魔王と愉快な仲間たち(3)

「なんとも要領ようりょうを得ない話だったな……」


 エイリーク十三世との謁見を終え、城下町へと戻ってきたアルシアは頭を抱えていた。

 数々の情報と、そこから導かれる非現実的げんじつてき仮説かせつを提示され、頭はパンク寸前だった。


 よくできた都合のいい御伽噺おとぎばなしのようで、しかし妙な説得力のあるエイリーク十三世の話。


 戯言として片付けるわけにもいかず、かといって信じるに足る証拠があるわけでもない。


「セラは、あの女王の話をどう思った?」

「あたし、納得できません」


 どうしたものかと唸るアルシアとは対照的たいしょうてきに、セラは激しく憤っていた。


「なんですか、あのへんてこな話は。勇者が世界そのものの防衛ぼうえい機能だの、ラストリオンをあるべき世界へするために神が送り込んできた使徒だの、おかしいではありませんかっ!」

「……あまり真剣に受け止めすぎるな。そうと決まったわけではない」

「なぜお怒りにならないのですっ! アルシア様の祈願きがんと三百年もの努力が否定されたも同然なのですよ!」


 ――この平和は、世界が望まぬ、ゆがみきった偽りのものである。


 それが、エイリーク十三世が独自の調査結果から弾き出した推察すいさつだった。

 これが真実ならば、アルシアの苦労はなんだったのか、となげくセラのいきどおりも当然だ。


「女王の話には不可解な事項が多いのもまた事実だ。世界そのものの浄化作用が働くのであれば、勇者などという存在に頼らずとも、この俺をラストリオンから退場させることなど造作ぞうさもないはず。少なくとも、俺が魔王よりも上位の存在だとしたら、もっと直截的ちょくせつてきに手を下す」


 エイリーク十三世の言説は、説得力がある一方で信憑性はない。

 筋は通っているが、確度がない。

 雲を掴むような話を信じろというほうが無理な話である。


「……あの女王の話を完全に否定するわけではないが、どうにも理解できんな」

「そうお考えになられるのは当然です。この平和が偽りであるなどと誰が言えましょう。アルシア様はもっと自信を持たれるべきですっ!」

「……自信がないわけではない。だが、あのような話を聞いてしまってはな……」

「あたしはもう充分に平和を実感していますよ。例えば――」


 セラは路上の一角で屋台を構える店主に通貨を支払い、食べ物を手に取った。


「こうして人間の作る美味しい食べ物も味わえますしね?」

「なんだそれは?」


 アルシアはセラの手元に収まる、どろりとした白色のそれを指差す。

 三角錐を逆さにした奇妙な器に乗ったそれは、時間が経つにつれ溶けているのが見て取れた。


「んむ……、これはアイスクリームといいまして、牛の乳を加工して作った嗜好品しこうひんでございます。冷たくて甘くて。あたし、これが大好物なんです」

「ほう……人間はよくこのような加工を思いつくものだな」

「も、もしよろしければ……あたしのを一口如何です?」


 頬を赤らめたセラがアルシアの口元へそっとアイスクリームを差し出し、アルシアはそれを舐める。


「ど、どうでしょう? お口に合いますか?」

「……ほう、美味しいな、これは! 素晴らしい!」


 口の中で蕩ける甘い風味が鼻孔びこうから抜けていく。

 清涼で濃厚な舌触りを味わいつつ喉奥のどおくへ流し込めば、頭の芯から溶けていく心地良い麻酔ますいのような感覚に、アルシアは思わず身を捩らせる。


「今度、城のシェフにこれを作らせてみるとしようではないか」

「なんともありがたいお言葉! あたしも嬉しいですわ!」

「二人占めするのはもったいない。これはもっと広まるべきだ」

「うふふ、紹介した甲斐かいがあったというものです」


 セラは微笑むと、アルシアが舐めた部分からクリームの山を削る。そして、味わうようにしてゆっくりと舌で堪能し、これまた殊更にじっくりと喉元へと流し込んでいく。


「間接キス、してしまいましたね……」

「…………っ」

「ふふっ」


 予想していた発言だが、半端ではないなまめかしさを目にしてしまい、思わず唾を飲んでしまうアルシア。


「これであたしも本日の目標は達成でございます」

「そ、そうか……なら、よかった…………」


 蠱惑的こわくてきな笑みを視界に納めないよう、アルシアはセラから目を背ける。

 サキュバスの血が混ざったセラの言動は、意図的であろうがなかろうが、意中の他者をき付けてしまう性質がある。


(少しは自制をしてほしいものだがな……)


 いまでこそ、従えているのがセラの上位存在である魔王アルシアであるからいいものの、これが他者へと向けられれば精力せいりょくのすべてを搾り取ってしまうのは明白だ。


 しばらく目を離していたアルシアだったが、ふと、隣を歩いていたはずのセラがついてきていないことに気付く。

 振り返ると、彼女は寂寥せきりょうな面持ちで大通りに立ち尽していた。


「なんだ、まだなにか物足りないか?」

「……いえ、滅相めっそうもありません。ですが……、どうにもさきほどの話を思い出してしまって……」

「…………」

「こうやって、人間の営みに溶け込んで楽しむことができるようになったんです。これが平和なければ、一体なんだというのです……」


 漏れてくるセラの本音。

 幸せそうな表情から一転、紡ぐ言葉には切実さが宿る。


「あんまりではないですか……魔族に怯えることなく人間が暮らし、魔族だって人間に理解を示して、襲うことはなくなりました。あたしは、この平和をいつまでも噛みしめていたいのです……」

