魔王と奪われし仲間たち(3)
「…………っ」
ゼヘク城へすぐさま駆けつけたエルレと
組んだ手を額にあて、俯いたまま何度も深い溜息をつく。
「そんなに心配することないんじゃない?
「…………黙れ」
「なによ。折角私が心配しなくても大丈夫って言ってあげてるのに。そんなに邪険にすることないじゃない」
「…………二度も同じ事を言わせるなよ」
「ちぇっ、つまんないの」
アルシアの隣で壁に背中を預けていたウラキラルは口を曲げる。
魔王城で一人取り残されるのは嫌だと聞かず、エルレに同伴する形でついてきた彼女だったが、セラを助けるわけでもなく、ただただアルシアの隣で尾っぽをなで続けていた。
「……で、あんたこれからどうするわけ」
トメクの所在は不明。セラの容態は油断を赦さない。
将軍たちを動かそうにも、ガルディーンの
やがて、アルシアがトメクに太刀打ちできなかったことも知れ渡る。
そうなれば、魔族全体に絶望にも近い不安が充満してしまうことは否めない。
その前に、どうにかしなければならない。
「…………このままトメクとやらに好き勝手をさせるわけにはいかん」
「口では誰でもそう言えるし。っつか、一回やりあってんだからぶっちゃけ骨身に染みたでしょ? いまのままじゃ絶対に勝てないってこと」
「…………っ」
言われなくとも、分かっている。
どうにかしてこの状況を打開しなければ、数日前、心に決めた選択をするしかなくなる。
ウラキラルに提案された、最も安易な方法。
その手段に頼るしか、なくなってしまう。
「こんなところでぼうっとしていていいわけ?」
「そんなわけあるか! ……だが、どうすればいい。どうすればいいのだ……」
悔しそうな声でアルシアが溢す。
圧倒的に時間が足りない。策がない。なにより、力が足りない。
後継者を探す時間も、今後のことを考える時間も、残された者たちの未来を想う時間も、世界に別れを告げる時間すらもない。
為すべきことが多すぎる。果たせないことが多すぎる。
なにより、この世界に未練が多すぎる。
追い詰められたその分だけ、己の生に縋ってしまう。
「この状況で死ねるわけがないだろ……」
「この状況を乗り切るなら、トメクの馬鹿を止めるしかないけどね」
「俺の攻撃が通じない相手に勝てる方法なんてもの、この世にあるのか? 持って生まれたものがあれでは、天地がひっくり返ったとしても不可能だろうがっ!」
「だっさいね。逆ギレ?」
「…………っ、くそ」
もはや文句の一つも言い返せないまま、アルシアは俯く。
どれだけ考えようと、トメクを倒す方法などなに一つ浮かばない。
そうやってもたついているうちにセラは駒として洗脳され、配下の魔族将軍――それも四天魔王の座に就いていた大事な一体も失った。
それも、たった数日で。
敵の戦力は一騎当千。
こうして生きているのは、敵の気まぐれに過ぎない。
無敵の相手を前に、打開策など……。
「まぁ、トメクをこの世界から追っ払ったところで根本的にはなにも解決しないけどね。勇者は次々と召喚される。あんたは常に命を狙われ続ける。それでも生き残り続ければ、やがて神がラストリオンに審判を下す。それでなにもかもお終いさ。アハハハハッ」
「……なにがおかしい」
「おかしいさ、そりゃ。滑稽極まりないだろう? よくできた戯曲の上で踊り続ける魔王の姿はまさに物語の見せ場ってやつに他ならないわけだからね。無敵を誇るはずの魔王さまがこのザマってあたりに絶妙なスパイスが効いてるよ! これが面白くないならなんなのさ?」
「貴様の感性、どうかしている…………」
しかし、ウラキラルは意にも介さない様子で
「別に結構さっ! うん百年もこんな役割をやってきて、狂わないほうがおかしいってんだよ! っつか、さ……」
ひとしきり笑ったウラキラルは、ゆらりとアルシアににじり寄る。
そして、ゆっくりとアルシアの胸ぐらを鉤爪の生えた左手で掴むと、
「――自分の置かれた立場ってもん、いい加減理解しろってんだよなあっ!」
勢いよく廊下に叩き付けた。
瞬間、
「がっ――」
予期せぬ衝撃に、アルシアは
即座にウラキラルの腕を振り払おうとするも、想像を絶する力で押さえつけられ、動くこともままならない。
「んな優柔不断に
