第3話 異なる二つの視線
共有の倉庫は、少しばかり遠かった。休憩時間内に戻って来れるのかなと思う距離だったが、思ったより休憩時間は長いのかもしれない。みんな自由に活動している。
「すまないね、肥料くれるかい?」
倉庫番をしている『管理者』と思わしき人にアーゲイネが訪ねると、ジャラジャラと音をたてながら、倉庫の鍵を管理者の老人は震えた手で鍵穴に差し込んだ。
「ふぇっふぇ、それで、何番の肥料だね」
口をふがふがさせながらゆっくりと聞いてくる。こりゃあ長くなりそうだ。僕は少し、倉庫の周りを見学してみる事にした。
「……大きいなぁ、この倉庫……」
「この第三地区だけでもかなり人がいるから」
と、答えてくれたのはアーゲイネでも管理者でもなく、短髪の少年だった。
「わっ……え、えっと、誰ですか?」
僕より少し幼げに見えるその子は、僕の顔をまじまじと見つめてくる。
「ふーん……どこかで見た事ある顔な気がしたけど、気のせいか」
「どこかで見たっていうのは?」思わず僕は食いついた。
「だから、気のせいって言ってるだろ? ……それよりあのお姉さん終わったみたいだけど」
少年に言われて気づくと、アーゲイネが手を振っていた。重い肥料袋を持って欲しいようだ。急いで駆け寄りつつも振り返ると、さっきの少年はいなくなっていた。
「カポネス、友達でも出来たのかい?」
「さっきの子、何か僕について知ってたみたいなんですけど、いなくなってしまって……」
「手がかりって事か。気になるねえ……さ、それより持って! 重いんだよこの袋」
運ぶのが楽になるような乗り物はないのだろうか、と思いつつも、さっきの倍の時間をかけてアーゲイネの家に戻った。すると、アーゲイネの彼氏ゴイロスが待ち構えていた。
「あ、戻ってきたね二人とも」
ニコニコして出迎えたゴイロス。
「なんだいゴイロス、そんなにこの子との同居が気になる?」
アーゲイネは、やや呆れていた。
「違うよ。この記憶喪失の少年を研究の副テーマにしようと思って! 今僕が研究している『人間の行動理論』に役に立つかな~と。……いいかな?」
つまり僕に対して、研究者として興味を抱いているわけだ。ゴイロスさんの家も農家だって聞いたけど、恐らく休憩時間はずっとそのテーマを調べているのだろう。
「……いいです、けど」
「本当にいいの!? ありがとう、それじゃあ存分に観察させてもらうよ。記憶喪失の時はどう行動するのか、それを調べたいだけだから好きに動いていいよ」
逆に動きづらくなったのは言うまでもない。
「さて、収穫した野菜を市場に納品してくるよ。一緒に行くかいカポネス?」
なるほど、従業員に賃金をやりつつ、市場に納品して収入にするのか。その野菜は様々な人が買いにくる。倉庫で取り扱わない物は、お金を使って自由にやり取りしていいわけだ。大きくうなずいて、一緒に行く事にした。
「まぁ、大した価値になりゃしないんだけどね。売るだけマシさ」
と、移動中に話してくれたアーゲイネ。
「……そういえば、政府にも納品するって言ってましたよね?」
倉庫に行く前、そう言っていたのを思い出した。
「政府に納品しても見返りはほとんど無いんだけどね。まあ、政府の土地に住まわせてもらってる代金を代わりに物でやるようなもんだよ」
そういえば、全体的に管理しているのは政府か。そりゃあ政府だって何か欲しいだろうな、とは思った。
市場の野菜を売っている場所に着くと、カゴに入れておいた野菜を数秒で品定めして、カゴの中身を受け取ってお金をアーゲイネに渡した商人。早業だった。
「やっぱこれっぽっちにしかならないか」
「よく出回る野菜だからなぁ、嬢ちゃん」
どうやら商人の話を聞くと、短期間で収穫できて一年中育てられる野菜だったらしい。それは価値が低くなるだろうなぁ。
「ま、もっと価値のある野菜も育ててるからね。安心しなカポネス!」
流通量が少ないという事だろうか? とにかく、市場から戻ろうとしたアーゲイネと僕は、またあの短髪の少年に遭遇した。
「きみ、記憶無いんだって?」
開幕早々、どこで聞いたか分からない個人情報を言ってきた。
「ま、これはゴイロスって人から聞いたんだけど」
なるほど。とりあえず軽くうなずいた。何だろう、いい人なのか悪い人なのか。
「カポネスに何か用でもあるのかい?」
アーゲイネも知らない顔らしく、軽く警戒している。
「いや、別に? ……ふーん、カポネスねえ。いい名前貰ったんじゃない」
……一体、今度は僕の何に興味があるんだ。
「別に手伝ってやらない事もないけど、記憶の手がかり探し」
何か上から目線だが、協力を申し出て来た。
「その前に、あんた何者なんだい」
アーゲイネが一歩前進した。恐らく僕を守る態勢だ。
「ぼくはね、管理者の子だよ。だからカポネスの情報を探そうと思えば探せる。まあ、仮の名前じゃほとんど見つからないだろうから、見た目かな」
管理者の子と聞いて、アーゲイネの警戒態勢は解かれた。果たして管理者に善悪があるのかは不明だが、多分善悪が無い──信頼できるから警戒を解いたのだろう。
「じゃあ、この顔を元に探してくれるって事だね?だったら行ってみなカポネス、似顔絵を描いてもらうんだよ」
「あ、ぼく似顔絵描くのは下手だから記憶して探すよ。それでいい?」
口頭で伝えて、果たして見つかるのだろうか。特徴の無い平凡な顔だと思うのに。
「じゃあ、ついでに政府に納品しようと思ってたこれ、頼むよ。」
アーゲイネはどっさりと野菜を彼に渡した。
「う、うん……これが納品分ね、分かった。ったく重いなぁ……」
さすが。肝っ玉姐さんである。本当にアー姐と呼んでしまいたい。
『ピッピッピッポーン。6時をお伝えします。夕食の時間です。』
この時報が鳴ったのは、家に戻って、先日僕が来る前に収穫したセリシ草を粉末にし終えた頃だった。
「さて、夕食はちょっと豪華にセリシスープといこうか! 美味しいし滋養強壮効果もあるんだよ。」
「その為に粉末にしてたんですか?」
「ははは、関係ないよ。これは収穫して乾燥させたら毎日やってる作業だよ。」
「薬の粉を食用スープにしちゃっていいんですか?」
「細かい事は気にしない!従業員が増えたから、まかないにしただけさ!」
わざわざ、僕の為にまかないとしてセリシ草をスープにしてくれるらしい。
お湯にセリシの粉末を入れると、あっという間に深緑色に染まった。昼前に飲んだ黄緑色のお茶とは、全く違う色だ。いい香りと、トロトロとしていて見た目のまろやかさを感じる。
「じゃ、頂こうか!」
夕食はとても美味しかった。──さて、問題はベッドの周りの整理を完全に忘れていた事だった。どうしようこの写真……。
ようこそユートピアへ ~記憶喪失で始める理想郷ライフ~ @tubamitu
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