第3話 筋肉は天使様Ⅱ

 それは不思議な男だった。幼子を抱いてあやしながらリーゼは男を観察してみる。身長が2m近くはあるだろうその男はパンツ一丁で子ども達と戯れている。恐るべき事にこの男、武器はおろか装備品一つ持たずにここまでやって来たらしい。


「鎧や武器も持たずにこんな所まできたんですか…?」


「なぁにこの筋肉がなによりの鎧さ」


 もう訳が分からない。リーゼはその男の応えに対して呆然としてしまった。彼女も職業柄それなりに多くの人間を見て来たがこんな男は初めて見た。魔物が跋扈するこんな時代だ、荒野を1人で歩くだけで危険だと言われる時勢に裸一つで突貫する男がどこにいるというのか、いや目の前にいるが。そんな彼は現在何をやっているのかというと


「ねーおじさんあれやって!」


「勿論いいとも!いないいない〜」


「………ッ」


「ばぁ」


 いないいないで自らの乳首を隠し、ばあの声と共に手を開き乳首を見せつける彼。リーゼには乳首を顔に見たてるこの遊びの魅力がかけらたりとも理解できなかったが子ども達には面白いらしい。信じられない程発達した大胸筋が顔に見えない事も無いらしく、見た事が無い位爆笑している子ども達を見ているとかなり複雑な気分になった。


 他にも胸の筋肉をぴくぴくさせたり上腕二頭筋の力こぶを移動させる等あらゆる筋肉芸を見せた男の技術力の高さに子ども達は喜びシスターは唖然となった。この技術をマッスルコントロールと言い筋肉の収縮と弛緩を繰り返す事でトレーニングの際の効率を大幅に増大させる物らしい。しかし大容量の筋肉と卓越した技術、飽くなき向上心が必要らしく選ばれしマッスリストしか使えぬ高度なテクニックなのだと実践をふまえ女と子ども達に三十分以上もの時間をかけて熱く語った男。おそらく彼女の生涯において最もくだらない知識を植え付けた三十分であった事だろう。


「さてそろそろ食事にしようか」


「食事…ですか?」


 困惑するシスターと子ども達。それも仕方がない、だってここには何も無いのだから。ここは人並みはずれた森の奥深く、周囲には生い茂った木々があるだけだ。逃げ延びてから野鳥はおろか野生の小動物すらも見かけていない。勿論彼女達は食料すらも持って来ていなかった。お腹をすかせた子ども達に何もできぬのかとシスターは憂鬱になってしまう。


 だが案ずる事は無い。無ければ作れば良い、貧弱なら育てれば良いが筋肉愛好家の哲学だ。少し待っていなさいと告げる男。1人で行動するのは危険だと思いそう伝えたが筋肉があるから大丈夫だと満面の笑みをしてくる男にリーゼはなにも言えなくなる。


 二十分後、彼らのもとへ筋肉が獲物をつれて返って来た。この日幾度目かの絶句をするシスターを尻目に子ども達の元へと獲物を引きずる男。血管が浮き出る程固く握りしめた右腕と穏やかな微笑のギャップが凄まじい。


「あ、あの…」


「あぁちょうど通りがかってねこの自慢の筋肉で裸締めしてきたんだ」


「………」


「狩猟免許を持っていてね、故郷ではよくこうして仕留めたものだよ」


 人食いで有名な魔獣を肉体一つでしとめる?貴方の故郷は修羅の国かなにかですか?


 そう想い口にするのを我慢した彼女はきっと優しいのだろう。諦めたとも言えるだろうが。この日一日で色々な事がありすぎた彼女は心身のキャパシティを三回は溢れさせる程のアブノーマルっぷりを見せつけるこの男に対してもう何かを言及するのも止めにした。だって疲れるだけだから。


 何人もの人間が食い殺され村ではこの魔獣に出会わぬようにと祈祷まで上げられるソレ。村人が恐れて止まぬ魔獣に同情する日が来るとは思わなかった。


「鹿の肉は低カロリー高タンパク質で健康にも筋肉にも良いんだよ」


「でもおじさん、これ魔物の肉だよ?」


「まぁ見た目は鹿っぽいしたぶん違わないだろう」


 違わない訳がないだろう、と否定したくなるリーゼ。けれど当然びくびくと白目を剥いて痙攣している魔獣も一連の事情を知っている彼女もその事に言及する事はなかった。


 調理の際は勿論火を使った。火起こし、魔法でも使ったのかと見紛うくらい素早い着火。リーゼは最早反応すらしなかった。この男が珍しい火の魔法を扱えたとしても驚く程の事ではないと考える。最も彼のそれは筋肉により素早く着火させただけだが。


 著しく発達した科学と筋肉は魔法と見分けがつかない、かの有名な偉人の言葉である。実に良い言葉だと男はうなずく。きっとこの言葉を言った人物はさぞ素晴らしい筋肉をお持ちなのだろうと彼は心底尊敬していた。



 その後男と協力して魔獣の調理を開始する。彼が鹿だと思い込んでいるそれの解体は妙に手慣れていたのがなんともいえぬ感情を呼び起こした。結果出来上がったのが魔獣の姿焼きである。この料理ともよべぬ料理に子ども達は大はしゃぎして喜んだ。




 死を覚悟した彼らの前に現れた天使様。食事を終えてようやく彼女は彼に対してお礼も言えていない事に気がついた。いいやそれ所か彼女は男の名前すらも知らない。そうだ私は何をしているんだ、この男は私達の危機に駆けつけてくれたのだぞ、と。例えブーメランパンツ一丁の控えめに言っても変質者である男でも子ども達に取ってはヒーローなのだから。彼女は日課であるという食後のハンドスタンドプッシュアップを行う彼に名前を尋ねた。


