魔王と奪われし仲間たち(2)
「アルシア様!」
行方を眩ましたセラの失踪から二回の夜が明けた日の昼頃。トメク対策会議と称した緊急会議を終えた直後のこと。
血相を変えた魔王城の門番がアルシアの執務室へと飛び込んできた。
トメクの捜索を中断させ、セラの行方を捜させていたアルシアは、慌てる門番の様子から瞬時に伝令の趣旨を汲み取った。
「少しだけ待て……。その様子だとセラが見つかったか。どこだ」
「ここより南西のカルーアを北上し、ゼヘクへ向かっているとのことです! ですが、もうひとつご報告があります」
「言ってみろ……」
「俄に信じられませんが……セラ様がカルーア一帯を治める将軍ガルディーンを葬ったとのこと。また……周辺の村や町でも破壊活動を行い、甚大な被害を発生させている、と」
「な、んだと……っ!?」
予期せぬ報告に、アルシアは目を見開く。
「……誰からの報告だ」
「ガルディーンの配下の魔族です。それも複数。近辺に住まう人間たちからも、死者こそ出ていませんが家屋損失や景観破壊といった報告が上がっています……」
「っ…………」
「このまま被害が拡大すれば、魔族に怯える住民も出てくるやもしれません」
「分かっている……。放っておくつもりは毛頭ない。ゼヘク城のヴィラン将軍に伝令を出しておけ。俺が到着するまでなんとしてもセラを捉え、持ち堪えろとな」
「はっ!」
門番が部屋を去ったのを見届けて、アルシアは腰を上げる。
「……エルレ、聞いていたな」
『うん。ばっちしね』
執務席の側に備え付けられた小型スピーカーからエルレの声が響く。
伝令をほんの少し待たせた間に通信装置を起動し、彼の部屋へ会話が筒抜けになるようセットしていたのだった。
『ガルディーンがセラにやられたのは本当みたいだね。ボクの部下からも同じ報告があったよ』
「……そう、か」
エルレが抱える諜報部隊からの情報は最も信頼のおける情報源の一つ。
そこからの断定情報というなら、疑いようのない事実で間違いはない。
だからこそ残念でならない。
「騒ぎが一段落したら、きちんと弔ってやらねばな……」
『どうやら一人になった瞬間を狙われたみたい。死因は、セラの十八番――
「……やられたのはガルディーンだけか?」
『うん』
人間側に被害が出ていないのは不幸中の幸いか。
「一体どうしたというのだ。この二日でなにがあった……?」
『そこまではボクも推測の域を出ないし、なんともなぁ。どっちにしても、直接聞き出すのが早いってもんじゃないかな?』
「……そうだな。そうする他あるまい」
『……くれぐれも気を付けてね。どう考えても正常じゃないことは確かだろうから』
「ああ…………。それでは行ってくる。留守を頼むぞ」
『うん。…………ちゃんと連れ帰ってきてよね』
「…………あぁ。わかっているとも」
エルレの忠告と懇願を聞き受けたアルシアは魔王城を出立する。
移動魔法を全力で発動し、数時間。
魔族将軍の一人、ヴィランが治めるゼヘク城へと降り立ったアルシアは、出迎えた門番の案内で応接室へと向かう。
「おお、これはアルシア様。こんな僻地によくぞ来て下さいました」
迎えたのはヴィラン。トナカイの亜種をベースとなっているパワー特化型の体躯をした将軍の一人だ。年を通して氷点下の続く厳しい環境の中でも長きに渡って奮闘している魔族である。
「ご苦労だ、ヴィラン」
部下を労い、応接室のソファーに腰掛けるアルシア。それにヴィランも続く。
「お前がこうしているということは、まだセラは見つけ出せていないということだな」
「申し訳ありませぬ。伝令を受けた直後から配下の者に捜索をさせていますが……」
面目ないという表情を浮かべるヴィラン。
「いや。よい。お前が無事であることを確認できただけでも収穫だ」
「しかし、さきの伝令は驚きましたぞ。まさかあの四天魔王が一、ガルディーンがセラ殿に討たれるとは……。あやつは三百年前の大戦においてもセラ殿に比肩する実績を挙げた猛者であったというのに……」
「異常な事態が発生していることは確かだ。理由もなくセラが殺したとは考えられない以上、問い質せばなるまい」
「カルーアを北上しているのであれば、まずこのゼヘク城は間違いなく通るはず。なにせここは山中に築かれた城塞の役目も果たしておりますゆえ。じきに報告も上がってくるでしょう……むっ」
