45.左眼窩奥深くにねじ込む

 僕という存在の弱点は人の形をしているという一言に尽きる。


 あらゆる肉体の中で人体ほど狩りに向かない形状はない。ぱっと思い付く弱点だけでも、二足歩行で相手の側に胸腹部を晒しっぱなし。爪も歯もなければ体重だって大したことないし、持久力はあっても瞬発力がない。エトセトラ、エトセトラ。これらの弱点を補うために人は道具、つまりは武器を使用してきたわけで、浮月さんなんかがその典型だけど。


 僕に関してのみ言えば、武器の使用はむしろ弱体化の原因だったりする。


 銃火器が素人ゆえ上手く扱えないことはもちろん、刃物や鈍器にしたって直接に殴った方が余程早いし、大方まず相手の身体より先に武器が壊れる。人の肉体形状と僕の怪力はとことんに相性が悪く、下手すれば作用反作用で殴った僕の方が吹っ飛ぶこともしばしば。


 されどこんな身体でもひとつだけ僕の気に入ってる箇所があって、何かと言えば。


 それは指。


 腕部に生えた十本のうちでも特に力の入れやすい右手親指。反らして突き出す第一関節の部分を。


 接近に気付いて振り返った男子の左眼窩奥深くにねじ込む。


 叫ぶ間も与えずに指を突っ込んだままの側頭部を掴み、三歩半の距離にいた対角線上の女子に向かって投げ飛ばし、共倒れ。


 互いから逃れようともがく二人の頭を、駆け寄った勢いの面蹴りで踏み潰す。はみ出た脳脂質が足の裏にこびりつき、温かな感触を床に残す。


 玄関前で殺した時とは違って死体の消失を待たずに、僕は再び足音を消して廊下奥へと走っていく。


 これだけの動作で、大体五秒弱。一人当たり二秒と考えれば、まぁまぁの戦果だった。とは言えもう少し穏便に進めないものかと思いつつ、次の角を曲がった先には三人程度。直前の二人を殺す時に音を立ててしまったためか、初めからこちらを振り向いている。


 うち一人の手元にあるものが面倒そうだったから、思わず心の中で唸ってしまう。


 拳銃。


 浮月さんの隠し武器コレクションを探し出し、奪い取ったのかもしれないけれど。それを向けられているこちらとしては、対処にコツがいる上に何より音がひどいので、できれば敬遠したい相手だった。


 ともあれ泣き言ばかりも言ってられず、春休みに浮月さんと対峙した際の経験を何とか思い出す。確かこうだったかなと構えられた射線を避けつつ間合いを詰め、手近だった生徒の襟を片手で掴んで引き寄せ、盾に。


 右腕の肉壁越しに衝突感。


 撃たれた銃弾は幸いにして盾役の身体を貫通せず、その脇から怯んだ銃手の手首へと腕を伸ばして骨ごと握り潰す。


 後はただの作業だった。悲鳴がうるさい脛骨を喉突きで折り、人数が合わないなと見回してみれば、走り去る五メートル先の背中。


 ため息混じりに転がった拳銃を拾う。


 爪や歯が脆弱な人間の狩猟方法は今も昔も変わらない。遠距離からの狙撃だ。


 そのうちでも銃火器や弓槍が発明される以前。掴むことに手先を特化させたヒト種のみが使用しうる原初の攻撃。


 拳銃を振りかぶって、投擲。


 逃げようとしていた生徒の後頭部を鉄の塊がえぐり転倒。近寄ってみれば気絶していただけのようだったので、こちらの脛骨も踵で踏み潰す。


 血で滑りそうになるのを注意して、左手側に並ぶ教室がすべて空であることを確認しつつ、廊下を駆け抜けた。


 えっと。


「……一階、掃討完了してしまった」


 本当は会敵の場合だけをやむなく戦闘に当てるつもりだったのに、と少なからず反省しながらも昇降口へと戻ってきて、階段を上る。


 すでに崩壊の兆しが見えつつあるけれど、僕が最初に立てた作戦はシンプルそのものだった。


 なるたけ早く砂音と接触する。その過程で会敵した相手を出来るだけ殺す、なんて。


 前者の理由はすでに述べた通り。後者の理由はと言えば。


 僕の奥の手。つまりは浮月さんの遺品たる『彼女』を、敵側に対策されないようにするため。


 作戦とも呼べないようなその作戦を実行するために、裸足となった僕は足音を立てずに走りつつ一階の教室を確認してきたのだけど。


 如何せん、思ったより敵の数が多すぎる。殺害に際しては流石に無音とはいかず、そのせいで他の連中に警戒を促しては要らない戦闘まで引き起こしてしまうということを繰り返した。その結果としての不本意な掃討完了。思わずため息を吐きかけて。


 撃鉄を起こす音。


 階段途中、折り返しの踊り場手前で足を止める。気のせいかと考えるけれど、どうにも嫌な予感が拭えない。


 想定する最悪は昨夜同様、多人数に囲まれて数で押されるケースで、注意しつつ廊下を走り抜けている限り囲まれることはない。


 だから一番怖いのは、開けた場所での待ち伏せ。


「……」


 きっかり三十秒だけ待ってみる。が、二階より先に気配は感じられず本当に無人なのではないかという気がしてくる。


 楽観だろうと考え直す。一階の戦闘では銃声も立ててしまったし、むしろ誰も降りてこない現状の方がおかしいくらい。


 一度ここを退いて別の階段から上ることも考えるけど、もしこちらが待ち伏せされているなら、他の階段も同様だろうと思われた。


 二階への道はすべて塞がれている。そう仮定するなら結局最後に頼れるのは自力だけかな、なんて声に出さないまま心中に呟いて。


 踊り場の窓を静かに開ける。

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