第7話 都市を駆ける魔女
ターミナル近辺を編み目のように通る舗装路を、人の群が走っている。方向は定まらず、ただ、奇声を上げ、方々に散っていく。車に衝突した人達もいて、ひしゃげた車の隅で横たわっている者もいた。雪に足を捕られ、転倒し、それでも体勢を必死に立て直し、尋常ならざる顔で走り去っていく人達。
エメルは彼らの流れに逆らい、向かってくる人達に向かって駆けだした。血相を変えて、顔の皮膚を右に左に、上へ下へと揺らしながら走ってくる人々を紙一重に交わしながら、ターミナル周辺に視線をさまよわせ、標的を探しまわった。
銃声に驚き、恐怖し、逃げまどう人々の顔の移り変わりを、エメルの緑色の瞳は、超高性能のスローモーションカメラを通して見るように捕らえていた。
人体改造の魔法。五感を研ぎ澄まし、肉体を高め、人間に備わる機能をより高次元にまで引き上げる。体が小さく、力の弱かったエメルは、訓練だけでは補い切れなかった肉体の弱さを魔法で補い、血の臭いと、暴力と権謀術数入り乱れる現場で生き抜いてきた。銃弾の軌道を肉眼で捕らえ、回避できるエメルにとって、人の群の中をかいくぐる事は手間にもならない、楽な行為だった。
耳に流れ込んでくる報告を聞きながら、逃げまどう人々の中を、小走りで都市を駆けていた。エメルはターミナルの混乱には目もくれず、ある場所を目指していた。被害がでないように、逃げる人達を、警備員に化けたMIAの職員が誘導し、安全な所に避難させる。可能であれば、犯人を屋内に追い込み、そこでエメルが射殺する手はずになっている。
さっきの、スケベ男。無事、逃げただろうか、エメルは考えた。
彼は、黒のタートルネックのセーターとグレーのスラックス姿。上から黒とグレーの細かいチェック柄のロングコートを着ていた。彼はホットコーヒーの缶を、両手で包み込むように持っていた。
彼の目は怯えていた。猜疑心が瞳や顔から表出していた。昔、よく見た懐かしい目だった。エメルには死人の瞳にも思えた。昔、友人が死ぬ直前に見せた目に似ていたからだ。それだけではない、顔は似ていないが、どこか面影があった。かなりの苦労を経験しているようだが、エメルはその問題に立ち入る事はできない。
彼はハッカーだった。エメルの端末のセキュリティが作動しているのに気づいたすぐ後、MIAのサーバーが襲われたと報告を受けた。エメルの個人情報を得る事だけが動機だったと思う。
会話や触れ合いを介さず、いきなり他人の個人情報に手垢をつけに行く行為はスケベ男の異常性癖に近いと思う。そこに他人へ対する配慮がない。体だけが目的の男に似た思考だ。だから、彼はスケベなのだ。そこは死んだ友人、ネイサンとは違う。
思わぬきっかけができた。仕事が片づいた後、その性根を教育してやると考えた。可能であれば、彼の目を曇らせている原因も解消する。エメルは微笑んでいた。
耳に通信音声が入ってきた。百貨店の中に犯人がいるらしい。
今の所、確認した限りでは、死人は出ていないという。
民間人には用はないと言う事だ。犯人はMIAに直接、犯行予告を送りつけ魔女を連れてこい、と要求してきた。犯人は、追いかけていた女かもしれない、もう一人の魔女だ。
エメルの魔法も無敵の力ではない。感覚の強化は脳に負担が大きく、視覚・臭覚・触覚・味覚・聴覚の内、一度に使えるのは、いずれか一種類に限られる。肉体や骨を強化する分には負担が少ないが、感覚と併用を試みると、感覚強化に、大部分の魔法の力と脳機能を要し、肉体強化の範囲が狭まってしまう。
相手も何らかの弱点はあるだろう、と思った。
今日で、長かった鬼ごっこも終わる、終わらせる。
エメルは最後の戦いに向けて、息を整え、足を加速させた。
ターミナルの外ラチに沿うように、百貨店までの距離を急いでいた。
人通りは少なくなっていた。MIAが上手く人々を誘導したのだ。ふと、気になる人影が前方を、足を引きずりながら進んでいた。例のスケベ男だった。
「何してる? アイツ」
そういえば、友達に連絡するとか言っていた。その友達が近くにいるのかもしれなかった。まさか、百貨店の中には用はないだろう。エメルはやり過ごそうとして、結局、足を止めた。
「まさか・・・・・・だよな」
何となく、スケベ男が銃を持った犯人に引き寄せられている気がした。
彼女の悪い予感はよく当たる。
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