第10話 枯れきった花は
静かな冷たい空気が籠る部屋の中、腹から血が滲み床へと滴り落ちる。
辺りは血生臭く鉄の臭いが混じっていた、いい加減嗅ぎ慣れてしまい今じゃなんの臭いとも差がつかなくなっていた。
遺体を潰しありったけ血を抜き取る為の機械が酷い音を立てている、錆び付き新しい遺体の一部を運び機械に掛けた。
その一部はたまたま拾った物だった、街は死体の道を作り教会へと続いていた。
奇妙にもバラバラに酷い殺しかただった、まるで人形でも作っているのかと言うほどに醜い死体の道だった。
たまたま歩いていたその油断した瞬間に小さな少女に刺されたなんて笑える話だ。
なんとか少女を叩いて逃げ切ったがあぁ勿体ないことをした女性の手らしき物だけを持ち帰るなんて……
ポタリ……またポタリと小さな水音が響く、痛い……必死に花を落とさず抱え彼女の元へと歩み寄る、真っ赤に血を浴びた花に黒ずんだ花瓶の中に花を入れる、早く……早く目を覚ましてくれ……もう限界だ……いや限界など言ってはいけない。
彼女が目を覚ますまで、まだ諦めるわけにはいかないんだ。
ねぇ、いつになったら目を開けてくれる。
いつになったら僕を許してくれる。
いつになったらまた君に会えるんだ。
意識が途切れそうになる、白いベールに隠された顔から君が起きる様子はない。
あぁ……痛い……
ティアナ、まだ起きてくれないのか……
まだ足りないのかい……
まだ……まだか……
胸が張り裂けてしまいそうだった。
愛した女性が中々眠りから覚めぬのだから、彼女の周りに敷き詰めた花々は枯れていき、もうそこに命があるなんて思えなかった。
枯れきった花は鷲掴みすると脆く手の中で枯れ葉のような音を出しながら細かく崩れていった。
これじゃ……彼女が目を覚ますわけがない。
瓶に入れたあまりの血を彼女に飲ませた、空っぽになった瓶を見てあぁ、もうすぐ残りの血がなくなる、また取りに行かなければならない。
もう一体何人の少女達を瓶に詰めたのだろう、何人の命が花になったのだろう。
それすらも最近はわからなくなっていた。
椅子に積まれた布を引きずり出し切りつけられた腹部に押し付ける、うっすらと血が滲み彼女の眠る棺に身を寄せる。
ベールの下から色が変色してしまっているのがわかる、あぁでも大丈夫きっとそれも治る。
また白く綺麗な色に戻るさ……
もうすぐあの日が来るよ……俺がいつも忘れてしまうあの日……
『……なぁもうすぐ起きてくれるだろ?……そしたら……そしたら』
また笑って一緒に祝ってくれるだろ……
俺が悪い……俺のせいだ、俺の……君を殺してしまった……俺のせいだ、だから……だからもう一度目を覚ましてくれ……そして俺を……どうか……
君の頬に触れてみた……
もうあの感覚がなくとも、もう一度会いたい……
眠る君の横に寝そべり手を重ねた。
骨が剥き出しになり、服も白から泥のような色をしていた、辺りは赤黒く乾いた花が臭いを消していた、こんな色になっても花の香りは消えない……あてた布を床に捨て目を瞑った夢の中なら君に会えるそんな気がした……
*
真っ白な百合畑が広がる。
その先に君がいる、君の名を呼んだ……振り返った時風が舞い上がり君が何を言っているのかわからない。
「待って、何を言っているかわからないよ!」
必死に追いかけても追い付けない手に触れようとすると花びらと共に消えてくなる。
どうして……悪い夢を見る、ここでも君には会えない。
百合を手にとった瞬間泥のように溶けていった、指の間からドロリと液体が通り赤く染まっていった。
気づけば空は曇天に変わり、辺り一面ぐちゃぐちゃの泥の上に立っていた、靴に滲みた水が針のように冷たく突き刺さる。
「……あぁ、また……同じ光景だ」
あぁただもう一度君に会いたかった……それだけなのに
**
目が覚めればいつも同じ……
夢は夢浅くも深くも同じ夢、君は目覚めないまだ起きてくれない。
