第2話 モノ要塞二日目
「・・いや、君は予想以上に凄いね、レイ」
「何だよ。じいさん食わないのか?あ、ミートソーススパも一つ」
「ありがとうございます!カクテュスソーダとブレッドプレートが2つずつ、ローストビーフと赤ワイン煮込みにミートスパですね。お持ちします」
モノ要塞二日目
(大食いフルスロットルだ、文句あるか)
あれだけ食べて一夜、レイの目の前にはとんでもない量の朝食が並ぶらしい。やや胃もたれ気味のフィロウを置き去りで、サービスのレモン水をちびちびと飲みながら楽しみだ、とレイが呟くのを見て、これが若さの差か、と内心自嘲するように笑う。
「はい、お待たせしました。ローストビーフです」
テーブルに置かれたピカピカのグレイビーソースが掛かったローストビーフ。赤身の肉に調理も合わさってなんとも暴力的な見た目に仕上がっている。
レイが我慢できず満面の笑みを浮かべて、いただきます、と手を合わせた。本当に妙な所で行儀がいいとフィロウは関心したように頷いた。
「レイは本当に食事マナーがいいね」
「・・師匠が厳しい奴でさ、変な食い方でもしようものなら殴られてな」
半分嘘で誤魔化して答える。師匠と言っても王都の魔術師の教育係で、教えられたのは宮廷マナーのみだ。(魔術は既に個人で研究が認められていたから師匠など事実上いなかった)実際ヘマをする度に殴ってくるのは剣の師匠だったが、そのまま説明も出来ない。
適当な言い訳だが筋は通る。フィロウは素晴らしい教育だね、と相槌をうちながら後から来たパンとサラダの皿に手をつける。・・暴力ネタはスルーするのか。
ふかふかとしたナッツが入ったパンは、噛む度に小麦の匂いと甘い口当たりがたまらない。喋る事を忘れそうだ。
「そうだレイ、参考に感想を述べてくれるかい」
「・・、ローストビーフは生に近いレアが俺好み。このパンは二時間くらい噛んでたい気分」
「素晴らしい。模範解答だ」
「そりゃどうも」
柔らかく煮込まれた赤ワイン煮込みが運ばれ、取り分ける匙がするりと厚切りの肉に入り込むのを見ながらおぉ、と小さく歓声を上げる。
「これフォークで食えるのか」
「諦めてスプーンを使う方が得策じゃないかな」
「だよな。・・っ、うわ、旨いこれ。でもこれ柔らかすぎて飲み物に近い」
そこまで満面の笑みで解説していたが、ミートスパが来たあたりでスイッチが入ったように黙々と一心不乱に食べ出した。よく見ていると、レイの食事は割とスロースピードだ。かきこむこともせずナイフとフォークで料理を次々と平らげる所作は狂いもなく綺麗で見ていて気持ちが良い。
実はモノ要塞に入った時に昼御飯中のレイを見かけて、店の看板に出来そうな位美味しそうに食べているのを見て声を掛けようと紹介所にまで足を運んだのだ。自分の目に狂いは無かったとフィロウは満足そうに含み笑いをする。
グレードは中の中だが、剣の腕前は中々だと紹介所の人間は言う(腕前より食道楽っぷりの方が有名らしい)。取材を兼ねた旅の警護が出来て、感想が淀みなくすらすらと出るくらいの語彙力があって頭も悪くない。フィロウにとってはかなりの優良物件だった訳だが、本人はそんな周りの評価を気にしていなかったらしく。
怪しまれた挙げ句雇い入れを断られそうになったときは正直焦ってしまった。何とか話がまとまって本当によかった。
