第5話  慟 哭

 その年の晩秋、風が冷たくなりはじめた頃のことだった。弟がまた患った。

 いつものことだったが、今度の病気は長引いた。弟はもう立ち上がれなくなった。声に力がなくなっていた。


「またいつものやつを飲んでみるか。」


 いつも薬をくれる初老の家人が、そう言って薬をくれた。なにやら奇妙な形をした植物の根で、現代では高麗ニンジンとして知られているものだ。望にも、これがたいへん手に入りにくいものだということは解っていた。それなのでこの家人にはいつも感謝していた。

 これを削りだして煎じて飲ませると、これまで弟はたいていよくなっていた。

しかし今度は効かなかった。煎じて飲ませると1日くらいは回復するのだが、またすぐに悪くなる。いや、飲む前より悪くなる。そうやって日一日と弟は衰弱していった。

 しだいに意識が無くなり、うなされるようになった。そして、まるで体中から何か悪いものが染み出してくるように、大量の汗をかく。

 叔父も弟の病気のことを聞いて、叔父のいつも使っている薬草をくれたが、それも効かなかった。

 望にも弟の今の病気が、ただごとでなく悪いものであることは感じ取れた。

弟はうなされるように言った。


「もう死ぬの? もう治らないんだよね。」


「そんなことはない。すぐに治る。また歩けるようになる。」


 望はそう答えたが、声に力が無いことが自分でもわかった。

 弟は死にかけていた。

 いつもは親切とはお世辞にも言えない家人たちも、望に仕事を変わってやるから弟のそばについてやるようにと、言ってくれるようになっていた。

 そうしているうちに弟はほとんど意識が無くなった。


 弟はうなされるように望に言った。

「僕、死ぬんだよね。・・・でも死んだら、父ちゃんや母ちゃんやみんなに会えるよね。」


 望はどう答えていいのかわからなかった。


「死んだりしない。お前は助かるんだ。」 


 そう答えた。そう答えるのがいいのだと子供心にそう思ったからだ。

 ある晩、弟はいつものようにうなされながら、死んだら父ちゃんや母ちゃんに会いたいと、望の目を覗き込むようにして言った。

 望はたまりかねて言った。


「ああ、死んだら会える。父ちゃんにも母ちゃんにも。」


背後で声がした。


「会えるわけねぇ。」


蕨がいた。入口に背をもたれかけていた。


「会えるわけねぇ。お前らの家族誰にもな。」


 望は蕨を睨みつけたが、蕨は顔をこわばらせ吐き捨てるように言った。

「お前ら、本当に何も知らないんだな。商に連れて行かれた連中がどうなるのか。

商は何のために人狩りをすると思ってるんだ。

・・・生贄だよ。人を狩って生贄にするんだ。」


 そう語る蕨の顔も、恐怖でひきつっている。


「あいつら商には守り神がいるんだ。鬼神だ、キシンと言うんだ。商のやつらは自分たちのバカでかい帝国を、その鬼神が守ってくれてると信じている。だからしょっちゅう鬼神をまつる儀式をする。

 その鬼神の儀式には生贄が必要だ。商のやつらは、人間の生贄を鬼神に食わせるんだ。


 お前らの家族も、そうやって鬼神に食われちまったのさ。」


 望も弟も目をかっと広げて聞いていた。蕨の言葉は、まるで悪い夢のように聞こえた。

 初めて聞かされる家族の運命だった。

 蕨はひきつった表情に、陰険な笑を浮かべて言った。


「本当に知らなかったんだな。なら俺がお前が死ぬ前に教えてやったわけだな。

あの世に行ったところで会えるわけねぇ。お前の父ちゃんも母ちゃんも、鬼神に食われちまって、もうあの世にすらいねぇ。」


 その言葉が終らないうちに、望は蕨に殴りかかった。どれほど殴ったのかわからない。蕨は口や鼻からおびただしい血を流して倒れていた。騒ぎをききつけて家人たちがやってきて、ようやく望を蕨から引き離した。

 その次の夜、弟は死んだ。


 望は弟が息を引き取るのを見てから、夜の闇の中にさまよい出た。

 大地に跪き天を仰いだ。おびただしい涙があふれた。声を張り上げ慟哭した。

必ず復讐する。どのような犠牲を払っても、商を許すことはなくわが魂は復讐を遂げる。天上界をあるいは地底を支配する悪魔よ。わが魂を捧げよう。わが魂を好きにするがよい。我が魂を地獄の炎で焼くがよい。その代わり自らに力を与えよ。わが復讐を遂げさせよ。家族の、弟の恨みを必ずや晴らさせよ。

 望は大地を手で叩き、激しく慟哭し復讐を誓った。


 望はその次の朝、叔父の家を出た。蕨に重傷を負わせたことで家を追放されることは間違いないと、ある家人から聞いていた。

 だが望は追放される前に家を出たのだ。そしてもう戻らなかった。

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