魔王と女王と人間たち(1)

「……我は忙しいと、つい数日前に伝えたはずだがな」

「重々承知している」

「明日は式典だぞ? お前、正気か?」

「……憤りを投げつけられたのは今日これで二回目だ……くははっ」


 アルシアは疲弊ひへいした顔で無理矢理に笑ってみせる。

 静寂に包まれたエイリーク城の謁見えっけんの間に、乾いた声が響いた。


 対面するは、エイリーク城の主――エイリーク十三世。

 つやのある豪奢ごうしゃな金髪をトップで結わえ、黒のキャミソールの上から薄手の羽衣はごろもを纏った姿は、昼の顔とは違い年相応の可憐さを引き立てる。

一年で最も大切な行事の前日深夜に望まぬ来客を出迎えたとあって、普段のようなやかましさはなりを潜め、おごそかな調子でソファーに身を沈めている。


「……用件を手短に話せ」


 明日の準備はすべて済ませてある。あとは一休みし、民衆の前に然るべき晴れ姿で出陣するための化粧と、暗記した式典の祝詞のりとと式次第を確認するのみ。気持ちの余裕はあるが、決して、このタイミングでアルシアを出迎えるためのものではなかった。


 しかし、式典を明日に控えていることを知った上でこの真夜中に来訪したとなれば、このまま無碍むげに帰すのもはばかられれた。


 余程の事態であることは確定的だからだ。

 それに。


「いや……その前に聞いておくべきことがあったな。そこの奇怪な半神半魔は何者だ。見たところ、貴様の部下……ではないようだが」


 アルシアに向けていた視線を、その隣へ移す。


「どうも、ウラキラルと申します。それにしても大したものですねぇ。魔王アルシアの部下でないと見抜くとは」


 からかう調子でウラキラルが会釈する。


「……こやつがここで連れてくる魔族はドレスコードをわきまえ、かつ変身魔法で人間に化けることのできる輩に限っていたからな。にしても、おぬし、あまりに奇怪な姿形だ。城内に最低限の人間しかおらぬ状況であったことに感謝するんだな」


 事実、城下町は祭りの前の静けさと言わんばかりに人っ子一人出歩いていない有様であったし、エイリーク城も、門番が数人と、深夜の見回りで欠伸あくびを噛み殺す数人の衛兵とすれ違っただけだ。


 それでも、ウラキラルの容姿を目にして腰を抜かした者はいた。

 宵闇よいやみの来訪でなければ確かに大騒ぎになっていたことのは間違いない。


「一応、周囲には気を配ったつもりですよ?」

「……まあいい。さて、話を戻すぞ。魔王よ、こんな夜更けに何用だ」


 姿勢を正し、エイリーク十三世は改めて問い質す。


「明日の式典で、俺に少し時間を分けて欲しい」

「どうしてだ?」

「簡潔な話、みそぎ払いというところか」

「魔王が禊? はははっ! やめろ、冗談にしてはイケてないぞ」

「本気さ。魔王を辞める決心はとうに済ませた。これあとは、ウラキラルから教えてもらった手順に則り、儀式を執り行うだけ。そうすれば俺の魔性は消え去る。そのために、式典で人間たちに協力を仰ぎたいのだ」

「…………貴様、なにを口走っているのか自分で理解してるか?」

「こんなときに冗談を口にできるほど、ひょうきんなつもりはないんだがな」

「……っ」


 エイリーク十三世は絶句する。

 アルシアの目を見れば、その真意は一目瞭然だった。


「せめて五分だけでもいい。それだけあれば充分だ」

「民衆に協力を仰ぐと言ったな。どううするつもりだ? まさか武器を取れと言うつもりではあるまいに」

「禊に必要なのは、善なる者からの信頼や心を寄せる気持ちそのもの。それを確かめさせてもらう」

「……たったそれだけか?」

「ああ。どうやらそれで、禊落としができるか否かが決まるらしい。ウラキラルが持つ清めの宝玉に民衆の信頼が蓄積され、それが閾値とうちに達すれば、晴れて俺の魔性ましょうを除去できるとのことだ」


