第18話 野神とCEO④

「ハッキングの事を言っているのなら、冤罪は証明されたはずよ。ここが必要な理由を説明すると、大昔は炭坑地らしくて、この辺り一体には豊富な石炭が眠っているのよ。S市の電力無償化を維持するためには必要な資源でね。ぜひ、譲っていただきたいって事なんです」


「冤罪の証明ねぇ。市長がもみ消したんじゃないの? 石炭があるらしい事は知ってるよ。いや、知らなかったが、初めて知ったんだ、こいつのおかげで。市長が土地を安く買いたたこうとしていた計画までバレたのは皮肉だよな」


 マスターは野神を指さした。野神は恐ろしく冷静で、テーブルを見つめてウーロン茶を飲んでいた。それがマスターの火に油を注いだようだった。声は荒々しく、外に漏れ聞こえそうな大きな声で絡んできた。カウンター奥の扉が少し空いていた。奥さんらしき人が、こちらに戸惑いの眼を向けていた。


「市がどういう交渉をしてるのかはしりませんが、我々ウェイロン社としては、電気を生む資源を得る為ならお金に糸目はつけないつもりです。私は市の行政の方針に、口出し出来る立場ではないですけど、都市開発計画に関してはそれなりに発言権もあるので、市長を諫める事も、また市長の力添えをする事も可能です。ひょっとしたら、あなたがた住民側につく事もありえる話ですから」


 ルシエは名詞を取り出し、テーブルに置いた。人差し指を名詞に当て、弾いた。名刺はテーブルの上を滑っていき、マスターの近くで止まった。名刺を渡す態度としては、最悪な部類である事は、野神にもわかる。

 そして、いつの間にか手に持っていた三本目のウーロン茶を持ってソファに座った。

 マスターは名刺を両手で、持ち上げ眺めていた。目を丸くしている。S市だけで数十基の発電所を所有しているウェイロン社のトップである事を知って、態度が急変した。

「あなた方の出方次第では、炭坑施設で得た利益の数%をお持ちいただく権利もお譲りできるかもしれません。我々は、市でなくとも、石炭を採掘する権利を頂ければ良いのですから」


 マスターの顔色が変わった。ルシエに慇懃に頭を下げ、非礼を詫びだした。

 この男はご近所さんとか、やり方とかよりも、石炭に関する利権に執着していただけなのだと知った。ルシエにあって、野神に無いもの。同じ人間ではあるが、この二人の差が周囲の人間の態度となって現れる。野神の眼に涙が浮かんだ。マスターはカウンターへと戻っていった。


 原発が世界的に廃止されるようになり、その代替エネルギー源として、石炭が注目されつつある。二酸化炭素排出量の問題があるが、ウェイロン社はそれらの問題をクリアする技術を持っているのだと、新聞記事に出ていた。


 野神は涙に濡れた眼をルシエに見えないように、それとなくこすった。

「私は『ありえる話』だとは言ったけど。『ある話』だとは言ってないからね」

 ルシエは、野神に優しく耳打ちしてきた。涙目を見られていたのかもしれない。

「私、嫌な人間だよね。でも、嫌な人間にならないと嫌な人間とは交渉するにも苦労するからねぇ」


 ルシエは口角を無理矢理つり上げ、わざとらしい笑顔を作った。あの女に似ている、と思った。エメルも似たような笑みを浮かべていた。


「住み慣れた土地を追い出されたり、行政で変えられる事に我慢できないのはわかるつもりです」


「あなたは優しいね。でも、そんな優しさは必要ないんじゃない? 市と住民の問題であって、あなたには責任も権限もないのよ。あなたが受けてるの単なる八つ当たりじゃないの」


「でも」


「堂々とするべきよ。何も悪いことしてないんだから」


 ルシエは野神を見据えて言った。励ましのつもりだったのだろうが、野神は戸惑い、目は左右に泳いだ。ルシエは何かを察したように微笑んだ。


「でも、まぁ。多勢に無勢よね。悪くなくても数で叩き潰されちゃう」


 野神のグラスに、ルシエはウーロン茶を継ぎ足す。


「嫌なニ択よね。我慢してゆっくり蝕まれるか、数に挑んで負けるのか」


 グラスに口をあて、音もなく中身を飲む。


「逃げるのは悔しいしね」


 野神は押し黙っていた。ルシエもグラスを見つめて無言になった。

 やがて、野神が口を開いた。


「俺にも原因はあるから」


 野神はカウンターで耳をそばだてているマスターをちらりと見やった。

 ルシエはマスターに用があったら呼ぶから、それまで奥にいるよう指図した。

 マスターは頭を下げながら、カウンター裏に引っ込んだ。


「市のデータベースにハッキングした件を言ってるのなら、それはあなたじゃないって事は判明してるじゃない」


 野神の父親が市長に就任後間もなく、市のデータベースがハッキングされ、職員、市民の個人情報や、未発表の行政案件、提携先企業の情報などが流出した。


 警察の調査で、市長の自宅からなされたものだと分かり、家宅捜査をすることになった。市長宅からは何も証拠が出てこなかったが、当時はマスコミが事実関係がはっきりする前から、市長の息子が不正行為を行ったと報道したために、市長の息子、野神が矢面に立たされた。その後、真犯人が野神のPCをハッキングし、踏み台にして市のデータを盗みだした事が分かったが、その頃には有名タレントが犯罪を起こし、マスコミの興味はそちらに移っていた。申し訳程度に、冤罪だった事が発表された程度だった。


 真犯人は未だ捕まっていない。父親が息子を冷遇するようになったのは、その時からだった。だが、真犯人に関しては野神はどうでもよくなっていた。


「誰も信じてないですし、真犯人も捕まってない。行政と揉めてる件で俺が恨みを持ってやったに違いないらしいです」


 喋り終えるまでが苦しかった。野神の目に浮かんだ涙が溢れそうだった。

 ルシエは何かを言い掛けてやめた。


 店の奥に引っ込んだマスターを大声で呼びつけると、勘定を支払って店を出た。雪の勢いは少しは弱まっていた。街頭の灯りを受けて、路面を覆う雪が白く輝いていた。二人は車に乗って野神の自宅前まで戻ってきた。家を出てから一時間が経っていた。

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