張り詰めた空気のなか会話をするアルシアとヴィランが、ノックのあった扉を見やる。
同時、衛兵の一人が敬礼しながら淀みなく口を開いた。
「見張りの部隊より報告。セラ殿が真っ直ぐこちらへ向かってきているとのこと」
「よくやった。あとどれくらいでやってくる?」
「もう、間もなくです」
「ならば出迎えが必要だな。アルシア様、ここは我に任せて――」
「俺も出る」
ゆっくりくつろいで、と続けようとした言葉をアルシアが制する。
「これ以上、大切な同胞を失うわけにはいかんからな……」
「ご助力、感謝します」
「元はと言えば俺の直属の部下だ。俺が始末をつけねばいかんことだからな」
二人がゼヘク城の外門へ出ると、雪が降り始めていた。
視界の先に広がる山々も白銀の薄化粧を施し、厳しい季節を物語っている。
と、視界の中央――このゼヘク城へと続く唯一の道にアルシァは目を止める。
猛然と迫りくる、激しい地吹雪。
「きたか……っ」
アルシアは左腰に帯剣していた剣を引き抜く。
ヴィランもまた背負っていた斧を構える。
迫る地吹雪の白銀に、わずかに混ざる紫闇の破片。
そこから感じるセラの魔力。
「――くるぞっ! 全力の一撃を見舞ってやれ!」
「分かっていますとも! ふんっ、ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
アルシアの指示が飛ぶと同時、ヴィランが渾身の力を込めて、巨大な戦斧を地面に叩きつけた。
魔族将軍の中でも群を抜く筋力で以て放たれる一撃によって、地響きが発生。
これにより掘り起こされた岩肌が、猛然と迫り来る地吹雪と正面から激突する。
「っ――」
瞬間、セラは跳躍することでこれを紙一重で躱してみせる。
しかし、それこそがアルシアの狙い。
宙に浮いたままではまともな受け身など取りようもない。
アルシアもまた即座に飛び上がり、セラへ近づくと、
「――はあっ!」
「ぐ、ぅっ」
無防備になった彼女の腹部へ、目にも止まらぬ早さで振り抜いた剣の峰を叩き込む。
だが、セラは間一髪で、自らの腹部とアルシアの剣筋の間に握っていた短剣を差込むことに成功。体勢不利のまま鍔競り合いへと強引に引き込もうとする。
「それくらいお見通しだ……っ!」
その程度どうということはない、と言わんばかりにアルシアは膂力でもってセラの抵抗を押し込める。
直属の部下といえど、力量差は比較するまでもない。
「く……っ、あっ!?」
呆気なくアルシアに力負けしたセラの身体は、短剣ごと真後ろへと吹っ飛ばされる。
「普段のお前ならもう二つほど読み合いがあって然るべきなんだがな……」
「…………」
剣で弾き飛ばされるときに威力を相殺したセラは、空中で身体を回転させながら華麗に膝をつきながら着地。
すぐさま立ち上がり、アルシアとヴィランの二人に敵意の眼差しを向ける。
「話せ。セラ。お前、一体どうした」
「……あたしは……平和を、守る……そのために……執行する」
「正義? 執行? それがガルディーンを殺めた理由か」
「……平和こそ、あたしが望む、世界……それを揺るがす脅威は、排除…………」
「寝言は寝て言えよ。それともなにか、夢現のままここに現れたか」
「…………うるさい。うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさいっ!」
犬歯を剥き出しに吠えるセラ。
普段の温厚な態度は欠片もなく、どこか虚ろにも見える瞳はただただ一点――アルシアを凝視する。
「…………なるほどな」
アルシアは、剥き出しになった肢体と露わになった鎖骨や胸元に刻まれた不可思議な刺青に目をとめた。
「これはまた趣味の悪い化粧だ」
「…………」
「さてはセラ、貴様……正気の沙汰ではないな? そんな下品で野蛮に仕立て上げたどこぞの誰かには、追って然るべき制裁を下さねばなるまい」
「まさかっ!? 何者かに操られているとっ!?」
「ああ、どうやったかは知らんが、これくらいやっても不思議ではないやつを知っている」
アルシアの言葉にヴィランが驚愕の声を上げる。
「……黙れ黙れ黙れ黙れ黙れっ! その声は耳障りだっ!」
「図星か……。して、何者によるものか貴様の口から言えるか?」