腹も膨れて甘酸っぱいソーダを片手に食休憩をしながら感慨深く思案に暮れている間に、レイは他の料理をすべて平らげて残った大振りなミンチとトマトソースをたっぷり絡めたパスタにかぶり付いていた。・・何処に入っているのだ、あの量の食事が。長身で筋肉もあるが筋骨隆々とは言い難いのに。
「レイ、今後の話なんだけれど。・・嗚呼、気にせず食べながら聞いてくれていいよ。
今日はまだ準備と原稿の残りがあるから出発を明日にしようと思う。明朝此処を出てズイ要塞へ向かう。二日程で着くはずだ」
「・・ん、」
「取り合えず、私は先に'一輪を捧げて'くるから」
「・・・・は?」
漸くミートスパを完食し、ソーダに刺さったストローに口をつけようとしたレイの手が止まる。眉を寄せ、心底怪訝そうな顔をしながら首を傾げる様に、思わずフィロウまでことりと首を傾げた。
「何それ」
「・・はい!?」
次に思わず声を上げたのはフィロウだった。
「・・なるほど。墓参りの事をそんな洒落た言い方するのか」
「割と自国共通の言葉だと思っていたのだが・・地域によるのかな」
どうやら、習慣を全く知らない訳では無いようだ。墓標へ行く道中、煙草をふかしながら関心したように呟くレイにフィロウは思わず眉間を押さえた。もうすっかり浸透した風習だと思っていたが、末端に伝わってないのか、単にレイが世俗に疎すぎるだけなのか。
「あくまで思想上の話だから強制しないし別行動でもいいんだよ」
「いや、何となく。見学でも」
見学、と言う辺り本当に普段墓標へは行っていないらしい。続けて昨日興味本意で始めて見に行ったという台詞に、驚きで頭を殴られた様に感じる。
当の本人はフィロウの反応などどこ吹く風で、煙草を持ったまま眉を寄せて周りの屋台をちらちらと目で追っている。
「皆律儀にやるんだな」
「国に何年もの豊穣をもたらした偉大な人の墓だからね。贖罪と一緒に今後の多幸を願う人もいる」
「・・へー、多幸ねぇ」
興味の無さそうな相槌。嫌がる人間にわざわざ思想を押し付けたい訳でない。フィロウは一般的な説明を入れながら、さっさと墓標へ着くように足を早める事にした。
(・・多幸なんざ祈ったところでどうしろってんだ)
黙々と歩くフィロウをよそに墓標の主ことレイは少し機嫌を損ねていた。フィロウの話ではなく、風習そのものの話を聞いて、胃の辺りがキリキリと痛む。歩きながら苦いだけの煙草を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
国の都合で無実の人間を焼き殺しておいて、何が多幸だ。たとえ個人個人のそれを叶える神のような力が備わったとしても、誰が助けてやるもんか。
久しく感じていなかった苦々しい思いで、レイはまた昨日きたばかりの自分の墓へと戻ってきた。
明るい朝の光が差す墓標。萎れた花は片付けられ、新しい花がぽつぽつと訪れた人の手で墓標へ捧げられていく。塵一つないその場所は綺麗で、何も知らず眺めていた昨日より少し憎たらしく感じる。
「君も捧げていくかい?」
「いや。・・気分じゃない」
「・・そうか」
フィロウは無理強いをしない。花を買い、墓標への階段をゆっくりと上っていくのに着いていかず、下の踊り場からその様子をぼんやりと眺めた。あまり偉ぶらない貴族階級にしては珍しい人間だ。だから素っ気なくするつもりも無かったのだが、結果的にはフィロウの用事に水を差しただけだった。機嫌を損ねていないだろうか?
