第3話 それでも行くよ

「あの、話すと長くなるんですけど……」


 神様が私を見つめる目は真っ直ぐで、どこまでも澄んでいた。

 だから私は、神様に包み隠さず話すことにした。

 お父さんとお母さんを五歳のときに病気で亡くしたこと。

 それからは、おばあちゃんに育てられたこと。

 そのおばあちゃんも、病気で死んでしまったこと。

 天候不良や作物の不作、人々の心に沸く疑心暗鬼など、村に起きている異変のこと。

 そして、なぜ私が森にやってきたのかということ。


 順序立てて自分の身に起きたことを話していくと、改めて私はひとりぼっちなのだという気がしてくる。

 どこにも行き場がなくて、他にできることもなくて。だから私は森に来た。

 神様に助けてもらえなければ、私はきっとあのまま凍えて死んでしまっていただろう。

 そして、そのことを誰にも悲しんですらもらえなかったかもしれない。

 そのことを思うと、本当に悲しくなってくる。


「エミリアは、ひとりで頑張っていたんだね。こんなところに、ひとりで来て……辛かったね」


 そう言って、神様は何のためらいもなく私を抱きしめた。そうして抱きしめられると、神様が綺麗でもちゃんと男の人なのだとわかる。細く華奢だと思っていた身体は意外に力強くて、私が身じろぎしたくらいではビクともしなかった。

 神様の言葉は、淋しくて悲しかった私の心に寄り添って、じんわりと染み入るようだった。最後の家族だったおばあちゃんも死んでしまって、誰にも「頑張ったね」と言ってもらえなくなっていたから、その言葉だけでも救われる気がした。

 優しい言葉と、確かなぬくもり。ずっと求めていたものが、今ここにある。


「エミリアがここにいたいって思ったら、ずっといていいんだよ。僕は君を追い出したりしないし、君が欲しいものを何でも用意してあげる」

「何でも?」

「うん、何でも。ご飯でもお菓子でも、綺麗なお洋服でも」


 抱きしめられた腕のぬくもりと神様の甘い声に、私はずっとここにいるのもいいかもしれないと思えてきた。ここにいれば、美味しいものが食べられるし、何より淋しくない。

 淋しいのは、もう嫌だ。誰にも優しくしてもらえないのは、嫌だ。

 それに、もう傷つけられたくない。

 その思いが伝わったのか、私を抱きしめる神様の腕の力が一層強くなる。


「人間はひどいことをするね。仲間外れにして、冷たくして、挙句の果てに君を森へ追い立てて……そんな奴らのところに、戻る必要なんてないんだよ? ここにいるのは僕だけだ。僕は、絶対に君を傷つけたりしない」


 怒りのにじむ声で神様は言う。私に語りかける柔らかな声とは違い、冷え冷えとした硬い声だ。

 お腹にずしりと響くようなその声を聞いて、私はふと、優しかった人たちのことを思い出した。

 みんながみんな、ひどい人たちじゃなかった。友達もいたし、親切にしてくれた人たちもいた。私に森へ行くよう言った偉い人たちも、村が豊かだったときは優しかったのだ。彼らは、子供たちが走り回る様子をニコニコして見守っているような大人たちだった。

 もうすでに失われてしまったものだけれど、たしかに存在していたのだ。優しさも、温かさも。

 そのことを思い出して、私は自分が森にやってきた理由も思い出した。


「……ありがとう、神様。でも私、行かなくちゃ」

「どうして?」


 腕から抜け出そうとすると、さらに強く抱きすくめられた。どこにも行かせない――そんな強い意志を感じる。だから私はそれをあきらめて、そのままの体勢で神様を見上げた。


「ひどいなって思うけど、それもこれも天候不良のせいなの。空が晴れなくて、作物が育たなくて、明日の食べ物が不安で、みんな心が荒んでるの」

「だからって、小さな君を追いつめるのはおかしい」

「……うん。でも、村には友達もいるの。その子たちのためにも、天候不良の理由を探らなくちゃ。そのために、私は森へ来たの」

 

 ちょっぴり強がりを含んでいるけれど、これが私の気持ちだ。

 その気持ちが揺らがないのを見てか、神様は大きなため息をついた。目には怒りと悲しみを宿している。こんな顔をさせたいわけじゃない。でも、私は行かなくちゃいけないのだ。


「ここにいれば、僕が君を守ってあげられるのに。どんな恐ろしいものからも、君を傷つけるものからも、守ってあげるのに……それでも行くの?」

「うん、行かなくちゃ」


 私の言葉を聞いて、神様は泣きそうな顔をした。綺麗な顔が台無しだよって言いたいくらい、眉毛も目尻も下がって、唇も震えている。涙が出ていないだけで、ほとんど泣いている顔だ。

 私がここを出れば、神様はまたひとりぼっちになってしまう。だからきっと、こんなに淋しそうにするのだろう。長い長い時間ずっとひとりで、やっと私に出会ったのに。

 そう思うとかわいそうになって、私は背伸びをして神様の頭を撫でた。神様の髪は一本一本が細くて繊細で、びっくりするほど柔らかだった。


「神様、安心して。全部終わったら、私はちゃんとここに帰ってくるから。……そうだ。お土産も何か拾ってくるわ」

「そうか。なら僕は、エミリアを笑って送り出さなくちゃいけないんだね」


 私の言葉を聞いて、あきらめたみたいに神様は笑った。悲しい顔より、やっぱり笑っていたほうがいい。この綺麗な顔には、柔らかな表情がよく似合う。


「ねぇ、神様。神様は私の村の天候不良の原因に何か心当たりはない?」


 行く決心はついているけれど、どこに何をしに行けばいいかのあてがない。だから私はもしかしたらと思って、神様に尋ねてみた。


「原因か……知ってるよ」

「本当?」


 少しもったいつけてから、神様は言った。引き締まったその表情に、今から話そうとしていることが深刻なのだとわかる。


「この森には魔物がいるのは知ってる?」

「うん。大人はみんな、子供たちに魔物の話をして森に近づかせないの」

「そうか。……本当にいるんだよ、その魔物。エミリアはこれからこの森を進んで、魔物を倒さなくちゃいけないんだ」

「魔物を、倒す……?」

「そうだよ。すごくすごく強い魔物を、エミリアが倒すんだ。そうすれば、きっと村の異変は収まるさ」


 神様はあくまで真剣な様子で、それでいてさらりと言った。大人が子供をもっともらしく騙すときみたいな、妙に芝居がかったところはない。

 だから、本当のことなのだとわかる。


「大丈夫。魔物は森の深く深くにいるはずだから。そこにたどりつくまでに仲間を見つければ、エミリアはひとりじゃないよ」

「仲間?」

「そう、仲間だ。この森には、呪われた五人の人間がいる。その人間たちに出会って、一緒に来てもらうんだ」


 魔物に加えて、呪いなんて言葉が飛び出してきて、私は少し足がすくむのかわかった。そんなもの、これまでの人生で縁がなかった。これからも、できればお近づきになんてなりたくない。


「大丈夫だよ。呪いは本人たちにかかっているだけで、病気のように君にうつるものじゃない」


 私の不安を感じ取ったのか、神様は安心させるようにそう言った。


「彼らも長いこと孤独だったはずだ。だから、仲良くなって一緒に行くんだよ。仲良しって大切だから」

「……神様は一緒に来てくれないの?」

「僕は行けない」

「……そっか」


 ダメで元々で尋ねてみたけれど、きっぱりと首を振られてしまった。こうして送り出されることになると、少し未練が出て来てしまう。


「ついていってあげられない代わりに、食べ物をたくさん持たせてあげるよ。そうだ、便利な技も教えてあげよう」

「技?」

「人間が魔法と呼ぶものに近いものだね」


 そう言うと、神様は私のそばを離れた。台所の隅に置いてあった道具箱のようなものをあさりながら、何かを探している。


「これをあげよう」

「これは、杖?」


 細い棒切れのようなものを私に手渡すと、神様はそれにサッと触れた。すると、棒の表面に紋様が浮かび上がる。


「うん、それっぽくなったね。これを使って、エミリアは魔法を使うんだ」


 言いながら、神様は手からはパッと炎を出現させた。


「いい? 火が必要になったら、こんな感じの小さな火を頭に思い浮かべて杖を振るんだ。そうだね……『杖の先に灯火を』なんて節をつけて言ってみると良いかもしれない。さぁ」


 神様に促されて言いながら杖を振ってみると、本当に杖の先に小さな炎がともった。わっ!と思った瞬間にはそれは消えていて、魔法というものは集中しなければならないものだとわかる。


「よかった。エミリアは筋がいいね。そんな感じで水だとか光だとか、必要なものを頭に浮かべながら節をつけて唱えると、ある程度何でも出せるはずだよ」

「わかった」


 それから私は、神様に見守られながら魔法の練習をしてみた。

 カップに水を満たしてみたり、光の玉を出してふわふわと漂わせてみたり。

 小さなつむじ風を出してスカートを揺らすことにも成功した。……何の役に立つかはわからないけれど。


 私が魔法の練習に励む間、神様は何か熱心に道具を作っていた。しばらくすると、それが手提げの籠だとわかり、私に持たせるためにわざわざ作ってくれていることにも気がついた。


 それがひと段落すると、神様はまた食事の用意をしてくれた。

 魔法で簡単に出してしまうかと思ったのに、きちんと包丁で材料を切り、お鍋で煮込んで作っていた。


「なるべく自分の手で作るほうがいいんだ。料理だって、何だって。それだけ思いが込もるから。込めた思いは、相手を守るんだよ」


 不思議そうにする私に、神様はそう言った。

 それを聞いて、おばあちゃんが手を抜かず、いつも丁寧にご飯を作ってくれていたことを思い出した。お薬だって何だって、おばあちゃんはすごく気持ちを込めて作っていた。

 それは、そうすることによって私や薬を手にした人を守れるよう思いを込めていたからだと、今になってわかった。

 私はこれまで、そんなおばあちゃんの思いの中で守られて生きていたのだ。

 そして、これからは神様が込めてくれた思いをお守りに、森の奥へと行くのだ。





「さて、寝ようか。起きたら、行くんだよ」

「……まだ眠くない」


 夕食を食べ終わって食後のお茶を飲むと、神様はそう言って私をベッドのある部屋に行くよう仕草で促した。

 でも、眠って朝が来れば、神様とお別れになってしまう。それが嫌で、私は立ち上がれずにいた。


「そんな『いやいや』をしたって、眠らなくちゃいけないんだ。大丈夫。エミリアが眠るまでそばにいるし、何なら子守唄を歌ってもいいよ?」

「私、子供じゃないもん」

「じゃあ、ちゃんとベッドに行くんだ」

「……はい」


 駄々をこねればこねるほど、まるで子供のように扱われてしまう。そんなの恥ずかしくて、私はもう言うことを聞くしかなかった。


「神様はどこで寝るの?」


 促されるまま寝室に入ってベッドに横になって、ベッドがこれしかないことに今さら気がついた。このお家にはたぶん、ここと台所しかない。ということは、私が眠っていた間は神様の寝る場所がなかったということだ。


「そのへんに転がって寝るから大丈夫」

「そんなのダメ! 体が痛くなっちゃう」

「でも、この家にはベッドはそれしかないし……君がいいなら一緒に寝るけど」

「……おやすみなさい」


 からかうわけではなく真剣な様子で言われて、恥ずかしくなって私は毛布で顔を隠した。神様はきっと自分が特別に美しいなんて知らないから、真面目な表情でそんなことを言えば女の子にどんな影響があるかなどわからないのだ。

 他意はないとわかっていても、やっぱりドキドキしてしまった。私の顔はきっと今、真っ赤になっていると思う。


「おやすみ、エミリア」


 私の頭を撫でながら神様が言った。髪を梳く指先の感触が気持ち良くて、そのうちに意識がトロトロとしてきた。

 すごくすごく小さな声で、歌も聞こえてくる。低く甘い声。柔らかで、どこか懐かしい旋律。

 心の奥、柔らかく脆い場所に響いてくるような旋律だ。弱っている場所を撫でて、そっと癒してくれるような歌声だ。


 その声に耳をすませていたら、いつの間にか私の意識は完全に眠りの世界に旅立っていた。

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