかった。私がお手本のように魔法を使って見せてそれを真似しても、やっぱり何も起こらなかった。


「それは、神様がエミリアに与えたものだから、きっとエミリア以外は使えないんじゃないかな?」

「ケチな奴だな。エミリアちゃんが女の子だからって贔屓しちゃってさ。いくら格好良くてもケチじゃダメだ」


 クラウスが杖を手にして振ってみながら言うのを、ルーはつまらなそうに見ていた。私以外がこの杖を使えたとしても、ルーは体が小さくて振れそうにないのが面白くないのかもしれない。


「光を灯したり火を点けたりするところしか見てないからな……そんなんで戦えるのかよ」

「そうね……戦うって、どうやればいいのかしらね」


 寄り添うウォルに身を預け、私は自分がなすべきことを考えていた。

 神様に言われた通り、呪われた人間であるウォルたちを見つけた。じゃあ、これから一体どうすればいいんだろう?

 戦うことはおろか、人を叩いたことすらない。そういえば、叩かれたことすらないのだ。

 そんな私がこれから魔物を退治しに行くと言うのだから、人生ってわからないものだ。


「魔物って、一体何なんだろうね。……まぁ、僕らも大概魔物っぽいけどね」

「そんなことないよ。クラウスも、みんなも、ちゃんと人よ。元の姿に戻って、私と一緒に村に帰るの」


 クラウスが笑わせようとしてくれたのはわかったけれど、その声に悲哀が滲んでいて、私はとても笑えなかった。

 みんなきっと、不安なのだ。

 魔物が一体どういうものなのか全くわからない私も怖いのに、一度対峙している彼らが怖くないわけない。

 それでも、彼らはついてきてくれると言う。

 異形のままであったとしても、ここに留まれば静かに暮らしていけるかもしれないのに。

 一緒に危険を冒すと言ってくれたのだ。


「……絶対に無事に帰ろうね」


 彼らの気持ちに報いるために、私は誓いをたてるような思いでそう口にした。

 怖さはある。魔物が何者なのかということを考えて、ためらう気持ちもある。

 それでも、私は行くのだ。


「まぁ、魔物退治なんて嫌な話はもうやめようぜ。それよりエミリアちゃん、もっと楽しい話をしよう。無事に帰ったらまず何をしたい?」

「そうだな……温かいスープを作って食べたいかも。スープなしの食事が続いてるから」

「いいな。俺はね、エミリアちゃんとデートに行きたいな。元の姿に戻った俺は背が高くて格好良いんだぜ?」


 しんみりしてしまった私を心配してくれたらしく、ルーが近くまでやってきて励ましてくれた。自分のこと思い出せるようになったからか、その言葉には自信があって説得力があった。


「ルー、そういう抜け駆けはよせよ。俺だってエミリアと仲良くしたい! エミリア、帰ったら俺ともデートしようね。お弁当を作ってどこかへ出かけて、木陰で一緒に本を読んだりして過ごそうよ」