 なんとも出来た話だ、といぶかしむエイリーク十三世。


「それは真のことなのか?」

「ええ。ラストリオンを見守る神に誓って、嘘や偽りはないと明言しましょう。ただし、魔王が禊を落とせるほどの信頼を人間たちから集められれば、の話ですけどね」


 ウラキラルがほくそ笑みながらその問いに応えた。

(どのみち無理な話でしょうけどね……)


 できるはずがないのだ。

 魔王がいくら平和を望み、そのために尽力をしてきたとしても、善なる者が魔王に信頼を寄せるなど。

 そんなことは、起こりえない。


「それはまた珍妙な魔法とやらもあるのだな……」

「正確には魔法ではないんですけどねぇ」


 結果にさして違いはないから勘違いのままでもいいですけど、と続けるウラキラル。


「なんにしても、この私が結果を見届けないことには禊も済まないので、しばらくはお邪魔しますね」

「よかろう。客人としてもてなすよう城内へ御触れは出しておく。客間は……そうだな、衛兵に案内をさせよう」

「ありがたい限りです。それじゃあ、私は特にこれといって話すこともありませんし、お言葉に甘えるとしましょう」

「くれぐれも、その瘴気を城内に垂れ流すでないぞ?」

「分かってますって。立ち回りが悪くなることはしないから安心してくださいませ」


 最後にウィンクを投げかけて、ウラキラルは衛兵と共に謁見の間から階下へと降りていった。


「期せずして二人になったな。おかげで本音を聞き出せる」


 静寂に包まれる謁見の間で、エイリーク十三世のりんとした声が響く。


「俺の話は終わったがな。あとはそちらが、是か非かを答えるだけだ」


 対して、アルシアの声音に覇気はなく、その表情もどこか陰りが見える。


「あれだけの説明で是非を判断するなどできるはずなかろう。まだ聞いていないぞ? どうして貴様が魔王を辞めるのかをな」


 禊のために人間の力を必要としていることは分かった。

 魔族でなくなる方法とやらも、きっと真実なのだろう。


 しかし、肝心なのはそれらではない。

 王でなくなる。その決意をした明確な理由を知りたかった。


「……それは、お前がついこの前も口にしたではないか」

「…………まさか、あれか。我も与太話としか思わなんだ、あの調査結果のことか」


 ――いまの平和は、世界が望まぬ、歪みきった偽りの平和である。

 エイリーク十三世は目をみはった。


「だがどうして、あの調査結果と推測が、貴様が魔王でなくなることと関係がある?」

「ウラキラル曰く、魔王がいながらにして平和など本来的にあり得んということらしい。世界そのものが定める平和の定義に、魔王の存在は不要なのだと、ウラキラルはしきりにそう言っていた」

「奴は何者なのだ」

「ラストリオンの魔族を管理する者、だそうだ。神に仕えているとも言っていた。この俺を創ったのも、どうやらあやつらしい」

「道理でおどろおどろしい気配だったわけか。貴様の配下どころか、我らから見たところの神ではないか」

「あの調子だが、実力は本物だ。俺では手も足も出ないほどに強い。膂力一つ取っても、俺とあの化物は赤子と母ほどの差がある」


 それを聞き、エイリーク十三世の背筋に怖気が走る。


「敵に回したくないものだな。くれぐれも怒りは買うなと御触れに書き足しておくか」

「ウラキラルは自らが創り上げた俺を始末するためにこの世界へやってきたのだと言っていた。魔王さえいなくなれば世界は本当の意味で平和になると繰り返し、俺へ牙を向け続けてきた」


 そのおかげで、何度、殺されそうになったことか。


「だが、俺は考え抜いた先に光明を見出し、取引を持ちかけた。魔王を魔王たらしめる性質を、この俺から取り除け、とな。魔王が存在することがこの異常事態のトリガーなのであれば、喜んでやめてやると告げた。俺だって死にたくはない。命が惜しくてなにが悪い。まだ野望がある。魔王をやめるだけで平穏が続くのであれば安いものだ」

「……はっ。魔王が聞いて呆れる。とうの昔、魔王は世界を滅ぼすために存在した悪魔の化身だの、魔界の住民だのと言われていたのにな。貴様の先祖がこの場にいたのなら卒倒しているだろうに」

「……確かに、顔向けできんな」


 人間と魔族は永遠とも思える争いを続けてきた。

 あるときは魔王が世界を闇で覆い、そこに一筋の光を差込むように勇者が生まれ、混沌を霧散させてきた。やがて勇者が息絶えると、世界は再び戦火に包まれ、その繰り返しの中で多くの人間と魔族が生まれては、時代に殺されるようにして倒れていった。


