第27目 深い闇へとおとしいれても

 私が初めて転人さんに会ったのは、もう随分ずいぶんと昔のことだ。

 小学生のころか、もしかしたら、もっと前だったのかもしれない。

 正確な時期は覚えていない。


 転人さんは、ご両親と妹の巻菜ちゃんと一緒に、NOQSの研究所を訪れていた。

 彼らのご両親はNOQSで研究員をしており、その日はご両親のお仕事を見学するという名目で遊びに来ていたのだった。

 私や姉さまたちも、転人さんと巻菜ちゃんのお相手をするために、同じく研究所に来ていた。


 研究所の一室で、私たちは初めて出会った。


 その部屋は、まるで子供のための楽園のようだった。

 四方の壁には、天井まで届く本棚とキングサイズのベッドが置かれていて、どちらにも子供用とおぼしき階段と梯子はしごがそなえつけられていた。

 本棚の中やベッドの上にはもちろん、そのまわりにいたるまで、かわいいぬいぐるみやお人形たち、ロボット模型や組立ブロックなどが、ところせましと並べられていた。

 白いキャンパスに星々を散りばめた、まさに子供のための天体模様だった。

 部屋の中心には、そのたとえにおあつらえ向きな、満月とも太陽ともとれる丸い机が置かれていた。

 それは、当時の私たちの――私にかぎって言えば今もかもしれないけれど、背丈せたけにちょうどよい高さの机だった。


 その机に、私たちは座らせられた。

 待ての状態だった。

 まずはお互いを知るために、自己紹介をする運びとなった。

 全員が、おっかなびっくり、心ここにあらずで、名前と年齢をとりあえず言葉にしたという感じだった。

 一位姉さまが最年長で、二王姉さまと転人さんがその下、最年少が私と巻菜ちゃんだった。

 みんながうずうずとそわそわとしていた。

 正確に言うと、一位姉さまだけは、そんな私たちを見て嬉しそうな顔をしていた。


 「よし」の合図が出たところで、みんなは一斉に星々へと向かっていった。

 転人さんはロボットに一直線で、巻菜ちゃんはゆっくりとぬいぐるみのところへ。

 二王姉さまはお人形とロボットの間で揺れていた。


 私はというと、ぬいぐるみを視野に入れつつ、隠されていたお菓子を取りに行っていた。

 抜け目がなかった。

 私がお菓子の袋をがさっと持ちあげたとき、それをじっと見る巻菜ちゃんに気がついた。

 ぬいぐるみを抱えたまま「気がつかなかった!」という顔をしていた。

 そんな顔をしていたから、キャンディを乗せた手を突き出してみた。

 巻菜ちゃんは、ぽんっと手を出し、ぱくっと食いついた。

 えへへ、と笑う巻菜ちゃんが、とてもかわいかった。

 そのまま私と巻菜ちゃんは、ふたりでがさごそとすることにした。

 すぐに意気いき投合とうごうし、そこに遠慮も気まずさもなかった。

 はたから見ると、それはそれははしたなく映っていたことだろうと思う。

 私と巻菜ちゃんの趣向しゅこうが異なっていたため、まだ平和的な光景だったのだろうけれど。


 三者さんしゃ三様さんようで、思い思いに楽しんでいた。


 そんな中、扉の向こうから、小さなケースが運びこまれてきた。

 一位姉さまがそれを受け取り、机の上に置く。

 その様子に気がついた私たちは、順々に机へと集まっていった。

 最初に二王姉さまが気がつき、私と巻菜ちゃんが近づき、最後に転人さんが来た。

 転人さんは、巻菜ちゃんのすぐそばに腰をおろした。

 そこは、巻菜ちゃんと一緒にいた私のすぐそばでもあった。

 巻菜ちゃんと仲よく話す転人さんを、私は横目でちらちらと見てしまっていた。


 一位姉さまがケースを開けると、中にはサイコロが五つ入っていた。

 当時は、まだ今のように“役目負いキャスティング”できるダイスは世に出てはいなかった。

 世に出ていなかっただけで、研究はされていたのかもしれない。

