第9話 洞窟の中で
クラウスに連れられてたどり着いたのは、小さな洞窟だった。
暮れかけた陽が洞窟に届くことは当然ない。だから私は杖の先に光を灯し、足元を照らした。その様子をクラウスはチラッと見て、でも足を止めないまま奥まで歩いて行った。
「さて……まずは君の話を聞かせてもらおうかな。クラウディアだと思っていたら初めましてのエミリアだったわけだし、たぶん君が一番今の状況をわかっているだろうからね」
全員が座ったのを確認すると、クラウスは私を見てそう言った。
正直言って、私がわかっているのは自分のことと森へ来た理由くらいで、彼らのために語れることはそうないと思う。
それでも、呪いによって長い時間眠り続けて異形の姿になってしまった彼らが何か気づくきっかけになるかもしれないから、私は自分が知っていることをすべて話そうと決めた。
「私はエミリア。歳は十五よ。お父さんとお母さんが小さいときに死んじゃって、それからはおばあちゃんに育てられたの。そのおばあちゃんも死んじゃったから、今はひとりなの」
何から話せばいいかわからなくて、私はとりあえず自分の身の上について語ることにした。それは、私が森に来た理由を語る上で必要だし、神様や彼の言っていたことを伝えるためにも必要だから。
森へ来てから、出会う人たちに繰り返ししてきた自分の身の上話。
神様相手に初めて話したときは、言葉にすることではっきりと自分がひとりぼっちなのだと感じて辛かった。それも繰り返すうちに薄れて、もうあまり何も感じない。辛くないと言ったら噓になるけれど、何度も話すうちに変えようのない事実なのだと受け止めることができたのだと思う。
それでも、クラウスは労わるような声で言う。
「……天涯孤独になってしまったのか。だから、君みたいなまだ子供が、一人で森になんているんだね」
こういった反応をされるのは、すごく久しぶりだ。村では、私のような子供をいちいち可哀想がっていられないくらい余裕がないし、私は村という共同体から弾き出された身だ。だから、可哀想だと慰めてくれる人がいないほど、私はひとりだった。
「それで、エミリアはどうして森に……?」
「天候不良が続いていて作物が穫れなくなっていて、その原因は森の魔物なんじゃないかっていう話になったの。それで、村の偉い人に行って調べてくるよう言われたのよ。まあ、それはたぶん建前で、きっと邪魔な私を森の魔物のご飯にでもしようとしたんだと思う」
「森の魔物?」
「森には魔物がいるから入ってはいけないっていうのが村での常識なの。子供はよく言い聞かせられてるし、大人も入らないわ」
「そうなのか。魔物がいるというのは、村では周知の事実になっているんだね。……それで、なぜ危険とされる森にエミリアは行かされたの?」
「それは……おばあちゃんが薬屋をやっていたから、いつの頃か疎まれるようになったの。昔の魔女の話におばあちゃんを重ねてたみたいで……。たぶん、おばあちゃんが死んじゃったあと、私の存在をどうするかってことになって、森に行かせようってなったみたい」
「そんな……」
クラウスは私の話をそこまで聞いて、ひどく衝撃を受けたようだった。これまでウォルたちにも話してはいたけれど、そんなに丁寧に話してはいなかった。だから、よくわかっていなかったというのもあるだろうけれど、ウォルたちはあまり反応しなかった。それよりも自分たちがこんな姿になっているのかが気になったのだろうと思う。
今改めて私の身の上を知ったウォルたちにも、動揺が走るのが見て取れた。でも、一番事実を重く受け止めているのは、この中で一番年長者らしいクラウスだ。
「ごめん、エミリア……つらい話をさせてしまって」
「……ううん。大丈夫だから。それに、話さなくちゃいけなかったしね」
慰めるように、クラウスは何度も何度も私の頭を撫でた。呪いで姿が変わってしまって、クラウスのほうが大変なはずなのに、彼が心底私を憐れんでいるのがわかった。クラウスの気遣うような視線を送る顔を想像してみて、私は少し温かな気持ちになった。
(神様も、私のことを心配してくれたっけ)
ふいに、あの柔らかで美しい顔を思い出す。神様の元を発ってからまだ数日のはずなのに、もう何日も何日も過ぎた気がする。そんなふうに感じるほど、神様のことが恋しい。
「それで、森を歩いていたら雨に降られて、身動きが取れなくなって、私は死にかけたの。もう死んでしまうと思っていたのに、気がついたら暖かな場所にいて、誰かに助けてもらったってことがわかったの。その助けてくれた人が、神様」
「神様、ね……」
クラウスは神様という言葉にひっかかりを覚えたようだけれど、それ以外に表現しようがないから仕方がない。
それに、私にとって彼は神様なのだから。
「その人は、自分で自分のことを神様だって名乗ったのか?」
不服そうな様子でウォルが尋ねてくる。犬にこんなに表情があるのかと思うほど、あからさまに嫌そうな顔だ。
「ううん。名前はわからないって言っていたから、私がそう呼んでるだけ。不思議な力が使えるし、すごく綺麗だから、きっと神様だろうって思ったの」
「……それじゃあ、神様じゃないかもしれないんだな」
出会ってすぐに神様の話をしたときはそんな反応しなかったのに、ウォルはこの話題になると面白くなさそうにするようになった。今なんて、はっきりと不機嫌な様子だ。
「神様っていうのは、まぁ本当かもしれないね。エミリアが持たされている食べ物が減っていないし、不思議な杖もあるし」
「え?」
クラウスに言われてバスケットの中を確認すると、確かにケーキもパンもほとんど減っていなかった。次々に合流して、そのたび仲良くご飯を分け合っていたから、確実に減っているはずなのに。