 そんな円環の理から脱却できたのは、ひとえにアルシアの功績によるもの。

 生みの親であるウラキラルから失敗作だの異端者だのと言われようが、それだけは確かな事実だ。


「先祖は先祖、俺は俺だ」


 自らに言い聞かせるように、アルシアは言葉を噛みしめる。


「誰が平和を決める? 世界か? 神か? 否だ。俺たち自身が、俺たちの在り方を決めるのだ。それでこそ、与えられた命をまっとうするということに他ならない」


 そう。


 魔王であろうがなかろうが、己の在り方は誰の指図をも受けるものではない。

 アルシアが世界を破滅させる魔性ましょうと因子をもとに産み落とされ、魔王という、平和とは対極にある存在として顕現けんげんしていたとしても、どう在るかを決めるのは自分自身。


「魔王であるから世界を滅ぼせと、そんな『役割を演じることロールプレイ』に縛られて愚かな生涯を終えるような人生は、こっちから願い下げだ」


 それが、アルシアの本心だった。

 魔王であること。魔族であること。そんなものに拘るプライドなどない。

 己の野望のために、為すべき事を為す。

 それこそが意地。

 アルシアが平和を願う気持ちは、ウラキラルにしてみれば異常なのかもしれない。

 だが、その本懐に偽りはない。


「ク、ハハ――」

 吐き出される真摯な言葉。

 その熱量は、エイリーク十三世が喧しく笑い出すには充分なもので。

 くぐもった笑いのまま堪えることができず、いよいよ吹き出した。


「――ハハハハハッ! 実に愉快だっ! 素晴らしい! それでこそ民草たみくさを導く王の器そのものだっ! これは我も見倣みならわなければいかんなっ!」

「その高笑いはやめろ。癪に障る」


 むすっとして咎めるアルシアだが、当の本人は意にも介さない様子でからからと笑い声を上げる。


「いやしかし、おみそれした。普段なら決して窺えない鬼気迫る真心、それを知れたことは我にとっても大きな益だ。よかろう、よかろうっ! 魔王よ、貴様のその志に敬意を表し、特別にだが時間を割こうではないかっ!」


 エイリーク十三世は愉悦の表情を浮かべてアルシアの嘆願を許諾する。


「開幕の言葉に残してある時間を貴様にくれてやる。これで我も祝辞を述べるという面倒な行事から解放されることだしな。一挙両得というやつだ」

「感謝する。あとは俺が民衆に試されるだけになったか」

「しかし……魔王であることを辞める、か。その後のことは考えているのか?」

「いいや、なにも。万一失敗すれば、ウラキラルは容赦なく俺の首を獲るつもりだ。命が掛かっている行事の先のことを考える余裕など、流石の俺にもない」

「なんだ。肝っ玉が大きいんだか小さいんだかよくわからんな」

「兎にも角にも、すべては明日に懸っている。本番に備えて仮眠するとしよう。俺が休める場所を案内してくれ」

「待て待て。その前に前祝いで景気づけといこうじゃあないか」


 調子がよくなったのか、エイリーク十三世は二人の間に置かれたテーブルの下にある収納箱から白濁はくだくの液体が詰まった酒瓶とお猪口ちょこを二つ取り出した。


「明日は式典だから休みたい、と言っていたのはどこの誰だったか」

「盛り上がった気持ちのまま寝付けるわけなかろうが。貴様のせいなんだから、一杯くらいは付き合えよ」

「むぅ……仕方あるまい。なら、少しだけだぞ」

「そうでなくてはな」


 酒瓶の蓋が、きゅきっ、とした音を立てて開く。立ち籠めるのは、エイリーク周辺で生産されている米の匂い。それがお猪口一杯に注がれる。


「……そういえば、酒が飲める歳になったのだったな」

「ようやく大人の仲間入りだ。まぁ、貴様からすれば赤子同然だろうがな……そういや、魔王に寿命という概念はあるのか?」

「知らん」


 先祖は全員が人間との争いに敗れ散っていったがゆえに、魔王の寿命などアルシアの知ったことではなかった。ウラキラルならばあるいは知っているのかもしれないが、そもそも寿命で尽き果てるようにしていれば、いずれ魔王はいなくなるのだからウラキラルやトメクが殺しにやってくることもなかったはずである。


