第12話 新たな任務とフェイクニュース

 もう少しで夜八時半になる。エメルは壁に持たれかけ、腕を組んで何やらぼんやりと考えていた。もう日が沈んでしまった。向かいの窓へと目を向けると、闇しか見えなかった。


 エメルがいる八畳ほどの書斎が、MIA日本支局長の支局長室だった。

 高級木材であるナラ材の支局長のデスクが入り口の向かい側に備えてある。

 デスクの後ろには天井まで延びた本棚があり、本でびっしりと埋まって隙間が無かった。デスクの前には長方形の接客用のナラ材のテーブルが置いてあり、そのテーブルを挟んで、二人がけの黒のソファーが左右対称に並んでいた。部屋の隅には小さなテレビが置いてある。


 床は茶色一色のカーペットが敷いてあった。なんでも日本の文豪をイメージして作った書斎らしい。エメルには日本の文豪とやらがよくわからない。


 やがて、部屋の扉が開かれ、支局長が現れた。

 白髪のオールバック、深く窪んだ大きな青い目、二等辺三角形の鼻、鼻筋から下顎にかけて、綺麗に手入れされた短い髭が覆っていた。細面に無数の深い皺が刻まれ、以前に会った時よりもやつれて見えた。


 ヴォイドはデスクに腰を落ち着けると、エメルに笑顔を向けた。


「久しぶりだな、エメル。元気そうだ」

「お久しぶりです。ヴォイド支局長もお元気そうで、何より」


 定型的な挨拶を受け、エメルは定型的な返事で返した。口の端を上げて、笑顔を意識する。エメルは無理に笑顔を作る意味がよく分からなかったが、余計な敵を作らない処世術の一つとして割り切っている。ヴォイドはエメルにソファにかけるよう勧めたが、彼女は立っているほうが楽ですから、と断った。


「エメル。ある程度の報告は聞いているが、君の口から詳細を聞かせてほしい」

「わかりました。MIAに情報を寄せられたM県S市のターミナルで張っていたら情報通りに銃を持った犯人が現れました。射殺した後、写真を撮りました。アジア人の男でした。現在、部下が写真の男の身元を調査中です。奪われた銃の番号を調べましたが、行方不明中のMIA職員のもので間違いありません。現場には代替品の銃を置いておきました。アメリカで盗難にあった拳銃です」


 ヴォイドは一つ安堵のため息をついた。MIAの拳銃が使用されていたなどと日本側に知れたら国際問題になる。


「現場に残った銃弾を調べたら代替品は使われていないという事は容易にバレてしまいますが。アメリカの盗難銃を何故持っていたのかも不可解です」


 エメルは支局長の命令通りに行動したが、疑問がないわけではない。

 報告上の私見として疑問を述べたが、支局長は特に気にする様子もなく、至って冷静に答えた。


「細かい事はいい。永遠に解決されない謎になる。MIAの関与が疑われなければそれでいいのだ」


 エメルは自分が撃ったベレッタの銃弾や薬莢も百貨店のフロアに転がっている事を思った。警備会社の社員としてMIAの職員が潜り込んでいる。監視カメラの映像から都合の悪い部分は削除しているはずだが、撃ち合いになった後始末まではできないだろう。部外者が暴れ回った事は日本の警察に知れているはずだった。


「日本に潜入した三人組については何か分かりましたか?」


 ヴォイドは首を横に振った。


「今、三人の職員の上司を捕まえて調べているが。まだ調査中だ」


 ヴォイドはこの件について怒り冷めやらぬ様子だった。三人は、日本支局を介さず、直接、何らかの諜報活動を行っていたからだ。なのに、彼らの失敗をヴォイドが後始末する事になった。


 MIAの仕事は横の繋がりがほとんどない。各々のチームが独自に動き回っているのは当たり前の話で、互いに何をしているかは分からない。それでも、他国で活動する場合、その国のMIA支局に話は通さなければならない。


 各自の報告は上司から支局長、それから長官、長官から大統領という形で伝わってゆく。そして、MIA内での派閥抗争もあり、どのチームも敵対グループを出し抜く結果を欲しがった。情報を得るためなら、手っ取り早い手段を選択する、それは往々にして非合法な行為だった。