バスケットも中に入れた食べ物も神様が用意してくれたものだから、何か細工がしてあったのかもしれない。というより、そうとしか考えられない。
「……神様は、すごいことができるのね」
「まぁ、そういうわけだから、その人のことは便宜上、神様と呼ぶとしよう」
一緒になってバスケットを覗き込んだくせに何も言わないウォルに対して、クラウスは宥めるようにそう言った。
薄暗がりの中、他のみんなの表情や気配はあまりわからないけれど、私はとりあえず話を続けることにした。
「それで、神様に助けてもらって、ご飯を食べさせてもらったりしたあとで森に来た理由を話したら、『森の奥にいる魔物を倒せば村の天候不良は良くなる』って言われたの。それと、森の中に呪われた五人の人間がいるから、その人たちと仲良くなって一緒に行きなさいって」
「その五人っていうのが、僕らか……」
私は改めて、呪われた五人を眺める。
犬の姿に変えられ、最初は言葉まで封じられていたウォル。
鳥にさらわれてしまうほど体を小さくされてしまったルー。
常に滝の向こうにいるように顔も体も水に覆われているティノ。
全身に緑の茂みを纏ったような姿になっているハイン。
文字通り影のような存在にされてしまったクラウス。
そして、全員長い眠りにつかされ、その後遺症か記憶がはっきりとしない。
「みんな、記憶がないっていうのはどのくらいなの? お互いのことは思い出したのよね?」
尋ねると、みんな首を傾げて困った様子だった。ただクラウスだけが、腕組みをして何かを考える様子だ。
「そのことなんだけど、僕は何も忘れてないんだよ。みんなのことも、なぜ森にいたのかも」
「え?」
困った様子のみんなを見ながら、クラウスはそうはっきり言い切った。
一人だけ反応が違っていたと思っていたけれど、そういう理由だったのか。
忘れていなかったからこそ、何も声をかけずにみんなの輪に入っていたし、私の話に人間らしい反応を示したということだったらしい。
「みんなもたぶん、忘れているわけじゃないと思う。思考力――考える力が眠っている間に弱っていて、あるいは呪いで弱められていて、それで思い出すのに時間がかかるだけで」
「クラウスは、どうして考える力が弱っていないの?」
「それはたぶん、僕が一番呪いが軽かったから。影が薄いのは元からで、そう考えるとそんなにみんなみたいに姿が変わったわけでもないでしょ?」
自嘲気味にクラウスが言ったけれど、誰も否定しなかった。その様子に、クラウスがどれだけ日頃から影が薄かったのだろうと考えてしまう。
「僕たちは、もう一人の友達を追って森に来たんだ。クーノ――名前を聞いたら、何か思い出せない?」
クラウスの問いかけに、みんなハッとした。
何も言わなくてもその反応だけで、彼らがその“クーノ”を知っていることがわかる。
「そうか……クーノを追ってきたのか。あいつは? あいつも呪われてるのか?」
思い出したらしいルーが、慌てたように言う。けれどそれに対してクラウスは、静かに首を横に振るだけだった。
「クーノは……森の魔物に食われてしまったのか?」
「黒い
ハインとティノも何かを思い出したらしく、そのことに怯えるように体を震わせた。
「……そうか。俺たち、あの靄に触れて呪われたんだ。森の魔物に、呪いをかけられたんだ」
「そうだよ。……どうやら、やっと思い出したみたいだね」
はっきりと思い出した様子のみんなにクラウスが言う。
今度は、私が置いてけぼりの番だった。
彼らが何を思い出したのか、何に怯えているのか、そしてクーノが誰なのか――私にはまるでわからない。
それでも、みんなに記憶が戻ったということは、とりあえず状況は少し進展したことにはなる。
「僕たちはこの五人で、森にやってきたんだ。クーノという友達を追ってね。……俺たちはクーノを守りたかったのに、結果として彼を追いつめてしまったんだ。だから、こんな姿になったのも報いと言えるだろうね」
うなだれるその様子から、表情が見えなくてもクラウスがひどく落ち込んでいるのがわかる。他のみんなも同じように、沈み込んでいた。どうやら、友達を失ったときのことをはっきり思い出してしまったみたいだ。みんなの心が、失意の底に沈んでいくのがわかった。
洞窟の中にあるのは、気まずさとはまた別の沈黙。誰ひとり息を吐くことすらしないような静けさの中、私は考えていた。みんなが失意の中にあっても、今の話を聞いて私は悪いことばかりではないと思った。
(魔物を倒せば、クーノという人を助けることができて、みんなの姿も元に戻せるんじゃないかしら)
そう考えると、少しだけ希望が見えてくる。
彼らの失われた時間は取り戻せなくても、これからの時間を生き直すことはできるはずだから。
神様が言ったいた通り、こうして五人と出会えたのだ。きっと、これは希望を見出してもいいことだと思う。
「ねぇ、何があったのか話してくれる? クーノのことも。そうしたら、魔物を倒す方法が何か思いつくかもしれないから」
私の言葉に、クラウスが顔をあげた。でも、私の言葉をすぐに信じられない様子だ。打ちのめされているから、すぐにいいようには考えられないのかもしれない。
「魔物を倒せば、クーノを取り戻せるかもしれないよ。みんなの姿も、元に戻るかも」
みんなの心に響くように、そして自分に言い聞かせるように言葉を連ねる。それを聞いて少し迷ってから、クラウスは頷いた。
「そうだね……君には聞いてもらわなくちゃいけないのかもしれないしね」
そう言ってクラウスは何かを、決意したように私に向き直った。
そしてクラウスは語り始める。
かつて彼らの身に何が起きたのか。
クーノとは、どのような人だったのか。
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