第4話 そのつややかな毛並みは

 目覚めて、まず視界に入ってきたものに驚いて、私はベッドから落っこちそうになった。

 だって、すぐ目の前に綺麗な顔があったんだもの!

 いつの間にか、神様がベッドに入り込んでいたらしい。

 やっぱり、床で寝転がるのが痛かったのかしら。


 こうして間近で見ると、惚れ惚れするほど美しい。髪と一緒で淡い金色の睫毛に縁取られた目だとか、彫刻みたいに形の良い鼻だとか。

 見ているだけで、ドキドキしてしまう。


(私、もしかしたら神様のこと好きなのかも……)


 神様は私の命を助けてくれて、かいがいしくお世話してくれた優しい人。おまけにこんなに綺麗。

 出会ってすぐだけれど、好きになってしまっても何にも不思議はない。理由としては十分だ。

 それに、好きな人がいるのは良いことだ。

 ただ村のためにこれから魔物退治に行くというのは、ちょっと淋しい。だって、村は私が一度弾き出された場所だから。待つ家族もいないし。

 でも、すべて終わって好きな人にもう一度会うのだと思えば、色々と頑張れそうな気がする。

 ちょっと調子がいいと自分でも思うけれど、仕方がない。

 私は物語に出てくるような勇者でも賢者でもないのだから。

 私は、ただの十五歳の女の子だもん。


(このお顔とも、しばらくお別れなのか)


 すべてが終わるまで、どのくらいの時間がかかるかわからない。でも、数日で終わるわけないのは確かだ。

 だから、淋しくなったとき思い出せるように、しっかりと目に焼き付けておかなくちゃ。

 そう思って、私はじっくりと神様を見つめた。


「……エミリア、穴が空くよ。そんなに見たら、僕は穴だらけになる」

「……!」


 ジッと、視線で神様の輪郭をなぞるように丁寧にしっかりと見つめていたら、パチリと神様の目が開いた。

 少し前から起きていて、私が見つめていたことに気づいていたみたいだ。

 神様を見つめる様子をこっそり見られていただなんて、すごく恥ずかしい。


「お返しに、僕も見つめ返したほうがいい?」

「……ダメ」


 妖艶ささえ感じるほどの甘い微笑に、私は恥ずかしくなって首を振った。そんな私を見て、神様はクスクス笑う。


「まぁ、エミリアが眠ってからかなり長いこと見つめてたけどね」

「すけべ」

「半目だったよ」

「うそ!」

「うん、嘘。すごく可愛い顔して寝てたよ」

「……もぅ」


 私が恥ずかしがるのを面白がって、神様は私をからかう。あまりにも笑うものだから、私まで楽しくなってきてしまった。

 ベッドから起き出して朝ご飯を食べたら、お別れになってしまうのがわかっている。

 だから、この時間を惜しむように私たちはとりとめもない話をした。

 神様の得意な料理とか、私の好きな食べ物とか。花の咲く季節はお弁当を持って出かけようだとか、釣りに行って魚をたくさん釣ろうだとか。神様は意外にも、釣りが得意なのだという。そういった男の子の遊びをしたことがないから、一緒に行くのがすごく楽しみだ。