 例えば拷問などは禁止されているが、活動内容が不透明な事もあり、日常的に行われている。エメルも全てを把握しているわけではない。執念深いジャーナリストの手によって初めて知る暗い事実もあった。MIA内部にどういった部署があるのかもある程度までしか把握できていない。内部にも謎の多い組織だった。


「恐らく、エネルギーに関しての事だろうが・・・・・・」


 S市のエネルギーに関して不可解な点が多い。自然発電や、火力発電で得た電力をS市は無償提供している。通常なら、考えられない話だが、それを成立させ、更に新興企業を呼び寄せ、より電力消費は多くなっているにも関わらず、電力を提供しているウェイロン社は衰える様子はない。エネルギー生成効率を上げる技術を生み出したと標榜しているが、何か非合法な資源を使っているのでは、と噂が立っている。



「引き続き、エメルには行方不明の三人を探り、銃を回収する任務についてもらいたい」


 エメルは深く頷いた。


「それと、通信の件だ。乗っ取られたそうだな。日本の高校生に。彼はMIAに犯行予告を送りつけてきた連中の仲間ではないだろうな?」


 送りつけてきた情報というのは一昨日、日本のM県S市にある巨大ターミナル内でのどこかで拳銃による無差別殺人を行うと予告メールが届いた。MIAの職員から奪った拳銃で犯行を行うという内容だった。日本側にこの予告メールが届いていたかどうかは分からない。今のところ、日本からの連絡は入っていない。


 今日、エメルが回収した拳銃は二丁目だった。最初の犯行もS市の某所で行われ、犯人は日本の警察官に射殺された。押収された拳銃がアメリカ製のもので、調査依頼の要請が来て、初めて犯行に使用された拳銃がMIA職員のものだと判明した。この時も、盗難された拳銃とだけ伝えている。


「高校生の、野神真は機密情報を盗み見るまで何も知らない様子でした。敵に仲間もいるでしょうが、野神真は関わりがないと思われます」


「犯人は、何らかの魔法を使ったか?」


 ヴォイドは椅子に背を預けたまま、上目使いにエメルを見ていた。

 彼の青い目は、エメルの報告を聞いている中で、一番鋭い目をしていた。睨みつけるようでもあった。


「そのような感じはありませんでした。ただの人間でした」


 エメルはターミナルでの出来事を思い返し、自分と同じ特殊な能力を披露して見せた事は間違いなくなかった。見せた手品は、野神真の携帯電話をハッキングしたくらいのものだ。エメルは頷いた。


 エメル自身も、敵が普通の人間ではない事を覚悟していた。なぜなら、反抗予告に『MIA内の魔女を連れてこい』という一文が含まれていたからだ。MIA局内は魔女の意味が分からず、皆が困惑していた。一部の人間を除いて。


(犯人は女性職員を希望している異常者だ。ただ、それだけの事に過ぎない)


 ヴォイドは魔法の存在を知っている。その恐ろしさも。MIA内でも禁忌として扱われている魔法という技術を敵が持っていると確信していた。だから、同じ魔法使いであるエメルを日本へと呼び寄せたのだ。エメルの報告にヴォイドは一瞬、訝しむような顔を見せたが、話を促した。


「話を戻す。日本の学生に機密情報が奪われた事だが」


 ヴォイドは胸ポケットから煙草を一本取り出し火を点けた。


「もう一度、その少年と接触してほしい」


 エメルは無言で目を泳がせていた。野神真の携帯電話は回収して情報部に渡した。ヴォイドは何か問題があるような口振りだった。私的に一度会うつもりではいたが、MIAからの指令で野神に接触しろと言われるのは想定外だった。


「犯人にハッキングされて、機密情報が拡散された可能性はありますが、それを彼の責任として問うのは疑問に思います。彼の協力が無ければ銃の回収は困難だったし、それに・・・・・・」


 エメルの脳裏に野神真の顔が浮かんだ。未成年で、世の中を知らない温室育ちの子供だという印象を受けた。彼の目は猜疑心で染まっていた。死に際に床に寝そべっていた、かつての友人のように。野神を守らなければならない。それはエメル自身のためでもあった。


