第2話 ショウだ!

「ショウだ!」


 望は深いまどろみの中にいた。薄い夢の中にいろいろな言葉や音が交錯している。昨日喧嘩をした隣の家の子供の叫び声。お父さんの叱る声。その他なにやら昨日聞こえていたような気がする音。


 「ショウだ!」さらにその声がした。誰かが望の横で激しく動いていた。望のまどろみはカーテンを引くように過ぎていく。

 お母さんが何か叫んでいる。ひと間だけの掘っ立て小屋の家のなかを、激しく人々が動きまわっている。「起きて望!」お母さんの声がした。激しい緊張感が幼い心にも感じられる。まるで泣いているようにも思える声だ。


 「ショウよ! 早く起きて外へ出て!」


お母さんが叫んだ。弟が激しく泣き出した。


 「何? どうしたの。」


 望はお母さんに訊ねた。お母さんは答えなかった。その顔は見たことが無いほどの強い緊張にこわばっている。望は何かが起きていることを理解した。それが何なのかその場では解らなかった。ただ今まで経験したことのない何かが起こっている。それだけは解った。

 家の外で激しい物音がしている。何の音なのかわからない。今まで聞いたことのない音だ。朝の薄明かりが家を覆った藁の間から入り込んでいる。お父さんが入口から半身を出して外を覗いている。

 音が少し静かになった。


 「今だ。外へ出るぞ。村の向こうの林まで走るぞ。」


 弟の鳴き声がいっそう激しくなった。「静かにしろ!」望は弟を叱りつけた。何故今泣いてはいけないのかわからない。でもここで泣いてはいけないのだと、とっさに思っただけのことだ。

 お父さんが右手を振って家の外に出た。お父さんの後について兄たちと姉。望。弟に続いて一番下の妹を抱いたお母さんが続いた。


 家の外は夜明けの薄明かりでぼんやりとあたりの様子はわかった。奇妙なほど誰もいなかった。村は今まで見たこともない状態になっていた。何かが村を走りまわったらしい。地面は掘り返されたように荒れている。あちこちに松明が落ちていてまだ燃えている。

 何かが村に入ってきたのだ。

 いったん一家は、家の陰に固まって隠れるようにした。そのまましばらく黙って、あたりの様子をうかがった。

 あたりは静まり返っていた。何の物音もしない。


 「他の村の人たちはどうしたのかしら。」


 お母さんの声は震えている。


 「わからん。うまく逃げられたのならいいが。・・・捕まってしまったかも知れん。」


お父さんがそれに答えた。お父さんも暗い緊張した声だ。


「よし。早く。こっちだ・・。村の向こうの林まで走るぞ。」


お父さんが手まねきした。

一家は一列になって村の中を走った。もう誰も口をきかない。激しい緊張が一家を支配していた。

何か聞いたこともない音がした。斜め後ろのほうだ。何かが地面を激しく叩いているような音。誰かが叫んでいる声のような音もする。

望はぞっとした。


生まれてからまだ日がない、幼い望であった。しかし今までこんな声は聞いたことが無かった。不吉をきわめた音の響き。魂の奥底から恐怖という感情を引きずり出す不気味な音。


「ショウよ!」


お母さんが絶叫した。

望は振り向いた。

薄明かりの中に動くものがみえた。馬だ。馬に乗った人影だ。いくつか見える。それが林を包んだ朝もやもの中から、まるで地獄から湧き出してきたようにこっちへ走ってくる。


ショウとは人間だったのか。

その瞬間、望はそう思った。


馬に乗った人影はお母さんのすぐ後ろまで迫っていた。お母さんは恐怖に顔がゆがんでいる。そのお母さんの背後に馬の人影は鞭のようなものを振り下ろした。お母さんは倒れた。望はおもわず「お母さん!」と叫んで立ち止まった。「立ち止まるな。走れ!」お父さんが叫ぶ声が聞こえる。

めざす林はもう目の前だった。


だが乗馬の人影はすぐに一家を取り囲んだ。人影は何か言っている。今まで聞いたことのない言葉だ。

お父さんは手に持った刈り入れの石の鎌を握りしめ、大声を発しながら人影に挑みかかった。しかし人影の持つ鞭のようなものに鎌は払いのけられた。もう一度それが振り下ろされると、お父さんは倒れた。倒れたまま苦痛のうめき声をあげている。

鞭のようなものはわずかな朝の光を反射して、しなるたびに金属の輝きを放っている。


馬上の人影はお互いに何か叫びあいながら、投げ縄のようなものを振り回して、お父さん、お母さん、2人の兄たち、姉を次々と捉えはじめた。

突然、望は抱きあげられた。立ち上がったお母さんだった。体にはもう投げ縄が巻き付いている。お母さんは力いっぱい望を投げ飛ばした。望は林の中へ転げ落ちた。すぐにその後から弟も転げ落ちてきた。

馬が一騎近づいてきて、望たち2人を見おろした。そしてわからない言葉で何か言った。


向こうにいる別の人影が何か言い返した。子供はいらない。かまうな。そう言っていたのかもしれない。

そのまま馬は踵を返した。

ショウと呼ばれる騎馬の人々は10人ほどであった。ショウは捉えた望の一家を引きずるようにして去っていく。望は痛みをこらえて立ち上がり、林の中から出た。その後、弟が泣きながら立ち上がった。


弟は泣き声をあげ、おとうちゃん、おかあちゃんと叫びながら後を追い始めた。「来るな。」「来てはだめ。」お父さんとお母さんは口ぐちにそう言った。兄や姉たちが、力の限りの声で泣き叫んでいる。

一番下の妹はお母さんに抱かれたままだ。まだお乳を吸っている妹を投げるのには、ためらいがあったのだろう。

朝の光の中にその姿が消えてしまうまで、望と弟は家族を見ていた。それがお母さんを、お父さんを、そして家族を見た最後だった。


お母さんの眼は濡れていた。その涙はたった二人で取り残された兄弟に、強く生きて、と言っているように思えた。

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