第13目 三儀の決意にいたるまでの物語②

 それは、転人が三儀に出会う、少し前のこと。

 三儀は、白主や二王に内緒ないしょで、“黒いサイヤク”後に再建さいけんした、NOQSの研究所にしのびこんでいた。


 忍びこむとはいっても、侵入できるような穴があったわけではない。

 研究所の所員に話を通して、白主にサプライズを仕掛ける、という名目めいもくで、正面から堂々どうどうと入館したのだった。


 三儀は、迷ったふりをしながら施設内を歩き回り、困ったふりをしながら研究員とおぼしき人に話を聞いて回った。

 白主と二王を探しながら、なにかおかしなことが起こっていないかと、目をらしていた。

 そんなこんなで、気がつけば人通りのない廊下を一人で歩いていた。

 気がついてしまえばそれまでで、段々と心細くなってきていた。

 まるで自分一人だけが、この真っ白な建物に取り残されてしまったかのようだった。


 どこでもいいから、誰でもいいから、なんでもいいから、助けてほしい。


 そんな気持ちを抱いたとき、ふと目の前の扉が気になった。

 他の扉となんら変わりのない扉だったが、その扉にだけ部屋の名前が書かれていなかった。

 三儀は導かれるように、ノブを回した。

 鍵はかかっていなかった。

 研究室にはあるまじきセキュリティのゆるさだった。

 三儀が研究所に堂々と入れてしまった時点で、セキュリティなんてモノはなかったのかもしれない。


 ゆっくりと扉を開けて、慎重に中をうかがう。

 真っ暗な部屋には、箱や机が乱雑らんざつに置かれていた。

 おそらく、備品びひん倉庫そうこかなにかなんだろう。

 特にあやしいものは見えなかった。……すべてがあやしくて、これといって選べなかったというのが、この場合は正しい。


 こんなところに探している二人はいないだろうと、三儀は扉を閉めようとしたが、


「ん……うう……んん」


 とてもとても小さかったが、部屋の中から声が聞こえた。

 うめき声だった。

 三義は、押し殺されたその声に聞き覚えがあった。

 だから、静かにばやく部屋の中へと入り、声のするほうへと歩を進めた。


 うず高く積まれたダンボールのすき間に、三義のよく知る人間が倒れていた。

 全身を包むパイロットスーツのような服は、ところどころ破れていて、布の切れ目からのぞく肌には、青色と赤色がところせましと広がっていた。


「二王姉さま!」


 そこにいたのは、二王だった。

 ぐったりと、それこそ目も開けられないくらいにぐったりと、倒れるように横になっていた。

 三儀はその姿を見て、思わず叫んで、自然と走りよっていた。



 ◇◆◇◆◇◆



 二王は物音を聞き、反射的はんしゃてきに積まれていた段ボールを自身に向けて倒した。

 それは、身に染み着いた防衛ぼうえい本能ほんのうと呼べるものだった。

 誰かに見つかるよりも、重さのわからない段ボールに押し潰されるほうが、何倍もマシだ。

 そういう考えが、この過酷かこくな日々の中で培われてしまっていた。

 段ボールは、音を立てて崩れてくる。

 今の二王には、体力的にも精神力的にも、抵抗できるほどの余裕がなかった。

 だから、どさっと落ちてくるであろう段ボールに、できるかぎりの気がまえを持った。


「二王……姉さま」


 しかし、どれだけ待っても、段ボールの重さを感じることはなかった。

 落ちてこないことを不思議に思い、薄く目を開いて、二王は目の前を確かめた。

 そこには、二王が身をていして守ろうとしている、妹の三儀がいた。


「なんで……三儀……」


 三儀は、二王の上に覆い被さるようにして、せまり来る段ボールのむれふせいでいた。


「二王姉さま、よかった」


 三儀も二王に負けずおとらず、姉である二王を、その身を呈して守っていた。


「なんで……こんなところにいるんだ」


「お父さまと、二王姉さまを探していたんです。どうしても確かめたいことがあって……。でも、なぜ二王姉さまはこんなところに、こんなひどい格好で」


「三儀、段ボールが……」


「そんなことはいいんです。そんなことよりも……二王姉さま、いったいなにがあったんですか」


 二王は、三儀の声を聞いて、場違いにも笑みをこぼしていた。

 これが最後かもしれない。

 そんな思いが、頭をぎってしまったからかもしれない。

 二王は、覚悟を決めたように、一転して表情を堅くする。


「二王姉さま?」


「……早く」


「え?」


「早く、逃げるんだ」


「でも」


「いいから行くんだ」


 二王は三儀の耳元で、三儀にだけ聞こえる声でつぶやいた。

 そして、三儀を段ボールに隠すため、自身から引き剥がした。


 その直後。


「物音がしたからなにかと思えば、こんなところにいたのか。私から逃げるとはなにごとだ」


 扉の外から声が聞こえた。

 三儀を段ボールの下へと押しやったことで、二王は外から丸見えになっていた。

 ただそのおかげで、三儀は、段ボールに埋もれて、まったく見えなくなっていた。


「逃げてなんて、いませんよ」


 そう言いながら、二王はゆっくりと立ちあがる。


「逃げるわけがないじゃないですか、ねえ、父さま」


 二王は、満身創痍まんしんそういの身体を押して、目の前の人間――自身の父親である白主をにらむ。その様はまるで、威嚇いかくをする猛獣もうじゅうのようだった。


「父さま、今日こそは本当のことを話してもらおうじゃないか」


「なんのことだ?」


「とぼけても無駄だよ。ここで行われている非道ひどうな研究のことも、あの事故のことも、一位姉さんのことも、すべて聞かせてもらう」


 私がやっているこのテストも、本当は人体実験なんじゃないのか。

 そう二王は白主に向けて、き捨てた。


「またそのことか。もう何度も答えているじゃないか。聞き分けのない子は嫌いだよ」


「嫌われて本望だ」


「またそんなことを言って」


 困った子だ、と白主は言う。


「いいかい?

