第15話 野神とCEO①

 玄関の扉が勢いよく開く音で目が覚めた。部屋の壁掛け時計の針が午前0時十五分辺りを指していた。玄関から二階は吹き抜けになっていて、二階の廊下から玄関の様子を伺うことができる。階下を覗くと、野神の父親で、現S市の市長が帰ってきたのだった。酔いつぶれているらしく、顔は真っ赤で何やらぶつぶつと呟いている。


 野神は横で付き添っている女性が気になった。毛先にウェーブのかかったロングの金髪をした狸顔の女性で、細い眉、大きな丸い桃色の目、高い鼻筋、グロスを縫った唇が輝いていた。女性はその桃眼を野神へと向けた。野神から何かを見て取ったように、手の平を口に当てて驚いていた。その後すぐ、愛想笑いを作って手を振った。野神はさっと身を引いた。野神は薄く輝く桃色の瞳が珍しいと思った。


 部屋に戻り茶色のニットのセーターと黒のジーンズに着替え、冬用の黒いアウターに袖を通した。玄関にいた、父親のとなりにいた外国人のような女が、頭から離れない。何となく、エメルの顔も重なった。二人とも、どこか超然とした雰囲気を備えているように思えたからなのかもしれない。


 悪い感じがしない女性だった。こういった事は何度かあったが、今まで父親が連れてきた女性は派手で、露出の高い服を着ていたり、自信に満ちた顔で過剰に父親に媚びを売るような女ばかりだったが、さっきの女性は自然体で、裏の意図も感じられず、ただ、酔っぱらいを解放しているだけのように見えた。

 だが、過去の例に漏れず、今から男女の「そういうこと」をするのだろうと思った。

 自身の父親が女性と関係を持つのを知るのも、嫌な気持ちになるが、直ぐ下で行為に及ぶのはさらに気持ちが悪いと思った。一八歳の野神も「そういうこと」に興味はあるが、自分の父親の行為に対しては嫌悪の念が勝った。


 野神は父親が女と一緒に帰ってくると、必ず外に出るようにしていた。自分の家であるはずなのに、自分の家じゃない。あそこは父親の家で、自分は客なのだと頭の中で反芻し、外へ出てガレージに停めてある車の中で深夜ラジオをかけて眠りにつく。

 翌日、朝早くに父親はもう一台の外車に乗って仕事へ出かける。夜の情けない姿からは考えられないくらい威厳に満ちた姿で、それがまた野神少年の心に靄をかけるのだった。はやく週刊誌で叩かれればいいのに。遠ざかってゆく、父親の車に呪いの言葉をかけるのが常だった。


 支度をすませると野神は部屋を出て、階段を一段一段ゆっくりと降りていった。そして、予期しなかった事態に足を滑らしそうになった。先ほど父親を解放していた女性が階段を静かに昇ってくるのに出くわしたからだった。窓から差し込む月明かりを受け、青白く輝いているように見えた。雪の影がプラネタリウムで映し出された星のように壁を這っていた。


「何処かへ行くの? こんな時間に」


 ブロンドの髪をした西洋人なので、片言の日本語か、英語が飛んでくると思っていたが、日本語も流暢なのでさらに驚いた。日本での生活が長いのだろうか。


「・・・・・・ちょっと外へ」


 野神は愛想なく返事をした。女は脇を通ろうとする野神の進路を阻んだ。


「雪が降ってるのに? なんか勘違いしてるんじゃない? 大丈夫よ、あなたのお父さんとは何もないから」

「二階には何か用があるんですか?」


 野神の言い方は挑戦的だった。いい加減にしてほしい、という感情が遠慮なくでていた。女は小さくため息をつき、囁くように言う。その吐息が耳にもはっきり残るくらい、家は静寂の中にあった。


「人生終わったって顔で、二階から覗いてたからねぇ。誤解を解いておこうと思ったのよ」


 青白くほのめく月明かりの中、名前も知らない女が優しく微笑んでいる。

 まるで、母親が拗ねた小さな子供をあやすようだった。

 やがて、光は闇に溶けるように消えた。雪雲が月を完全に覆ったらしい。


「僕に気を使わなくたっていいんですよ」

「本当に何もないから。酔ったお父さんを送ってきただけ。もう寝てるよ。見てみる?」


 野神はなおも怪訝な顔つきで女を見つめていた。市長に取り入ろうとか、明らかに遊び人といった女性ばかりで、野神自身に関心を持った女がいなかったからである。


「外出るなら、私も連れてってよ。車、運転してあげる」


 女は楽しげにハンドルを回すしぐさをしながら言った。


「一緒にって・・・・・・何考えてるんです?」


「これから市長には色々とお世話になるから、何度かこういった訪問もあると思う。ご家族の理解だけはちゃんと得ておきたいのよね。こっちは真剣に仕事してるのに、いやらしい事しに来てるとか思われちゃ気分悪いしね」


 女はアルミケースの中から、名刺を一枚取り出し、両手で野神に差し出した。


「私はこういうものです」


 名刺の受け取り方に決まりがあるらしいが、野神はまるでわからない。片手でうやうやしく受け取ると、名刺を読んだ。


「ウェイロン株式会社CEO ルシエ・エスクライブ」と書かれてあった。S市に協力して電力無償化を実現させた企業だ。そのウェイロン社のトップ。


 提携企業の一番偉い人の前で、父親が醜態を晒したこともそうだが、野神自身も、企業のトップに向かって、失礼な態度と勝手な偏見で対応してしまった。恥入る気持ちが頭の先まで支配し、狼狽した。

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