2-2 お前の差し金か、春田!

「――おい、毒島ぶすじまってのはいるか?」


 がらがらと教室のドアが開き、その言葉が投げ入れられた。


 昼休みを告げるチャイムが鳴り終え、早速弁当を取り出す者、友人と食べるために机を移動させる者、休み時間の間に全ての食料を食い尽くし購買へと急ぐ者で騒がしい我が教室に、その男はやって来た。


「おい、毒島、呼んでるぞ。あ、先輩、こいつっス。こいつが毒島っス」


 立ち上がって俺を指差し、余計なことを言ってくれたのは隣の席の藻部もぶである。髪も真っ黒、名前も忠仁ただひとと、ごくごく安心出来るクラスメイトだ。


「お前が毒島か」

「そうですけど、何か」


 ここまでのやりとりで、諸君らはこの来訪者にどんなイメージを持たれただろうか。


 いかにも「柔道部です!」みたいな大男?

 それとも、時代遅れのリーゼントヤンキー?


 残念ながら、どちらも不正解だ。


 俺を訪ねて来たのは、熊のような、あるいは素手で熊を倒せるような大男でもなければ、時代錯誤も甚だしい絶滅危惧種のような改造学ランの不良でもない。


 学年が1つ上の先輩である。

 例えば野球部のエースで4番とか、サッカー部のキャプテンとか、演劇部のスターとか、もちろん生徒会長というわけでもない。

 つまり何が言いたいのかというと、上級生が乗り込んで来た、というシチュエーションにありがちな、


「えっ? あの○○な○○先輩が?!」

「どうして毒島なんかに!?」


 というくだりがない、ということだ。

 ただただ上級生が訪ねてきただけ。それだけである。

 せっかくなので少々付け加えると、彼は陸上部所属の『淡島藤哉あわしまとうや』という。陸上部である以上、足は速いのだろうが、インターハイに出られるレベルというわけでもないため、この教室内での知名度はかなり低い。だから彼が俺を訪ねてきたところで、教室が静まり返るわけでもざわつくわけでもないのだ。


 しかし俺は、もう全てを悟り、項垂れていた。


 こんなところじゃなんですから、と昼食を持って理科室に移動しながら、もう正直ぐったりしていた。


 だって島だもん。

 名前にもって色が入ってるんだもん。


 ――髪の色?

 ああもちろん藤色さ! 淡い紫だよ!! 坊主だけどな!!!

 もう騙されんぞ! 淡い=パステルと見せかけて、お前がビビッドの方なんだろ!?


 椅子を引いてどっかと座り、足を組む。そして彼を、ぎろり、と睨みつけた。


「――で、何でしょうか」


 我ながら先輩に対する態度ではないという自覚はある。しかし、こちとら泣く子も黙る悪の組織の首領なのである。こんなただ1年早く産まれたってだけの男に媚びへつらうなんてごめんだね。


「実はお前に相談があって」


 まったくどいつもこいつも!!!

 何? 何で!? 何で俺の名が知れ渡ってんの!? 『悩み相談乗りマス』みたいなビラでも貼られてんの? どこに? 焼き払うから場所教えろマジで!


「何でしょう。手短にお願い出来ますか」


 これから昼飯なんで、と、購買の袋を高く上げてそう言うと、先輩は「すまんな」と頭を下げて手に持っていた同じ袋をどさりと机の上に置いた。ちゃっかり昼の用意はしていたらしい。

 ガサガサとそのビニール袋から取り出したのは、クリームチーズパイである。言わずと知れた俺の好物。くそ、コイツも好きなのか。陸上部に狙われると勝ち目がない。


 さて、先輩も食うのであれば、俺も遠慮はいらないだろう、と思い、袋の中からクリームチーズパイを取り出すと、真向かいに座った先輩は、その手に持っている自身のパイを、ずい、と俺の方に寄越して来た。


「……何ですか、これは」

「えぇと、その……相談に乗ってもらう礼、というか」


 ――ほう。

 気が利くじゃないか。

 いままでにはなかったパターンだ。

 それに俺の好みまでリサーチ済みとは恐れ入る。

 なかなか有能な人材のようである。その気があるならこっちに引き抜いてやっても良い。


「ありがとうございます。では遠慮なく」


 危うく「気が利くな、いただこう」と首領モードに切り替わるところだった。危ない危ない。


「それで、その、内容とは」


 クリームチーズパイを端に避け、頬杖をつく。

 多少不遜な印象を与えているかもしれないが、そんなことはどうでも良い。俺を誰だと思っている。


「その……ちょっと人間関係で悩んでて……」


 ――は?

 だから、それを何で俺に相談する!!