良心が痛んだが、それでも今の気分で自分の墓参りをするつもりは無かった。何より酷く胸糞が悪い。こんな無駄なもの立てるくらいならその金で他にやることがあるんじゃないのか。次世代の豊穣の魔術師を育てるのに使うとか。あの魔術はとんでもなく大掛かりで、作動するまで組み立てる人間なんて片手で数える位しかいないのに。
「・・っ」
景色は綺麗なのに気分が滅入りそうだ。場所でも変えよう。
踵を返す前に見上げたフィロウは、花を握り墓標の前で膝を折る所だった。目を閉じ、じっと黙祷を捧げる老紳士の絵画の様な光景が目に染み、後ろめたさが心に刺さる。
場違いだ。レイは逃げ出す様に振り返り、早足で街道へと戻っていった。
「・・嗚呼、戻るのか」
黙祷を捧げ終えたフィロウが階段の上から見たのは、早足で町中の方面へ歩いていくレイの背中だった。
今しがた黙祷を捧げた相手が連れ合いとは露知らず。やはり彼には退屈だったかと思いながら、付き合わせた詫びにお勧めの菓子でも買っていこうとフィロウは一人ごちた。
・・
「お、久し振りだなゲインズ。稼ぎに来たのか?」
「腹ごなしだ腹ごなし。動かないと昼飯が食えない」
「どんな理由だよお前」
結局満腹だったので得意の食べ歩きも出来ず、仕方なくレイは仕事でもないかと紹介所へとやって来た。武骨な冒険者達が何十枚も用意された案内板に掲げた紙を真剣に読んでいる。
入口すぐのカウンターに立っていた店主が、レイを目ざとく見つけて馴れ馴れしく話し掛けてくる。冒険者歴は長い。各城壁の紹介所のスタッフも大体は顔見知りだ。ここの店主はロード・モーリス。派手な赤髪で喋りが上手く、場を盛り上げるのに長けた愉快な男だ。
「ほんっとお前は働かないな。本気だしたら年度末の王都総表彰式も狙えそうなんだが」
「勲章貰った所で飯の味は変わらないし。軽い依頼ない?」
「本当流石だよ食狂い様は。・・これだな、農園からの鹿様型の魔獣の一斉駆除依頼。首一つにつき120グレイ。収納の魔導石貸すから適当に首落として詰めて持ってくるだけ」
「10匹狩って調度晩飯代ってレベルの安さだな。まあいいか、ちょっと狩ってくる」
魔導石を受け取り、門前への道へと出ようとするレイに、ロードがふと思い付いたように声を上げた。
「おぉそういや貴族のーー作家のじいさんそっちに行っただろ?なんか必死でお前の居場所探してここまで来てたぜ?」
「嗚呼、それね。」
そういや食狂いだの色々とフィロウに話してくれたらしいなと思い出したレイは、ちょっとした悪戯心で騙してやろうと扉に手を掛けたままくるりと意味深な笑みを浮かべて振り返った。
「それがさ、熱烈に・・口説き落とされたよ」
「は!?」
すっとんきょうな声を聞いてからクスクスと笑って紹介所を出る。うえ、あの作家のじいさんそんな趣味してんのか、とか、ゲインズの奴この前花街で散財していただろ、とか小さく呟いたあと、ロードはふと思い付いたように顔を上げ。
「口説き'落とされた'って、OK出してんじゃねえか」
と誰もいない入口に突っ込みを入れた。
ーー
普段大型輸送の魔術で動く車が入る時以外は、各要塞の門は硬く閉まっている。外をうろつく危険な魔獣達が中に入らない様にだ。グレイ・バーンは王都と、それを囲むように立てられた10の要塞都市から成り立っている。要塞と要塞の間の土地は人の手が入らない為肥沃で、意思もなく人や他の生き物を食らう魔獣をすくすくと育てている。
その大型の門の隣に、少人数用の小さい門が付いている。単独で行動でき、魔獣と渡り合う冒険者や護衛を雇って街街を旅する商人等に開かれたものだ。
「どうも。通してくれる?」
「冒険者か商隊の登録証を確認します。・・どうぞ、お通り下さい」
