第14話 野神 帰り道②

「おい! お前、ここに来るなって言っただろう」


 振り返ると、六〇歳くらいの、頭がはげ上がった男が立っていた。

 オレンジ色のブルゾンを着込んでいた。野神の知っている男だった。今にも因縁をつけたそうに顔をひくつかせている。言いたい事は分かっている。野神は相手にせず、奈地美にも別れの挨拶をせずにその場を去る事にした。あまり仲良くしている所を見せると嫌みが飛んでくる。彼女もその事について理解はしている。男はわざとらしく野神の進路を阻んだ。


「何か俺に言うこと無いのか?」


 挑戦的な態度に野神は苛ついた。そして、口にすると面倒くさい事になる言葉をうっかり返してしまう。


「あなたにここへ来るなと言われる筋合いはないと思います」

「何ぃ?」


 相手が因縁をつけるきっかけを伺っていたのは知っていた。だが、野神も銃を持った男と対峙した後からか、変に度胸がついていた。いつもなら、おどおどして平謝りで逃げるところが、真正面からはげ男を睨みつけていた。 

 はげ男が何か大声で喚きかかった所を奈地美が間に割り込んできた。


「・・・・・・その辺にしておいた方がいいと思います」


 険悪な空気が中和されて、妙な間ができた。野神は彼女に軽く礼をいい立ち去りかけた。はげ男に、後ろから乱暴な声を浴びせられた。


「市長さんに言っといてくれ! 下手くそな政治やっとるから暮らしにくくなって困るって」

「いい加減にしてください!!」


 あまりにはげ男が大声で喚くので、近くの住人が家から出て来た。

 だが、野神の味方をするものは大路奈地美ただ、一人だった。


「元はと言えばあなたのお父さんが悪いのよ」

「お前まだ、人のパソコンに入って何か企んでいるらしいな」

「税金がこの犯罪者一家に、入るのは気分が悪い」


 多勢に無勢だった。四人から一斉にまくしたてられると、喧嘩にもならない。野神は憤慨する気持ちを押さえつつ、逃げるように駆けだしていた。


 野神真は一度、警察に捕まった事があった。S市のデータベースに侵入し、住民の情報を流出させた。野神にとっては寝耳に水の出来事で、自分の家のパソコンから不正なアクセスがあったと警察から問いつめられた時には無実を主張した。 


 野神を知る人間は、彼がパソコンを使って何か得体の知れない事をやっていると噂した。人の心というものは、簡単に離れていって、そして、どんな形であれ離れていった人の心は二度と戻る事はないのだという現実を思い知った。


 しかし、すぐに野神の無実は証明された。押収した野神のパソコンや、記録メディアからは住民の個人情報は見つからず、野神のパソコンを踏み台にした何者かが、ハッキングを試みた事が発表された。


当時を振り返り、自身の考えが甘かったと野神は思う。真犯人を突き止めれば、自分へ向かっている負の評価は、犯人へと流れるだろうと信じた。野神は真犯人を突き止めるべく、ハッキングの技術を学んだ。独学だった。


 ネット上には初心者にも楽にハッキングできるよう、便利なツールも溢れていた。だが、それでは真犯人を突き止めるに至らなかった。それらのツールを解析し、仕組みを知り、改良を加え、より強力なツールを作る。時には一から自分でプログラムを組む事もあった。


 だが、野神への住民からの評価は変化する事はなかった。野神が市長の息子で、叩ける理由はほしいが、撤回する証明など欲しくはなかったのだと知った。真犯人を突き止める事は意味の無い行為だった。



雪の中を来た道へ向けて歩きはじめた。この界隈は、都市開発事業の指定地区に入っていて、市長の号令の元、役人が地上げ交渉に乗り出している。都市の維持に必要なエネルギーインフラを作りたいらしい。


 計画を推進しているのは、彼の父親である、市長なのだ。市長への怒りが、息子にまで延びている。野神は後ろ盾もなく、住民の不満に答える言葉もなく、また、答える責任もないので、叩きやすく、絶好の相手だった。市長の子供に不満をぶつける事で、役所を通さず批判しているつもりでいるのかもしれない。それを思い出すと頭を締め上げられたような、頭痛がした。


 野神はそれは失敗だ、といつも心の中で思う。父親は子に同情を寄せて守るような甘い男ではない。理由は分からないが、この土地を買い上げる事に父親は執念を燃やしている。


 住宅地をぬけ、国道に出た。左へ左へと滑ってゆく自動車のヘッドライトが、昼間よりも激しい降雪の様子を鮮明に教えてくれる。野神の肩と頭には雪がびっしりと積もっていた。簡単に手で払い落とし、自宅へと続く長い坂をめざし国道に沿って歩いた。溶けた雪が靴にしみこみ、冷たいという感覚が痛みに変わっていた。一五分後、家についた。

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