「はぁ……」

「俺、いま陸上以外にもちょっとっていうか……そういうの……やってるんだけど……」


 課外活動……。あぁ、か。


「それで、俺よりも一週間くらい前から同じ活動をしている子がいてさ。一応先輩になるわけなんだけど」

「はぁ、つまり、その、そいつと話が合わないってことですか」


 そりゃ合わないだろうな。鮮田アイツ、すげぇ腹黒いみたいだし。

 ていうかね、先輩、そいつ後輩です。


「違うんだ。そっちは良いんだ、そっちは」


 そっちは良いんだ?!


「か……」

「か?」

「可愛いから……すごく……」

「は?」


 中身男でも!?

 ……って、まぁこいつも同じだけど。

 いや、もしかして知らないパターン?

 本物の女子だと思ってるとか?!


「あぁ、いやいや、そうじゃなくて。問題はさ――」


 そして、先輩は、思い詰めたような顔をして、学ランのボタンに手をかけた。


 しまった!!!

 油断していた!!!

 春田や鮮田よりもまともそうだからって気を抜いていた!!


 まさかこんなところにBL爆弾が潜んでいようとは……っ!!

 藪から棒にもほどがある!!


 しかしどうする、どう回避する!?

 ああもうおい、何か脱ぎ始めたぞ。

 ガス? ガス発生させとく? 俺の得意のガス攻撃やっちゃう?

 いや、でもココ学校だしなぁ。

 殴る? 殴るとか? 殴るくらいなら良いかな?

 弱パンチなら厚さ10㎝の鉄板に穴があく程度だし、良いよな? だってこいつ一応ヒーロー(ヒロイン)だもんな?!


 よし、歯ぁ食いしばれ、先輩!


 ――と、拳を振り上げた時だった。


 ばさり、と机の上に投げ出された学ランがもぞり、と動き――、


「ル―――――――――――!!!!!!」

「藪からスティック!!??」


 飛び出して来たのだ。

 もう、何ていうか、何ていう生き物なのか正直わからんヤツが。


 頭部は鳥である。

 あのラー坊とかいう、アートを拗らせた美大受験生が陥りそうな『人と違うもの作っときゃOK』的思想の具現化と同じ、鳥頭である。


 問題は、その下だ。


 あのラー坊とかいう、テスト用紙の裏に書くとなぜか超大作になってしまう落書きみたいなキメラは、首から下が魚という、空にも海にも居場所がないポンコツ仕様だったが、今回のこいつは違う。

 羽がない以上空は無理だが、とりあえず陸では生きられるようになっている。


 なぜなら、そいつの首から下は蛙だったからだ。緑色の。

 問題は常にそいつのボディがぬめっている点だろう。

 何? そこは常時ぬめってなきゃ駄目なの? いや、それってガチの蛙の場合でしょ? マスコット的存在にもそんなリアリティ必要?!


「紹介するよ」


 ――しなくて良い!!


「この子は俺の相棒の『フル坊』」

「フル坊」


 ルー坊じゃないの?

 ルー坊じゃないの?


 だったら何で「ルー」とか言ったの、この鳥蛙! もう嫌だ、こいつらの世界観!

 あいつが『ラー坊』でこいつが『フル坊』なら2匹合わせて『ラーフル』だけど良いのか? 黒板消しのことだろ? 鹿児島とかその辺りでそう呼ぶって聞いたぞ?


「えっと……、ちょっと話が見えなくなって来たんですけど、こい……このフル坊が一体何だっていうんですか」

「いや、だからさ。その先輩の方にもフル坊みたいな相棒がいるんだけど」

「はぁ……」


 知ってる。

 出来ることならその部分だけ記憶を抹消したい。

 覚えているという事実すら忌々しい。俺の貴重なメモリーに居座ってんじゃねぇ。


「そいつ……『ラー坊』っていうんだけど、ちょっとウチのフル坊と合わなくてさ」


 いや、アナタ『人間関係で悩んでる』って言ってたよね!?

 そいつ人間じゃなくない!? 鳥でもないし蛙でもないし、確実に人間の体を成してないでしょうよ!


「はぁ……左様で……」

「何か、靴隠されたり、中に画鋲とか入れられてるみたいなんだよ」


 ――THE・陰湿!!


 ていうかちょっと待て。

 そもそもこいつ靴なんて履いてなくね?


「先輩、その……靴、とおっしゃいますが……」


 もしかしてこの男、まともそうに見えて電波系の危ないヤツかもしれない。

 だとすれば、春田馬鹿鮮田腹黒よりもよっぽど厄介である。


 すると先輩は、ちょっと意外だとでもいった顔で俺をじっと見つめてから視線を鳥蛙へと移した。


「もしかして毒島にものか?」

「……は?」

「どうやらフル坊の靴っていうのは、正直者にしか見えないらしいんだ。俺には見えないんだよ。悔しいことに、さ……ハハ……」


 騙されてる――――――――――!!!!