門の前に要る衛兵に声を掛ける。武骨な鎧姿の衛兵はレイに向き直り、事務的な口調で答える。腰に下げた一本の剣の塚を握り、まるで散歩に出るようなラフな様子で。レイは要塞の外へと出かける。
腰の辺りまで長く草が繁り、少し歩きにくい。車の轍をさくさくと音を立てて歩きながら、レイは手首に着けた魔導石を強く握ると、目の前に表れたスクリーンを通して生えた草だけが消えて見える。魔導石が呼び出した「透視」の魔術だ。
魔導石は町中で簡単に買える道具で、普通なら陣を描いて使う魔術を自動で演算する。一つにつきたった一つの効果しか呼び出せないが、一々陣を作る手間も省けてかなり便利だ。作るのは魔力をもった魔術師にしかできないが、使うだけなら誰でもできる。魔術師じゃない「設定」のレイもこれさえあれば魔術を幾らか使って楽に要塞外で行動ができる。・・元は研究職でそこまで肉体的に強くないレイが冒険者としてそこそこ強いのは、ひとえにこの魔導石の一部が自分で高出力に改良された特別製であることが理由だ。
「鹿様、鹿様・・なんだ、あの群れか。結構いるな」
視界を塞ぐ雑草が無くなり、レイの目の前には広がる土の地面と中で蠢く魔獣達が写った。剣を抜き、片手で柄を握って小走りで近づいていく。
左手で握った魔導石の束が起動する金属を打った様な高い音が耳に届く瞬間、周りの動きが緩慢になり、周りの音が遠退く。亜空と名付けられた時空の流れを分離する高等魔術だ。レイが自画自賛する特別製の魔導石だ。
亜空が発動している時は自分の時間は何倍にも長くなる。此方が5秒動くくらいで調度1秒くらいか。走る勢いをそのままに、まだ此方に気づいているか分からないくらいの魔獣の前に躍り出て一撃を落とし首を飛ばす。
3匹目を殺したあたりで魔獣が此方に向かい鹿にはない巨大な牙と黒炭の様な角を振りかざすのが見えた。たとえ攻撃してきたとてレイから見ればスローモーションの様な動きで突っかかってくる様にしか見えない。すかさず回り込み横凪ぎに4匹目の首を飛ばす。
回りから見れば、達人の様なスピードで魔獣の首を落としていくレイの姿が写るわけだが、当の本人に掛かる負荷は小走りと剣を振りかぶる腕力だけだ。
食後の軽い運動、と言うノリで、レイは散々食べた朝食が消化できるまでと、この単純作業の仕事に勤しむ事にした。
「はー、は、・・あ"、っつい"・・」
何時間か経ってから気付いたことは、この魔獣の頭が角のせいで重たく、魔導石に仕舞うための「持ち上げる動作」をするのに魔獣を狩るよりしんどかった、と言うことで。
何十匹の群れを狩り尽くしたあと、魔導石に仕舞う為に何十キロありそうな魔獣の頭を一個ずつ持ち上げていくというトンでも重労働のせいで汗だくだ。軽装の鎧から出た袖で乱暴に額を拭い、レイは息を荒げたまま座り込んだ。
「は、ぁ、ほんと、しんど、かった、コレ」
いつも思うけど魔術が使えない人間って生きるのが大変なんだろうなぁ。
国民の大多数を敵に回しそうな台詞を内心吐きつつ、レイはよく晴れた空を見上げた。十分すぎる運動で胃の中身が消化されたばかりか逆に腹がすく気がする。
「・・飯が食いたいな」
適度な運動と豪華なランチ(予定)。朝方の機嫌の悪さは何処へやら、レイは小走りで要塞の中へと戻ることにした。
魔獣の頭が詰まった魔導石を換金し(無駄な悪戯を店主にしたせいで釈明に随分と時間を食った)、行水して身なりを整えた頃にはランチタイムを少し過ぎた所だった。
もうここまでくると腹が減りすぎて死ぬ。何かいい店が無いかと街道を探すレイの視界に、オープンカフェで優雅に茶を飲むフィロウの姿が写った。食べ物の気配に取り合えず寄っていくと、前には若い女が座っている。
