魔王と世界を愛する者たち(4)
「目覚めろ――シャムル・ド・ネガル」
アルシアが厳かに呟くと、握っていた剣が黄金の
「――っ」
凄まじい気配に、トメクはたじろぐ。
(馬鹿な……この僕が、怖気づくだと……?)
無意識のうちに後ずさっていたことに、遅れて気がつく。
得体の知れない圧。
とてつもなく不快で、心がざわつく。
見ているだけで気がおかしくなりそうなオーラを放出しているアルシアに、トメクは吐き捨てるように言う。
「どうせまたしょうもないもんなんだろう、それ」
「……確かめてみるか?」
「言われなくたってぇぇええっ!」
トメクが砲弾のように飛んだ。地面すれすれに、土煙を舞い散らせながら一瞬で距離を詰めると、アルシアの膝下を抉るような水面蹴りを放つ。
剣を振り下ろして足蹴りを止める隙も与えない亜音速の一撃。
足元の自由を奪ってしまえば勝負はあったようなもの。
「ぬるい」
「なっ!?」
同時、アルシアの剣が真上から振り下ろされ、地を掠った。鋭利な風圧が地面の奥底まで削り取り、文字通り大地が二つに裂けて割れる。
先程までとは比較にならない速度で振るわれた剣を睨みながら、トメクは深く息を吐いた。
本能で察する。
あれはまずい。
一撃でももらえばただではすまない。
予期せぬ展開を前に、トメクの額には脂汗が浮かぶ。
「馬鹿な……そんな力、いったいどこから……」
あり得ない。
数百ある世界の一つで魔王をしていただけの存在が、数多の世界の善を司る調界者に打ち勝つなど、あってはならないというのに。
「これまでの威勢が嘘のようだな?」
「…………っ」
警戒せざるを得なかった。悪性を失い、魔王でなくなり、ただの人間に成り下がったちっぽけな存在ごときに、トメクは命の危険すら覚える。
「あんた、一体なにをした」
「言ったはずだぞ。貴様に世界の力を見せてやると」
「
「この剣には、世界の願いと希望が込められている。それが貴様を打ち倒す力に還元されているだけのこと。肌身で感じているだろう。世界そのものが生み出す威圧と威容を」
アルシアが握るは、魔族に代々語り継がれてきた宝剣シャムル・ド・ネガル。
王に希望を託した者たちの力を宿し、放出する、まさに覇王のみが持つことを許された剣。
原理は、ウラキラルが保持していた清めの宝玉と同じもの。
つまり。
トメクが相手にしているのは、アルシア一人ではない。
言葉通り、ラストリオンに生きとし生けるすべての者であり、世界そのもの。
「……冗談だろう? そういうのは勇者の専売特許だぞっ!?」
「なにを憤っている。勇者ごときでもできることを、この俺ができないわけあるまい?」
「そんな返しがさらっと出てくるあたり、やっぱこの世界はイカレてるよっ!」
トメクは猛烈な砂埃を纏わせながら再び突貫。
間合いすれすれまで真正面から近づき、拳を地面へ叩き込もうと右腕を振り上げる。
剣にさえ触れなければ、どうということはない。
そう、誤解していた。
「それは目眩ましか? それとも弱腰になった証か?」
間合いぎりぎりまで距離を詰めた、その刹那にきらめく
読まれていたわけではない。ただ、アルシアがトメクの行動に合わせてきただけ。
予想外だったのは、亜音速の世界に、たかが人の身に落ちたはずのアルシアが割り込んできたということ。
しかし、その読み外しは、決定的な致命傷になる。
「――あ」
仕切り直しをしようと、思考を切り替えたときにはもう遅い。
風の鳴る音ともにトメクの右腕、その肘から先が真っ二つに切断される。
「あ、ああ、ああああああああああああああああああああああっ!」
「これは、貴様の道楽で操られたセラに殺された部下に捧げる一撃だ」
そして、切り返すようにもう一振り。太刀筋すら不明瞭な、神速の一振り。
一瞬だった。黄金色の粒子を纏ったシャムル・ド・ネガルが、トメクの左手首を、まるで豆腐を切るようかのようにスッと切り落とす。
「これは、貴様に操られ、心に深い傷を負ったセラの痛みだ」
「が、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
トメクの絶叫は鳴り止まない。
経験したことのない鮮烈な痛覚が全身を駆け巡る。痛くて苦しくて熱くて、泣き叫んでもまるで消えてくれない。
「痛いだろう。苦しいだろう。だが、貴様の身体から溢れる痛みは俺たちが受けたそれよりも随分と矮小なものだぞ? 叫び声を上げられる、その余裕があるのだからな」
アルシアは容赦なく剣を振るい、トメクの身体に無数の傷痕を浮かばせていく。
逃げ足を封じるために両脚を断ち切り、血飛沫を散らせていく。
両手を失い、両脚もまともに機能しなくなったトメクはいよいよ地に膝をついた。
痛覚伝達を遮断するために強制的に意識が落ちた彼の目は虚ろになり、だらりと開かれた口元からは止めどなく紅が零れる。
一方的にトメクを蹂躙するアルシアは、怒りも憎しみも胸の奥に押し込めたまま、ただ無心で剣を振るう。
慈悲もなく、躊躇いもなく、情けと容赦の一切を切り捨てるその様は、数百年に渡り世界を支配してきた魔王そのもの。
無慈悲に、徹底的に、そして完膚なきまでに世界の力をもって叩きのめす姿は、
「世界は、貴様たちのものではない。未来は、神のものではない。この世界をどうするかは俺たちが決める。未来は、俺たちが選ぶ」
アルシアが剣を高く掲げ、全身に力を込める。
「思い知るがいい。これが、これこそが、世界の選択だ。天よ、
そうして、渾身の一撃が、世界の敵に突き刺さった。
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