20.浮月さんは完璧に死んでいた
駆けつけた僕の視界で、浮月さんは文句の付けようもなく完璧に死んでいた。
首と胴体が切り離されて、彼女の実家たる神社の鳥居手前の階段。
「遅かったね、星田くん」
律儀にも僕の到着を一人で待っていてくれたのは白地さんだった。
ついさっき、校舎前で別れたばかりの彼女は最上段。浮月さんの死体に腰掛けたまま僕を見下ろす。
赤く染められた石敷が夕陽の残り香に燻される。
「こっちに向かったって聞いたから、私だけ残ってたけど」
「誰、が」
息も絶え絶えに途切れた問いを、最後まで言わずとも彼女は理解したらしい。
「私と、他三十人くらい。こっちも結構死んだよ」
生身のはずなのにやっぱ意味分からないくらい強かったね浮月さん、と。
「手榴弾を取り出した時は驚いたな。最後までどんな人外だったのか知らないけど。でも」と首を蹴って転がした。「ここまでやれば流石に死んだでしょ」
僕の足元で止まった浮月さんの首は包帯が取れかかっていた。
震える手で拾い上げる。
閉じられた瞳とは視線が交わされることもない。ただ無垢な沈黙が中身の引き抜かれた毛皮のように放置されるだけだった。
「白地さんは、」その問いはある種の逃避だったのかもしれない。「どこかで僕と会っていたの?」
訝しげな視線に晒される。それはそうだろう。
少なくとも、他の子の首を抱きかかえながら女の子にする質問ではない。
「……会ってはないかな。一方的に知ってただけ」
「じゃあどうして僕のことなんかを、好きになったの」
それがきっと、すべての始まりだったから。
「『ことなんか』、なんて言わないで欲しいけど」
慎重さや警戒の消えた、聞かせるつもりもなかっただろう小声だった。
しかし次の瞬間には、ふっと笑って。
「でもいいの。もう星田くんには興味ないから」
私はもう、一人でこの現実に立ち向かえるだけの力を手に入れたから。
……。
それはきっと、本心からの言葉だったのだろうと理解できてしまって。
僕はもう、叫び出すことさえできなくなってしまう。
代わりに吐き出したのは、尋ねるまでもない問いかけ。
「じゃあ、あの子に殺されたこと。後悔はしていないんだね」
当然、そんな馬鹿げた問いに白地さんが答えるはずもなく。僕を憐れむような笑みで。
「妹さんによろしくね」
立ち上がった彼女は僕とすれ違いざまにそう呟いて、降りていく。
夕日が完全に沈む頃、その鳥居手前の闇に残されたのは。世界から切り離されたような僕と、死体になった浮月さんだけだった。
乱れた息が落ち着いても、心臓の動悸だけが未だ収まらない。
頭上の街灯が震えるような光を灯す。改めて照らし出されてもやっぱり真っ赤な浮月さん。
「……」
息を潜めて。
辺りを見回す。きっと誰もいない。僕は適当な段に腰を降ろす。
「浮月さん」
わざと浅い呼吸を繰り返して、動悸を落ち着かせる。
胸元に抱えていた首を目線の高さまで持ち上げる。
「ねぇ浮月さん、」
いつまで死んだふりしてるの?
途端、生首の目が見開かれ、口元までもが何かを訴えるかのようにぱくぱくと開閉した。
怪談ならちょっとした見せ場だ。階段との駄洒落でオチが付くたぐいの。
とまれ、目前の光景は紛れもなく現実で、浮月さんが首と身体を切り離された程度で死ぬはずもなく、白地さんはやっぱりまだ詰めが甘い。
かと言ってむろん浮月さんがまったくのノーダメージというわけでもない。生首には喉はあれども肺がなく、肺がなければ当然のことながら声も出ず、その唇の動きを僕に追わせることでどうにか文字を伝えようと試みていた。
「ラララ科学の子」、なんて。
睨まれる。
「冗談」
別段、浮月さんを怒らせようというつもりはなくて、無理に読み取らなくとも、彼女が願い僕がやることなんて決まっている。
僕は浮月さんの包帯を外した。やっぱりこの人の素顔は綺麗だなんて思いながらその口元へと口を寄せかけて。
彼女の口端に含まれた不満を読み取って、直前でとどまる。
その形が動き、宙に音もなくメガネと描いているのを見て、彼女の眼鏡を外してポケットにしまった。
タベテクダサイ。
無音の願いを聴き遂げる。
改めて僕は、浮月さんの唇に歯を立てた。噛みちぎる。こぼれた歯を口内で転がして飲み込む。下顎を食いちぎる。僕の咀嚼に可笑しそうな目線を投げかける眼孔から目玉を舌で抉り出した。顔皮を剥がして嚥下する。合わせて血肉の張り付いた頭髪を口の中でまとめて結ぶ。
こっちは夕飯を途中で抜け出してきた身で、胃袋にはまだ十分な余裕があった。
頸骨を噛み砕く。
頭蓋の裂け目に親指を押し入れかち割った頃に、首がない方の浮月さんが起き上がる。切断面はすでに肌色の泡を立て始めていて、脛骨がごきごきと音を立てながら再生していた。桃色メロンパンのような浮月さんの脳を齧りながら、僕はその様を見物していた。
胎児は母親の腹中で進化の過程を再現すると聞くけれど、まさしくそのようなことが、今彼女の首の上では起こっていた。爬虫類のような鳥類のような目の開かない赤子の頭から歯が生え、髪が生え、赤みが風呂上がりの火照り程度まで抜ける頃には、見知った浮月さんの顔がそこにはあった。
どういう理屈なのか、ご丁寧に髪の長さもおかっぱのまま。
「星田くん」
手を差し出すので、浮月さん自身の頭(食べ残し)を渡した。
「違います」自分の頭蓋を投げ捨てる。
まだ食べられるところも多いのにもったいない。
「眼鏡です」
僕はポケットから取り出した眼鏡を渡しつつ、六段ほど転がり落ちた頭(食べ残し)を拾い上げた。こちらもわずかにだけど再生しつつある。
「無理して食べなくとも、」
珍しく包帯なしの素顔に眼鏡をかけただけの浮月さんは、湿ったままの髪を手櫛に梳いて整える。
「そこまで削ればもう再生しないでしょう」
「そう?」
と口では尋ねつつ、ほぼ骨と粘膜だけの残骸を砕いて飲み込む。
「……お腹壊しますよ」
そう呆れたように言われて、きょとんとしたけれど。
地べたに落ちたものを食することについての言葉だと気付いて、笑ってしまう。
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