46.空を飛んでみようかと
裸足で正解だったと感じる一時。やはり人間の指、特に指紋や掌紋は偉大なる生命の神秘で、外壁をよじ登っていた僕はようやく上階の踊り場までたどり着き、手を伸ばす。されど残念ながら至った先の窓が開いてなくて、未だ念力までは実装されていない亜人種な僕としては、余儀なく更に上を目指すことを選ばされ。繰り返して、結局屋上までたどり着いてしまい、フェンス下部に手をかける。
「……」
道中、やっぱり戻って普通に階段を使おうかとは何度も思ったけれど、降りることは登るより難しそうだった。後先を考えない普段の態度を反省する一瞬。懸垂の要領で屋上へと顔を出して。
喫煙中だった皆葉くんと目が合ってしまう。
「あ」
どうやら一人で見張りをしていたらしい彼は、壁に持たれたまま小銃を首から下げていて。
慌てたように煙草を投げ捨ててこちらへと銃を構える皆葉くん。とっさに引っ込めた頭上を弾がかすめ、念のため淵を掴んでいた指先も一度離して外壁を直接に掴む。
銃声が止んで様子を伺ったらしき瞬間を狙って跳躍するも、高さが足りなくて柵越えとまではいかず、手だけでフェンスにしがみつく形となる。
向こうからすれば格好の的で、銃を構え直した彼に向かって僕は苦し紛れに。
「取引しよう、皆葉くん」
「……」
言った本人が言うのもなんだけど、こんな台詞で手が止まる辺りは皆葉くんもまだ甘いなんて。
とは言え口先だけは『普通部』で鍛えられた僕である。せっかく止めてもらった流れを手放さないよう続けた。
「この距離で弾を当てるのはかなり難しいし、僕も」
空裂音。耳元をかすめた弾に沈黙させられる。
「当てられるっての」
「……」
流石にこの距離で外すわけないかとため息。そもそも僕だって銃火器に詳しいわけでもなく、こういうのが専門だったのは浮月さんだし。
「それでも」なんて言い訳しても仕方なく、改めて続ける。「致命傷までには何発必要かな。僕が死ぬまでに君は五体満足でいられるかな?」
「ちゃちな脅しはやめろよ」
……。少なくとも見た目には焦った様子もなく、虚勢かとも思ったけどそうでなかった時が怖すぎるしと、大人しくちゃちな脅しをやめる。
となると手当たり次第、思い付く限りのネタを上げざるを得ず。
「煙草のこと、誰かに喋っちゃおうかな」
右耳から音が吹き飛んだ。掠めただけとはわかっていても思わず触って無傷を確かめる。
どうやらまぐれ当たりを引いてしまったらしく、見やれば硝煙とともに彼の銃口から殺気まで立ち上り始めて、僕は慌てて付け足す羽目になる。
「わかってるとは思うけど、僕が殺されても君らの仲間になるだけで、死人に口なしは必ずしも当てはまらないので悪しからず」
「……取引っつったか?」
「……」
他人事ながらそんなに停学が怖いなら不良やめれば良いのに、なんて内心首を捻りつつ頷いたら、どうやらその予想は微妙に違ったらしい。
「お前の妹に黙っててくれるんなら、この場は見逃しても良い」
「…………」、ん?
どうして砂音の名前が出てくるんだろうと思いつつ、僕自身は藪も蛇も、ついでに言えば弾幕も苦手なので「あー……。じゃあ、それで」と快諾し、無傷でフェンスを乗り越えることに成功する。
「やっぱ、性に合わないな。こういうの」
と苦虫を潰したように呟く皆葉くん。踏んだり蹴ったりが流石に気の毒で、更なる見返りを申し出ようかとも考えるけれど、いくらなんでも本人不在でデートを許可できるほどお兄ちゃんをやっているわけでもなく。代わりに。
「今度うちに遊びに来ない?」
余計なお世話だとばかりに苦笑いで手を振られた。その動作から見るに、別段根に持たれているわけでもなさそうで、失礼ながらチョロ皆葉くんなんて単語が脳裏を過る。一方の本人はといえば、座って新しく煙草に火をつけ始めた辺り、まったく懲りてない様子が伺われて。
関係ないか、と僕は肩をすくめる。
さて。
一連の状況を鑑みれば、過程はどうあれ屋上にたどり着けて、かつ皆葉くんとの友情も守れたことだし、そこそこ満足いく結果ではあるのだけど。
如何せんまた銃声を立ててしまったのがまずい。これで今度は階下から上方向に待ち伏せされていたならば、わざわざここまで登ってきた苦労も水の泡。
ということで仕方なく、屋上を横切りせっかく乗り越えたフェンスを、今度は反対側へとよじ登る。
「……何する気だよ?」
「うん、ちょっと」
空を飛んでみようかと。
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