第9話 潜入
警察側の人員が集まりきっておらず、地下道は完全に封鎖しきれてはいなかった。人手が足りず、警備会社に封鎖させていた通路を、警備会社のスタッフとして入り込んでいたMIAの職員に、通してもらった。一人、民間人を連れているのは予定外の事だった。職員は驚いていたが、エメルは頷いて大丈夫だ、と合図した。
エメルと野神は百貨店の地下一階、食品売場にある酒瓶がびっしりと、三段の棚に並べられている店舗の中で、野神真のスマホを使って百貨店4Fメンズファッションフロアにある監視カメラの映像を見ていた。大路奈地美がまだ無事である事は確認できている。同じフロアで犯人も拳銃を片手に、負傷した黒ずくめの警察官、SATの一人を人質に彼の周辺でウロウロしている。
エメルは映像に映っている拳銃を見て、MIAのもので間違いないだろうと思った。ヘルメットを被っているが、男なのは体格で分かる。エメルが追っている人間、魔女ではなかった。こいつが魔法使いなのだろうか?
「走る時にバタバタ足音立てるな。命取りになる」
エメルは声を落として野神の腹を手の甲で叩いた。
「そんなこと言われても」
「私にその携帯電話を渡して、任せてくれれば一人でスムーズに仕事ができたのに」
「愚痴るなよ。トラブルがあったら、俺じゃないと直せないんだから」
嘘だろうと、思った。この男は、何を言っても信じない。本当にエメルが、野神真の友人を救い出す事を優先するのか、気になって仕方がないのだ。監視兼、自分でナビをする事で、エメルの行動をコントロールしようと考えている。
「警官は呼ぶなよ。私が銃を持っている事を忘れるな。犯人やその仲間だと思われて、外にいる連中が入ってきた場合、私に発砲してくる危険もあるからな」
野神が早まって、外にいる警官達に内部の情報を送りつけないように釘を刺しておく。エメルは一人で犯人をしとめるつもりでいる。エメルは手鏡を通路側に少し出し、外の様子を探った。まだ、警備員に化けたMIAが立っているが、いずれ警官達がやってくる。急がなくてはならない。
二人は食品売場を大回りし、上に伸びている階段を見つけた。三階まで足音を立てないように上っていき、目の前に4Fフロアの入り口が窺える場所で二人屈んで待機した。エメルは野神にいくつか確認をしなければならないと思った。
「人質はお前の友達と、SATだけか?」
駅や、百貨店を含む周辺の建物に入ってる警備会社にMIAの職員が何名か入っている。彼らはパニックになった利用客を誘導し、避難させているはずだった。しかし、警備システムの映像を携帯電話に引いてくるなんて、考えなかった。エメルは野神真に関心していた。
「ああ。全フロアの映像は確認したけど、人質は二人だけだ。間違いない」
この少年の『間違いない』は当てになるのだろうか。エメルは野神真を横目で観察した。頭髪は黒色。日本人の典型的な髪の色。ミディアムヘアで先端はカールがかったクセ毛。風で髪型が崩れないよう、ほんの少し塗った整髪料がフロアの明かりで光っている。面長、二重で猜疑心の宿った細い目、細い鼻。
人を信用していない人間に共通のくせ、話しかけると一瞬、間を空けた後反応が返ってくる。相手の様子を探り、慎重に言葉や行動を選んでいるのだ。それなのに、大事な友人のために危険に飛び込む勇気がある。
見れば見るほど、ネイサンに似ているな、と思った。懐かしい思い出が胸にこみ上げる。
最も、野神真の猜疑心が強くないとしても、エメルを全面的に信用する事は難しい。一見して、華奢で小柄なエメルを見れば、凶悪犯と戦えそうにないと思うのは自然だ。それに加えて、野神は機密情報を見ている。MIAが大きなミスを犯している事を知っているので、MIAという組織そのものを懐疑的に見ているに違いない。悪い証拠を見られていて、良いように解釈しろという方が無理がある。
エメルには野神が、自分の要求を軽く見られると疑うのも理解できた。
犯行映像を見るに、犯人は冷静で、行動に躊躇する所が微塵も見られなかった。愉快犯ではなく、ある目的を持っている。敵の目的はエメルだ。全てはエメルを引きずり出すためのお膳立て、魔法使いを狩り出すための罠なのだ。
だから、この少年を連れて行くのは心配だった。野神真がエメルを信頼していないので、敵と向き合った時、予想外の暴挙に出る可能性がある。
「マコト君」
「え、何?」
思いも寄らぬ事を言われた、といった反応だった。今の何がおかしいんだ、とエメルは思ったが、気にせず続きを口にした。
「作戦を立てよう。これから二人が取る行動をだ。相手は銃を持ってる。最悪、死ぬ事になる」
エメルは『死ぬ』という言葉を強調した。軽率な事をさせないための戒めだった。野神は真剣に聞き入っている。効果はあったと思った。
「君の友達を助ける事を優先する。私が犯人を引きつけるから、その間に私の背後を迂回して犯人に存在を気取られないように静かに友達の所へ行け。友達を見つけたら・・・・・・」
エメルは小さな壷をジャケットのポケットから取り出した。