起き上がり、花瓶に入れた花を見た、うっすらと赤く染まっているように見えたがまだ出来上がってはいなかった。
ため息ついてしまった……いつの間にか腹部の出血は止まり思ったより血が流れ気分が悪かった。
耳鳴りが酷く目眩もした、そんな時重い扉が開く音がする、誰もここに近づかない誰も知らないはずのこの部屋に誰が来た。
思わず大きな声を出す、慌ててコートを脱ぎ彼女に被せた、するとそこに現れたのは幼い少年の姿が視界に入った、俺の見ま違いでなければあの時の少年の姿だった。
『……やっぱりあの時のお兄さんだったんだね……』
『君は……』
『ようやく顔を思い出せたよ』
少年は苦しそうな表情で俺の顔を見つめた、その透かしたような目が嫌で嫌で仕方なかった。
『貴方の事は知ってます……初めてまして……』
『……』
『ジギルさん……』
『…あぁそうか…君…ティアナが話してた子だよね……』
彼がどうしてここまでこれたのか定かではないが俺は酷く冷静に彼と話せた、きっと前に一度話したから別に焦るような物が消えていたのだと思う。
それより何故名を知っている、あぁそうか、この少年は彼女の言っていたあの頭の良い子か……確かにそんな印象があったずっも感じていた違和感はこの事だったのか、なんとなく記憶に残っている、会ったことは無いが確かに……合っていれば名は【ハイド】君って言ったかな。
あの推理ショーの時といい大人に負けない発言力あぁそうかいそうかい……ここまで来てくれたんだ……。
せっかく来てくれたのだ、彼女もきっと彼に会いたいはずだ、俺はそう思い彼女の体を起こし彼と向かい合わせた。
『ティアナ……君が話していたあの子が来てくれたよ……』
彼も彼女の事を知っているはずだ、嬉しいだろう、きっと彼女も彼に会えてうれしいはずだ。
あぁでもまだ目を覚ましていないから正式に会えたとは言えないな。
切なげな声で彼は彼女の名を呼ぶ声が聞こえた。
ふと少年の方を見ると、眠たげな表情からは予想しない程に鋭い目付きで睨み付けている、何故そんな顔をするのだろう。
彼女の姿が変わってしまって動揺しているのだろう。
俺は彼に笑いかけ大丈夫と彼女に身を寄せ笑って見せた、だってもうすぐ花が完成する、もしかしたら、彼女が起きるかもしれない、だってそうだろう。
もう覚えていないほどに彼女の為に花を作ってきたんだ、そろそろ目覚めなければ意味がないだろう。
もうすぐなんだ、もうすぐ……もうすぐ……
『死んだ人間は戻らないよ……』
その一言にもう一度少年に視線を向ける、透かしたような目が俺を見下しているようにも見えた。
『は?』
何度も少年の言葉が俺の鼓膜を破ろうと響いた。
名を聞きたくない聞きたくない、そんな目で俺を見るな何もかもわかりきったような顔をするな、やめろやめてくれまるで俺のしていることが間違っているようではないか。
間違ってなんかない。
間違ってなんかない。
間違ってない、間違ってない、まちがってない……
『…あの日、』
『うるさいっ!やめてくれ!俺はまちがってない!
まちがっているなら、それは周りの奴等だ!』
目を伏せた。
彼女を寝かせ、立ち上がる腹部にまだ痛みが残るがそんな事気にならないくらい俺は歩き真っ赤に汚れた花瓶に触れる。
花はまだ完全には染まっていない。
彼女は、死んだ。
確かにそうだった、不幸な事故だと誰も悪くないと……
足を滑らせ、転落したそして瓦礫に埋もれたと何もかも自然に起きたただの不運。
そんな訳がないだろ……
彼女が死んだのは……他でもない俺のせいだ。
そうだ、俺のせいなんだ。
どうしたら、彼女が目を覚ましてくれる。
俺の招いた事なんだ、なら彼女がどうしたら、目を覚ましてくれる、彼女が目覚めてくれるなら俺はなんだってする、何だってできるんだ。
だから間違ってなんかいない。
『だってそうだろう?、俺が殺したんだ!なのに、誰も悪くない?何をふざけているんだ?、なぁそうだろ?探偵君!
