魔王と女王と人間たち(4)

 エイリーク創立記念式典の開幕セレモニーも終わり、静まりかえる庭園にて。


「……さて、それじゃあこれで本当に最後だけど……。覚悟はいい?」

「ああ」


 庭園の一角には、胡座をかいて目を瞑るアルシアと、その前で介錯のように刀を握るウラキラルの姿があった。


「この刀は滅多なことじゃあ握らないもんだから緊張するね」

「くれぐれも手元を滑らせてくれるなよ……」

「そんな粗相であんたの努力を水の泡にするような悪魔じゃないから安心しなよ」


 ウラキラルは手元の宝玉を刀にあてがった。

 すると、鋼色の刀が青白く輝きだし、やがて刀身全体が碧く染まる。


「随分と綺麗で深い色だ。私もここまで刀が染まるとは思ってもみなかったよ」

「俺の人徳が為せる技というものだな」

「…………、それじゃあ、始めるわ。あんたの魔性を根こそぎ切り落とすからちょっと堪えるかもしれないけど我慢してね」

「おいなんだいまの間は!?」

「呆れてしまってどうう返答すればいいか戸惑ったけれど結局無視を決め込んだの」

「聞かなければ良かった……どうして呆れるのだ」

「…………はぁ」

「…………俺が悪かった」


 溜息まで漏れてしまったら追求しようもない。


「で、本題に戻るが、その刀で俺の身体を切るつもなのだろう? 過去にも何度かこういうことをしたことがあると言っていたが、どんな痛みなのだ?」

「んー、場合によっては昇天しちゃう程度」


 さらっととんでもないことを口にするウラキラル。


「阿呆か貴様っ!? それでは生きる道を探してきた意味がないではないか!」

「冗談よ、冗談。ぶっちゃけると、さして痛みはないわ」


 それを聞いてほっと安心するアルシア。


「……はじめからそう言え」

「それじゃあ雑談もこのあたりにして、ちゃっちゃとやっちゃおうか」

「急に雑になったな。大事な儀式なのだろう? 少しくらいは緊迫感のあるものを期待していたのだが」

「私、そういうの苦手なの」

「またそれか」

「ほら、さっさと精神を集中させて」

「…………っ」

「さて、いくよ」


 ウラキラルはその切っ先をアルシアの左肩へあてがう。そして――、


「――はぁッ!」


 振りかぶり、袈裟に一閃。ウラキラルが刀を振り切ると同時、アルシアは呻きながら前えと倒れ込んだ。


「ぐぅ…………ううぅうっ…………」


 話が違う。

 想像を絶する虚脱感が襲い掛る。

 気を抜けば一瞬で気絶しそうなほど意識が朦朧とし、視界が揺らぐ。

 痛覚がないのが幸いだが、意識しなければ息することさえ忘れてしまいそうになる。

 抜ける。脱ける。

 アルシアを構成していた魔性が消えていく。

 止めどない津波のように心の奥底へと覆い被さり、木木を根元から削り、流し去ってしまうような、暴力的な無力感。


「うぅ、お、おおおぉぉぉぉぉ…………っ」


 漲っていた力が、手から、脚から、背中から、腹部から、ありとあらゆる箇所から削げ落ちていく。

 魔王の姿を保つことなど到底できるはずもない。

 爪は退化し、羽根は抜け落ち、角が消えていく。

 やがて、ウラキラルの前に蹲るアルシアは、逞(たくま)しい巨躯(きょく)に禍々(まがまが)しい翼を生やした魔王ではなく、どうみても一人の男となっていた。


「執行完了」


 静かにそう告げる声。

 それは、アルシァから魔性を取り除くことに成功したことを示すもの。


「……はぁ、……はぁ、………はぁ」


 虚脱感と無力感の荒波を耐え凌いだアルシアは、肩で息をして呼吸を整える。


「よく耐えたじゃん。結構きつそうだけど、息してるんなら大丈夫。しばらく安静にしていれば気力も体力も回復するはずよ」

「……そ、うか。いや……しかし、きついな、これは……。変身魔法で人間になったことはあったが、実際はこうも窮屈に感じる身体なのか……」


 魔王であったときのような開放感は微塵もなく、腕や脚まわりの筋肉も貧弱で、見る影もない。勇者や バトルマスターがこんな身体で剣を振るっていたのを感心してしまうまである。


「それも、しばらくすれば慣れるでしょ。ちなみにだけど、魔力も多少は減少してるはずだから」

「予想はしていたが、やはりか。無尽蔵という言葉とは無縁になってしまったな」

「まぁ、これで無事に魔王はいなくなったわけだし、勇者があんたを襲う理由も目的もなくなったから、

戦闘で魔法を酷使することなんてないと思うけどね。望み通り、平和に暮らせるでしょーよ」



「ところが、そうは問屋が卸さないのが世の常ってやつでさぁ」




 突如、二人きりの庭園に響く声。


「ッ――」


 次いで金属同士が激しくかち合う甲高い音が響く。

 咄嗟に行動できたのはウラキラル。

 アルシアの死角から左胸へと一直線に飛んできた鉄杭を、握っていた刀で払い落としたのだった。


「……なにをやっているの、あんた」


 ウラキラルが視線を向けたのは、エイリーク城の天辺に位置する監視塔。


「どうもこうもない。僕らの役目を果たそうとしたまでなんだけど。むしろ、邪魔をしたのはそっちでしょ?」


 凄惨な笑みを浮かべて高みからアルシアたちを見下ろすトメクが続ける。


「魔王アルシアは絶命させなければならない」

「とぼけるな。私の執行を覗き見しておきながらまだそんな口を叩けるのか」

「魔性を浄化したとして魔王ではなくなった、なんて本気で信じるとでも?」

「まぎれもなく、ここにいるのは魔性を失った一人の人間に過ぎない。これでラストリオンも元通りになるはずだもの」

「その程度で、魔王は魔王であることをやめられないだろ。与えられた役割を演じること(ロールプレイ)から抜け出せるなんてできやしないんだよ。世界の意識は騙せるとしても、いずれまた綻びが生じるのは確実だ」

