魔王と世界を愛する者たち(1)
金属が激しくかち合う音に、城下町へと向かっていたエイリーク十三世は空を見上げた。
「なんの音だ!」
城門を出た直後に響いてきた
衛兵たちも首を傾げ、エイリーク十三世と同様に空を見上げる。
「――っ!? 危ないっ!」
「なっ――」
直後、衛兵の一人がエイリーク十三世にタックルをかますようにしながら、その場を飛び退いた。
そして同時、
「あはははははははははははははははははははははははははははははっ!」
「――お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
庭園から真っ逆さまに落ちてくるアルシァが、エイリーク十三世と衛兵の立っていた場所へと
追い打ちをかけるようにしてそこへ飛び込んでくる片羽を生やした異形――トメク。
その拳が
一瞬にして砂煙の舞う戦場と化した城門周辺。
「一体なにが起こっておるっ!?」
事態を呑み込めないエイリーク十三世は土煙の舞うほうへと足を延ばそうとするが、
「離れていろ女王! 巻き込まれて死にたくなければな!」
「儀式はどうなったのだ!? どうして戦闘が起きておるっ!?」
「説明はあとだっ!」
「――つぇあああああっ!」
背後で説明を求めるエイリーク十三世の問いかけに応じている余裕はない。
十数メートルの高さからの落下による衝撃を受け身で逃がし体勢を立て直したと同時、
「―――くぅっ!?」
これを間一髪、剣の切っ先で受け止めはじき返す。が、その反動か、半径数メートルに抉れた地面から弾き飛ばされる。
「ほらほら、まだまだ準備運動だよ?」
「く、そがっ!」
砂煙の中から銃弾のごとく飛び出してきたトメクの拳を、アルシアはかろうじて右手で受け止める。
「お、あっ――!?」
あまりにも重い一打。
だが、生まれた一瞬の好機を見逃すトメクではない。
「まだまだぁ!」
「う、おおおっ――」
続く連打。直撃すれば意識を刈り取る程度では済まされない拳がアルシアの頬や
一体どうすればいい。どう乗り切れば良い。この場だけでも無事に、無害に、なんの被害もなく乗り切ってエイリークの外へ出るにはどうすればいい?
浮かんでくる疑問と焦りだけがアルシアの脳裏で延々と繰り返される。求めているのはその先にある答えだというのに、弾き出されるのは
「さっきの威勢はどこいっちゃったわけ? 腐っても元魔王でしょ? 少しは抵抗してくれないと、このまま殺しちゃうぞ? せっかく生き延びたんだからさぁ、もっと根性みせてよねっ!」
(くそっ! 舐められたものだな………っ!)
わざと、抵抗できる程度に加減されている。弄ばれている。
そう分かってはいても、反撃に転じる隙の一つも見せてはくれない。せめて仕切り直しができればと願って剣を振るうも、最小限の体捌きで躱され、どころか合わせるようにしてカウンターを見舞ってくる。それにしたって、回避不可能なそれではなく、むしろ次の行動をあらかじめ制限し、アルシアの一挙手一投足を掌で転がして弄ぶ。
そもそも生きている世界が違うのだ。なんの力も持たない人間が魔王に太刀打ちできないのと同じ。たかだか一つの世界を牛耳っていただけの存在が、いくつもの世界を束ね、まして管理している神の使いなどという異次元の存在に真っ向勝負で敵うはずがないのだ。
と、そこへ、
「
一方的な戦況を見かねたエイリーク十三世が、騒ぎを聞きつけ駆け付けた衛兵たちに指示を出す。
己を
「体制を立て直すまで任せるぞっ!」
「かかれぇ!」
これ幸いとアルシアが背後へ飛び退くと同時、トメクを取り囲んだ衛兵たちが一斉に
だから、
「ふっ――」
トメクは真上へと跳躍してすることで躱してみせる。
「馬鹿めがっ!」
攻撃を繰り出した衛兵に混ざっていた近衛兵長がどこか笑いすら堪えるように叫んだ。
真上へ飛べば、それこそ防御のしようがない。誰もが重力に逆らうことはできない。盾の一つも持たない身は、自重で鋭利な切っ先へと突き刺さる。もはやこれは自明の理。それを分かっているはずのトメクももはやこうすることしかできないように、衛兵たちは砂煙に紛れ取り囲んでいたのだ。
回避不可能なそれではなく、あらかじめ次の行動を制約し、徹底的に敵を追い詰め、確実に仕留めきるために放たれた布石。
衛兵たちが素早く槍を引っ込め、一糸乱れぬ動きで、今度はその穂先を斜め上へと突き出す。逃れようのない、明確な死をもたらす一撃を生み出すために。
