第3話 絶対領域
野神はハッキングアプリのメニューを開き、辺りを張り巡っている通信網を全て洗い出した。駅の利用客は携帯電話やPCを、ターミナルが各所に設置しているwifiスポットに接続させていた。こういったサービスはセキュリティが弱く、野神が用意したマルウェアを使えば簡単に脆弱性をつき、侵入は可能だった。魔女は独自の専用回線を持っているのかもしれないと思った。
一つ、見覚えのない通信回線の名前が表示されていた。野神はその表示をタッチした。
魔女のGPSの丸印が点滅した。彼女が、この回線を利用している証拠だった。
プライベートな専用回線を提供している業者はたくさんいる。料金も様々だが、割高なほど、通信のセキュリティは強い。魔女がこういった業者を使うという事は、リアルだけでなく、ネット上でも他人からの干渉が強く、迷惑を被っているのだろう、モテる女は大変だなと同情した。
野神は彼女が利用している回線を提供しているサーバーを調べた。
いくつかのサーバーを経由しているが、最終的にアメリカのバージニア州にあるサーバーに辿りつくようになっていた。アメリカの業者だった。鞄からワイヤレスのキーボードを取り出した。もはや人目も気にならないほど、意地になっていた。
バージニア州にあるサーバーに総攻撃を仕掛けた。ありったけのマルウェアをぶつけた。撃退される度にマルウェアのソースコードを書き直し、再攻撃を仕掛けた。
野神は魔女がいる位置を覗いた。彼女はいなかった。スマホ上が指し示す彼女のGPSの位置は遠ざかっていく。中央通路まで下り、さらに地下に下りるつもりのようだった。
やがて、野神の総攻撃が成功した。サーバーに入り込めたのだ。思わずガッツポーズを取っていた。前を通った何人かが、野神に視線を向けてきた。皆、無表情だった。恥ずかしくなってすぐ手を引っ込めた。サーバー上のデータに目を通したが、意味が分からない。全部、英語で表示されていたからだ。野神の興味は急速にしぼんでいった。
魔女の事を知りたかっただけなのに、いつの間にか彼女に通信を提供していた業者との喧嘩になった。サーバの中に彼女のデータがあるかもしれない。だが、英語なので見当がつかない。野神の英語能力は高くはない。野神は興味を失い、携帯電話とキーボードを鞄にしまいこんだ。
奈地美はまだやって来ない。約束の三十分に迫ろうとしていた。何をしているんだろう。彼女からのメールがないか、スマホに手を伸ばした。スマホに指を這わせようとした、その時、スマホが振動した。
異常を告げていたのだ。自作のセキュリティプログラムが警告表示を出している。
『外部からの不正アクセスがありました 警告番号:023』
これは不正アクセスを防ぎきった後に表示される警告メッセージだ。『023』というのは攻撃されて防いだ回数を示している。表示が消え、新たな警告がでる。二十四回目の不正アクセス攻撃があった事を告げていた。
さっきのアメリカの通信業社の仕業を疑ったが、業者がここまでしつこく攻撃してくるだろうかと思った。野神は反撃に出る事にした。セキュリティプログラムの設定を『カウンター』に変え、待機した。画面が切り替わる。砂浜と青い海が広がる爽やかなビーチの景観だった。その上に、さきほどとは種類の違うアイコンが規則正しく並んでいる。ダミーだった。何をクリックしても、偽の情報、偽の画像、偽の名前にたどり着く。名義はダニエルだった。おまけに、何かの情報にアクセスするたびに、マルウェアが情報に紛れて相手の端末に飛び込む。そうなれば、やりたい放題だった。
二十五回目の不正アクセスが行われた。ダミー画面を探っている。勝手に画面が移り変わり、何かのデータをダウンロードしている。顔の見えない相手は何かをする度に、マルウェアが侵入している事に気付いていないようだ。
野神は携帯音楽プレーヤーを取り出した。見た目はスマホと同じ機能がついた、MPODという機種だった。こちらにもスマホと同じ、ハッキングプログラムが入っている。マルウェアが入り込めば、あとは中からセキュリティのドアをこじ開ければいい。
あとはMPODからでも、侵入する事はできる。MPODは単体ではネットに繋がらないので、ターミナルのwifiスポットを利用する。
MPODから攻撃を仕掛け、セキュリティの扉が開いた相手の端末の中に侵入した。スマホではなかった。PCの中だった。誰かとしきりにデータのやりとりをしている。全て、英語でのやりとりだった。
野神はやりとりされているデータを、MPODへと流れるようにデータを操作した。家に帰って、辞書や翻訳ソフトを使ってゆっくりと情報を見る。
野神のスマホへの攻撃は止んでいた。間もなくして、MPODの通信も断たれた。相手も気付いたのだろう。それきり、完全に興味が失せた。大路奈地美はまだ姿を見せない。奈地美にメールを送って直接、彼女に会いに行く事に決めた。
メールを送ろうと、スマホを手に取った。画面には起動したままのハッキングアプリの画面が表示されていた。すごい早さで野神がいる方向へ移動してくるGPSが一件あった。野神はベンチを立ち上がり、背後の中央通路へと移動し、階下へと目を向けた。直接、顔を見てやろうと思ったのだ。ひょっとしたら、さっき攻撃を仕掛けてきた誰かかもしれない。違反行為はお互い様だ。GPSの主がもう少しで中央通路へ現れる。それは姿を現した。
野神は目を見開いて、驚いていた。相手はキツネにつままれたような顔をしていた。二人は目が合ったまま、固まっていた。周囲の喧噪がどこか別世界のものであるかのように思えた。二人の表情が一変するのは同時だった。
野神は顔をひきつらせ怯えだし、彼女のつり上がった冷酷な目には鋭さが宿った。
魔女だった。彼女が行動に移るよりも早く、野神は逃げ出していた。
逃げながら、何かの間違いであってくれと祈りながらスマホに目を落とした。
GPSは迷いなく、野神を追いかけてきていた。
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