 言っとくけど、俺の目ってそういうの見えるから! 本気出せば微生物とかも見えるヤツだから! そこの鳥蛙、完全に裸足だから! ていうか蛙は裸足がデフォルトだ!


 こいつ、春田以上の馬鹿だ! いや、春田のとは毛色が違うな。春田は能天気馬鹿だが、こいつは差し詰め純粋馬鹿だ。


「ま、まぁ。そい……フル坊が靴を履いているとして、ですね。だったらもういっそ履かなきゃ良いんじゃないですかね。少なくとも、隠されるとか、画鋲仕込まれることはないと思いますけど」

「でも、裸足で生活するって厳しくないか? フル坊がいた世界みたいにならともかく」

「はぁ、地面がマシュマロ、と……」


 まぁ、十中八九嘘だろうな。その証拠にさっきからそのルールー坊主の目が泳ぎまくっている。

 

「そうなんだ。雲はわたあめで川の水はジュースらしい」

「……成る程。ずいぶんとメルヘンな世界からお越しのようで」


 いや、だから鹿児島とかその辺だろ? あそこそんなメルヘンだったか?


「そう、そのメルヘンな世界がいま大変な危機に瀕しているらしいんだ!」

「――え? はぁ」

「フル坊とラー坊はそのメルヘン世界を救うための戦士をスカウトしにやって来て、それで俺と――その、を」


 やっぱり女だと思ってる!!

 幸せな野郎だ、こいつ……。


 まぁ、それはそれとして、だ。


 先輩が窓の外を見つめたその隙をついて、ぎろり、と鳥蛙を睨む。そういえばこいつはいままでの無能妖精キメラ達と比べてかなり大人しい。最初に「ルー!」と叫んだきり、脂汗っぽいもので身体をぬらぬらと光らせながら押し黙っているだけだ。つまり、ルールーうるさくないのである。ただただ気持ち悪いだけである。


「まぁ、その辺の部分は俺には無関係ですから」


 そう、マシュマロの地面がどうとか雲がわたあめだとか、そんなメルヘンな県が実在しようがこいつのデマカセだろうがどうでも良いのだ。


「とりあえずいじめの件に関しては靴を履かないってことで良いんじゃないですか? 移動は、ほら、先輩の鞄に入れるなり、ポケットにねじ込むなりすれば」

「そ、そうか……。そうか……、そうだな! そうだよ! なぁ! 俺がフル坊を守れば良いんだな!!」


 こっちが目を背けたくなるほどの晴れやかな顔でそう言うと、先輩は俺の手を固く握りぶんぶんと振った。いまこの瞬間、こいつの肩書きは『純粋馬鹿』から『ただの馬鹿』にランクダウンした。どうしてそんな単純な解決策が思い付かないのか。


「助かったよ、毒島。ありがとうな!」

「はぁ……まぁ……」


 先輩は学ランを羽織り、内ポケットにルールー坊主をぎゅっとねじ込んだ。「コキャッ!」とか聞こえた気がする。さっきの相談内容からして大事にしていそうな雰囲気だったが、扱いは雑だ。さすがはただの馬鹿である。


 理科室のドアに手をかけた先輩をじっと見つめる。とっととクラス戻れ馬鹿野郎。と口が滑りそうになるのを堪えながら。すると、先輩はこちらをちらりと見てこう言うのだ。


「さすがほんとに頼りになるな、」と。


「――は? 春田が?」


 聞き捨てならない。やはりアイツが何か吹き込んだのか。


「そう。何か困ったことがあったら、ってこんなチラシもらったんだ」


 ぺらり、と差し出された白黒印刷のそのチラシとは――、


悩み、相談乗りマス! 1年 毒島博 ※連絡先080ー××××ー××××(春田)』


「んなっ……!!」


 ――お前の差し金か、春田!!


 絶妙に似てなくもない俺の似顔絵(黒髪に眼鏡というだけだが)と、『お任せください!』という無責任な吹き出し。アイツは誰に何を任せるつもりでいるのか。


「しかし、まさかアイツがいきなり交換留学生に選ばれるとはなぁ。普通は1年じゃなくて2年なのに。しかも毒島のクラスから4人だっけ? なぁ、毒島。……毒島?」

「焼き払うしかねぇな……春田の家を……」

「毒島? おい、毒島? 毒島?」


 怪訝そうな顔で何度も問い掛けてくる先輩を無視し、俺は理科室を後にした。


 

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