「は、はは……」
トメクは力なく笑った。眼下に広がるは骨をもたやすく貫く剣山。翼などないのだから逃れる術もなかった。万有は引力に逆らうことができない。それは神の使いとて同じ。
そして、落ちる。
疑いようもなく、結果は見えている。
だから。
だからこそ、トメクは笑みを浮かべずにはいられなかった。
「あはははははははっ!」
一周回ってあどけなさすら感じる笑い声があった。
「……なんか、僕のこと、甘くみてないかい?」
音もなく。
人肉などなんの不都合もなく貫くはずのハルベルトの穂先へ、トメクは右足の親指一本で着地してみせたのだった。
「……っ!?」
どうしてこの程度のことを予測できていなかったのか、と。
なぜ、単に槍を突き出した程度で仕留められると確信していたのか、と。
「……ああ、そうか」
茫然とする衛兵たちが突き上げたままの槍の上で、トメクは緊張感の欠片もなく呟く。
浮かんできたのは一つの結論。
当たり前だったことを、いまさら再認識しなければならなかった。
「そういえば君たち人間には自己紹介がまだだったね。僕はトメク。人間でも、魔族でもない。君たちの創造主であり、神の使いだ」
「あ、ああぁ……?」
戸惑いと恐怖が綯い交ぜになった衛兵たちが混迷する。だから、それがなんなのだという顔をして。
神の使いなど知ったことかと、尊敬も畏怖もへったくれもない態度のまま。
ものを知らない子どもたちを相手にしているような微笑ましい気分を抱くトメクは、諭すようにもう一度告げる。理解できるように噛み砕いて、解して、頭ではなく身体で分からせるしかない。
「まぁ、これは自己紹介をしていなかった僕が悪いんだけどさ――」
そして、あろうことか、もう一度跳躍し――、
「――人間を仕留めるようなヤワな
旋回すると、遠心力を纏わせた手甲をハルベルトの穂先へ突き落とした。
「ご、はっ――」
砕けるはずのない鉄製の武器ごと石畳へ叩きつけられた衛兵の身体が、その反動で浮き上がる。強引に意識を剥ぎ取られた衛兵が無防備に宙を舞う。
トメクは止まらない。地へ突き刺さった拳と肘だけで自身の身体を跳ね上げ、武器を失った衛兵の脳天へ踵落としを見舞う。これで一人。
氷面へ滑るように着地してみせると、間抜けに槍を突き上げたままの衛兵の足元を掬い、倒れこむ彼の顎先を掠めるサマーソルト。頭を揺すられ
八名の衛兵を沈めるのに、わずか十数秒。
「平和ボケしてると、まぁこんなもんだよね」
「馬鹿、な……」
台風一過のごとく静まり返る城門前。
部下たちがまるで藁人形のように倒れている惨状に、近衛兵長は目を疑う。
実戦経験がないとはいえ、日々の訓練を欠かさず
そんな化物を相手に、どうしろというのか。
「か、勝てるわけが、ない……」
「まったく、せっかちなんだから。アルシアを殺してからきちんと君たちの相手してやるから、それまで大人しく待っててよね」
「貴様……っ!」
涼しい顔をして両手を払うトメクに、アルシアが吠える。
「アルシアに手を貸すようなら皆殺しだよ? 腐っても魔王だったやつが生存することに賛同するなんて、僕らが望んだ人間のあり方じゃないからね。そういう邪教は排除しないといけない」
「俺だけでは飽き足らず、人間たちまで殺す、だと……っ!?」
「決まってるじゃないか」
倒れ伏した衛兵たちの中心でぱきりと指を鳴らすトメクが、至極当然とでも言うように即答する。
「人間とは本来、魔王に怯え、その存在を憎み、消滅を願うものだ。だが、ラストリオンは狂ってしまった。魔王アルシアのあり方が人間の思想や倫理観にまで及んでしまっている。ここまで歪んでしまったら、すべてをリセットしないとどうにもならない。そうでもしないと、いずれまたこの世界は狂ってしまう」
「それは貴様の勝手な思い込みであろうっ!」
嘘くさい作りものの憂いに満ちた表情で
「この世界は貴様たちのものではない! 我らのことは我ら自身が決める!」
「魔族と人間の調和などあり得ない。そんなものはまやかしに過ぎない。こんな歪な平穏が平和だなんて、笑わせるなよっ! 人間のことは人間が決めるだぁ? そうして間違えたから、この僕が! ウラキラルが! 正すためにわざわざやってきたんじゃないかっ! このまま放っておけば世界もろとも破滅していたんだぞっ!?」
「……そんなもの、神だのなんだの、全部そちらの勝手な都合ではないかっ!」