「惜しいに、決まって……いるだろうがっ! なにが悪い!?」
「良いか悪いか、んな程度の低い話はしてねぇんだよっ!」
「う、がっ…………ああっ」
ウラキラルが本気でアルシアを締め上げる。
「何度も言わせるな。手前が魔王でなくなれば万事解決だ。
「…………っ、そんなこと、俺は望んで、いないっ!」
「口が減らねぇ野郎だな。このまま生きてどうする? いつ神がこの世界を滅ぼすとも分からない状況を望むのか? それこそ平和を望むだのと抜かす魔王としてあるまじきことなんじゃねぇのか?」
「神がいるというのなら、どうして俺にこんな
「…………はぁ」
アルシアの叫びを耳にしたウラキラルから、表情が消え去る。
「神とは、世界の
「ぐっ……」
吐き捨てられる言葉の一つ一つが、アルシアの胸に突き刺さる。
「そもそも、神がお人好しで善人というなら、なんで魔族を創る必要がある? どうして私みたいな役割があると思う?」
「それ、は…………」
「
ウラキラルが淡々と、そして冷酷に告げる。
まるで、矯正しようもないほどの屑を冷徹な目で見下すように。
「……神は自然の
「っ……」
それはウラキラルが語る理屈だ。根拠なんてものはどこにもない。
理解も納得もできないはずの論説。
しかしアルシアの本能は悟ってしまう。
それは真実だということを。
否定のしようがないということを。
「あんたはこの
底冷える声音が、アルシアの鼓膜をしたたかに揺さぶる。
悪魔の囁きに耳を貸してはいけない。
それは他者を貶める唄だ。
心を闇に染めるための
しかし、だからこそ。
込み上げる
もう、無視することなんてできない。
「もう一度はっきり言うぞ。なにもかもを解決する方法は一つ。ここで死ねばいいのさ」
神の使いたる
魔王など不要だと。
「あんたが消えれば、この世界から魔族の親玉は消え去る。そうすれば世界は予め定められたあるべき軸へと戻るんだ」
無慈悲に。
「自らを犠牲に平穏な世界を取るか、未来を捨てて
冷徹に。
「魔族である限り、どう足掻いたって無駄なんだ。神に抗うことも、どころかトメクを追い返すという暫定的な対応すらままならない。あんた、自分でもそう口にしてるじゃないか。思い知ったじゃないか。ここまできて一体なにを悩むことがあるんだ」
そして、無慈悲に、耳元で囁く。
残された道は一つしかない。
アルシアが魔王である限りは、もはや手はないと。
「さぁ、首を差し出せ。ここで楽にしてやるよ」
ウラキラルが蛇の尾をアルシアに首元に突き付ける。
顎を開く蛇の牙に滴るは紫闇の雫。
たとえ魔王であろうと、触れれば瞬時に皮膚と肉を溶かし、骨を焼き、血を濁らせ、細胞を死滅させる激毒。
「手筈は整った。私はこれでも優しいから、死の選択はあんたに委ねるよ。とはいえ、さすがにここまで来て逃げるつもりなんてないだろうけどな」
僅かに触れれば、それですべてが終わる。
「…………っ」
アルシアは想像する。
なんて呆気ない死に様だろうか。
代々続いた魔王で、勇者に倒されるでもなく、正体不明の存在に突き付けられた毒で自らを捧げて静かに息を引き取った者などいないだろう。
走馬灯が駆け抜ける間もなく死ぬのだろう、この毒を浴びれば。
痛いのか、辛いのか、苦しいのか、分からない。
いっそ楽に殺してくれれば、と希う。
「…………いや」
ふと、思考を止める。
(なにを、やっているんだ……)
まだ諦めたわけではないというのに、どうして首など差し出す必要があるというのか。
本能がウラキラルの言葉に偽りなしと騒ぎ立てても、冷静にならなければならない。
このまま死ぬなど、到底許せるものではない。
死んでも死にきれない。
何度も考えてきたはずだ。
何度も否定してきたはずだ。
魔王が死ねば全てが元通りなど、暴論だ。妄言だ。
そう。魔王さえいなくなれば平和になるなど――、
「……魔王が、いなくなれば…………?」
またもや、思考を止める。
「なにやってんだ、ちんたらしてんじゃねぇよ。さっさと殺してくれって、そう言えよ」
馬乗りになったウラキラルが眉間に皺を寄せて詰めてくる。
まるで、それしか方法はないのだと錯覚させるように。
「…………否」
違う。
絶命へと誘う言葉の荒波の中に、アルシアは見る。