 この研究所では、娯楽ごらく用ダイスを研究しているだけなんだよ。違法なことはなにもしていない。あの事故も、職員の火の不始末によるただの火災だったんだ。警察の調べもついているし、記者会見もやったじゃないか。

 もちろん、それですべてが解決するような小さな問題ではなかったから、一位には後処理を手伝ってもらっていたんだ。それが終わったあとは、その流れで研究を手伝ってもらうようになって、その関係で今は母さんのところに行ってもらっているんだ。母さんの実家は知っているだろう? むずかしい家だから、簡単には会えないだけなんだよ。

 お前のテストも、元々は一位にやってもらっていたものだから、けっして危険なものじゃない。一位にできてお前にできない、なんてことはないだろう?」


 白主は、台本でも読んでいるかのように、言葉をすらすらと吐き出していた。

 二王も二王で、もう聞ききたという感じで、手をひらひらさせながら言葉を返す。


「そんなこと信じられるか。一位姉さんが、私たちを置いてどこかに行くわけがないじゃないか。それに私が受けてるこれも、ダイスをテストしてるんじゃなくて、私がテストされてるみたいなんだよ。もしかしたら一位姉さんも、私と同じ様にテストされて……それで……」


滅多めったなことを言うもんじゃないぞ」


「滅多なことをさせてる人間が、なにを言ってるんだ」


 両者とも一歩も引かない。


「今日は、いつにもまして頑固がんこだな」


我慢がまんにも……限界げんかいがあるってことだ」


「そうか。……なら、そうだな」


 白主は、嫌な笑みを浮かべる。


「ここは、ダイスダウンで決めようじゃないか。お前が勝てば、私はお前の疑問に正直に答えなければならなくなる、そうだろう?」


 今も嘘はいていないけれどね、とおどけてみせる。


「それは……」


 二王は迷った。

 ダイスダウンならば、真実を知ることができるだろう。

 こんな疑問など、すぐに解決できるのかもしれない。

 でも、だからこそ、迷ってしまう。


「どうした、そのほうがお前もやりやすいんじゃないのか? 単純明快たんじゅんめいかいだろう。それに、喝采の名を持つものとしては、まさに王道ともいうべき解決方法じゃないか」


 白主の言葉は、二王の迷う心をもてあそぶようだった。

 単純で簡単だからこそ、リスクも大きい。

 そのことを、二王は十分に理解していた。


「そこまで迷うのならば、さらに条件をつけよう。お前が勝てたら、お前だけじゃなく三儀のことも、今後いっさい、この件にはかかわらせないと誓おうじゃないか」


「でも私が負けたら、真実はわからず、私も三儀も父さまの奴隷どれいになるんだろ?」


「奴隷とは心外な。今までと同じように親子として接するだけだよ」


 二王のにらみが、より一層強くなる。


「わかった、わかったよ。お前もかわいい我が娘だ。これもつけてあげよう」


 特別だよ、と白主は小さいジュラルミンケースを二王の足もとへと転がす。


「その中にはダイスが入っているんだ。そのダイスの使用を特別に許可しようじゃないか。そのダイスを使えば、お前でも私に勝てるかもしれない。世界はもちろん、神さえもひっくり返すと言われているそのダイスなら、私とお前の力の差もひっくり返せるかもしれない」


 言葉遣いは丁寧だったが、言葉そのものには、ありありと二王をさげす心根こころねが浮かびあがっていた。


「ふざけるな! どうせこいつもテスト素材なんだろう? ついでにテストでもしようって魂胆こんたんか!」


「はっはっは、ばれたか」


 真剣しんけんな二王とは違い、白主は演技のような振る舞いを続けていた。

 どこまでも人を小馬鹿こばかにしたような顔をしている。


「仕方ないなぁ。まあ、私としてはどちらでもいいんだけれどね。どうせいずれはすることになるのだろうし、三儀もいつかは、ここに呼ぶことになるだろうから」


 遅いか早いかの違いだよ、と白主は、わざとらしく言い放った。


 それが決め手だった。


 二王も、その言葉が自分を引きこむための挑発だとはわかっていた。

 安い言葉だとさえ思ったかもしれない。

 それでも、二王には、その言葉が嘘ではないとわかっていた。

 だから、言われてしまえば、こばむことなどできなかった。

 白主の手のひらの上で踊る自分が、どうしようもなく情けなくて、心の中で笑ってしまいそうになる。

 ただ、いつかはこうなると思っていたのだ。

 だからそれが、今ここで、この瞬間でよかったと、むしろ感謝するくらいだった。

 この場にいる三儀に、すべてを伝えられる。

 すべてを知った彼女は、きっと逃げてくれるだろう。


 それでいい。


 それで大切な妹を守ることができる。


 その思いだけが、二王をふるい立たせていた。

 二王は足もとのケースを取りあげて、中からダイスを取り出す。

 そして、白主に向けて宣言する。


「わかった。その条件でやってやる。ただし、約束は守ってもらう」


「もちろんだとも。わかってくれて、父さんも嬉しいよ」


 大仰な仕草ともの言いをする白主の口元には、けるような笑いが浮かんでいた。

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