第2話 光の中で目が覚めて

 ふわふわで暖かな感触に包まれているのを感じて目が覚めた。

 そっと手を伸ばして自分の寝ている場所を確認すると、それが柔らかなシーツだとわかる。体にも毛布がかけられていて、だからこんなに暖かいのかと納得した。スンスンと嗅いでみると、ホッとするような日向の匂いがした。

 そして、ここは明るい。真っ暗な雨の森にいたはずなのに、私が今いる場所は、明るくて暖かい。

 目がしっかりと開いて視界のぼんやりとしたものが取れてくると、周りの様子が見えてくる。

 ここはどこかの家の一室らしく、私はそこのベッドに寝かされていた。ベッドの他には、クローゼットや本棚といった調度品と、見たこともないようなへんてこな形の生き物を彫った木の置物がたくさんある。


(天国かと思ったら、違ったみたい)


 私は森の中で雨に打たれて、もう死んでしまったのだと思っていた。だから、てっきり天国にいるのだと思ったのに、そう呼ぶにはここは質素だし、変わっている。それに何より、特別な場所ではなく生活の匂いがする。きっと、天国はこんなふうに生活感はないはずだ。ということは、私はどうやらまだ生きているみたいだ。


「……あ、服」


 ベッドの上に体を起こして、そうしてやっと自分が着替えさせられていることに気がついた。髪も、解かれて少し癖がついたままで乾いていた。

 きっと、ここに運んでくれた人が私が風邪をひかないように着替えさせて、髪を拭いてくれたのだろう。


(一体、誰が?)


 不思議に思うと同時に、その親切な人にお礼を言わなくちゃという気持ちが湧いてくる。

 雨の中、私を運ぶのはすごく大変だったと思う。運んでわざわざ着替えさせたり身体を拭いてくれるなんて、すごく親切な人だ。

 早く、その人に会いたい。

 もう二度と、人の優しさになんて触れられないと思っていた。世界から弾かれて、私はひとりぼっちになってしまったのだと。

 だから、もう一度誰かと関わりを持てるのなら、それがどんな人とでも構わない。

 顔を見たい。言葉を交わしたい。誰かと触れ合うことで、自分がここにいるのだということを確認したい。


 そんな私の願いが通じたのか、カチャリとドアが開いて、人が入ってきた。


「起きたんだね、知らない女の子さん」

「……!」


 部屋に入ってきたのは、ものすごく綺麗な男の人だった。そのあまりの美しさに、思わず息を飲んだ。

 抜けるように白い肌と、淡い青の瞳。そして髪の色は白に限りなく近い、柔らかな金色。そんなまるで妖精みたいに綺麗な男の人が、微笑みを浮かべて、お盆を手に現れたのだ。


「あ、あの……」

「森の中で倒れてたから、びっくりしたよ。冷たくなってて可哀想だから、ここに運んだんだ」

「……ありがとうございます」

「どういたしまして」


 綺麗な男の人は、にっこりと、それはそれは嬉しそうに笑った。その、形の良い目を細めて笑う顔に、私はドキドキしてしまう。こんなかっこいい人に助けてもらった上に、着替えさせてもらったなんて……恥ずかしくてどこかに隠れてしまいたい。


「あ、僕はね、目を瞑ってでも着替えさせることができるという特技があるから安心してね! ……その顔は信じてないな? 本当だよ?」


 男の人は、私の恥じらいを察したらしく、そんなことを言って場を和ませようとしてくれた。綺麗な顔立ちとそのお茶目な様子の落差に、私はまたドキドキしてしまう。

 綺麗なのに、近寄りにくさはない。むしろ、優しそうで親しみやすい人だ。そのことがわかって、ドキドキしつつも安心した。


「起きていてくれてよかったよ。そろそろ起こして、ご飯を食べなきゃと思っていたんだ。いきなり食べるのは体に良くないから、これを飲んでね」

「はい」


 手渡されたカップの中には、温かなお茶が入っていた。一口すすると、ほっこりするような甘さが広がった。お茶は喉から身体の中をすべっていき、お腹に落ちるとそこからじんわりと体中を温めていくようだった。


