第8話 魔女の名はエメル

 野神のスマホのハッキングアプリは百貨店の警備システムに侵入を試みている。さっきから完了まで97%の所から数字が増えない。じれったい気持ちを理屈で必死に押さえつけていた。


 ハッキングアプリが動作している間は、それ以外にメモリを消費するような事はしたくない。MPODをwifiに繋ぎ、周辺の地図を表示する。野神はターミナルはよく訪れるものの、百貨店にはあまり立ち入った事がない。うろ覚えの記憶でウロウロしていると、わけもわからず殺されかねない。


 地図を見ると、百貨店への入り口は地上の北と南の他にはない。他には地下の飲食街からデパ地下コーナーに入り、そこからエスカレーターや階段で入る経路があった。

 ここから見える警官が少ないのは地上の入り口を二手に別れて固め、さらに地下からの経路にも人を割いているからなのかもしれない。

 数で勝る警察部隊が一名の銃撃者に詰め寄るには好都合な地形だと思うのに。行動が遅いと思った。


 スマホが振動した。警備システムへの侵入が成功した事を告げていた。

 早速、監視カメラのデータをスマホに引いてくる。地下の食品売場から、2Fと3Fの婦人服売場、4Fのメンズファッションフロア・・・・・・隅々まで映像を見る。野神は膝から力が抜けるのを感じた。大路奈地美がいた。幾つかあるブランドスペースの一角、ある有名ブランドの鞄が並べてある棚の下から頭が見えている。うつむせの状態で横たわった彼女を見つけた。ボブカットの栗毛、茶色のニットのセーターに、薄い紺色のボトムス。ピンクのダウンジャケットを脱ぎ、腹の下に引いている。目立つ事を警戒しての事だろう。どうやら、まだ見つかってはいないようだ。


 4Fメンズファッションフロア、奈地美がいる場所から、幾つかの店舗を隔てた通路の真ん中に、黒ずくめの男が一人倒れているのを見つけた。警察官なのだろうか? 地上で待機していた警官とは装いが違う。映像越しでもゴリラのような大きな体格である事がわかる。彼は右足を負傷している。黒地のズボンに赤黒い血が染み込み、足から血だまりが広がっていた。息はある。角刈りの若い男が痛みに顔を歪ませていた。


 彼を映している監視カメラの右下から、ヘルメットをかぶった黒の皮ジャケットを着た男が出てきた。被っているヘルメットは特殊なもので、眼前にシールドがついていた。倒れている男から奪ったものかもしれない。仰向けに転がっている男に拳銃をチラツかせながらフロアをウロウロしている。犯人に違いなかった。野神は監視カメラの映像データを巻き戻した。


 黒一色の出で立ちに、黒いシールドがついたヘルメットを被った男二人が4Fフロアに踏み込んでいた。フロアを警戒していたが、突然、一人が足から崩れ落ち、足の周囲に血の水たまりができた。もう一人は試着室のカーテンに向けて発砲している。発砲している最中に今度は隣の試着室のカーテンが火花で光った。


 二人目の特殊隊員は手が衝撃で後方へ曲がり、彼の拳銃はどこかへ飛んでいった。もう一台の監視カメラに二人、助太刀に入る様が映っていた。二人の背後に何か飛んできて突然、白い煙を吐き出した。消火器が投げつけられたのだ。監視カメラの映像が白煙で包まれる。煙の中から後退していく二人が出てきた。負傷した一人を引きずるように運び出し、階段へと引き返した。やがて、消火器の煙が落ち着いた後、画面外から歩いてくる黒い目出し帽を被った犯人の映像が映っていた。負傷して倒れた男からヘルメットを奪い取っている。野神には手品にしか思えなかった。


「ど、どうやって移動してるんだ?」

「試着室の横壁を何かで壊していたんだろうな」

「うわっ!!」


 野神は突然の真横から割り込んできた言葉に、心臓にドライアイスを押しつけられたような衝撃を受けた。声の主は構わず解説を続ける。


「カーテン越しに撃って、それから直ぐに横の試着室へと移動。誰もいない場所へ一生懸命射撃している人間をじっくり狙う。もちろん、足下が見えないように、小物を乗せたワゴンを試着室の前に置いてある。そして騒ぎに寄ってきた連中を待ち、迂回して、背後から消火器を投げる。人質を一名確保。残りの三人を返したのは一人が人質になった事を報告させるため、かな」


 声の主は腰に手を当て佇んでいた、口端を上げ笑みを浮かべているが、目は笑っていなかった。肩口までのストレートヘア、端正な顔立ちの中に漂うエスニックな雰囲気が日本人なのか異邦人か判断に迷う。特徴的なのは、ややつり上がった大きな目、透き通るように美しく輝く緑の瞳だった。MIAエージェントの魔女だ。


 彼女は野神の胸板辺りまでの高さしかない。

 野神のスマホの映像を背伸びをしながら一生懸命のぞき込んでいたのだった。野神はスマホを背後に隠した。

 

「相変わらず覗きか? スケベな奴だ」

 彼女は野神の胸を手の甲ではたいた。クールで爽やかな面構えだった。

「お前も人のスマホ、覗いてんじゃねえ」

 野神は女が何をしにきたのか不審に思った。

「何しに来た?」

「邪険にするな。手を貸してやろうと思って来てやったんだ」


 一見、クールな表情は平静を保って崩れないが、心なし目尻が下がって愛嬌が出ているように見えた。何か裏がありそうだと、野神は警戒した。


「構えるな。その鞄の展示台の下にいる女、助けたいんだろ?」

 魔女はグリーンジャケットのファスナーを下ろし、体にフィットした、黒のインナージャケット姿を晒した。腰に着けたケースから、銃のグリップ部だけ掴んで野神に見せた。私なら可能だ、と言いたいのだろう。