「関係、ないっ! あたしは、魔を殺戮する、それだけのために…………う、ああっ」
洗脳か、はたまた催眠の影響か。
セラが表情を歪ませ、両手で頭を抱える。
「もはや通じ合えぬか。セラの願望をねじ曲げ利用した屑はそれとして、お前にもお灸を据えてやらねばなるまい。逆鱗に触れた貴様に手加減をするつもりはないからなっ!」
「失せろ失せろ失せろ失せろ失せろ! あ、あああああああああああああああああっ! 白昼に降りしきれっ――
アルシアが再び剣を構えたと同時、セラが叫声を上げて詠唱する。
「ちぃっ――」
舌を鳴らす間にも一面に広がる銀世界はひび割れ、視界が紫闇に塗り潰されていく。
その亀裂から舞い出るは血塗られた無数の鉄杭。
「あああああああああっ」
目を血走らせ、張り裂けんばかりに叫ぶセラが、内に眠る魔力を放出し、鉄杭へと纏わせる。
限界を超えてなおも膨らみ続ける魔力は白銀の雪を闇色へと染めていく。
初手からの全出力。
「構えろヴィラン! セラのやつ、本気で俺たちを殺(や)るつもりらしいっ!」
アルシアが叫ぶ。
「合点承知! しかし、セラ殿の全力となれば我も覚悟を決めねばなりませぬ!」
「ならば死ぬ気で耐えてみせろっ! 魔力の全部、それと腕の一本二本くらいはくれてやる気概を見せてやれっ!」
「分かっていますともっ! 我が異名――四天将軍が一、堅守のヴィラン、その所以を思い知らせてくれようぞっ! ここに顕現すべきは我が最硬の盾、
セラに負けじとヴィランもまた、魔力のすべてを戦斧へ注ぎ、その柄を勢いよく地面に打ち付ける。
すると、さきほどの地響きで割れた大地がアルシアとヴィランの二人を覆い囲むように隆起し、幾重にも連なりはじめた。
やがて形成されたのは一縷の隙間もないドーム型の蔵であった。
地中に眠る鉱石を練り込み、物理的には最硬を誇る絶対不貫通の壁。
生半可な魔法では罅を入れることすら不可能。泰山の如く揺らぐことはない。
ましてヴィランの体力、魔力ともに万全なこの状況での発動となれば、たとえアルシアであろうと一撃で破壊することの敵わない、まさしく最強の盾。
しかし、セラは構うことなく魔力を練り上げるために吠え続ける。
「あ、ああああああっ! 貫けぇぇぇぇえええええっ!」
白銀の世界に響きわたる悪魔の咆哮。
宙に浮かぶ鉄杭が
「ふんっ、ぬうううううううっ!」
泰山に降りしきる雨が轟音を奏でる。
絶対不貫通の盾を穿ち砕かんと降り注ぐ無数の鋭杭。
盾の内側で歯を食いしばり、戦斧を支えに踏ん張るヴィラン。
その額には徐々に脂汗が滲んでいく。
「ぐ、お、おおおおおおおおっ――」
セラに負けじと雄叫びを上げ自らを奮い立たせるが、そう長くは続かない。
肉弾戦を主軸としている反面、魔法での戦闘は不得手とするヴィランにとって、セラのようなタイプは致命的なまでに相性が悪い。
なおも降り止まない殺人的な豪雨。
「う、ぐ、うううっ」
最凶の矛と最硬の盾。
長らく続く膠着状態も、勝敗の行く末は呆気なく訪れる。
――雨垂れ石を穿つ。
いよいよヴィランが膝をついた。
魔力が底をつき、二本脚では足っていられないまでに疲弊してしまったのだ。
なおも盾を叩き続ける杭の勢いは留まるところを知らず、いよいよ盾の至る所に亀裂が生じ始める。
「アルシア様、もはや我はここまで……いやはや、流石は魔王の右腕と呼ばれるだけのことはありますな……」
とうに限界を超えたヴィランが肩で息をしながら苦渋の表情を浮かべる。
セラと相対したときから覚悟していた結末が、崩壊しかけた壁の向こう側から迫り来る。
その恐怖に打ち震えてしまう。
死を運ぶ轟音が耳朶を打つ。
覚悟を決めた、それと同時だった。
「ヴィラン。よくぞここまで持ち堪えた。褒めてつかわす」
「ありがたいお言葉……ですが、このままでは……」
失意に沈むヴィランの声とは対照的に、アルシアの声は泰然としたそれ。
「なにを勝手に諦めている。さきも言ったろう。大切な同胞を失うわけにはいかないと。それともなにか? 俺がただただ部下に守られて無為に時間を潰しているとでも思ったか?」
絶体絶命のこの状況において笑みを溢すアルシア。
そしてヴィランは気付く。
アルシアの右手に纏う紅の燐光。
触れただけで火傷しそうな熱量を伴ったそれは、脈を打つように明滅し、次第にその輝度を増していく。