相手は社交命の貴族様だ、邪魔をしては悪いかと距離を取ろうとしたが既に遅し、フィロウがこちらに気づいて手招きをしている。
「・・悪い、取り込み中だったか」
「いや、大丈夫だよ。原稿の相談だ」
割と素直に頭を下げたレイに、前に座っていた女性がすっと立ち上がり綺麗な一例をした。どうやら元々の知り合いらしい。仕立てのいいワンピースに纏められた黒い髪の清純そうな美少女だ。正直、かなりかわいい。貴族特有の恭しい挨拶を見るのは何年ぶりだろうか。
「始めまして。グレイフォールさまの専属アシスタント兼魔導師のセラ・リタリアと申します。どうぞこれからよろしくお願い致します」
「(リタリア・・魔術師の名家か)あぁ、どうも。新しく護衛になったレイ・ゲインズだ。よろしく」
「ええ、存じ上げておりますゲインズ様。グレイフォール様が昨日から随分と御執心で」
彼のリアクションだけでも一冊書けると。クスクスと笑いながらそう言われて何となく気恥ずかしい。本がかけそうなリアクションって一体どんなリアクションだよ。気まずそうに目をそらしたレイにセラは首を傾げて続ける。
「それに、先程から'追跡'で見させて頂きましたが随分とお強いですね。魔導石と剣術との組合せで戦い方を仕上げられている。・・体力配分を間違えておられたようですが」
「私も横で見ていたが、中々面白かったよ、レイ」
「ぐ、うるさいな。・・俺もなんか買ってくる!」
魔獣の頭片手にへたばっているのを最後まで見ていたのか、なんてやつらだ。顔が火照るのを隠す様に立ち上がり、カウンターの方へどすどすと足音を立てて注文をしにいく。こうなればひたすら食ってやる(通常営業とも言う)。
拗ねる素振りを見せて荒い動作でカウンターへ歩いていったレイを見ながら、フィロウはセラに小声で話しかけた。
少し子供っぽく素直で、あまりすれていない性格。気を許した相手に対して警戒心が少し薄い。命を掛けて魔獣と戦う冒険者にしては珍しい性状だ。
「どうだい。私の新しい護衛君は。面白いだろう?」
「そうですね。問題はなさそうです。人柄もよさそうですし・・」
そう言いかけて、セラは少し考え込むように口許を指で隠す。若いが王都の貴族であるグレイフォール家に仕える名門リタリア家の魔術師だ。自分の魔術師としての観点から、少し気になることがある。
「話に聞くゲインズ様の冒険者グレードに対して、手首に着けておられる魔導石に随分とハイスペックなものが多いように感じます。・・魔導石は展開しないと詳しいことを計れませんが。何処で手に入れられたのでしょうか。」
「ハイスペックな魔導石か。あまり積極的に依頼をこなすタイプではないらしいがね・・、高級な魔導石を揃えられる財力があると」
「もしくは魔導石を作る事が出来るような高等魔導師がバックに付いている、でしょうか。それだけはご留意下さい」
「成程。そこだけは気を付けよう」
バックもなにも、本人が高等どころか一級の魔術師だが。
まあ仕事上誰に殺されてもおかしくないしね。と何でもない様に呟くフィロウの言葉を、セラは少し苦笑を交えて受け流す。長い間殺伐とした貴族社会で生きてきたフィロウは妙な所で肝が座っている、ネジが外れているとでも言った方が正しいかもしれない。
「・・要塞の外では私も同行致しますから、多少の力量は分析できるかと」
「そうだね。頼むよ、セラ」
「仰せのままに」
自分について物騒な話題がされているとは露知らず、話し込んでいる間に料理のトレイを下げたレイが悠々と戻ってくる。右手の腱に随分と力が入っている、トレイに乗った料理は重量があるようだ。
「おかえりレイ。何か良いものは見つかったかい」
「ああ。最近肉ばっかだったから魚で攻めることにした」