「もし、怪我をして動けない状態にあるなら、これを塗れ。最初は痛いだろうが、その後は恐ろしく楽になる」
野神は手渡された小さな壷を不思議そうに眺めたり、中の臭いを嗅いだりしている。鼻が痺れるような臭いがした。
「マコト君が友人にたどり着いたのを確認したら、本格的な銃撃戦に持ち込む。お前達とは距離を取るように犯人を誘導するから、頃合いを見て少しづつ移動しろ。立ち上がって走るなよ。背中から撃たれるからな」
取り乱して勝手な行動を取らないように、少年の都合を優先させるプランを言い聞かせた。納得してくれているようだ。後は、プラン通りに行動すれば、野神が暴走する危険性は減る。イレギュラーが発生した際の対処法もいくつか考えておく。
「エメルはどうするんだ?」
「犯人を射殺した後、銃を回収して別ルートで逃げる。君は、警察に助けてもらって後は家に帰れ。それと、その携帯電話についてだが・・・・・・」
野神の手を見た。携帯電話を力強く握りしめ手放す気配がない。
エメルは大きく息を吐いた。
「・・・・・・お前のナビが必要なのは、犯人のいるフロアに入るまでの話だ。私がフロアに飛び込んだら、もう余計な事はするな。友人を助ける事だけ考えてろ」
エメルは野神の肩を掴んで、二、三度叩いた。
野神の体が思ったより堅い。よく見ると、顔も強ばりガチガチになっている。野神が何かをする前に犯人を始末するべきだと悟った。予定を変えて、野神には何もさせず、野神の友人を守りつつ、犯人を殺す。エメルは最後の念を押した。
「自信がないなら、絶対にフロアに入るなよ。戦闘の基本だが、まず弱い奴から最初に狙われる。隠れている人間がいるなら、必ず利用するだろう、二人も庇いながら戦うのは無理だ。私の動きやすいような判断を頼む」
エメルは野神を観察していた。野神の緊張はより深まり、全身の各動作、瞳孔の動き、顔色などから体調の変化を読みとる。リスクを突きつけ、何もできないと言うことをじっくりと言い聞かせ、彼の身動きを縛る。
「俺を助ける余裕は無いって言ってたじゃないか、俺はどうなってもいい」
「助ける余裕がないから、余計な事はするな、と言った。お前が役に立つのはここまでだ」
エメルは自分の胸を叩いて見せた。
「後は魔法使いに任せとけ」
彼は何を言ったら良いか分からず戸惑っているようだった。エメルは口を曲げて笑みを作って見せた。それから拳銃を取り出した。ベレッタM9FSセンチュリオンという拳銃だ。色々試して結局、これに落ち着いた。横で野神が物珍しそうにベレッタを眺めている。
側面についている指紋照合パネルに親指を当てると安全装置が解除される。スライドを引く。行方不明になった三人が拳銃を何らかの形で犯罪者の手に渡してしまった事で、アメリカの関係者に足がつくような拳銃の使用を止め、日本で使われているニューナンブや、日本のギャングが使うトカレフの改造銃を使うように言われたが、ほとんど使った事が無く心許ないので、愛銃の使用許可をもらった。ただし、銃にもGPSが取り付けられている上、指紋照合機能も付与された。悪用されないためだ。
野神少年の顔に緊張が走るのを、ちらりと見た。
「いくぞ」
エメルが合図を出したその時。声が聞こえた。
「やっと来るのかい? いつまで待たせるんだ」
エメルと野神は視線を交錯させ、それから二人は同時に野神が持っている携帯電話に視線を移した。
「俺は応答ボタンを押していない」
野神は狼狽している、消え入りそうな声で、携帯電話を持つ手も震え始めた。
「俺が勝手にやった。警備システムをハッキングしてるな。監視カメラで俺を見てるのか? 見えるか? ここだ」
犯人は、足を負傷させたSAT隊員の腹の上に腰掛け、監視カメラに向けて手を大きく振りかざしていた。顔はSATから奪ったヘルメットをしていて見えない。店が使っているラップトップのパソコンを使ってハッキングしているらしかった。
野神の携帯電話は犯人によって乗っ取られてしまった。エメルは野神の様子を探った。頭のてっぺんから、つま先まで。携帯電話を握る手は死体のように硬直し、足はガクガクと震えて、立っているのがやっと。彼はもう駄目だ。邪魔にならず、却って良かったと思う。
「マコト君は、絶対に来るな。私が行く」
「何かお友達がいるそうだな。どこだ? おっ、こんなところに・・・・・・」
エメルは階段を駆け上がった、二段、三段飛ばしで飛び上がり、一瞬で四階出入り口に到達すると、中へ突っ込んだ。
銃声が飛んだ。ほぼ同時に二発。
人間の体が勢いよく落下して転がる音が野神の耳に入った。その後、続けざまに何かが倒れる激しい音が響いてきた。
取り残された野神は絶望に身を奪われ、体の制御ができなくなっていた。握りしめていた携帯電話が彼の唯一の希望で、彼の自信の源だった。彼は全身の力が抜け、手に持っていた携帯電話を落とし、膝を振るわせて恐怖に戦慄いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます