第6話 アベルの花

時が止まれば良い……

こんな現実を見せるこの目など瞑れてしまえばいい。

抱きしめる懐かしい感覚に吐き気がした……目の奥が焼けたように痛む、大切な物が最悪の物へと変わる。

あぁ何故貴方はそうなったのだ。

あぁ何故神は僕にこんな物を見せつけるのだろう。

僕を抱き寄せる腕を退かし、あんなに会いたがっていた兄を、心から信頼していた兄を僕は初めて拒絶した。


『やめてくれ、兄さんは間違ってる。』


何処からか扉を叩きつける音がする、そんな物に気を向けていられる程僕らは余裕ではなかった。

その一言に兄は悲しげな表情を見せる、何故と必死に声を荒らげ脱ぎ捨てた布を踏みつけ、姿が変わりすぎてわからないのかと何を思ったのか兄はシスターの衣装の中からナイフを取り出し突然髪を切り捨てた。

期待に満ちた目から狂気的な目にわかる、両肩を掴み揺すぶるが僕の心には何も響かない、僕はもう兄の側にいられない、僕と兄は違う、手を掴まれ今朝怪我した所から血が滲み兄にそれを指摘された。

狂気に満ちた兄は血相を変え心配する、昔のように……だけどそれはきっと僕自信の身を按じている訳ではない……そう感じた。手を振り払い距離を置いた。


『アベル、どうしたんだ!何故僕を否定する!』

『兄さん……』

『ほら、君も見たのだろ?

この聖書は「君の為」に用意したんた!』


そう言って拾いあげたあの恐ろしい本を見せつける、そして祭壇のやけに目立つ棺桶を指差す。


『一人は寂しい……なぁ、アベル……君も僕もそうだ。

孤独がどんなに辛い罪かわかるだろ?』


そう言って唖然とした僕の手を尽かさず、掴み祭壇まで引きずられる、異常な程に強い力に身を任せるしかできない、叫んでも誰も来ない……誰も知らない。

何があっても神も人も所詮形だけの無情のものに過ぎない、誰があの兄をここまで狂気的な者に育て上げたのだろう。

あぁ兄さん……どうして。

目の奥が熱い……不思議と涙が溢れ出た、ようやく会えたのに狂った兄を見て自分自身の不運を憎んだ。

不揃いな髪を揺らし棺桶の蓋をずらし引っ張られるその勢いに転び棺の上に覆い被さるように倒れる、最初に感じた感覚は硬く冷たい物に触れる。

恐ろしくて目も向けられない。


『ほら、君の為に用意したんだ。

君や君を愛している「神」に捧げる為に!』

『……』


僕もようやく「死ねる」と言った。

そして僕自身の手で自分を殺して欲しいとせがんできた。

その場しのぎの必死な言葉に本心が見えない。

すがり寄る手が気持ち悪い……まとわりつくような感覚がする、あの優しい頃の手と同じなんて考えられない程に……

醜く歪んでいた……悪い夢に魘されるように僕はその場に立ち尽くす、兄の求める「幸福」は僕によっての「死」だった、死にたくない僕とは逆の言葉だった。

僕は「生きたい」そしてまた……昔のように……

昔のように兄と普通に暮らしたかった、側にいたかった。

普通の生活……それが僕の望む「幸福」だった、それすらも兄には無くなっていた。

僕は神を憎んでいる兄をこうした神を死を望む神を……恍惚とした目で胸の前に手を組み祭壇を見つめる。

背中から、僕を抱きしめる……暖かな温もりが冷たく感じた。


『嫌だよ…』

『アベル……?』

『神なんて僕は大嫌いだ!!』


そんなの嫌だ、こんなの可笑しい……

生まれて初めて大声を出した、声が枯れるほどに叫んだ。

頭がどうにかなりそうだった……

祭壇に飾り彩りを添える百合の花が目につきその棺ごと僕は台から突き落とし祭壇に遺体で汚した。

飾り付けられた美しい教会を死体で汚した、兄はそんな僕を見て驚いたのか唖然とした顔で見つめていた。

気づいてくれこんな事に意味なんてない、どうして……どうして……

兄は確かに言った、一人は寂しいと僕も同じだよ、孤独はどんなに罪よりも辛く悲しい……こんなに近くにいたのに側にいられなかった。

ごめんね……兄さん……。

貴方をこんなにしたのは誰でもない……僕自身のせいだ。


『アベル……どうしたんだ、何がそんなに不満なんだ。』

『カイン……もうやめよう……こんな事』


兄が生きる事に不幸と感じるなら……こんな悲劇を繰り返すなら……

兄の望む「真逆」の事をして見せよう。

決して疲れたのではない、諦めたわけでもない、ただこうすれば兄の目も覚める……そう信じた。

それにこの命が神に届くのなら、もうこんな事など起こらないはずだ、この街の不幸も全て僕のせいなのだから……床に転がるナイフを手に取り兄の手に触れ邪魔な手袋を外し直に触れ赤く痛々しい傷に頬を擦り寄せる。

背に隠したナイフを首に当てようとした瞬間しまっていたはずの扉が開く、僕らは二人してそれを見るとそこにはあり得ない光景がまた……


『あべる…だいじょうぶ?』


そこにいたのは幼い少女銀色の髪を赤く染め赤銅色に染まる錆びた裁ち鋏を両手で抱えていた。

その腕にはランプがぶら下げられ、途中ま彼女はそのランプを落とした。

一見何処かのミステリー小説や推理の犯人に使用されていそうな印象を漂わせ服までも赤く染めていた。


『エマ……?』


少女は何かを口ずさむ、だけど何を言っているかわからない。

予想外の事が起きた、彼女は血だらけだった、どうして……

扉越しに誰かの人の腕が見える、その様子に思わず腰が抜けた、まさか……エマもそうだと言うのか、あの可憐な少女が……

彼女は徐々に近づいてくる、どんなに声をかけても目は渦を巻き何も見えてはいないようだ。

声すらも届かない、兄はその少女を見て不機嫌そうな顔で睨み付けた。

明らかに敵意を向けた表情に変わりこのままではいけない、そんな感じがした。

兄の手を引き真っ先に逃げていった、二人を会わせてはいけない、教会の奥にある扉に逃げ込み扉を締める。

廊下に灯る明かりを頼りに説明などしている暇はない、一刻も早くここから出なければ、それでも兄はエマについて訪ねてくる、あの扉以外にも出口はあるはずだ。

だがどう見ても倉庫にしか見えず、出口がないドアノブがガチャガチャと激しく動き開けられぬよう背中で押さえつけながら、どうするか必死に考えた。

こんな時にも兄は平然とした顔で辺りを見つめる。


『にっ兄さんっ、何してるのさ』

『ん、アベルこそ、何をそんなに慌ててるんだ?』


あぁ兄には危機感なんてものはない、聞いたってしたかない……


『どうしたの?なんであけてくれないの?あべるいるんでしょ?

たすけにきたの、みんなもういないよ

さぁ、ここをあけてそこにまだひとがいるよね?