テーブルに置かれたフライが挟まれたサンドイッチと刺身の乗ったサラダ。待ちきれないと早速手をつけるレイを見ながら、二人は話を戻して次に出す原稿の打ち合わせをしていく。宣伝に来てほしいと言う依頼や、雑誌からくるコラムの執筆依頼。手帳を片手に話されている内容はレイにとって完全に蚊帳の外だが、当の本人は熱々の魚の油が染み込んだサンドイッチを噛み締めるのに夢中なのでよしとしよう。
もっちりとした青身魚の脂の口当たりが甘くて、酸味のあるソースとふかふかのパンによく絡む。全部まとめてかじると旨味が舌にまとわりつくようだ。
「レイ、この要塞は陸地の真ん中でね。魚は魔導石で調整された池で養殖されているんだ。脂がよくのっていて凝った料理にするには最適なんだ」
「じゃああの看板のパイ包みとか、」
「とてもおいしいと思うよ」
「買ってくる」
さくさくと小気味いい音を立ててサンドイッチを完食したあたりで、だめ押しとばかりに打ち合わせ中のフィロウがちょっと囁けば、予想通りにパイ包みを買いにカウンターへと走っていってしまった。最初頼んでいたサラダは既に空になっている。
「その、本当によく食べられる方ですね」
セラが信じられないとでも言いたげに目を丸くする。少なくとも最初に食べていた分は普段一般人がシェアして食べられているくらいのサイズのものだったはず。・・それこそまさに魔法のレベルだ。
「今日の朝食からそう痛感しているよ。一体何処に収まっているのやら」
彼が満足するにはもう少しかかりそうだと笑いながら、フィロウは出来上がったばかりの原稿をセラに手渡した。毎回出版社とのやりとりまでしてくれるこのアシスタントは本当に優秀だ。
一度セラは屋敷へと帰るらしい。足元に円を描くように現れる魔方陣は、グレイフォール家と様々な場所を繋ぐ転移の魔術だ。
「それでは失礼致します。ゲインズ様によろしくお伝え下さい」
「ああ。セラ、また明日」
セラが恭しい一礼をして、目の前で光に包まれ姿を消すのを見送った辺りで、調度レイがパイ包みを抱えて関心したような声をあげなから戻ってきた。
「・・おお、凄いな。転移魔術ってやつか」
「そうだね。彼女はよくあれを使って手伝いに来てくれるんだよ。ちなみに明日からも着いてきてくれるよ」
「・・へぇ」
いつもは返事が早いレイの反応が鈍い。ふと見れば、フォーク片手に何か考え込んでいるように見えた。食事を前にして思案に耽るとは、何かあったのか?
フィロウの怪訝そうな視線を察したのか、レイは気まずそうにふと視線を逸らしたあと無言のまま食事を再開した。
さくさくさく、ぱり。
(・・まずいな)
無論、料理の味の話じゃない。料理はたまらなく旨い。
魚の味とホワイトソースが染みたパイを噛み締めながらレイが眉を寄せる。勿論まずいのは明日から予定に入った要塞外でのフィロウの護衛だ。普段汚れ仕事を嫌って外に出ないはずの、あんな高等魔術師がまさか至近距離で着いてくるとは思っていなかった。
さくさく。
(魔導石はノーマルしか使えないな・・高出力の石を使ったら確実に出所を問われる。亜空なんか使った日には正体バレるかもしれねぇ)
勿論、改造した魔導石には内容が詳しく調べられないようにシールドをかけてある。特に'追跡''透視'のような相手の視界に触れる魔術相手に至っては映像にフェイクがかかるようにしてある。セラがみた追跡の映像には、亜空を使っている間は普通に剣術で戦っているように見えているはずだ。
しかし至近距離だと違う。セラは高等魔導師だ。自分に掛けているであろうシールドのおかげできっと彼女の直接の視界へはフェイクが効かない。つまり明日からの護衛はその辺で売っている魔導石だけで戦う羽目になる。
(面倒くせぇな・・どんな縛りプレイだよ。バレる前に逃げた方がいいんじゃないのか?)