「セラ……」


 セラは三百年前に起きた魔族と人間との戦争のむごさを体験している。この平穏が幾多いくたの犠牲の上に築き上げられたものであることを知っている。血みどろの殺し合いの果てに、何百年もかけて作られた願いの結晶であることを知っている。


 それが偽りの平和などと。

 そう言われて込み上げる激情を我慢しろというか。

 納得できないと否定するセラの怒りを、誰が否定できるというのか。


「せめて、エイリーク王の仰ることを真に受け止めすぎないよう、お願いしますね……」


 自らをなだめ落ち着かせるようなしっとりとした声音で、セラは嘆願する。

 懸念けねん払拭ふっしょくするものであれと願った謁見えっけんは期待が外れ、どころか、エルレの報告内容にもあった得体の知れない不吉な予感を一層強めてしまった。


 これでは気持ちも事態も好転はしないのは明白。

 こうして同行してきたのだって、日頃の心労で一杯になっているアルシアをおもんばかってのことだったというのに。


「案ずるな。知っておろう。この程度で気を弱らせていたら魔王として務まらん」

「もし悩むようなことがありましたら、いつでもあたしを頼ってくださいまし。アルシア様はお一人ではないのですから……」


 その言葉こそが、セラが伝えられる唯一の忠言ちゅうげん

 何百年と尽くしてきたからこその思慮しりょと気遣い。


「ああ……。そうだな。是非、そうさせてもらおう」


 アルシアはセラの心遣いを受け止め、再び雑踏ざっとうへと目を向ける。


「……さて、あとはエルレに約束した土産みやげだな……」


 城下町の大通りにずらりと立ち並ぶ露店には、人間が好む食糧や衣服、装飾品に限らず、薬草やポーション、武具や魔法書がずらりと並ぶ。

 この大通りで手に入らないものはないと噂され、その露店の数は三桁をゆうに超す。


 エルレは研究好きで、魔法の開発や汎用化はお手の物。

 戦闘はさして得意ではないが、彼女の後方支援ほど頼れるものもなく、アルシア自身も一目置くほどの存在である。


 そんなエルレには日頃の労いも込めて魔法書の一つでも買って帰るのがアルシアお決まりのパターンだったが、今回は趣向を変えたものを一つ買っていくと決めていた。

 魔法書店の前を通り過ぎると、セラが怪訝けげんな表情を浮かべた。


「あら? 魔法書は買わないのです?」

「少し、考えがあってな」


 行き交う人の流れに乗ってアルシアとエルレは大通りをゆったりと歩く。すれ違う人々はアルシアやセラの豪奢ごうしゃな装いに格の違いを感じるのか、行く先を率先して開けていた。


 美男美女の唐突な登場にざわめく大通り。

 薄い雲のかかる薄暮を背に優雅な散歩を楽しむアルシアとセラの二人を、なんらかの舞台か、または映画の撮影かと勘違いして写真やスケッチに納める人まで現れる。


「どうやらどこかの役者と勘違いをされているようですね」

「悪い気はしない。邪魔をしないのであれば目をつぶろう」


 やがて露天商ろてんしょうが立ち並ぶ列の末端までやってきた二人は、ふと立ち止まった。


「これは……」


 アルシアが手に取ったのは、古びた一冊の書物。

 その表紙に描かれているのは古の勇者の姿と一体の巨大な魔族の姿だった。

 表紙を捲ると、インクで書かれた文字が延々と綴られている。


「いまどきおぬしのような色男いろおとこがこんな古びた書物に興味を持つとは珍しいの」


 老いた露天商が覇気はきのない声でぼそりと呟き、値踏ねぶみするような目でアルシアとセラを交互に見やる。


「実は、魔族と人間とが争い合っていた時代について研究をしていまして」


 自身に向けられる訝しげな眼差しを敏感に感じ取ったアルシアは居住まいを正し、好青年然とした口調で偽りの身上を語ってみせる。こういう対応は慣れたものだ。


「しかし、まさかここでお目に掛かるとは予想だにしませんでした。各地を転々としていますが、どこにもこのようなものは見かけることが叶いませんでしたので」

「ふむ……なるほどの。そりゃそうじゃろな。そういったものはわしの先代が生涯をかけて蒐集しゅうしゅうしよったものじゃしな」


 その場に張り詰めていた空気が弛緩しかんする。


「……して、おぬしが手にしたそれは、三百年以上も前にあったと言われるラストリオン最大の大戦を記録したものと先祖代々言い伝えられてきたものだ。しかし、執筆者も分からんし、真偽のほども定かではなくての。人間に読めた文字でもない。もはや売る価値もない代物だ」

「そうなのですか……もしよろしければお譲り頂いてもよろしいでしょうか?」

「……ああ、構わんよ。どうせ儂がくたばれば引き取り手もいないからな」

「ありがとうございます」


 せめてものお礼にとささやかな金貨を数枚渡し、アルシアは懐に古本をしまうと足早にその場から離脱する。


「そんなにその書物に惹かれるものがありましたか?」

「どうしてか目を離せなくてな。まぁ、これはこれでエルレも喜ぶだろう。……さて、これで用も終わったな」

「今日はご一緒できて楽しかったですわ」


 そう言って、満足げな笑みを浮かべるセラ。


「ならば結構。不躾ぶしつけな勇者一行が待ち構えていないことを祈って、城へ戻るとしよう」

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