 話しながら、私は絶対に魔物を倒して帰ってこようと心の中で誓った。

 無事に帰って来なければ、一緒に楽しいことをするというのは叶えられないから。



「じゃあ、いってきます」

「いってらっしゃい、エミリア。気をつけるんだよ」

「うん」


 ベッドの中でグズグズとした時間を過ごしたあと、朝食をとって、私は出発することにした。

 私の荷物は、食料をつめてもらったバスケットと、元から持ってきていた小さなカバンだけ。でも、バスケットも食料も神様の手作りで、おまけに魔法の杖もつけてもらった。

 だから、きっと大丈夫だ。


「もし、本当にダメだと思ったら、戻ってきていいからね」

「うん。でも、神様とたくさん遊びたいから、頑張ってくる」

「……無事を祈ってる」


 心配そうに見つめる神様と、最後の抱擁を交わす。

 それは、昔からの知り合いとのような、家族とのような、親密な気持ちになる抱擁だった。その温もりに励まされ、神様の腕の中から抜け出して、私は迷いなく一歩を踏み出す。


 振り返ったら気持ちが揺らいでしまうかもしれないから、まっすぐ前だけ向いて歩いていく。

 神様の顔を見たいけれど、帰ってきたらまた嫌というほど見られるのだからと自分に言い聞かせて。



 森を進んで行くと、足元にたくさん花が咲いているのに気がついた。それを見て、春が来ていたのだとわかる。

 村ではずっと曇りや雨が続いていて、季節を感じさせるものは気温の変化くらい。だから、こうして花を見て春の到来を感じることなんて久しぶりだ。


(すべて終わってこの道をまた通るとき、神様にお花を摘んで帰ろう)


 今すぐこの花を神様と見たいという気持ちを、そうやって先の楽しみに置き換えてしまう。そうすれば、淋しさを少しだけ我慢することができるから。

 さっき別れたばかりなのに、すぐに会いたくなってしまって困る。今、隣を歩いてくれていたらどんなに楽しいだろうなどと考えてしまう。

 だから、私は自分を叱咤して、とにかく足を進めた。



 黙々と歩いていたら、結構な距離を歩いていたみたいだ。そろそろ休む場所を探さなくちゃ。木々の隙間から覗く空はまだ青いけれど、森の夜は早いというから。

 日もだいぶ傾いてきている。

 どんなところで休めばいいんだろう――そんなことを思ってあたりを見回したとき、大きな木の《うろ》が目に入った。

 近づいて見ると、幅だけじゃなくて奥行きもある。


「ここなら休めるかな……きゃっ」


 杖に光の球を灯して、うろの中にかざして見ていたら、何かもぞもぞと動く気配がした。

 怖い気持ちを抑えて、よくよく照らして見てみると、それは大きな獣だった。獣が、お腹をふくふくさせて眠っている。


「……狼? 犬かな?」


 村で飼われていた犬によく似ているけれど、森に犬はいるのだろうか。何となく、森にいるのは狼という気がする。狼だとしたら、危険だ。もしお腹を空かせていたら私のことを食べてしまうかもしれない。

 さて、どうしよう――うろに入るかあきらめて別の場所を探すか迷って少しだけ後ずさりしたそのとき、小枝を踏み折ってしまった。静かなその空間に、パキッという音が響く。

 その音に、獣の目が開いてしまった。

 眩しそうに細められたその目と、私の目が合う。

 獣は私をしっかりと視認すると、低く唸りながら鼻をひくつかせ始めた。私を食べ物かどうか品定めしているのかもしれない。

 耳に響く唸り声が恐ろしくて、今すぐ逃げ出してしまいたい。でも、逃げ出して本格的に獣を刺激したくないし、私の足では逃げ切れないだろう。

 だから、いざとなったら身を守るために戦う覚悟を決めて、私は杖を構えた。

 でも獣は私の予想に反して、襲って来なかった。

 唸るのをやめると、そろりそろりと、私に近づいてくる。そして、バスケットの中身を探るようにクンクンとやり始めた。

 しばらくクンクンすると、今度は私の周りをグルグルと回り始める。そしてまた寄ってきてはクンクンとするのだ。

 何となく、人懐っこい姿だ。甘えてきているようにも見える。


「……あなた、もしかしてお腹が空いてるの?」


 私が問いかけると、獣はピタリと動きを止めた。そして《おすわり》をして私をジッと見つめた。


「そっか。そうだったの。それなら、私のご飯を分けてあげるからこっちへいらっしゃい」


 言いながら手招きすると、獣は尻尾をふりふり私のそばにやってきた。賢い、よく躾けられた子だ。村で見ていた犬とは少し違うけれど、獰猛で恐ろしいという狼でもないらしい。