カチン、と皿にナイフが触れる音で、逸れていた意識が引き戻された。パイを崩しているつもりが下の皿にまで衝突させていたらしい。
ぱっと顔を上げると、じっと此方を覗き込むフィロウの視線とかち合った。うわぁなんだこの貴族オーラ。無駄に高価そうなジャケットのせいか。
「・・悪ィ、何か用事あったか」
「いや、面白い百面相だなと眺めていたところだよ。よかったらサービスの珈琲が来たから飲むといい」
いつの間に。
湯気を立てる温かい珈琲とオレンジの身がひとふさ添えられていた。酸味寄りのテイストの珈琲と柑橘の香りが混ざってまるでポプリでも置いたような爽やかさだ。
「超いい匂い」
さっきまでの百面相は何処へやら。気を良くして珈琲のマグカップに手を伸ばす。口の中に残った魚の脂が珈琲に流されて吐息どころで気分まですっきりとするような気がする。
途中まで飲んでからオレンジの果汁を入れる。ほんのりとした甘酸っぱさが加わって益々おいしい。この要塞の甘酸っぱい味推しは本当にすごい。
(まあ、仕方ないか。なんとか誤魔化していくとするか)
珈琲一つで落ち込んだはずの気を持ち直す自分ってチョロいな、と僅かに自覚を感じつつ。レイは自分の魔導石をなんとか誤魔化そうと心に決めたのだった。
そんなわけで。
「さて、どうするかな」
そのまま宿に戻り、隣の部屋を借りたらしいフィロウは自室で執筆に勤しむらしい。自分の部屋に戻ってきたレイは、ベッドに纏めて置いた魔導石を見つめて気だるげに溜め息をついた。
取り合えず、この「何処を探しても手に入らない最上級クラス」から「ちょっと買うときにいいものがほしくて奮発した」で通じるくらいのグレードに魔導石を改造しよう。使わなくても持っているのがバレたら面倒だし。フロントで買ってきた珈琲を片手にベッドに胡座をかいて座る。
(まずは、結界。)
珈琲のカップを置く事もせず左手を視界一杯にかざすと、光の筋が幾何学模様を描いて壁一面を覆う。これで魔術を使う力の動きを他人に気取られない。
続けてベッドに乗ったままの亜空の魔導石に手をかざし、石の中に入れてあった魔術の演算方法が書かれた呪文をまるで実際に摘まむように引っ張り出していく。引っ張り出された演算式が空中で漂って、全部を取り出す頃には辺りは一面光の文字で埋め尽くされていた。取り合えず、目茶苦茶物理的に眩しい。
時の流れを調整する系統の魔術は数多の魔術師の中でも一部しか出来ない高等魔術だ。しかも何日も潔斎をして魔術の地力を上げたり、魔方陣の全てを床に実際に書いて一回ずつ演算するやり方がオーソドックス。そんな魔術を魔導石で連続オート演算しているのがバレたら・・考えるだけで恐ろしい。もう一回火炙りにでもあいそうだ。
(取り合えず、炎を飛ばすとか、防壁を張るとか、一般的なもの・・)
亜空を作るのに何日も掛けたのだが、背に腹は変えられない。一度消そう。演算式に触れて低出力のものへとリライトしていく。どう見ても珈琲片手に優雅にやることではないが、何せ元が国家魔術師だ。こんな演算やり慣れていて演算式がソラで描ける位の難易度。
火の玉を高速で打ち出す'火矢'、物理的な防壁を張る'シールド'、直線上に地面を凍らせる'氷道'、任意の一部分に空気を圧縮して打ち込む'空砲'・・こんなところかな。
魔導石のリライトが全て終わったあと、軽く手を払って展開していた魔術を全て掻き消す。眩しかった光が一つ残らず消え普通の宿場の一室が帰ってくる。飲み掛けの珈琲に口をつけながら、今しがた作ったばかりの魔導石に触れた。
(これで行けるか?・・まあ、最悪バレたらいつも通り逃げるか)
バレた人間を取っ捕まえて記憶を消して逃げればいい。フィロウは見た感じ簡単にできそうだし、セラは少し難航するだろうがリタリア家の魔術師の演算は王都で交流があったからよく知っている。余裕で競り勝てるだろう。魔術封印さえできればあとはなんとでもできる。封印式で拘束された魔術師ほど無力なものはない。かつての自分の数日間がそうだったように。
能天気か、あるいは元王者の奢りか。まあいいかと様々な問題を頭の中から押し流して、レイは作った魔導石を握り締めた。
ーー
日課の筋トレをして、部屋に揃えてあった冒険者用の道具が紹介された雑誌を読みふけり、身支度を整えている間に控えめなノック音がした。
(・・?)