「だが……恐らく、生き続けるのだろうな。死期など考えたこともなかった」

「羨ましい限りだ。して、もし貴様が魔王でなくなったとしたら、どうなるのだ」

「魔族ではなくなるのだろうな。人間の姿になると想像はしているが」

「…………なるほど」


 神妙に頷き、二人は互いにお猪口を口に運んだ。


「あー……、なんこれ、苦いな。酒屋のやつ、この手のものならこれが一等だって言ってたけど、本当かぁ? もっと美味い酒を持ってこいよなぁ……」

「くははっ! なるほどまだまだ舌は肥えていないとみた。これは極上の一品だぞ。五代前のエイリーク王もこれを嗜んでいたほどに歴史もある。昔から変わらぬ良さを保ち続ける、良い酒だ。もっとも、俺には少々甘口だがな」

「…………ま、まぁ……貴様が気に入ったのなら、いいけれど……」


 頬を上気させるエイリーク十三世は、アルシアから視線を逸らす。

 そしてそのまま、酔いに任せて口を開く。


「……もし人間になったら、寿命なんてあっとういう間だぞ。百年も生きられたら立派なもんだけど、現役やるにはせいぜい数十年が限度だ」

「知っているとも。俺を誰と心得る。何人ものエイリーク王と杯を共にし、死に逝くまでの最期を目に焼き付けてきたのだぞ」

「そう……だったな」

「寿命があるのなら、後悔しない生き方をするしかあるまい」

「そんな風に考えられるのが、ほんと羨ましいよ……」


 アルシアには聞こえない小さな声で、女王は呟く。

 天地がひっくり返っても、魔王の統治力には到底叶わない。

 王に即位してからこの数年、必死にその背中を追ってきた。

 ついついからかい口調になってしまうのだって、アルシアを尊敬し、その手腕を手本としていることをばれたくない一心からくるものだ。

 そんな子供じみた行為にもきちんと応じてくれる懐の深さだって……。


「って……なに考えてるんだ、我は……」

「どうした? もう酔いが回ったか?」

「違うやいっ!」


 からかい口調でからからと笑うアルシアを前に、エイリーク十三世はふてくされる。

 その間にアルシアはお猪口に入っていた僅かな分を一気に喉奥まで流し込む。

 かぁっと喉元まで灼けるような感覚が込み上げ、それは大きな溜息となって静謐な空気に紛れていく。


「……さて。一杯は付き合った。これでもう充分、気付けにもなった」

「あ、我がまだ飲み干していないぞっ!」

「こういうのはちびちび飲んでも美味しくなかろう。ぐいっ、といけ」

「む、むぅ…………ええぃ! んぐっ…………か、はっ、げほ、ごほっ……、あうううううっ」


 アルシアに煽られて波々と残っていた酒を、喉を鳴らして飲み干した。

 が、直後、盛大に咽せ、喉元を擦った。

 それを見て、席を立っていたアルシアはせせり笑う。


「まだまだだな。まぁ、これからじっくり慣らせよ」

「くそっ……また今度付き合えよっ! その時は潰してやるからっ!」

「そうかい。まぁ、そうなることを願っておこう」

「くぅぅぅっ! その態度っ! 絶対に許さんからなっ! 覚えておけよぉ!」


 ぎゃあぎゃあと喚き立てる女王の声を耳にしながら、アルシアは階下に降り、エイリーク城の衛兵に連れられ客間へと退散することにした。


「酒を飲めば少しは愛嬌というものもあるのだな……」

「それ、絶対に本人の前で口にしないでくださいよ」


 隣を歩く衛兵が強い口調で言う。


「そんなに強くない方ですから、普段は滅多に飲まれないんですけどね。少量でも、酔われてああなると手が付けられないので、ほとほと困るんですよ……。やれやれ、大事な式典前日だというのに……」

「それはご苦労なことだ」


 案内をした後に謁見の間で寝鎮めるため奮闘するだろうこの衛兵に同情をしつつ。


(まぁ、心遣いとしてはよくできたものと言うべきかな……)


 捨て台詞も含めて、多少の無礼講は忘れることにしようと決めるアルシアだった。

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