「……美味しい」

「よかった。誰かのためにお茶を淹れるのなんて本当に久々だったから、ちょっと不安だったんだけどね」

「美味しくて、何だか元気になったような気がします」

「君が元気になるようにって、思いながら淹れたからね」


 ちょっと不思議な人だけれど、この男の人がとても優しい人なのだとわかる。私を見守る顔が、まるで小さな子供や犬猫を見つめるように柔らかくて温かいから。


「よし、飲み終わったね。それじゃあ、ご飯にしよう。君の服はそこのクローゼットの中にあるから、着替えたらおいで。この部屋を出たらすぐに台所だからね」


 飲み終えたカップを受け取ると、そう言って男の人は部屋を出て行ってしまった。てきぱきとして、隙がない。でも、それは決して事務的なわけではなく、どちらかというとそわそわしているような様子だった。まるで、私をもてなすのが楽しくてたまらないみたいに見える。


「服も、いい匂い」


 クローゼットから取り出した服からも、日向の匂いがした。清潔な洗濯物の匂いだ。

 見慣れた自分の服なのに、何だかそれが嬉しくて、私はいそいそと袖を通した。村では何年も晴れの日なんかなくて、洗濯物は乾いても、こんなにいい匂いはしなくなっていたから。



「来たね。ちょうど用意ができたところだよ。芋と豆のスープは好きかな?」

「はい」

「じゃあ、たくさん食べてね」


 部屋を出ると、男の人が言っていたようにすぐに台所があり、小さなテーブルの上に湯気の立ち上る温かな食事が用意されていた。

 私は促されて、男の人の向かい側に座る。食事を前にすると体は正直で、ぐぅと小さくはない音でお腹が鳴った。


「いただきます」


 スープを一口食べると、美味しくて胸がいっぱいになった。芋と豆がホロホロと崩れるほど煮込まれていて、優しい甘さが広がる。私が今まさに食べたかったのはこれなんだと、食べた瞬間に気がついた。美味しくて、どんどんスプーンですくって口に運んで、添えてあったパンも食べて、またスープを口に運んでと、手を止めることができないくらい美味しかった。そして、私の体はとてもお腹を空かせていたことがわかった。


「君の体に今必要なのは、たくさん食べることだよ。君が欲しいと思う分だけあげるから、遠慮なく食べてね」


 私が食べる様子を満足そうに見守りながら、男の人はお鍋を持ってきてまたお皿にスープをおかわりしてくれた。

 普段はそんなに食いしん坊じゃないのに、このスープならいくらでも食べられそうなのが不思議だ。食べても食べても、体がまるでまだまだ欲しいと言っているみたいで、なかなか手が止まらなかった。

 優しい味で、食べると心底ホッとするからかもしれない。

 それに、誰かと食べる食事はやっぱり美味しい。



「知らない女の子さん、君の名前を教えてよ」


 食事がひと段落ついたところで、男の人がにっこりとしてそう言った。

 その言葉で、私はまだ名乗ってすらいなかったことを思い出す。


「エミリアです」

「エミリアか。良い名前だね」

「あの、あなたの名前は?」

「僕の名前……長いこと誰にも呼ばれてないから、忘れちゃったなあ」

「え?」


 男の人は、困ったというように頭をかいた。でも、その顔は冗談を言っているようではない。本当に困っていて、寂しそうに見える。だからこそ、私はどんな反応をしていいのかわからなかった。


「あの、ここはどこですか?」


 話題を変えるために、とりあえず気になっていることを思いきって尋ねてみた。今後のことを考えるにしても、ここがどこなのか知っておいたほうがいいだろう。


「ここ? ここは僕の家だよ」

「えっと……このお家は、どこにあるんですか?」

「森の中だよ」

「え?」


 森の中で倒れていたところを助けてもらったのだから森の近くだろうと思っていたけれど、まさか森の中だったなんて。

 これこそ冗談なんじゃないかと思って男の人の顔をよく見たけれど、綺麗な顔に優しげな笑みを浮かべているだけで、そこに私を騙してやろうなどという不穏な色はない。

 私は、森の中に人が住んでいたという事実に驚いて、言葉を失ってしまった。

 魔物がいると言われているのに、村の人は誰も近づかないのに、ここには人がいるのだ。

 男の人の顔をジッと見ていたら、ふとおばあちゃんから聞いた話を思い出した。

 森には神様がいるという、おとぎ話みたいな話。でも、おばあちゃんはうんと小さな頃にその神様に会ったことがあるらしい。その神様に薬になる草を教えてもらって、それが面白くて薬屋になったのだと言っていた。


