2部

第13話 野神 帰り道①

 ターミナルでの銃乱射事件に巻き込まれてから、五時間ほどが経過していた。

 無理矢理、病院に運び込まれた野神は、こっそりとエメルからもらった小壷に入っていた塗り薬を拗ねと頭の瘤に塗った。初めはかなりの激痛が走るが、その後は完全に傷は癒えていた。不思議な女だった。彼女は自分が魔法使いだと冗談を言っていたが、野神は間違いなくそうなのだと確信していた。


 精密検査を勧める医師に無傷である事を証明し、診察室を出た。一階ロビーの待合い席に腰掛けていた大路奈地美が野神を見つけ、大きな声を上げた。彼女は大げさに喜び、目を潤ませて飛びついてきたが、事件とあまり関係がない軽度な傷を診てもらっただけなので、しがみついている奈地美の方が心配だった。


 傷は治ったものの、奈地美は大きなショックを受けているだろう。拳銃を持った男がウロウロしているフロアに一人で隠れ潜んでいたので、無理もない。フロアに響く銃声が、より彼女の心に恐怖を刻みこんだに違いない。野神の腕に力いっぱいしがみつき、今も離さないでいる。


 腕を組んだカップルが、仲良く病院を出るようだと思い、野神は落ち着かなかった。辺りはすっかり真っ黒になっていた。暗がりの中、静かに舞う大量の雪の欠片が、街頭の光を帯びて輝いていた。昼から何も食べていないが、お腹が空かなかった。奈地美のお腹が、すぐ横を風を切って走り去っていく車の走行音よりも、大きな音を鳴らした。そこで彼女がようやく恥ずかしそうに笑った。野神はファーストフード店での食事を提案したが、彼女は遠慮した。


 野神と奈地美は、見慣れた地元の住宅街にたどり着いた。電車を乗り継いでここまでたどり着くまでの間、ほとんど会話がなかった。迷路のように、四方へ枝分かれしたアスファルト敷きの道が伸びており、その両サイドには家々が立ち並ぶ。


くすんだ木目肌の外壁、瓦をしきつめた三角屋根が特徴的な、年季の入った家が多かった。取り壊され、空き地となっている土地も多い。


「助けに来てくれてありがとね」


 彼女の視線は地面へ落ちていて、どんな表情をしているのか分からなかった。

 助けたのはエメルで、野神はほぼ何もしていない。どう答えればいいものか迷った。

「俺は、ほとんど何もしてないよ。エメ・・・・・・、あの小さい女いたろ? 目が緑色で緑のコートを着たヤツ。アイツが全部仕切って、上手いこと助けてくれたんだ」


 野神は正直に話した。隠しておくのは、手柄を横取りするみたいで何だか嫌だった。


「ううん、真もちゃんと助けに来てくれた。ありがとう」

 

野神は何を言うべきか、考えていた。二の句が出ない。


「その助けてくれた人って誰? 刑事さん?」

「MI・・・・・・、い、いや。まぁ、刑事だな。拳銃持ってたしな。ハハハ」


 うっかり他国の諜報員である事を喋りそうになった。冗談みたいな話だが、喋れば彼女は信じてしまうような気がした。


「ふーん。何か友達みたいだったけど……」


 刑事と聞いて、奈地美はとても心配そうに野神を見た。


「最近の刑事は馴れ馴れしいんだよ。そういえば・・・・・・」


 野神は鞄の中にある、エメルが置いていった札束の事を思い出した。

 救急車の中で確認すると、三十万円ぴったりあった。

 三十万円もあれば、スマホどころか服も財布も買えるし、旅行にも行ける。あの女

は日本の為替レートをロクに理解していないに違いない、と野神は思った。


「そういば、何?」


 奈地美が上目使いに聞いてきた。三十万円の他に何か話題がないか考えた。

 野神はそろそろ、彼女の家が近い事に気づいた。ここから真っ直ぐ進んで左に曲がって少し歩けば彼女の家だ。


「そういえば、もうすぐ、卒業式だ。それで、大学生活が待ってる。人の目なんか気にせずに毎日会えるよ」


「そうだね」


 奈地美は笑ったが、その笑いはどことなくぎこちのないものだった。

 二人とも同じ大学へ、進学する事になっている。学科は違う。


「そろそろ、離れた方がいいな。この辺りはちょっとマズイ」


 奈地美も辺りを見回し、同意した。


「そうだね。ここからなら、後は少し歩けば帰れるから」


 彼女は急ぎ野神の腕から手を離した。


「真も早く帰った方がいいよ」


 野神が頷いてすぐ、後ろから怒声が上がった。

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