「だがルールだ! 絶対不変の理だっ! この世界そのものが存続していくためには遵守しなきゃなんない決まりだ! この世界は、いまを生きる君たちだけのものじゃない! どうしてそれがわからないっ!?」
人間はいつもこうだ。
この世界が続いていくためには、善と悪の循環が必要だということを真に理解しようとしない。その循環こそが世界を存続たらしめるエネルギーだというのに、永遠の平和を願う。偽りの平和に縋る。必要悪を認めようとしない。
だからいつも、間違える。
永遠の平和など、
理想郷に過ぎないというのに、愚かな人間たちは、何度でもその理想を追い求める。
「だから僕が執行する」
善の化身として、この世界の過ちを正す。
もはや手に負えなくなった以上、まどろっこしいやり方はナンセンス。
魔族も人間も一掃し、浄化することでこの世界そのものを再構築する。
それが神の使いとして果たすべき使命。
だが、
「……下らん。実に下らん。それが言い分なのだとしたら、部外者だというのに随分と勝手が過ぎるぞ、小僧」
そんな絶対の信念を、呆れた口調で一蹴する声が響く。
「なん、だと……?」
アルシアだった。
大剣を握り、エイリーク十三世の盾になるようにして仁王立ちをするこの世界の
「永久の平和を願うことのなにがいけない? 魔族と人間が互いに手を取り合うことのなにがいけない?」
静かな問いだった。
それこそ、トメクが何度も付き合ってきた簡単な問いかけだった。
だが、その言葉の裏に秘められたのは疑問ではない。
純粋な怒りであり、理不尽に対する嘆きであり、
「善悪の循環? ルール? そんなものは貴様たちが勝手に持ち出してきた理論だろうが! しかもだ! 神が世界を滅ぼすというが、それだって証拠の一つもないではないかっ!」
「そ、それは……、だけどっ……、救いようのない世界は神の手によって裁定され、すべてが始めからやり直しになるという決まりが――」
「決まり決まりとやかましい!」
それはもう聞き飽きたとばかりに、アルシアは一蹴する。
世界を管理する側の立場でしかものを言えない存在に、この世界の善悪だとか正しさと間違いだとか仕組みだとか構造だとか、理屈と理論だけで語られるのはまっぴら御免だった。そんなものを振りかざして丸く収まるのであれば苦労はしないのだ。
そもそも、
では、果たしてトメクがやろうとしている正義の執行は、義に則ったものなのか。長い間に歪んでしまった世界に住まう人間そのものを悪と断じて処刑する行為は正義なのか。
否。それはもはや正義に名を借りた偽善だ。
「もはやこれは貴様の道楽に過ぎんっ! そんなものを振り回されてこの世界を滅茶苦茶にされてたまるかっ!」
アルシアはそう切り捨てる。
トメクが語る善悪の循環構造やルールとやらは真実なのだろう。
だが、そんなルールに抵触するから平和であってはならないなんて理由になりはしない。
善悪の循環のために平和を諦めていい理屈になりはしない。
まして、平和を願い、その永遠を追い求めようとこの瞬間を生きる人間や魔族を否定していい理由になど。
そう結論づけて、アルシアは対峙する。
「…………くく」
だが、トメクにとっては、どこ吹く風。負け犬の遠吠えでしかない。
「なにがおかしい……」
「いや、いいや、申し訳ない。雑魚のくせにこの世界の代表のような面をしてメンチを切ってくるのがあまりにも面白くってさぁ」
どれだけ理想を語ろうが、それはまた夢に消える。奇跡を願ったところで、人間ごときに倒される神の使いではない。
歴然たる戦力を散々骨身に染みこませてきたというのに、まだ飽き足らず、刃向かってくるムシケラたち。いよいようんざりしてきたところだ。尻尾を巻いて逃げ出す様に後ろ指を差して笑いながら砂山を削るように命の灯火を弱めていく、そんな悦楽を求めているというのに、どこまでも往生際の悪い無駄な足掻きを続けて。
いよいよ、我慢も限界だ。
トメクが、頭のスイッチを三段階くらい切り替えるように首を鳴らした。
「いっそこのままここであんたを
そう吐き捨てて。
次の瞬間、トメクは音もなく姿を消した。
「っ!?」
否。
誤魔化しきれない気配がアルシアへ猛烈な速度で接近する。
真後ろでもなく、死角からでもなく、地中からでもなく。
「――っ」
アルシアはずたずたにされた地面に浮かぶ影を見て、咄嗟に頭上を見上げ、剣を振り上げる。受けの構え。激突の衝撃は計り知れない。
だが、果たしてこんな貧弱な体躯で耐え凌ぐことはできるのか?
