異世界筋肉大行進〜マッスルマーチ〜

紅葉

第1話 筋肉が来た

その地獄に男【筋肉】は現れた


 彼はゆっくりと歩みを進める。死体が幾つも転がりいま正に殺されようとしている人間達の前であっても優雅な姿勢を崩さない。一歩一歩自らの筋肉を見せつけんばかりに歩み続けるその姿は、まるでここがボディビル会場であると言わんばかりだ。


 盗賊達は突如現れた男に対応できなかった。なぜならその男があまりにも異常だったからだ。


 この男の身長は優に190cmはあるであろう。幾十年もの年月を重ねて鍛え上げられた肉体は鋼のように固く大樹の如く堂々としていた。力自慢で知られた盗賊仲間のジョンが子供サイズに思えてくる程のあまりのマッスル。120kgもの筋肉の鎧を纏った彼はおだやかな表情をしていた。


 今まさに女を犯そうとしていた盗賊は呆然と立ち尽くした。その男の威圧感に飲まれたからではない、その男の鮮やかなブーメランパンツに目を奪われてしまったからだ。


盗賊達の時が止まる

なおも歩み続ける彼


彼は一人の少年の前に跪くと穏やかに微笑んだ



もう大丈夫だよ

さぁプロテインをお飲み



 著しく発達した上腕二頭筋で少年を優しく抱きかかえると、彼は自ら精選した高タンパク質低カロリープロテインを子供に飲ませる。これでもう安心だ


 プロテインは全ての病を治す万能薬。そんな事誰かが主張するまでもない世界の理なのだから


盗賊たちはみな委縮していた

これほど見事なマッスルは見た事が無かった


騎士とも魔物とも魔族とも違う


こいつ本当に人間か

実は筋肉の精霊なんじゃないのか


 盗賊の一人がつぶやく。眼前の余りの衝撃【マッスルインパクト】から目を背けたかったのだろう。彼の気持ちが仲間達には痛い程分かった。目の前の筋肉お化けを同じ人間でくくりたくはなかった。盗賊たちは誰一人勝てるビジョンが思い浮かばない。誰もがしり込みする中一人の男が声を張り上げる。


「てめぇらビビってんじゃねーぞ!!」


 はっとして見上げる一人の盗賊。そこには全身を返り血と傷で染め上げた一人の人間、彼らが敬愛する盗賊の長がいた。彼は馬に騎乗しながら目の前の筋肉男を見下ろした


「良い度胸だな…たった一人で来るとは」


 彼は名の売れた盗賊だった。たった一人で何十人もの騎士と戦った事もある。故に判断を間違えた。目の前の筋肉をただの人間と侮ってしまった。


「こちとら仲間が30人はいるんだぜ!どうだ怖いだろう?」


 啖呵を切る男。盗賊の長の周囲には武器を構えた十人もの人間たちがいる。敵わない、敵うはずがないとその光景を見ていた少女は思った。武器を持った盗賊に対して武器も持たない人間が一人で挑むだなんてあまりにも常識外れだった。けれどその筋肉は微笑みながら華麗なダブルバイセップスを決めこういった。



「私が恐れるものはカロリーと乳酸だけさ」



 守るべきものを背に悠然と宣言する彼。少女は遠い昔に読んだ絵本を思い出していた。少女の目にはかの伝説の英雄と目の前のブーメランパンツが重ねって見えたのだ。そうあれは邪悪な竜から人々を守った伝説の騎士の―――


「…はっ!この狂人め、いいぜ殺してやるよ」


 こんな奴に付き合っていられるかとばかりにかぶりを振る長。全力で魔力を練り眼前の筋肉お化けを睨みつける。そして武器を天空に掲げて声高に叫んだ。


【大いなる火よここに!ファイア!!!】


 とたんに筋肉が豪火に包まれる。アッと声を出したのは一体誰の声だったのだろう。少女の悲鳴と高らかに笑う盗賊たちの声が響いた。


「見たかお前たち!あんな奴はただの見掛け倒しだ!人間は魔法には適わねーんだよ」


 笑いながら仲間を鼓舞する彼。よくもてこずらせてくれたな、手始めに目の前の少女から犯してやろう。己の下卑た笑いを抑える事ができない。これだから盗賊はやめられないのだ。おごった貴族も怯える村民もすべてを恐怖のどん底に陥れてきた。所詮この世は弱肉強食。弱い人間はみじめに喰われるしかないのだ。がはははと高らかに笑い―――



「おや、今ので全力かい?」



笑いが止まった


「な――」


 ごうごうと燃え広がる惨状の中から一人の悪魔が現れた。信じられぬ事に無傷のまま現れた彼は白い歯と小麦色の肌を見せつけにっこりと盗賊達に笑いかけた。いいや悪魔ではない、だって悪魔は華麗にサイド・チェストを決めながら出てくるはず等ないのだから


「あ……あぁぁ……」


「随分とぬるい風だ。サウナとベンチプレス130kgの方がまだ苦しいというものさ」


「あ、ありえな……うそだ……」


「人は魔法には適わないか…魔法使いの傲慢が分かる言葉だな」


 大地を踏みしめる逞しい両足。一歩一歩確かな足取りからは彼のこれまでの苦節の日々がうかがえる。彼は悲しかった。筋肉を鍛える喜びを知らぬこの世界の者が。筋肉で誰かをいじめるしか出来ぬ目の前の人間が。


 だからこそ彼は信じる。すべての人間を救った先には大いなる喜びがあるのだと。汗を流し共にプロテインを飲み交わす事で全ての人類は筋肉を鍛える喜びを分かち合える事ができるはずだと。彼は戦いを好まず悪を憎まず、ただ筋肉のみを愛する。だって彼はボディビルダー【筋肉の求道者】なのだから――




さぁ彼らに対してレクチャーをしようではないか


魔法は筋肉には適わない――と

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