君ならわかるだろ?頭が良いんだろ?ならこれがどういう事か理解できるだろ?俺が……彼女を……』
俺が彼女を……そうそうなんだ。
殺してしまったんだ、あぁどうしてこんなに叫んでいるのだろうか。
あぁどうして彼から目を逸らしてしまうのだろうか、本当の事なのに何か見つけられてしまいそうで怖くて堪らない。
どうして俺はこんなに怒鳴っているんだ。
なんで、こんなに必死になっているだ。
自分でも自分の言葉がわからなくなっていた、ただ自分よりも幼い少年に何を言っているんだ。
俺は一体誰に言い訳しているだ。
目を覆う、痛くて熱くて熱くて仕方がない。
カツカツと革靴の音がした、少年が無防備にも俺に近寄ってきたのだ、指の隙間から彼の表情を伺う。
少年は苦しそうな顔だった、花瓶を見つていた。
あぁ彼女が大切にしていた彼の命を使ったら流石に彼女も起きてくれるだろうか。
あぁ、自ら来たのだから、彼自身もそのつもりなのだろう。
俺はズボンのポケットにしまっていた、折り畳み式のナイフを手に取る。
もうなんだっていい、彼女が目を覚ますなら……なんだってなんだってできる。
大きく振りかざした瞬間少年は昔彼女から貰った花瓶を床に勢い良く叩きつけた。
甲高いガラスの音が響き中に入っていた赤黒い液体が流れてしまった、光りも通らぬほどに黒ずんだガラスの破片が至るところに散らばった。
その他にも物を壊し、彼女の為に必要な花を踏みつけた、埃の被った造花の花でさえも壊していった。
どんなに声をかけても少年は逃げ惑い物を壊していった、何をしている、やめろ、そんなことしたら……
咄嗟に花を庇うが破片で指を切られどうしようもなく花は無惨な姿になっていた。
少年が彼女の前にたった瞬間俺はナイフ落とし、少年にすがり付ついた、情けない声が響く。
やめてくれ一体なんだと言うのだ、このままじゃ彼は彼女までもを、壊してしまう。
少年は振り向き俺を見た。
そして、すがった手を握り赤くついた血が少年を汚していた。
『貴方が悪い……』
『……え?』
どうして、彼女を引き止めなかったの?
どうして、手を離したの?
どうして、そのまま見送ったの?
どうして、どうして……
少年は俯いたまま繰り返した。
問いかけるように、言葉を掛けその言葉は真っ直ぐ俺に向けていた。
何度も俺が悪いと彼女が死んだのも俺が悪いと……
少年の爪が皮膚に刺さり血が滲む、少年は毒のある言葉を休まずに続けた。
初めてだった、初めて俺が悪いと言ってくれた。
初めて……責めてくれた……
『…何もかもお兄さんが悪いんだ…』
涙で滲んだような震えた声が聞こえた。
ずっと欲しかった……ずっと苦しかった、誰も悪くないと皆が俺を庇う。
何もできなかった……俺を誰も責めようとはしなかった。
その言葉に俺は……ただ少年の背に顔を埋めた。
『……これで満足?ねぇ、もう良いでしょ?』
『……』
『苦しかったよね……貴方に何の言葉を掛けて良いかわからなかった、これしか僕には思い付かなかった。』
それだけで十分だと思ってしまった。
涙が溢れ落ちる、服に滲んだ涙の跡がつき止まることはなかった、俺は少年を突き飛ばし彼女に覆い被さるように抱きついた。
お願いだ、目を覚ましてくれ……これが夢であってくれ、俺は今君を確かに諦めようとしてしまった。
駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。
そんなの駄目だ。
『もう、終わりにしよう。』
『……嫌だ、……終わりになんてできない。』
嫌だ、嫌だ、と駄々っ子のように冷たい言葉を掛ける少年に言った。
だけど……もう……
君を失いたくない……君を死なせたくなかった。
愛していた……好きだった……こんな終わり……受け入れるわけない……。
『俺が憎いだろ……
なぁ、ティアナ……だからまだ目を覚ましてくれないんだ』
『違う、彼女は貴方を恨んでなんかいない。』
もし憎んでいるなら、きっと彼女はあの花を持っていただろうか、少年は唐突にあの日の事を語り掛ける、聞きたくない……あんなおぞましい日を聞いてられなかった。
あの日、彼女は本当に足を滑らせ崖から落ちた。
足を折りその場で全く動けなかったわけではなく、少なくとも落下してきた瓦礫くらい避けられるはずだったと言う、彼女の遺体は損傷が少なく綺麗な状態だった。
だけど、もしも貴方を憎んでいるなら、彼女はどうしてあの赤茶色のコスモスなどという花を握っていたのだろうか……
あの花を……
彼女があの花を持っていた……そんな……どうして……
少年は続けた。
彼女はすぐに逃げられたはずなのに、俺から貰った花を守るようにして死んでいたらしい……
『きっとあのまま這いつくばって避けたら、貴方から貰った大切な花が潰れてしまうだだからきっとそう思って咄嗟に庇ってしまったのだと思う。』
『……なんで、なんでたよ……どうしてそんな事……』
馬鹿らしい話だときっと他人はそう思うだろう。
そんな理由で命が絶たれたのだ……どうしようもなく不純な理由だ。
なんで、そんな理由なんだ……
脆くなった君の体が音をたてて崩れていった。
まるで、枯れきった花のように……
ーENDー
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