人の身に堕ちた華奢な存在が、五体満足に生還などできるのか?
勝ったのは、疑念より恐怖だった。
なけなしの矜恃を一枚剥がせば、その裏側にべったりと塗りたくられているのは恐怖心に染まった臆病だ。ここまできて死んでたまるか、というちゃちな意地など塵屑のように吹き飛ばしてしまえるほど大きな畏怖が迫る。魔王であった頃ならば絶対に抱くことのなかった、這いずり寄ってくる死の影。逃げることは不可能。
ならば、死を覚悟して、臨むしかない。
そして。そして。
そして。
「――
激突の寸前、戦場には似付かわしくない、可愛らしい声があった。
けれど、それはアルシアが守りたいと願った人間のそれではなく。
「なっ、にぃっ!?」
甘味を盛りつける小皿程度の魔法結界に決定的な一撃を阻まれたトメクは、予想だにしない展開に顔を歪める。
小隕石にも似た熱量と質量を伴った鉄拳が、跡形もなく粉砕するはずだった魔王の剣先に届いていない。一極集中による魔力防壁の圧縮展開。極薄だが、その硬度は超がつくほどの一級品。それはすでに目の前の奇跡が物語っている。
これほどの防御魔法を操れる存在は、この世にただ一人。
「エルレかっ!?」
「応急処理が終わってみればこんなところで魔王を辞めるとか言ってるアルくんを中継越しに見つけてね。なのに急いで駆けつけてみたらなんだかやり合ってるし、どうにも状況は掴めないけど……ピンチなことにかわりはないよね?」
「助かったぞ」
飛び退いてトメクから距離を取るアルシアに、エルレが駆け寄る。
「して、セラはどうなった?」
「それなら――」
「……アルシア様」
もう一つ、声があった。
か細く、儚げで、しかしどこか妖艶さを纏った響きが、アルシアの背後からその名を呼んだ。
「……どうやら、もう心配はいらないようだな」
視線だけを送り、その声の主を視認したアルシアは胸を撫で下ろす。
そこには、つい数日前に別れたときのまま綺麗な姿をしたセラの姿があった。
「この度は、本当に――」
「その言葉は、すべてが終わってから聞く。まさか、ただ謝るためだけにこんな所へ駆けつけてきたわけではあるまい」
「…………病み上がりと言えども、足を引っ張るつもりは毛頭ありません」
「ならばいい。同じ轍は二度も踏むなよ」
「……ええ、ええ。分かっています」
その力量も、極悪さも、忘れてはいない。
植え付けられた強引な正義感も、恐怖も、憎しみも忘れてはいない。
たとえそれが自らの意志ではなくとも、忠義を誓った王に刃を向けてしまった罪を忘れてはいない。
「そっちの小悪魔は新顔か。いやはや、僕の攻撃を一度でも完璧に受け止めきったのは賞賛に値する。でも、二度目は通用しないよ」
渾身の一撃を受け止められて、なおトメクは不気味に微笑む。予想外だったが、別段、焦りはない。この世界で最強と謳われていたアルシアの配下であるならば、底は見えているも同然なのだから。
「それに、どこかで見た顔もいるな。洗脳したはずなんだけど、解けちゃったみたいだね。まぁ、魔性とは相性が悪いから当然か」
「…………」
トメクはセラに薄気味悪い笑みを投げかけるが、対するセラは微塵も応えない。
「いやいや、そんな睨むことないじゃないか……」
あのときと同じ、仇を射殺すような目つき。だだ漏れの殺意。全身を嬲るぴりついた眼差し。幾多の命を手に掛けてきたくせに、自分の心まで殺しきれない半端者のそれ。
そういう隙のあるところが魅力的で、だから一度は手玉にしてみたものの。
リードを外してしまったら、余計に敵意と犬歯を尖らせて戦場へ舞い戻ってきてしまった。嬉しいわけでも悲しいわけでもないが、なんとなく淋しい気分ではある。
「大丈夫。もう用済みだから、変なことはしないよ。そもそも洗脳したのはただの興味本位だったんだって。そんなに恨むことないじゃない」
「…………っ」
そう。
簡単に興味を捨ててしまえる程度の遊びだったのだ。
それを、本気にされても困るというのに。
「ずうっと黙っていられると僕としても反応に困っちゃうんだけど……、まぁとにかく、遊びはここまでだから。全員、偽りの平和に浸かったまま溺死すればいいのさ!
