第2話 筋肉は天使様
リーゼは神の存在を信じていなかった。
だってそうだろう、もしも全能の神様がいるのなら。魔物に集落を襲われて村人を大量に殺されたりしないはずだ。ましてや彼女のような不幸な人間を生み出したり等しないはずなのだから。
孤児である彼女は生まれながらに一人ぼっちだった。家族も死に、身寄りも存在しない少女。だれも彼女を助けようとはしなかった。そんな彼女はいつだってひとりぼっちだった。
恨んだ事はある。けれど誰に、何を恨めばよいのかも分からなかった。孤児だからと哀れむ大人に噛み付く事も、親無しの女だと石を投げつけてくる子ども達に歯向かう事もいつからかしなくなった。
だってしても無駄だから、意味がないから諦めた。所詮この世界に平等や慈愛だなんてものはないのだと、もう信じる事を諦めてしまった。
それでも何の因果か協会に保護され後に彼女はシスターになった。無力な子どもだった頃には考えられなかった生活、初めてつかんだ平穏な日々。神に祈りを捧げ民に寄り添う穏やかな日常。孤児院を開きリーゼはようやく人の温かみを知る事ができたのだ
素晴らしい日々だった。子供達と共にごはんを食べて畑を耕し寝かしつける。兄がいじめてくるのだと駄々を捏ねる少女を苦笑しながらあやした。捨て子の少年と勉強した文字で共に本を読む。
全てがまぶしく楽しい日々だった。そんな毎日を送っていると本当に神様はいるのかもしれないと信じられた。シスターとしてではなく1人の人間として、神という絶対者である父を慈しむ事ができた。今日この日まで、眼前の狼達に出会うまでは。
ここは森の泉、村人もよく利用する水源。今までこんな所に猛獣が現れた事なんてなかった、だから油断してしまったんだろう。帰りが遅くなった子どもを心配して来てみればそこに凶暴な狼の群れがいただなんて誰が信じられる。
子ども達の手を取り死にものぐるいで逃げ回ったリーゼは気がつけば森の奥深くに居た。ゆらめく木々と移り行く夕焼け。もうじき日が暮れる。そうなればこの森は獣と魔物の領域へと変わってしまう。
恐怖で震える子供達を背に私は狼に立ち向かう。何があっても離さない。固く抱いた意思も眼前の恐ろしい獣をみると恐怖でゆらいでしまう。あぁそれでも諦められるものか。
だって彼らには罪が無い、あるべき未来をこんな所で消えさせてよいはずがないのだから。1人の力ではどうにもならぬ自体にリーゼは祈った。ただひたすら神に祈った。
もしも神様がいるのなら、子ども達をお助けください。自分の命を差し出してもいい、どうかこの子達は…子ども達だけは…
眼前の狼がうなり声をあげる。
あぁ…もう…だめだ
子ども達を抱きしめぎゅっと固く目をつむる。一秒…二秒が経つ。おかしい、まだ狼が襲ってこない。それ所がいつまでたっても食われる様子が無い。見たくないという気持ちを抑えつつ彼女はそっと目を開ける。するとそこには…
「やれやれ躾がなっていない犬達だな」
筋肉がいた
いいや違う驚くべき程の筋肉を持った男がいた
小麦色に焼けた浅黒い肌。その黒さと対照的にどこまでも輝く白い歯が印象的な彼は猛獣へと歩み寄る。大樹の如く太く立派な脚で一歩一歩大地を踏みしめる様はあまりにも悠然としていた。命の危機等微塵も感じさせないその躍動は感動的ですらあった。
男は厚くたくましい拳を握りしめる。そう、ただ握りしめる。その行為はまるで騎士が刃を振りかざすように凶悪で…それと同じくらい芸術的な行為。武器等いらぬと言わんばかりに二の腕を振り上げる彼の様子はさながら処刑人だ。
狼たちを見据え振り上げたその拳は激しい衝撃を狼の腹部へと叩き付ける。正拳突き、空手や拳法で多用される基本にして極意の一つである。それを190cmの大男が120kgもの筋肉で行った場合その一撃は高度な魔法にも劣らぬ威力となるだろう。目の覚めるような衝撃と共に吹き飛ばされる狼。
「さぁ我が筋肉の美に酔いしれなさい」
恐るべき笑顔で狼たちに語りかける男。あまりの威圧感と筋肉の重厚さに溜まらず困惑する狼たち。群れのボスがガウと短く吠えると彼らは堪らず逃走していった。この間わずか30秒。きっと彼女の人生で最も長い30秒だった事だろう。
「…ぁ……」
助かったという安堵と嘘でしょうという驚愕。口を馬鹿みたいに開けて呆然としていると男がゆったりと近づいて来た。殺されるのか…リーゼがそう不安に思うのも無理はない。だが安心してほしい目の前のマッチョメンは神が使わした救済者、救いの天使なのだから。彼は震えるシスターに微笑みかけると手のひらを彼女に差し出した。
どうして
呆然とあけた口から声にならない声が盛れだす。どうしてここにいるのか、なぜ私たちを助けにきてくれたのか。どうしてそんなに浅黒いのか。色々な感情がごちゃ混ぜになって爆発しそうだった。すると男は安心させる様ににっこりと笑うとこう囁いた
「助けを求める筋肉の声がしたのさ」
リーゼはこう思った
神様、貴方が天使を使わして下さったのですか
天使様がムキムキのマッチョマンなのは貴方の趣味なのですか、と
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