 赤褐色の毛並みの珍しい犬は、私の隣におすわりをしてご飯を待っている。まるで私の犬みたい。可愛らしい姿に、見ていて嬉しくなった。


「ひとりでご飯を食べるのは淋しいなって思ってたの。だから、あなたがここにいてくれてよかった」


 サンドイッチを分けてやると、獣はそれを瞬く間に食べてしまった。だから、自宅から持ってきていたパンもナイフで切って分けてあげた。

 よほどお腹が空いていたのか、本当だったらジャムやバターを塗って食べるようなパンを、獣はそのままむしゃむしゃと食べる。

 その食べっぷりがあまりにも可哀想で、私はもうパンをすべてあげることにした。


「食べるばかりじゃなくて、お水も飲もうね」


 口の中がパサパサになっていないか心配になって、カバンから取り出した器に途中で見つけた沢で汲んでおいたお水を注いであげた。

 獣はそれも夢中で飲み干してしまった。人間みたいにゴクゴク飲み干すことができないから、一生懸命ペロペロと水を口の中に運ぶように。

 それでようやく人心地ついたのか、獣は鼻先を私の体に押し付けてきた。それはまるでお礼を言っているみたいで、何だかすごく可愛く思えてきた。お行儀のいい、お利口さんだ。


「ねぇ、あのうろはあなたのおうち? 今晩あそこに泊めてもらっていいかな?」


 私の横で寛ぐ獣にそう問いかけると、獣はよく意味がわからなかったのか首を傾げた。

 でも、嫌がることもないだろうと思って、私は獣を促してうろの中に入ることにした。

 一緒に食事をしている間に日は沈み始め、あたりは薄暗くなってきていた。杖の先に光を灯り代わりにしてうろの中を進むと、獣は不思議そうにそれを眺めていた。

 うろの中は外から見るよりも広々としていて、獣と私が横になってもまだ少し余裕があった。

 うろの中の地面は風によって吹き込んだだろう枯葉が溜まって柔らかな感触だった。でも、この下にはここを寝床にする虫もたくさんいるのかしら――なんてことを思って、少し寛げない。

 それを感じ取ったのか、獣は私の頭に自分の体を擦り付けてきた。「うっうっ」と短く唸って、何かを訴えてきているみたい。

 しばらく考えて、どうやらそれが「自分の体を枕にしていい」と言っているらしいことに気がついた。言われた通り頭を乗せると、毛並みが少しごわごわしたけれど、嫌な気持ちにはならなかった。

 それに、獣は暖かかった。ひとりきりで眠るのはきっと寒くて心細かっただろうけれど、獣と一緒なら安心できる。


「ありがとう。優しいのね」

「うっ」


 獣は、構わないとでも言うように軽く唸って、それきり大人しくなった。


「あなたがおしゃべりできたらいいのにね……おやすみなさい」


 叶わないことを呟いて、わたしは目を閉じた。

 頭の下でふくふくと動く獣の息遣いが心地よくて、眠りの世界に落ちるのにそう時間はかからなかった。



「おはよう。なぁ、そろそろ頭どけろよ」

「あ、ごめんね」

「いいんだ。それよりメシにしよう。腹減った」

「はいはい。……ん?」


 頭の下でもぞもぞとする動きと気安い声に起こされた。あまりにも自然に声をかけてくるものだから私も深く考えずに返事をしてしまったけれど、一体誰……?

 体を起こして辺りを見回したけれど、うろの中にいるのは私と獣だけだ。


「もしかして、あなたなの?」


 まさかと思って、でもそれ以外考えられなくて、私は目の前の獣に問いかけてみた。

 獣はまるで姿勢を正すように足を揃え、私に向き直った。


「びっくりした?」


 獣が口をパクパクと動かすと、そこから声がした。さっき聞いたのと一緒の声だ。私と同じくらいの歳の男の子の声。

 信じられない。でも、不思議と怖いとは思わなかった。

 胸の中にわきあがってくるのは、ただ嬉しいという気持ちだけ。


「喋れるの?」

「うん。さっきあくびしたら人みたいな声が出てさ、もしかしてと思って喋ってみたら出来たんだ」

「すごい!」

「あんたが昨夜、『おしゃべりできたらいいのに』って言ってくれただろ? きっとあのおかげだな」

「そっかあ」


 獣は、とても上手に喋った。それがあまりにも“当たり前”というように喋るから、そういうものなのだという気がしてくる。

 耳をピクピクと動かし、尻尾をパタパタ揺らす姿はまるっきり獣なのに。でも、表情は人間くさい。それが、すごく面白かった。


「……じゃあ、朝ご飯にしようか」

「うん!」


 気になることはたくさんあるけれど、お腹が空いていては始まらないから、とりあえず朝食をとることにした。

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