ウソ〈garnet〉

 鏡の中で、赤毛を無造作に切った女の子がこちらを見ている。私はその子に向かって微笑んだ。もちろん向こうも微笑み返してくれる。

「よし、今日も一日いい感じ」

 私は鏡とにらめっこするのをやめて、部屋を出た。

真実まみ、おはよう」

 リビングに入ると、父が新聞から顔を上げて声をかけてくれた。

「おはようございます。お父さん、お母さん」

「そんなにかしこまらなくて良いのよ、真実。あなたは私たちの娘なんだから」

 キッチンから美味しそうな朝ごはんを持ってきて母が言った。私はその言葉に首を横に振る。

「ダメです!絶対ダメ!」

 あまりにも勢いの良い否定に、両親はキョトンとした。

「確かに私はお二人の子どもとなりました。ですがそれは、お二人のご好意があってこそなのです。そんなお二人に私は頭があがりません…」

 私が言い終えると、両親は顔を見合わせて微笑む。

「でもね、真実。私はあなたに本当の母のように接して欲しいの。それは、お父さんも一緒よ」

 母の言葉に父も頷く。私は感極まってしまい、少し涙ぐんだ。


 私がこの家に来たのは、1ヶ月前。いろいろあって、2人に拾われたのだ。

 2人には子どもがいた。2歳で天に帰ってしまった娘さんだ。養子の話を断っていた私に、母は言った。

「あなたは、あの子にとてもよく似ているの。あの子が大きくなったらきっとあなたみたいになってたわ」

 私を突き動かすには十分な力をもっていたその言葉で、私はこの家の子どもとなった。

 私は今14歳。今までの記憶はあまりない。気がついたら道路の上、道行く人に睨まれながら立ちすくんでいた。

 だから、この2人は私にとって唯一の家族。

 私は、この人達を大切にしたい。


 1月のまだ雪が残る道を、滑らないように歩く。気をつけなければこの間のように転んでしまうから、慎重に慎重に進む。

 これから私が行くのは図書館だ。

 私は図書館が好きだった。静かであまり人がいない。だから、この赤毛が目立つこともない。なにより、図書館には確かな情報がたくさんあった。

 図書館までは地下鉄に乗って行く。少し遠いが気にする事はない。

 満員の電車にすし詰めにされる感覚を楽しみながら、目的の駅で降りる。

 ここから図書館まではすぐだ。

 図書館に入ると、古びた本の匂いが鼻をくすぐった。

 着いた…!私は飛び跳ねたくなる気持ちを抑えて、ゆっくり館内を見て歩く。やはり平日の午前中は人が少ない。

 私は人気の小説コーナーには目もくれず、ノンフィクションの棚へ真っ直ぐ歩いていく。私の大好きなジャンルだ。

 私は嘘が嫌いだった。みんなが面白いという小説も、いまいち良さがわからない。詰まるところはあれだって嘘だ。嘘を楽しめる気がしないし、1度読んでみたが、やはり楽しめなかった。

 家で母に

「グリム童話の大きな本があるのだけれど、真実好きそうね」

 と言われたことがある。その時私は驚いて母を見て、こう言った。

「お母さん、ごめんなさい。私作り話はあまり好きじゃないの」

 私の言葉を聞いた母は、困ったように微笑んで「そう」と言い、グリム童話の本を押し入れの奥にしまい込んだ。

 今考えれば、嘘でも「好き」と言えば良かったのかもしれない。しかし、嘘を言ったことが後で母に知られたら悲しませてしまうかもしれないのだ。それに、自分の口から嘘が出るという事に私は吐き気がした。


 夕方、閉館の時間になり私は読んでいた論文を閉じカウンターに持っていく。貸し出し手続きをして、カバンにしまい、私は図書館を出た。

 今日の夕飯はなんだろう。そんなありふれた事を考えながら、私は家路を急ぐ。

 来た時のように地下鉄に乗って、駆け足で家まで戻った。

 玄関を開けて大きな声でただいまと言おうとしたら、声が聞こえた。

 リビングから、母と父の声。深刻そうな、硬い声。

 私はそっとドアに近づき聞く。本当は良くない。でも、聞きたかった。

「真実はやっぱり真実であって、真実ちゃんじゃないわ」

「当たり前だろ、真実ちゃんは死んだんだ。いくら似ているからと言っても、2人を重ねて見てはいけない」

「でも、あなただって、真実ちゃんが帰ってきたって喜んでいたじゃない!」

「そう、だが…」

「この間、真実ちゃんが好きだったグリム童話の本をあげようと思ったけど、そういうのは好きじゃないって。やっぱりあの子とやって行くのは無理なのよ」

 私は怖くなって、ドアから離れる。しかし、小さな音になれた耳は、2人の声を逃してはくれなかった。

「お母さん、最初に話していたみたいに、あの子は施設に入れよう。それが私たちにとっても、真実にとっても1番いい事だ」

 私は急いで耳を塞ぐ。きっとこれは聞いてはいけないこと。

 私は心の中で、この家に来た時の事を思い出していた。


「ずっとあなたって呼んでいる訳にもいかないわよね。名前も覚えてないの?」

 母の言葉に私は頷く。

「そう…。ねえ、だったら、真実なんてどうかしら?」

 母はそう言って父と私を交互に見る。父は少し驚いて、好きにしろといった。

「そう?じゃあ、そうしましょう。名前の通り、嘘のつかないいい子になってくれますようにって」

 私は「いい?」と聞いてきた母に向かって頷く。

 名前をもらえたことがなによりも嬉しかった。


 私は、よろよろと立ち上がり、身なりを整える。そうして、大きな声で言った。

「ただいまー!お母さん、今日の夜ご飯なに?お腹空いたなー」

 リビングの声が一瞬やんで、すぐに返事が返ってきた。

「おかえりなさい、真実ちゃん。今日はカレーだよ。真実ちゃん大好きだよね」

「本当!?嬉しい!」

 言いながらリビングに入る。

 今までで1番の笑顔をした母と、戸惑った顔の父。私はなにも気がついてないフリをして、母に言った。

「お母さん、今日ね図書館で白雪姫を読んだの。すごいおもしろかった!だから、この間見せてもらったグリム童話の本、読んでもいいかな?」

 カバンの中で、人の免疫についての論文が重さを増していった。

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