第8話 いざ王都へ、筋肉は歩むⅡ

 「そこでマッスル竹澤がこう言ったのさ、『私の広背筋はおねぼうさんなのさ』ってね」


 はははと軽快に笑う天馬。もの凄く良い笑顔でシエルとしてはどうしようもなくむかついてくる。まさか昼下がりの喫茶店で殺意を抱く事になるとは思わなかった。


 これなら実は友達が女だった、という事態の方が遥かにマシというものだ。憎々しげにシエルは筋肉を睨みつける。彼女の反応が少しオーバーだと思う方がいるかもしれない、然しよく考えてみて欲しい。この世界は人類と魔物が今まさに生存競争を繰り広げている過酷な時代なのだ。


 隙を見せたら殺される時代に全裸をさらしている変態がいたら誰だって警戒するだろう。怪しいにも程があるこの男、場所が場所ならそれだけで殺されても文句を言えないはずだ。だからこれは当然の行為なのだと彼女は深く考える。


 もうこの男の筋肉談義にどれ程付き合ってやっただろうか。およそ人生において最も役に立たないであろう知識を噛み締めつつお茶を飲んで気を紛らわす。


「おやこの話は面白くなかったかい?」


「…面白いわけ無いでしょう」


「なら次は筋トレの超回復理論について語ろう」


「そんな事どうでもいいから」


 この男の馬鹿げた話に付き合ってはいけない。シエルは頭を振り天馬に対して疑問を投げかける。疑問とは当然弟の事である。この男が弟に不埒な事をしでかしていないか確かめなくてはならない。いやもうこの男の体のようにほぼマッ黒なのだが。


「結局あんたはうちの弟とどういう関係な訳よ」


「どういう…か。説明するのは少し難しい」


「一言一句たりとも漏らさず話しなさい」


「おいおい私のパンツくらい窮屈で束縛が厳しい姉殿だねハハ」


「…………」


「無言で食器を投げようとはしないでくれ、店員さんに迷惑だろう?」


 優雅に茶をすする天馬。はやく返事をしてほしい。弟の友人が事故死をするか否かの瀬戸際なのだから。


「説明するのは難しいが…」


「………」


「命の貸し借りがある関係かな」


「…どういう事よ」


「うむ、山で遭難していた所を…」


「助けてあげたの?」


「助けられた仲だ」


「あんたが助けられた側かい!」


 はははと軽快に笑う男。なんでも筋トレしようとして山で遭難した後にお腹が空いてしまい毒キノコに手を出してしまったらしい。そのまま空腹と毒にやられて遭難していた所をタンに助けられたと。馬鹿なのかこいつ?脳みそにまで筋肉が詰まってるとしか思えない。


 弟が人命救助した所を褒めるべきか、そこは見捨てるのも勇気だったと諭すべきかシエルが迷っていると弟であるタンが戻って来た。


「おまたせ!出店で焼き菓子を買って来たよ」


「おぉありがとうタンよ」


「あはは、二人も仲良くなったみたいで何よりだよ」


 微笑みながら椅子に座るタン。弟のまぶしい笑顔がこのときばかりはシエルにはうらめしかった。そんな姉の様子には気づかずに天馬とシエルに手土産を渡すタン。彼は美味しそうに焼き菓子を頬張ると天馬に話しかけた。


「所で天馬さん、マーポプラートって知ってますか?」


「あぁ知ってるよお尻に挟む物だろう?」


「そんな訳ないでしょ」


 

 マーポプラートとは地図の事である。然しただの地図ではなくなんと周囲の魔力を自動的に探知・記載する効果が有るのだ。つまり強い魔力を持つ魔物の大まかな位置を知る事ができるのだ。これを利用する事で人々は比較的安全に目的地へ移動する事が可能なのである。


 勿論効果が100%な訳ではないし値段も高いのだが、今回は知人から王都までのマーポプラートをかりる事が出来たらしい


「これを使えば王都まで一緒にいけるね天馬さん!」


「おぉそれは便利だ」


 はしゃぐ少年とムキムキ。実に嬉しそうな彼らの様子につい顔を綻ばせてしまうシエル。事情はともあれタンはこの男になついている様だ。姉としては弟の楽しそうな様子までは否定するつもりはない。仕方ないとため息をつくと彼女も話に加わる。