「天馬だ」


「てん…ま?」


「鳳凰院天馬…それが私の名前だよ」


 天馬、もしくは哲学するマッスリストと呼んでほしい。そう言うと彼は少し照れくさそうにほおをかいた。天を駆ける馬という意味らしいその名前は常人ならば名前負けしてしまうだろう。けれどリーゼはその響きが不思議と似合う男だなと思った。心の中で彼の名前をつぶやく。なぜだか穏やかで温かい気持ちになれた。


「天馬さん…」


「どうかマッスリストと呼んでくれお嬢さん」


「天馬さん…私たちを助けてくれて本当にありがとうございます」



 リーゼは男に感謝の言葉を伝えた。狼に一歩も引かず、無心で自分たちを守ってくれた勇敢な彼。彼がいなければ自分たちは死んでいた。その後だって温かい食事もとれず、きっと子ども達は不安で泣き出してしまっただろう。感謝の念しか抱けない、私たちを救ってくれてありがとう、と。

 

 人として当然の事をしたまでさ、とアルカイックスマイルと共にシスターに伝える男。リーゼは驚いた。金も名誉も求めずに子ども達の為を想い、命をはって戦ってくれたのだ。なによりこんなに優しくて人間が出来ている男をリーゼは見た事がなかった。もしも彼がブーメランパンツの中に手を入れていなければ手を握って神と男に感謝していた所だった。


 どうか夜明けまで子ども達を守ってほしいとお願いする女。いいともと応える彼。


 自分達のために戦ってくれだなんてあまりにも厚かましいそのお願いに二つ返事で応える彼の様子があまりにらしいな、とリーゼはくすりと笑ってしまった。そうして二人は笑い合う。なんだかおかしくなってつい笑いたくなったのだ。そんな彼らの笑い声に子供達があくびで返す。



「おっと…さぁ子ども達よ、もうじき寝る時間だよ」


「ねえおじさん!寝る前にさっきのお話の続きをして!」


  眠い目をこすりながら先程の話の続きをねだるとある少女。その少女に続き自分も聞きたいという子供達のリクエストが続く。自らの経験談を聞きたいと主張する児童達の願いに快諾し満足げに頷く筋肉達磨。


「いいだろう、あれはとあるボディビルコンテストでの事だった。」


 魅惑的な重低音ボイスを響かせながら聞き手に真に迫るようにボディビルとやらでの経験を熱く語る男。あぐらをかき身振り手振りを交えながら行う漢達の汗と友情にまみれた実に暑苦しいストーリー。その無駄に高クオリティな語り口調は子供達に見た事も無い異文化をたくましく想像させた。とある1人の少年が尋ねる、ボディビルって一体なんなんですか、と。そう聞くと彼は笑って応えた。


「私の故郷にいた戦士達の事さ」


「戦士…戦っていたの?」


「そうだ…熱き体躯をふるわせ己の肉体の美を競い合うのさ」


「じゃあおじさんは一番凄い戦士なのね!」


「あっはっは、私より凄い人なんて幾らでもいるさ」


 ボディビルダー、なんて魅力的な響きなのだろう。子供達の脳内では目前の英雄のような漢達が雄々しく戦い合っているという画がたくましく妄想されている事だろう。真実はどうであれ。もしも機会があれば私は彼の故郷には絶対に近寄らないようにしよう、と堅く誓うリーゼであった。


 シックスパックの仕上がり具合とジムマシンの一つであるレッグプレスについてとある競技者と意気投合して熱く談笑したのだと話す彼の姿は実に楽しげであった。



 こうしてシスターと子ども達は救われた。命の危機を乗り越え美味しい食事を取り終えた頃にはようやく助かったのだと言う実感を得た。非日常の連続から得たようやくの生の実感。


 食事を終え深々と眠る子供達を見つめるシスター

 

 思えばなんて不思議な男だったのだろう。命の危機を裸一貫の男に救われた、だなんて村人に伝えたらなんて言うだろうか。驚愕の連続できっと頭から話したって信じてもらえないだろうな、だなんて下らない事を考えて彼女はくすりと笑ってしまう。


 もしも無事に帰れたならば彼に精一杯のお礼をしよう。お金はない、けれど自分たちが一生懸命育てた作物がある。畑でとれた野菜をお腹いっぱい食べてもらおう。孤児院で待っている他の子供達にも紹介するんだ。変だけれどとっても優しいこの人はきっと困ったように、けれど楽しそうに頷いてくれるに違いない。


 さっきの夕食の時。彼の食事の量は明らかに少なかった。そんな量では足りないでしょうとリーゼが言うと苦笑しながら、自分は小食なのさと彼は言った。そんな訳が無いだろう。自分の体格を遥かに優る彼の食事量がシスターである女と同じだなんてあるはずがないのだから。


 けれどリーゼにはそれが彼の不器用で、けれどどこまでも優しい思いやりなのだと気がついた。だって自分も食事の量を子供達のために減らしたから。少ない量でもそれ以上に嬉しかったからだ。楽しそうにお腹いっぱいにごはんを食べる子供たちの姿をみるだけで1人の女と1つの筋肉は満足した。そんな思いやりを見せてくれた彼はきっとお腹が空いているはずだから。




 そうして彼女達は眠りについた。たき火を囲みながらただ静かに眠る。物音もせずに静まる木々。この森林一帯を月明かりが照らし出す。深く眠り込んでいる子ども達の寝顔をそっとなでながら彼女は祈る。


どうか朝まで

このまま安らかに眠れますようにと


 

そう思った瞬間にどこからか獣のうなり声がした。



 最も凶暴と恐れられる大型魔獣。出会ったならば死を覚悟しろとまで言われる魔獣テレオ・アイルーロスが彼らの前に現れた


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