そのひともわるいひと?ならえまがなおしてあげなきゃ……』


扉を容赦なく何か物で叩いているの背中に強い衝撃を受ける、時々鋭利な先端が扉を突き破り顔を見せる。

本当にあの幼い少女がしているのかと疑う程だった、扉が壊れるのも時間の問題だ。

扉越しに声をかける、すると少女は扉を殴るのを止める。

わかってくれたのか、安心し扉から離れドアノブに触れようとした次の瞬間裁ち鋏の先端が脆くなった木製の扉を突き破る、木片が飛び散り手の甲に刃が刺さる。

思わず後ろによろけ兄がすぐさま僕の手の傷を心配する、痛みに耐えながら、扉に視線を向けると背筋がゾッとした。

貫かれた穴から瞳孔の開いた赤い瞳がこちらを睨み付けていた。


『あべるみーっけ……

あら、けがしてる、たいへん、いまたすけてあげるから。』


兄は何を思ったのか、倉庫に積まれた小麦粉の袋を持ち上げその場で袋を引き裂いたかと思えば扉にぶつけ少女の短い悲鳴が聞こえる。

白い粉の煙が舞い上がり、視界が遮られる、噎せ返り少し目を離したと同時に扉の開く音がする。

急がなきゃ……

追いかけるように倉庫から出ると煙を払い退け見えてきたのは兄が少女の首を押さえつけ少女は必死に目を抑え嗚咽をあげながら泣いている姿だった。


『よくも……アベルを傷つけたね…。』


兄を止めようと少女から引き剥がす、どんなに声をかけようが二人とも僕に耳を貸すことはない、突然兄も瞳孔を開き同じ目をしていた……

こんな傷対したことはない、たかが刃先が刺さっただけで大袈裟にすることはない、何を言っても兄は素直に聞いてもくれない。


『何故止めるんだ!』

『これ以上兄さんを人殺しになんてさせたくないんだよ!』


兄の頬を殴り付けた……切り付けられた手から血が滲み痛みが後からじわじわと伝わる。

荒くなった息を整え兄が僕を見つめる。

次になんと声をかければいい……

頭が真っ白になる、これ以上僕ができることはあるのだろうか。

その時横腹辺りの服に冷たい液体が染みる、手で触れて見るとそれは真っ赤な自身の血だと気づく……

あぁ僕のか……変に冷静になった。

兄の顔に飛び散り僕の血がかかり頬を汚し散乱する潰れた百合の花が赤く色ずくのが視界に映る。

断末魔のような叫び声が響く……

兄の肩に寄りかかるように倒れその場で兄は僕を抱きしめ踞る。


『アベルっ!アベル!しっかりしてくれ!』

『……カイン…』


暖かい涙が僕の頬を濡らす……

狂気的な目は消え去り僕の記憶に残る、懐かしい顔つきにようやくなった……あぁやはり兄は優しい。

でも、どうか泣かないで欲しい、大丈夫大丈夫……そう言って僕は震える兄の手を握る。

兄の声は冷静ではなくなり幼い子供のように泣きついた、兄の髪が僕の顔を擽る。


『…逝かないで……僕を一人にしないでくれ……』


悲痛な言葉は兄の本当の本音だ。

寂しいと泣く、寂しい生きる意味がないのなら死ぬしかない。

だが死ねない……

何かを捧げれば祈りが通じるとでも思っていたのか、人の命で自らの死を望めるなら……きっと世界はもっと狂っていたかもしれない。

兄は僕の死を望んではいなかったそして間違い気づいた…。

実に遅い……愚かに咲き乱れた花弁が宙を舞う。


人の命を奪えばそれ相当の罰が下る。

カインは自らの死を願った、だがそれはきっと一生叶わないだろう、生きること、この世が終わるか命が尽きるか。


『カイン…次は二人で……何処かで普通に暮らそう…。』


歪みも何もないそんなどこででもある普通の日常を……

兄は、その場で立ち尽くした少女を取り残し僕を抱え無様に走り去る、出入口の扉の前で少女の落としたランプから火が溢れる、一気に周りに引火し次々と炎の中へと花を導火線にし燃やし尽くす、美しさも恥も何もかもそこに置き去りにし逃げ去った。

人々の声も好奇に晒された目も気にせずに……

真っ赤に染まった血だまりの作られた道を走っていった。

警察が来るまでの朝方の出来事だった。

まだ周囲は暗く、日の光が見えた時僕らは一体何処まで来たのだろうか。


**


これは僕の不幸な物語だ。

神が望んだ、僕だけの無情で最低で突飛な作り話…


人を殺すと何か代償を払わなくてはならない。

生きる事にも何かを払わなくてはいけない。

死ぬにも対価を支払う。


兄は生きる事を望まなかった。

だけど罪は償わなければならない、僕も……兄をこんな風にしてしまった罪がある。


その罰は……


【生きる事】死ぬことは許されない……


僕らの不運な物語は何処までも続く。


なら、この命が尽きるまで…


庭に咲き誇る百合の花々が今年も見事に咲いた。

一部白く変わった髪色をしていたやたら髪は伸び僕の髪は百合のように色素が一層抜け落ち白い部分が増えていた。

風に捲られる頁に赤いインクが染みていた。

すっかり変わり果てた兄は首にぶら下げた十字架を見上げている、声をかけると昔のような顔つきで笑って見せた。


不思議で奇妙な話……これが僕の不幸でありやっと手にいれた……


普通の暮らしだ。




ーENDー



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