「それにしてもなんであんたまで王都にいきたいのよ」


「少し物入りでね」


「お金を稼ぎたいって事?」


「そうだよ、私にはお金がどうしても必要なんだ」


「おかしな事を言うのね、何の為に内蔵があると思ってるの?」


「少なくとも売る為じゃないよお姉ちゃん」


 おっといけない、つい言葉の端々に刺が刺さってしまう。反省しなければと思い彼女はコホンと息をつく。


「まぁ冗談は置いておいて…王都なら仕事も沢山あるだろうけど」


「それでねお姉ちゃん、実は天馬さん戸籍もってないみたいなんだ」


「えっ、無戸籍!?」


「やはり無戸籍だと厳しいかな」


「無理に決まってるでしょう?無戸籍の人間だなんて王都にはいる事も出来ないわ」


 この時代において無戸籍とは珍しい事である。80年前の事件により王の政令で戸籍の登録が義務化された今とあっては尚更だ。無論現在でも浮浪者や裏社会で産まれる子供もいるし戸籍制度が完璧というわけではないのだろうが。


「というか無戸籍でどうやってここまできたのよ」


「うむ…実は私にもよく分からないんだ」


「は?」


「屈強な漢達の社交場である馴染みのジム、そこで日課のウェイトリフティングに挑戦していたのだ。後少しで自己ベスト更新だ、ウォオオ!と気張ってバーベルを持ち上げた瞬間に気がついたら全裸でこの世界に佇んでいたのだ」


「………」


「全裸でバーベルを持ち上げた姿勢のまま固まる私。混乱する村の住民、目を背ける少女。なんとも面妖な状況で私が持っていた物は右手にパンツ、左手にプロテインだけだったよ」


「そう…良かったら馴染みの医者に掛け合ってあげましょうか?」


「大丈夫、私の肉体には傷一つないからね!」


 非情に残念な事だ。どうやら彼の頭はもうだいぶ手遅れらしい。ジムとかバーベルとかよくわからない単語からでも彼が奇妙な人物だという事が彼女にはよく分かった。彼女の中で見事に変質者から異常者へとランクアップを果たした男は美味しそうに焼き菓子を食べていた。


「それでね、良ければおじさんのクランに入れないかなって?」


「フォイアローゼに?それは無理よ」


「お姉ちゃんから紹介すればなんとか…だ、ダメかな?」


「それは駄目ね…クランメンバーは定員が一杯だもの」


 冒険者が特定の目的の為に集う中規模なグループの事である。その中でもシエルが所属するフォイアローゼは腕利きの集団で知られている。商人や僧侶からの信頼も厚い、それなりの大手クランなのである。当然冒険者が新しく入りたいと言っても入団するのは難しい。


 今回だって1人だけ空きが出来たので弟に入団テストを受けさせてくれと団長にお願いして来たのだ。タンだけならともかく天馬で入れるのは厳しい、というか正直あまり入れたくないと困惑するシエル。


 クランの紹介で天馬を王都まで入れるというのも難しい。というのも昨今では魔人による事件が多く城兵が警戒を強めているのだ。戸籍に寄る犯罪歴の照会を強めているとの噂も聞く以上、怪しい無戸籍の人間なんて門前払いされるだけだろう。


 王都には毎日大量のクエストが入る。冒険者になり何処かのクランにでも入れれば事情によっては確かに大きな金額を儲ける事だって可能だろう。しかしこの現状ではいささか厳しいのも事実だ。


「無理して王都までいかなくてもいいんじゃない?お金を稼ぐだけなら他に方法もあるでしょう」


「…だめなんだ」


「えっ?」


「私は、どうしても王都にいかなければならない」


 見た事も無い程真剣な顔をする天馬。思わずどきりとしてしまう。この男もこんな険しい顔をするのかとシエルは少し驚いた。


「で、でも無戸籍じゃどうしようも…」


「ソレなんだけどね。こんなのはどうかなって」


「えっ?」


「僕に良い考えがあるんだ。こうすればきっと皆幸せになれるはずだよ!」



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