「素敵ね。私も本は好きよ」


 ティノといればのんびりとした時間が過ごせそうだ。お弁当を持って木陰で読書だなんて少し少女趣味だけれど、ティノのその提案に乗るのも悪くないなと思った。


「どうして二人きりで出かける話ばかりするんだ。みんなで出かけたらいいだろ?」

「そうだ。みんなで釣りにでも行ったらいい。エミリア、あんたは下手そうだから俺が教えてやる」

「ハイン、お前も結局抜け駆けかよ!」

「じゃあウォルも私に何か教えてね。私、男の子の遊びなんてしたことがないから」

「……しょうがねぇな」


 ハインに牙を見せるウォルの背中を撫でながら、みんなで釣りをするのを想像してみた。

 そういえば、神様とも釣りに行こうと約束したのだ。……叶えられればいいのだけれど。

 神様があのとき何を思って私と様々な約束をしたのかが、すごく気になる。

 もしも、叶わない約束だと思っていたのに笑顔で私のことを送り出したのだとしたら、それはあまりにも悲しすぎる。

 長い間、ずっとひとりきりでいたという神様。私と別れるとき、どんなことを考えたのだろう……。

 そんなことを考えて気持ちが沈んでしまった私の肩を、クラウスがポンと叩いた。


「じゃあ僕はエミリアに勉強を教えてあげよう。こう見えて僕は、ゆくゆくは村の学校で先生をするつもりだったんだからね」

「そうなの? ……そうね。お勉強も大事ね」

「出たよ、クラウス先生ー」


 クラウスの申し出に対して、次々とみんなから非難の声が上がった。

 きっと、こんなことになる前はみんなでこうして騒いで、遊んで、勉強していたんだなと考えると、そんな時間を取り戻してあげたいと強く思う。

 眠りにつく前のことを思い出せるようになって、悲しみや葛藤はより強くなっただろうに、誰も暗いことは言わなかった。

 ただただ、楽しいことだけを口にしていた。


 満天の空に、私たちの楽しげな声がのぼっていく。

 本当は、これから待ち受けていることが不安で、怖い気持ちのほうがきっと大きい。

 それでも、先にある楽しいことを想像すれば、進んでいけそうな気がした。




 話し疲れて、今度こそ眠れそうになったから私たちは洞窟に戻った。

 横になって丸まった途端、誰かの寝息が聞こえてきた。そして、時間が経つとその寝息は数を増やしていき、洞窟内に静かに響いていた。

 それを聞きながら、まどろむ意識の中で私はクーノのことを考えていた。

 彼は今、この森のどこにいるのだろう。ひとりきりで、何をしているのだろう。

 クーノは魔物になっているのかもしれない。

 クーノは神様なのかもしれない。

 そのことを考えると、淋しくて悲しい気持ちで胸がきゅうきゅうと締め付けられるから、神様の笑った顔を思い出して私は眠った。



 朝、洞窟の中に誰の気配もなくて目が覚めた。

 目を開けて体を起こして、みんなが消えてしまったのではないかという不安に襲われた。でも、漂ってきた良い匂いにすぐにそれは違うとわかった。


「おはよう、エミリア」

「おはよう。美味しそうね」


 洞窟の外に出ると、すでに朝食の準備が出来ていた。

 火が起こされ、その周りではクラウスが魚を焼いていた。洞窟に流れてきていたのは、どうやらこの匂いだったらしい。


「魚を釣りに行ってくれたのね」

「まぁ、早く起きてしまったし、準備も済んだしな」

「準備?」


 尋ねる私に、ハインは木の枝を加工して作った“武器”と思しきものを見せてくれた。

 他のみんなを見ると、ウォル以外はそれぞれ手に何か持っている。


「どういった戦いになるかわからないけれど、もし純粋な力の勝負なら、準備は必要だと思ってね……」

「……そうよね」


 手に持ったものを弄びながら、クラウスが言い訳のように言った。

 みんな、狩りで動物を射たことはあっても戦ったことなんてないのだ。ためらう気持ちは当然だと思う。


「エミリアは、杖でできる限りのことをしてくれたらいいから。魔物は、俺が噛んでやるから」


 耳をピンと立て、ウォルは勇ましい表情をしていた。

 覚悟が決まったその目に、私はただ黙って頷いた。

 私が眠っている間に、彼らは色々なことを考えたのだろう。色々考えて、彼らなりに手にした答えが武器だったのだろう。

 ためらいがちに握られたものを見て、私は自分が随分と呑気に構えていたことを思い知らされる。

 一体、どうやって戦う気でいたのだろう?

 考えたくなくて、肝心なことから目をそらしていたのだ。

 でも、戦わなくては、魔物を退治しなければ、私も、彼らも、村も救われない。

 下手を打って長い眠りに落とされたら大変だ。彼らにまた同じ思いをさせてしまうのは絶対に嫌だし、私が眠っている間に村の人たちが飢えと病気で死ぬなんて耐えられない。

 ……たとえ私を弾き出した場所でも、滅びてしまえなんて思えないから。


(怖い。でも、やらなくちゃ)


 私は、胸の前でギュッと杖を握りしめた。

 これは、私が森での道中で不便をしないようにと、神様が持たせてくれたものだ。

 もしかしたら、小さな光や火を灯す以外にも使えるかもしれない。戦える、かもしれない。


 空を見上げると、雲行きが怪しくなってきていた。

 神様のところを出発してからずっと良い天気だったから、この曇り空が何も意味がないものだとは思えない。

 これから、きっと雨が降るのだろう。入るものを拒むかのような、あの激しい雨が。

 森は暗くて寒い、恐ろしい場所に変わるのだ。


(行くも戻るも、苛酷ってことね……)


 それなら、進むしかない。

 私は決意を込めて、みんなのほうに向き直った。


「とりあえず、ご飯食べようか」

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