「ヤツの戦いぶり見ただろ? 落ち着いているし、計画的に効率よく外敵を捌いている。頭はキレるようだ。行けば死ぬよ」


 悔しいが、その通りだと思った。冷静に侵入者を迎撃し、人質まで作り上げた。野神がつけ込めるような隙はない。一体、何を目的にこんな凶行に及ぶのだろう? MIAの女に尋ねると、女は小さく首を傾げた。


「さぁな。解らん。聞いてみたいが、尋問するには日本の警官が多すぎて、連れ出せない。我々はヤツを射殺するつもりだ。警察に余計な事喋られると困るんでね。銃も回収しなければならないし」


 魔女はやけに落ち着いて、噛んで含めるように話すので、野神はそわそわした。

 彼女には事態を大きく受け止めていない、とでもいいたげな余裕があった。一刻も早く大路奈地美を百貨店から連れ出したい気持ちに水を指された気分になった。


「協力してほしい。私が地下から上がって4Fまで行く。中の情報を確認しながら行動したい。お前の携帯電話が必要なんだ、渡してくれ」

「諜報員だろ? MIAの情報力には適わない」

「国外で、しかも今回は日本政府に内密で動いている任務だ。協力者がいないと、我々だけでは出来ないことはある」

「散々、馬鹿にしてたよな、俺の事」

「謝るよ。だが、どのみちその携帯電話は回収しなければならない。そこにダウンロードされた機密情報の価値は解っているはずだ」


 魔女の言う事は理解していた。機密情報を持っていても野神にはリスクにしかならない。何故なら、MIAの銃が犯行に使われている事実を世に突きつけた所で、野神には得るものがなく、後になって報復される可能性がある。不正を公開した後、誰が野神を守ってくれるというのだろう。

 魔女はその気になれば、スマホを奪い取る事も容易にできる。なのに、野神の許可を得ようとしているのは、単に下手にでているわけではなく、MIAのサーバーに不正侵入したハッカーの立場を、協力者として少しでも印象を良くし、証拠品も押収した上で罪を不問にしようと努力してくれているに違いない。路地裏のやり取りで彼女の意図は伝わっている。庇ってくれる理由までは分からない。

 それを口にしないのは、耳の通信機を通じて会話が他の仲間に聞かれているからだ。

「スマホは渡せない」


 野神は毅然として断った。魔女の心使いはありがたい。だが、どこまで信用できるのか。本当に、奈地美を救ってくれる気でいるだろう、だが、その約束の位置づけが優先すべき過程の最後であるなら。頑張ったけど、彼女は死んだ。緑目の魔女はそう言いはるかもしれない。それでは、駄目なのだ。それは警察にしたって同じ事だ。この期に及んで、人を信用する事ができない自分を呪った。


 悔しいが、行っても殺される事は理解している。魔女が現れたのは天恵だと思った。何とかして、大路奈地美の救出を優先させるように目の前の女を利用しなくてはならない。魔女が欲しがっている野神のスマホは彼女と交渉するための手段で、最後の希望だった。簡単に差し出すわけにはいかない。


「私はここで無理矢理お前から携帯電話を奪う事ができる」

 女は静かに告げた。その一言、一言に体を押さえつけられ、抗う力が抜けるようだ。

 拳銃も持っているし、喧嘩も歯が立たないのは先ほどのやりとりで思い知らされた。

 だが、野神は引かなかった。奈地美の命がかかっている。


「重ねていうが、お前は行っても殺されるだけ、友達も死ぬ。このままグズってたら、お前の友達は辿りつく頃には死んでいるかもしれない。この申し出を断っても結局、私に携帯は奪われる。その場合、友達の命は保証できない。犯人殺害を優先する。素直に協力してくれれば、お前の友人を救出する事を優先してやる」


 緑の瞳は野神の目をがっちり捕らえて離さない。静かに追いつめられてゆく。

 必死に頭の中で考える。確実に、彼女に大路奈地美の救出を優先させ、助けを得る。MIAの力も利用する。その裏付けを取る。追いつめられた野神は一つの答えを出した。


「わかった。協力しよう」


 緑の瞳は微動だにしなかった。野神の目をじっと見つめている。


「ただし、スマホを持ってナビするのは俺だ。俺も同行する、それが条件だ」


「・・・・・・別にいいけど。事件が片づいたら、その携帯は回収する。いいな?」

「片づいたらな。好きな所に持って行け」


 野神の手元に犯人の様子を確認できるスマホがあれば、主導権をある程度は握れる。大路奈地美の救出を優先させるのだ。どうしようもなくなったら、MIAには悪いが外にいる警察へ情報を流し、突入させる方法もある。救出できれば、後は好きにすればいい。

「了解だ。お前を助ける余裕はない。だから、余計な事はするな。覚えておいてくれ」


 野神は頷いた。魔女は握手を求めて手を差し出した。野神はこれに応じる。二人は握手を交わした。力を込めれば、潰れてしまいそうな小さな手だった。路地裏で襟首を引っ張られた時の膂力はどこから捻りだされるのだろう。


「私はエメル。フルネームは勘弁してくれ。一応、諜報員だしな。お前も、本名を知られたくなければ言わなくていい。だが、何か呼び名は・・・・・・」


「野神。野神真。本名だ」


 エメルは口角を上げて笑みを作った。爽やかな笑みだった。

 涼しげな緑目に微細な変化すら感じられなかった。

 野神は、MIAの機密データはMPODに保存されている事を思い出した。

 その事は、後で伝えようと思った。今は、友人の救出に専念する。


 野神とエメルは地下へ延びる長い階段を早足で降りていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る