「……あなたは、神様ですか?」


 思わず、尋ねてしまっていた。もうそれは確信に近かった。こんなところに住んでいて、こんなに綺麗だなんて人間離れしている。きっと、神様か妖精なんだと思う。


「どうしてそう思ったの?」


 面白くてたまらないという顔をして、男の人は逆に私に尋ね返した。いたずらっ子の顔だ。そんな顔をしても、彼のかっこよさは揺るがない。


「とても綺麗だから。髪も、目も、とっても綺麗。私、あなたみたいな綺麗な人を見たことがありません」

「エミリアの髪も目も綺麗だよ。髪はツヤツヤした鳶色だし、目は若葉みたいに鮮やかな緑色だ。よく似合っていて、魅力的だよ」

「そんなこと……」


 褒められたようで、体良くかわされたことに私は気づく。

 掴めない人だ。優しいのはわかるけれど、不思議な人。


「そんなことより、甘いお菓子は好き?」

「あ、はい」

「よしよし」


 男の人は何も乗っていないお皿を持ってくると、それをテーブルに置いた。そして何事かを呟くと、そこにポンッとお菓子が現れた。

 それは、クルミやリンゴがたっぷりと混ぜ込まれた、私の大好きな焼き菓子だ。秋になるとおばあちゃんもよく作ってくれた。


「……どうやったんですか?」

「んー……秘密」

「……」


 やっぱり、この人は神様だ。そうじゃなきゃ、こんなことできないもの。

 男の人改め神様が「毒なんて入っていないから安心してよ」と目の前でケーキをパクっと食べたのを見て、私も恐る恐る口に運んでみた。

 一口食べると、リンゴのいい匂いとバターの風味が広がって、すごく幸せな気持ちになった。さっきスープをたくさん食べたはずなのに、そんなことが全く気にならないくらい美味しくて、どんどん食べられそうだった。


「お茶もあるからね」

「……ありがとう」


 神様がお茶の用意をするところなんて見ていないけれど、ポットを傾けるとそこからは温かなお茶が出てきた。どうして?とか、いつのまに?とかはもう考えないことにする。神様だから、きっとできてしまうのだ。

 命拾いしたと思ったら、拾ってくれたのは神様だったなんて……やっぱりこの森は大変なところなのだ。



「神様は、ずっとここで暮らしているんですか?」

「僕のこと神様って呼ぶことにしたの? まあいいけど。そう呼んでも構わないから、言葉遣いはもっと砕けた感じにしてよ。そっちのほうが、僕と君が仲良しな感じがするから」


 おかしくてたまらないというように、神様は笑った。でも、名前を忘れてしまったというし、他に呼びようがないから仕方ない。


「それで、ずっとここに?」

「そうだね。エミリアが生まれるよりずっと前から、ここにいるね。もうどれくらい経つのかな……それすらわからないくらい長いかな」

「そうなの……」


 重ねて質問すると、渋々といった様子で神様は答えてくれた。

 ひとりでここにいることはやっぱり淋しいことみたいで、その時の長さを思って辛くなったみたいだ。神様は見る間に元気をなくしてしまった。

 でも、お茶をグイッと飲み干すと、引き締まった表情で私に向き直った。


「そんなことより、エミリアこそどうしてひとりで森になんていたの? いたずら心で迷い込んだという様子ではないし、かといって君みたいな子供が来る場所でもないしね」


 神様は、さっきまでどことなく子供っぽいふにゃふにゃとした感じだったのに、急に大人みたいになって私に尋ねた。

 子供の悪事を見つけて、叱るのではなく徹底的に理由を聞いてから諭してやろうとする、あの感じだ。

 だから私は、悪いことなんてしていないのに、どうやって自分の置かれた状況を説明しようかと頭を悩ませた。

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