一瞬身構えて'透視'して見ると、スクリーンにフィロウの姿が写りこむ。ああ、何か用事があるのか。
レイ、と呼ぶ声に従ってドアを開ければ紙袋を片手にフィロウがよたよたと部屋に入ってくる。
「おっと、じいさんどうした?」
よたついたフィロウを腕を掴んで支えると、思ったより抱えた荷物が重くてふらりと二人して足元を縺れさせる。
「ふぅ、助かったよレイ。セラからお裾分けが届いてね。食べ物みたいだから先に渡しておこうかと思って」
「なんでまた食い物?」
「いつも色々物資を送ってくれるのだけれど、今日のカフェの食事量を見てレイ宛の物資は食べ物だったら間違いないと思ったんじゃないかな?」
「何か色々言いたいが・・確かにそうかも」
荷物を受け取り、ベッドサイドのテーブルの上でそっと開く。コーティングされた赤い果物の乗ったフィナンシェが、綺麗に整頓されて並んでいる。
「ああ、コレか。・・懐かしいな」
思わず感慨深くなって、郷愁めいた台詞が口をついた。見覚えがある。王都の大通りに面したリーファイという有名な洋菓子屋のものだ。紙袋にショップカードが添えられている。
「流石、知っているんだね。」
「凄く好きだったんだ、昔な」
王宮御用達の店だったのもあって、研究室に時々差し入れで届いていた。研究中に煮え詰まったときによく甘いものが欲しくなって好んで食べていた。研究所には専属の世話役が何人か居たから誰かしらが飲み物を入れてくれて。本当に甘いものが好きなんですねぇと皮肉めいた台詞を言う。
(そう言えばあれから一度も食べてないな)
袋の中から一つフィナンシェを取り出してかじれば、甘い果物の果汁と対比する様に甘さを控えてナッツを少し練り込んだ生地の芳ばしさを感じる。何年も経っているのに、少しも変わらない。記憶と寸分も違わない味だ。
「・・嗚呼。うまいな」
少ししてから呟いたかすれ声にフィロウは気付かず、気に入ってくれてよかったと胸を撫で下ろす。レイはフィナンシェを一つ摘まんだまま、ベッドサイドにあったカップを引き寄せて紙袋を覗き混んでいる。
「よかった。また好きになれそうかい?」
なんてことはない。昔この菓子が好きだった、やっぱりおいしい、と言うレイに、久々に食べても此処の菓子はいいだろう?と言う意味を含んだ問い。それに対する返答は中々返ってこず、フィロウは怪訝そうに眉をひょいと上げてカップの縁をくわえたままのレイを盗み見た。
ふせがちの金色の睫毛が視線をさ迷わせるように上下したあと、口元が自嘲するような笑みを浮かべる。
「・・さあ」
目を細めたレイから、漸く返事が返ってくる。優しげなような、少し複雑そうな微笑みのまま、またフィナンシェを一口。
「どうだろうな」
そう言ってまた、少し笑って違う菓子を摘まむ。そんな優しげな顔も出来るのか。武骨で少し子供っぽい目の前の剣士の意外な顔に少し驚きつつ、フィロウも久し振りに馴れた味でも食べようと、一緒に菓子を摘まむことにしたのだった。
そうやって、食道楽達が一緒に過ごす最初の夜が更けていく。
続く
食事リスト
・ローストビーフ
グレイビーソースは肉汁とエールで決まる。素材で殴り打ってくるような一品。
・ブレッドプレート
胡桃、オレンジ、プレーンのパン三種から選べるパンとサラダのセット。
・赤ワイン煮込み
硬い肉向けの料理なので、柔らかいフライバロウ牛でやるととろとろになりすぎてスプーン必須。
・ミートスパ
ミンチが大降りで肉まみれに近い形状。少し食べにくいが肉の味がしっかりしてて食べごたえ満点
・フィッシュフライサンドイッチ
脂が乗ったイエローテールをフライにして、酢のきいたソースと野菜と一緒に挟む。熱すぎて勢いよくかじると火傷する。
・カルパッチョサラダ
こってり刺身なのでオレンジのきいたソースと大量の野菜とで和える。食べたあとのソースがテカり過ぎて反射して見える。
・パイ包み
脂の染みたパイがやみつきになる一品。ナイフとフォークで割ったあと、溶けて溜まった啜れるくらいの量の脂にパイを崩してディップしながら食べる。
・カフェオランジェ
酸味のきいた珈琲とオレンジが絶妙マッチ。柑橘を絞って飲めば甘味も足されて二度美味しい。
・リーファイのエラフィナンシェ
王都で作られたエラという交配種の果実を使ったフィナンシェ。赤く丸い見た目のエラは糖度が物凄く、生地はほぼ無糖レベルで作られている。
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