微かに輝く、希望の光。
死ぬしかないと突き付けてくるウラキラルの言葉に隠された、もう一つの方法。
それを掴み取るために会話を紡ぐ。
主導権は渡さない。光に手が届くまで、絶対に手放さない。
「……死ぬ前に、一つだけ確認させろ」
「ああ?」
「魔王が死ねば、ということは、魔王がいなくなれば、ということで間違いはないな?」
「ったく、何度も言わせんじゃねぇよ……そうだよ。それがどうした?」
「魔王という存在がラストリオンから消え去ればいい。魔族の親玉が消えればいい。そうすれば解決する……」
「だからそうだっていってんだろうがっ! うざってぇなぁ!」
「……ならば」
やがて行き着く一つの可能性。
ピースが足りない。根拠もない。
けれど、アルシアには確信があった。
(魔王という存在そのものが鍵なのだとしたら……)
この世の善と悪を創るということを生業にしている存在がいるのであれば。
この世に『転生』という概念があるのであれば。
死なずに世界を導く方法は存在するはず。
そして、いまここで対峙する存在は、それを知っているはずだと。
「……決めたぞ」
「ようやくか。それじゃあ最後に、言い残したことはないか? それくらいは聞いて――」
「前言撤回だ。俺は死なん。このままくたばるつもりは毛頭なくなった」
「…………あぁ?」
「世界をどこぞの神とやらの掌にくれてやるつもりはないっ!」
「……………………っ!?」
憔悴し濁りきったアルシアの瞳に灯る強い意志の眩しさに、ウラキラルは目を逸らす。
絶体絶命のこの状況で、そんなことを口にするのが正気と言えるはずがない。
アルシアが望む平和のためには、自らが犠牲になるしか道はない。
何度もそう告げてきた。
それだけを、口にし続けてきた。
「取引をしようではないか。この世界が等価交換の原則に従っているというのなら、必ずや存在するはずだ。俺が死なずに、世界の基軸とやらを戻す手段がな」
「…………っ」
どうして、そんな勝ち誇った顔ができるのか。
一体なにを根拠に、必ずなどと主張するのか。
数瞬前まで掌の上で躍っていたに過ぎない存在だったというのに、途端に思考が読めない存在へと昇華してしまったかのようだ。
(馬鹿な…………っ)
一度だって告げたことのない可能性を見出すなんてことは、絶対にあり得ない。
そして、万一、その可能性を教えたところで、実現できるわけもない。
なぜなら、生来的に魔王である存在が、そうであることを否定するなんてできるわけがないから。選択肢を提示したところで、手に取りようがないから。
魔王として生まれた以上、魔王であることを捨てるなんてこと、できるはずがない。
「根拠もないくせに、大した自信だこと。一体、どうするつもりかしら?」
だからこそ、ウラキラルは動揺を見せることなく問いを返す。
優位はまだこちらにある。ただの虚言だ。取引など、ただの戯言でしかない。
そう信じて、再びアルシアを睨み付ける。
しかし、
「……待っていたぞ。その言葉」
アルシアはいよいよ確信する。思わず笑みが零れた。
「一体どうする、だと? もう貴様も、俺がその可能性を考えていることに薄々気がついているのだろう? その手段を明かすまでもないと踏んでいたんだろうが、甘いな」
「なっ……」
ウラキラルの口から零れた動揺。
それは、決して明かされることのなかった選択肢へと繋がる蜘蛛の糸。
張り詰めた空気のなかでぷつりと途切れないよう、それを慎重にたぐり寄せる。
「俺がここで死ぬこともなく、そして、生き残ったとしても神が審判を下すことのない、お前が口にするところの『正しい世界』へラストリオンを導くにあたって、その手解きをしろ。それが俺の望むすべてだ。そして、俺がその代わりに差し出すものだが……――」
一瞬の
だが、これでなにもかも元に戻るというのなら、喜んで差し出そう。
改めて、アルシアはそう心に固く決意し、続ける。
「――魔王たる地位と、名誉と、栄光と、魔性の全て。すなわち、俺の存在意義そのもの。それが必要なのだろう? 残された可能性を選ぶには」
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