「ヴィラン。吹き飛ばされたくなくば、俺の背後でしかと地を踏みしめておけ。これから遠方に聳(そび)えるゼヘク山脈が削れる程度には荒事になるぞ」
「ま、まさか……この地であの魔法を発動するつもりですか!? そんなことをすればセラ殿が無事ではすまなくなりますぞっ!?」
四つん這いになったヴィランが忠告する。
だが、アルシアの決意は揺るがない。
「……もしセラが死ぬのならそれまでだったということだ。あやつがあのまま話も碌に聞けぬというのならば、もはや同胞とは言えん。楽に逝かせてやるというのが、俺にできる最善だ」
さらに反駁(はんばく)しようと顔を上げたヴィランは、しかしその先の言葉を飲み込まざるを得なかった。
「…………っ」
覚悟を決めた顔を歪めまいと必死に口を結ぶアルシア。
ヴィランが自らの死を覚悟したのと同時、アルシアもまた、最悪の場合にはセラを殺める決意を固めていたのだ。
右手に収束していく紅蓮がなによりの証。
「…………」
ヴィランが誇る絶対不貫通の壁は、穿たれ続けることにより随所から光が漏れ込んできていた。
硬質な土の破片が降りしきる壁の内側で、アルシアは右腕を前に掲げ、ただその時をじっと待つ。
「……、…………、…………っ!」
そして、突きだした掌に陽の光が差込んだと同時、
「願わくば、耐え凌ぐことを祈ろう。星爆――」
殊更にはっきりと詠唱する。
「――テオ・ビッグバン」
アルシアの右手に凝縮された燐光が眩く白熱し、前方広範囲に炸裂する。
暴力的なまでの熱線と暴風は、崩壊寸前の
硬い岩壁は熱線に飲まれて跡形もなく消失。
宙に浮かぶ無数の鉄杭も、遥か彼方に聳えるゼヘク山脈もろとも一瞬で塵屑へと還す。
圧倒的な魔力の奔流。
それは、最期を迎える星が生み出す刹那のエネルギーが暴発するがごとく。
後に残るは焦土と化した荒野のそれ。
眼前に広がる光景は、まさしく魔王城の背後に広がる荒野と同じ。
「……ほぅ」
アルシアは唸るように、小さく溜息を漏らす。
あの煉獄の中、セラは耐えきったらしかった。
しかし、五体は所々が欠損し、左腕は肘から先が消失している。
右腕と左脚は炭化し、腹部は爛れて、見るも無惨な姿と成り果ててしまった。
それでも、その目には僅かに光が宿っている。
「さて。正気に戻ったか? それともまだやるか?」
触れればその身体は脆く壊れようという有様に、セラの側まで駆け寄ったアルシアは触れることを諦め、優しく問いかける。
「…………う、……あ……た、しは………アルシ、ア……さ、ま…………」
「どうやら正気に戻ったようだな。敵の小細工に救われたか……」
いよいよ自重を支えきれずに倒れ込むセラを抱きかかえたアルシアは、周囲に青白い燐光が淡く散り輝いているの視認した。
しかし、もうその瞳に先程までの敵意は見られない。
「す……み、ま……せん…………」
「その言葉を向ける相手はもっと他におろう。それに、謝らなければならんのは俺のほうだ。単独で突っ走ってしまうほどに追い詰められていたお前の心労に気付いてやれず、すまなかった」
「そ、んな…………こ、と……は…………」
「……こんな状況だが、一つだけ問おう。これをやったのは、トメクとやらだな?」
「……っ」
セラは残った力を振り絞り、微かに首肯する。
「……ありがとう。それが分かればよい。声を発するのも辛かろう。あとのことは俺やエルレに任せ、ゆっくり休息を取ってくれ」
「…………は、い」
どこか安堵した表情で眠りにつくセラ。
「セラ殿はご無事ですかっ!?」
遅れてやってきたヴィランが声を掛ける。
「見ての通りだが、生きている。たったいま、眠りについたところだ。エルレと連絡を取り、治癒魔法の得意な面々をこちらに寄越すよう要請を出してくれ。俺はこのまま応急手当に入る。しばらくの間だが、城を借りるぞ」
「どうぞお使いください! 城の地下に治療室があります。エルレ殿が抱える部隊には及びませんが、ゼヘク城が誇る治癒部隊も全力で協力させていただきますぞっ!」
「ありがたい。では、すぐに城へ戻るぞ」
ぼろぼろになったセラを抱え、アルシアはヴィランと共に戦場を後にする。
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