「だったら、私がいるここで魔王を殺す? 私よりも弱いあんたにできるとでも?」

「いや……情けない話だけど、それは無理な話だね」


 事実、ウラキラルは調界者の中でも随一の戦闘能力を持つ存在だ。

 平均より少し上程度のトメクではとてもじゃないが相手にはならない。


「はじめから勝てない相手に喧嘩腰で乗り込んでくるなんて、どういうつもりかしら?」

「勝つつもりなんて毛頭ない。だけど、負けるつもりもない」

「……解せないわね」

「仕事が終わったのなら仕事場へ戻るべきですよね? なので、そろそろ帰る時間ということですよ」

「――ッ!?」


 トメクが指を鳴らすと同時、ウラキラルの周囲に淡い燐光が発生する。

 徐々にその色と光を強くしていく燐光は、なにもない空間から次々と湧き出てくる。


「これは……、あんたまさかっ!?」

「驚くことじゃあないでしょう。仕事が終わり次第、職場に戻るのは当然です。先輩、僕らの神とはそういう約束をしていましたよね? さきほど、仕事は無事に終わったと職場に連絡をしておきましたから、その迎えがやってきたってだけですよ」

「ならばどうして私だけこうなるっ!?」

「そりゃあ、僕はもうちょっとこの世界を満喫したいんで、休暇申請を出しておいたんですよ。折角こうして下界に降りてきたんだから、もっと楽しまないと! あは、あはははははっ!」

「く、そがっ!」


 刀を握り締めるウラキラルの左手に力が籠る。

 この場で成敗してやりたいくらいに憎らしい。

 だが、燐光に纏われてしまっている以上、その時間もない。

 怒りに煮えたぎる思考を切り替え、トメクへ刀を向けたままウラキラルは叫ぶ。


「おい魔王! もう時間がないから良く聞け! 魔性が剥がれた以上、ある程度はあいつにも攻撃が通じるようにはなっている! だが、力は大幅に落ちてるからな! そこんとこ弁えて生き延びろっ!」

「なんともまぁ無茶を言ってくれるなっ!? こちとらこの身体にも馴れていないというのにっ!」

「死にたくなければ全力で生き延びろ! 自分で掴み取った命くらいどうにかできなくてなにが元魔王だ!」


 叱咤することしかできないのが歯痒い。

 身体が段々と透過していく。


(なんたることだ……っ)


 まさかトメクがこの舞台を整えるために動いているとは想像できなかった。

 魂胆は見え透いている。最終的な手柄を自分のものにするつもりなのだろう。


「アルシア! 最後にもう一つだけ言っておく! 会えるのもこれっきりだろうからな!」


 形を保てなくなる、その前に。

 ウラキラルはアルシアへ振り返り、笑みを浮かべた。


「なんだかんだで、私はあんたみたいな魔王を創れたこと、誇りに思って――」

「…………」


 言い切ることなく、淡い光に包まれて消えていったウラキラル。

 最後の最後、アルシアが目に焼き付けた笑顔。

 それは、疲弊した身体を奮い立たせるには充分で。


「……まったく、最後までいけ好かないやつだったな」

「感動のお別れも済んだかな? それじゃあ元魔王アルシア。当初の予定通り、この世界から消えてもらうよ」


「……悪いが、死ねない理由が一つ増えた。生みの母とやらにああまで命令された以上、貴様にだけは殺されてやるつもりはない」


「そうは言ってもさぁ、ついこの前のこと、忘れた訳じゃあないでしょ?」

「ああ、あの屈辱だけは一生ものだ。少しでもやられた分を返しさなければ気が済まん」

「さらに弱くなったってのに、どうこうできるとでも?」

「力だけで優劣や強弱を語るのは愚の骨頂。それがお前の実力を充分に物語っているな」

「そうかいそうかい。だったら、神にも等しいこの力とあんたの貧弱さ、試そうじゃん。下手くそな喧嘩を売られた以上、容赦するつもりなんてこれっぽっちもないから。圧倒的な力でもってねじ伏せてやるよ、アハハハッ」


 そう言って、トメクは鋼鉄の手甲を嵌めた両手に拳を握り、


「それはお互い様だな。俺の部下に手を出した、その礼をたっぷりと返そうじゃないか」


 アルシアは腰に下げた鞘から剣を引き抜く。


 そして――、


「とっととくたばれやぁああああああああああああああああああああああああっ!」

「魔王を舐めるなよこのクソ餓鬼(がき)がぁぁぁあああああああああああああああああ!」


 エイリーク一帯が宴に酔いしれる裏で、今世紀最大の戦いの幕が切って落とされた。

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