第2話 アーゲイネと学ぶエウレのこと

 ──さて、アーゲイネの小さな彼氏ゴイロスさんは、最後に抱きしめ合って去っていった。エウレだったかな、その平らなエウレの大地に広がる緑の揺れる音と水のせせらぎを聞きながら、僕はアーゲイネの家に入っていった。


「今、お茶を用意するよ。とりあえず自分の部屋を見てきな、広くて快適だよ」

 アーゲイネに言われるがまま、両親の部屋と言っていたその部屋に向かった。


「……わぁ」

 としか、声が出なかった。少しほこりがついてはいるものの、比較的綺麗に保たれている、既にいない両親の部屋。部屋には、彼女──アーゲイネが愛されたであろう証の写真が飾られていたり、アルバムが積んであったりした。本当にここでいいのだろうか?


「ははは、こんな部屋で寝ていいのかって思ってるだろ?別に大丈夫だよ、あたしはそういうの全然気にしないタイプだから。ほら、お茶飲みながら聞きたい事聞きな」

 気づいたら、背後にはアーゲイネがいた。察するのが上手い人だ。


 ……黄色がかった緑のお茶を飲みながら、辺りに飾られている物を見回す。時計の下にはお米の袋が置かれていた。

「さ、何か質問ある?」

 頬杖をついたアーゲイネ。

「えっと……まず、国の仕組みも全然覚えてないんですけど……」

「だと思った。とりあえず、そろそろ時報が鳴る頃だから、時報について解説しようか。エウレじゃあ労働・朝食・昼食・夕食・就寝の時間が時報で決められてるのさ」

「えっ、そうなんですか?」

 そんなキッチリとしたリズムがあったとは。確かに、窓の外を見ると、みんな家に帰っている。市場が嘘のように閑散としていた。


「みんな、昼食の時間に合わせて動いてるんだよ。あ、今日の昼食は米だけどいいかい?パンの方がいいかな?」

「いや、どっちでも大丈夫です」

「じゃあ、時報が鳴ったら適当にオカズ乗っけて食べちゃいなね。その後は労働の時間、空いた時間に絵描いたり、研究に勤しんだりしてる。そして夕食。最後に就寝」


 とアーゲイネが言った所で、時報が鳴った。

『ピッピッピッポーン。12時をお伝えします。お昼ご飯にしましょう。』

 恐らく今、各家庭で食事が始まったのだろう。もう市場には売る人すらいない。


「それでは頂こうか、カポネス!」

 慣れない自分の名前に戸惑いつつも、お米に野菜を併せて頂いた。


 そして食事を終えた頃、また時報が鳴った。

『ピッピッピッポーン。12時30分をお伝えします。労働の時間です。』

 これ……早く慣れないと本当についていけないぞ。そう思いながら食器を流し台に置いた。アーゲイネはとっくに食べ終えていた。


「あ、そうだ! せっかく居候するんだからさ、畑も手伝ってくれないかな?人手不足だと思ってたんだよ。ゴイロスに手伝わせるわけにもいかないし……」

「わ、分かりました……ところでゴイロスさんって何をしてる人なんですか?」

「農家だよ。あと人間のなんちゃらかんちゃらっていう研究もしてたね」

 僕の素朴な疑問に対して、ふわっとした答えが返ってきた。やっぱりこういう人なんだな、としみじみ思いながら畑に向かった。


「そうだなぁ……あのセリシ草の収穫を手つだってくれるかな?乾燥させて粉末にするといい薬になるんだよ。」

 畑に着くやいなや、真っ先に指さされた薬草、セリシ草はボサボサと荒れ狂うように生えていた。あの爆発したかのような生え方の薬草を収穫してくれ、と……?

「さっ、始めた始めた!政府に納める分と市場に売る分と自宅用、ぜーんぶ収穫しなくちゃいけないんだから。賃金出すよ!」


 ここでの通貨が僕にはどう使うかがまだよく分からない。まあ、通貨とか賃金とかの概念は覚えてたんだからそれだけマシだったのかも。なぜエウレに関する知識だけ抜けているのか、本当に不思議だ。


「あたしはこっちの野菜収穫するから、セリシ草の収穫頼むよ。何か分からない事があったら聞いて。」

「はい、あの早速質問なんですけど」

 僕は弱々しく手を挙げた。

「ん?」

「どうやって抜くんですか、これ……」


 ボサボサに遮られて根元まで届かない。するとアーゲイネが近づいてきて、無理矢理セリシ草の根元まで手を突っ込んで、勢いよく引っ張った。


「こういうのはね、度胸と勇気を持って思いっきり突っ込む!躊躇しない!」

「は、はぁ……」

 農業初心者にそれはちょっとばかし酷だった。勇気が出せるようになったのは、十分ほど経過してからの事だ。


 そして、重いセリシ草を半分ほど収穫する頃に見えたのは、丘の上まで連れていかれる家畜の姿。放牧とかいう作業だったかな、あれだけの家畜が点々としながらも一気に見えるのは何だか面白い。そこで気づいたのは、やはり記憶がバラバラに抜けているという事だった。


 働き始めて1時間経つと、アーゲイネが声をかけてきた。

「慣れたかい?あと2時間ぐらい働いたら、休憩して買い物にでも行こうか」

「あの、質問です」

「どうぞ、好きな時に聞きな」

「午後は3時間しか働かないんですか?」


「うーん、そうだねえ……労働は午前3時間、午後3時間。ご飯までの残り時間は休憩と、さっき言った研究とかの趣味の時間だよ。思ったより少ないかい?」

「でも、これが普通なんですよね」

「まぁね。あっそうだ、市場と倉庫の違いを教えてなかった。市場には商人が沢山いただろう?あれは売る事が職業として定められた人たちなんだよ。何が自分の職業かっていうのは、政府が子供が産まれた時に勝手に測定しに来て決められちゃうんだ」


 職業を政府に決められるというのは、なんだかいけ好かないと思った。


「で、たった今肥料袋が空なのに気がついた。これは市場じゃ売ってないから、倉庫に取りにいかなくちゃいけないんだよ。倉庫っていうのは、我々市民みんなが共同で使う物が入ってる。昼前に言った『管理者』は、倉庫の管理者でもあるわけだ」

 ぺったんこになった肥料袋を重ねた、アーゲイネ。

「確か、区長さんは市民寄り。って事は……区長さんも倉庫使うんですね」

 僕なりの推測を述べると、アーゲイネは嬉しそうな顔をした。

「そうだよ、覚えるの早いね! 教え甲斐があるよ」


 二時間後。セリシ草を全て収穫し終えると、アーゲイネが近づいてきてポケットからお金を取り出して、僕に渡してくれた。


「はい、今日の賃金ね。そうかぁ、あたしもついに雇い主か……いいねえ」

『ピッピッピッポーン。3時30分をお伝えします。皆さん存分に休みましょう』

 嬉しそうなアーゲイネの声のすぐ後に時報が鳴った。少し時報の独特な音に慣れてきたかもしれない。


「さ、倉庫に行くよ!」

 倉庫に向かう途中、ゴイロスとはまた違った視線を感じた。

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