 だからもしかしたら、このときのダイスは、その試作段階のダイスだったのかもしれない。


 当時の私たちは、それを使ってダイスダウンをすることにした。――もちろん、するようにし向けられたのかもしれなかったけれど。

 対戦は順々に、全員が全員と当たるようにやっていった。


 ただ、巻菜ちゃんだけは、最初から参加をしなかった。

 争いが嫌いなのか、他のなにかを怖がっていたのか、それは今でもわからない。

 今となっては、確かめようもない。

 ダイスダウンの邪魔じゃまにならないようにと、巻菜ちゃんはベッドのほうへと移動していた。


 残ったみんなは、普通のサイコロと同じように、ダイスを降っていく。


 二王姉さまの手番になったとき、ダイスに変化が起こった。

 二王姉さまが降ろうとしたダイスが、手の中でぼうっと光ったのだ。

 そんなことは、普通のサイコロではありえないことだった。

 それに気がついた二王姉さまは、嬉しそうな顔をして、一位姉さまや転人さんに見せて回る。そしてそれを、えいやっと降る。

 転がったダイスは、今までと変わらずころころとしてとまる。

 とまったあともじんわりと光り続け、火が消えるようにふっと暗くなる。

 二王姉さまは、そのダイスを一位姉さまに手渡し「やってみてよ」と急かした。

 「仕方ないわね」と一位姉さまがダイスを握ると、二王姉さまのときと同じように、淡く光り出した。

 それに一位姉さまは驚き、二王姉さまはまた嬉しがった。


 次に目を向けられたのは、私だった。

 私は躊躇ちゅうちょした。

 正直に白状すると、怖かったからだ。

 淡い光を放つダイスに、少なからず興味はかれたし、おもしろそうと感じたのは事実だった。

 でも怖い。

 私の世界になかったものが現れたことに、恐怖を覚え、それを私自らが体験するということに、躊躇せざるをえなかった。

 姉さまたちと同じようにダイスを降ろうと、一度は覚悟した。

 それでも、手が出せなかった。


「――俺が先に試してみてもいいかな?」


 その様子に気がついてくれたからなのか、転人さんは優しい笑顔で、私に声をかけてくれた。

 そして、私にだけ聞こえる小さな声で、


「降りたくなかったら降らなくてもいいんだよ」


 そんなことを言ってくれた。


「そうだ、もしよかったら巻菜と遊んでくれないかな、一人でいるのはつまらないだろうし」


 「楽しんでたところごめんね」と転人さんは謝ってくれた。

 一位姉さまや二王姉さまにも、許しを得てくれた。

 私の手を取って、巻菜ちゃんのところへと連れて行ってくれた。

 私の頭を、なでてくれた。


 そこからの記憶は曖昧あいまいになってしまっていて、しっかりとは思い出せない。

 きっと巻菜ちゃんと一緒に遊び続けたんだと思う。

 転人さんのことを、ぼおっと見ていたこともあったかもしれない。


 その日が、私が転人さんに初めて会った日だった。


 転人さんと巻菜ちゃんは、そのあとも頻繁に研究所を訪れた。

 そのたびに私は、彼らを出迎え、あの子供部屋で一緒に遊んだ。

 出迎えというと仰々ぎょうぎょうしくなってしまうけれど、ふたりが来てくれるのを、常に待ち望んでいた。

 だからお出迎えになってしまっただけだった。

 同じ年齢で、なんの気兼きがねもなく話せる友だちは巻菜ちゃんだけだったから、会えるのが嬉しかった。


 それに、転人さんも来てくれるから。


 だから、白主お父さまや姉さまたち、巻菜ちゃんを失った私には、もう転人さんしか残されていなかった。


 転人さんのところへ行くしかなかった。


 たとえそれで、巻菜ちゃんの大切なお兄さんを――転人さんを、深い深い闇へとおとしいれることになったとしても。

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