あは、あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!」
甲高い哄笑が城下町から届く享楽の宴に混ざり合う。トメクにしてみればいっそ滑稽ですらあるこの状況。世界の危機だというのに、人間たちは甘ったるい雰囲気に飲まれて幸せを感じている。容易く壊せる平和の上に胡座をかいたまま、その土台が崩れていることも知らず、知ろうとすることもなく。
だから。
「……やはり俺は命を賭してでも貴様を止めなければならない」
アルシアは静かに、そう口にした。
どこかで期待をしていた。
これはすべて戯曲であって、得体の知れない神とやらの遊びの一種であって、トメクもそんな戯曲の登場人物を演じている一人に過ぎないのだと。ときが来れば勝手に幕が閉じるように、演技は本気でも大事には至らないように仕掛けがなされているのだと。
しかしどうやら、トメクは本気だ。神とやらも止める気がないときた。
本気で、世界を一度殺してしまうつもりらしい。
殺してしまっても、いいのだと。そう結論づけたらしい。
ウラキラルが言い残していった通りなのだ。
神に慈悲などない。情けや懇願など、通用しない。
まったくもって不愉快だ。
だからこそ、王がいるかもしれない。それこそが世界の真理なのかもしれない。
王というものの本質は、世界を支配する者ではない。頂点に立つ者を言うのではない。種族を総べる者でもない。そんなものは、すべて王になったときに付きまとってくる付属物に過ぎない。
王とは、誰よりも最前で苦難に直面しながら、結果を背負って進んできた者をいう。
その胸に宿るのは、矜恃と理想。
願いや望みを現実のものとするために諦念することなく道なき道を歩み続け、途方もない歴史を重ねて理想の入口へ辿り着いたアルシアだけが獲得した、唯一無二のそれ。
魔王を構成するうえでは不要なもの。
けれど、
「歴然たる戦力差があろうとも、それは貴様に向けた剣を収める理由にはならない。足掻くことを放棄する理由にはならない」
魔性を失い、力を失い、人間の身に成り下がっても、最後まで手放さなかった――ウラキラルですらも切り離すことのできなかった、アルシアを王たらしめていた核たる信念。
未だに脚は震える。眼前まで迫る殺気を思い返せば怖気が走る。己一人の力では敵うはずがないなんてこと、骨の髄まで理解している。
それでも。
「この俺が世界の危機に対峙しないで、一体誰がやる?」
根っこの部分がこうなのだから、アルシアは絶望を前に立ち上がることができるのだ。
圧倒的な恐怖を受け止め、受け入れ、理想を叶えるために乗り越えようとするからこそ、誰よりも先陣を切り、民を導く光となる。
「……負けると分かっていながら引き際を見誤る愚かな王よ。その威勢だけは認めよう」
トメクも理解する。もはやアルシアに退くという選択肢はないことを。
勝つか負けるか、そんな領域にはいないことを。魔王だったものとして、そして、この場に立てる唯一の存在として、埃を胸に剣を握って対峙しているのだということを。
ならばそれには敬意を払って然るべき。
そして、全力で応えるべき。
「可能な限りの敬意をもって殺してやるよ」
トメクが静かに、そう口にした。
瞬間。
アルシアの世界から色彩が弾け飛んだ。
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