「彼の携帯電話の中に、例の機密情報は無かった」

「え?」

「情報部がくまなく調べたが、MIAに関する情報は一つもなかったらしい」

 ヴォイドは大きく煙草を吹い、空を仰ぎ煙を吐き出した。みるみる天井に備え付けられた消煙装置へと煙が吸い込まれてゆく。


「何か別に端末を持っていた可能性はある。ダミーを渡したつもりだろうが、携帯電話が個人情報の固まりで、調べればすぐに足が付くことも理解できない愚か者らしいな」


「間違えて情報がない端末を差し出したのです。まだ子供で悪意もなく、銃撃現場の中にいて、極度の緊張状態にありました。仕方のない事です。明日、私が必ず回収して参ります」


 エメルは野神に悪意がない事を強調した。ヴォイドは怪訝な表情でエメルを見つめていた。

 

 エメルは顔色一つ変える事なく容赦のない諜報、尋問、拷問、買収、暗殺を行ってきた。局内でも氷の魔女と呼ばれ恐れられている。そんな彼女が野神という少年に対して隙がある、ヴォイドはそう言いたげにエメルを見ていた。その隙は国の命運がかかる諜報活動では致命的な弱点になりえる。ヴォイドが不審に思うのも無理はないと思った。


「私見は必要ない、エメル。必ず回収し、野神真もここへ連れて来い。情報の内容次第では手荒な真似が必要になるかもしれない」


(彼を尋問しなければならないのか)


 エメルは心中、戸惑った。野神の拗ねを蹴り、銃のグリップで頭を軽く殴ったが、非合法の尋問とはそんな程度ではない。殴ればアザができ、歯は折れ、骨も砕ける。それが延々と続き、最後には心が黒く淀んでいく。それを自分はもちろん、他人に強いるのも悪夢だと思った。血と汗と欺瞞が満ちるこの世界で、エメルが唯一、胸中で守ってきた思い出に自ら傷をつける事になると思った。絶対に避けたいと思った。


 ヴォイドはエメルを見た。彼女の表情は氷の魔女に戻っていた。何を考えているのか分からない感情の無い顔だ。返事が遅い。いつもは即答に近い反応をする。


「・・・・・・はい」


 声の歯切れが悪かった。納得できない命令は過去にも数多い。それでも、エメルが戸惑いを僅かにでも見せるのは珍しい事だった。ヴォイドは不審の目を向けていた。エメルは口元だけを歪ませ、微笑を作り背を向けた。その微笑には皮肉が籠もっていた。


 彼女が退室しようと、ドアノブに手をかけた時、内線電話のコール音が鳴った。

 振り返ると、ヴォイドが手で少し待つように合図をしたので、部屋の中央へ戻り、ジーンズのポケットに両手を突っ込んで待機した。


 ヴォイドはしきりに通話相手に頷いているだけだった。エメルをちらりと横目に見て、手でテレビを点けるように促した。エメルは中央テーブルの上にあったリモコンの電源を入れた。昼間の銃乱射事件の特別番組が映った。テレビ番組に携帯電話で撮影された映像が流れていたが、今のところエメルの姿を捉えたものはない。


 ヴォイドが内線の受話器を置いた。エメルは上司を振り返る。


「犯人の報告に間違いはないな?」


 死体となった犯人の顔写真は撮影して、野神真の携帯電話や犯行用の拳銃とともに提出した。間違いなどない。エメルは神妙に頷いた。

 テレビで殺人犯の情報をアナウンサーが伝えていた。


「先ほどからお伝えしております通り、犯人は百貨店の紳士服売場に追いつめられ、自殺したと警察により発表されました。身に油を被り焼身自殺、身元が特定できないほど遺体が損壊して・・・・・・」


 エメルは眉をひそめて画面に見入っていた。


「遺体を燃やしたのか?」


 肩越しにヴォイドを振り返り、静かに顔を横にふった。

 人質になっていたSATが無線連絡をしていたので、その場を去った。そこから後の事は見ていないが、上階で息を潜めてた後、落ち着いた頃に百貨店を出た。燃えていたら騒ぎになるし、人が焼ける臭いも漂う。


 遺体は燃えていない。理由は分からないが、警察は嘘をついている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る