太公望伝奇

くりはらまさき

第1話 悪いことをするとショウが来る

おばあちゃんが言っていた。

「そんな悪いことをすると、ショウが来る。」って。


そのショウという言葉を発する時の、おばあちゃんの顔はものすごく怖かった。

悪いことをすると、ショウというとても怖いものがやってくる。おばあちゃんが言いたいことは幼心にもよく解った。

ショウ。それがなんなのかよく解らなかった。なにか妖怪か幽霊のような奇怪な姿を想像した。きっとそんなものなんだろう。

望はそう思っていた。


幼い望にショウというものについて詳しく教えてくれる大人はいなかった。二人いるお兄ちゃんやその下に一人いるお姉ちゃんも、知らないと言っていた。ひょっとしたら知っていたのかもしれない。でも、たぶん望がまだ幼すぎてよくわからない筈だと思っていたのだろう。

一緒に遊ぶ友達もショウが怖いものだと知っていても、それが何なのか教えてもらった友達はいなかった。


ただとても怖いものだということだけは解っていた。女の子のなかにはショウと聞いて泣き出す子もいた。女の子もショウというものがとても怖いものだと、家の人からおどかされていたのだ。でもそれが何なのか知っている子は誰もいなかった。

でも望は男の子だった。妖怪や幽霊なんか怖がるのは男の子としてカッコ悪い。

望はおじいちゃんに、すごく強そうな声で言ったものだ。


「ショウなんか怖くないもん。」


それを聞いた時、おじいちゃんの顔に一瞬怯えが走った。幼い望の目にもその怯えがよくわかった。

おじいちゃんは強い男だった。狩りに出たら一番おおきい獲物を取ってくる。畑に出たら朝から日が落ちて暗くなるまで、一日中働いても体がなんともない。うちの近所の人たちも言っていた。おじいちゃんは村でいちばん強い男だって。他の村からたまにやってくる人も言っていた。おじいちゃんが強い男だということは、他の村でもみんな知ってる。とても有名な男だと。

そのおじいちゃんが怯えた。ショウという言葉を聞いて・・・。


それ以来、望はショウが怖くなった。でも男の子だったから、ショウが怖いと言うそぶりは見せなかった。あいかわらず、友達にも「僕はショウなんか怖くない。」と言い続けていた。

でも、もうショウの話はしたくなくなった。


望の生まれた村の場所は、現在の中国・山東省にあたる。今から三千年ほど前にあたるその時代は、現代にくらべてこの地の人口ははるかに少ない。望の村は望一家のほかに数家族あるだけの村だったが、村はよそもそんなものだった。この地域に「国家」とよべそうなもの、すなわち統治機構や共同体はなく、広大な平地に点々とそんな小さな村が点在し、村ごとに自治が行われていた。


村人は自給自足の農業で生計を立てていたが、海が近いことから、若い村人のなかには海辺の漁村に出向いて漁の手伝いをして、魚を手に入れて来る者もいた。

 「おにいちゃん」。望のような子供たちがそう呼ぶ村の若者が持ち帰る海の魚は、塩気が効いていて最高のごちそうだった。

 それ以外にも、海に近い村では塩が容易に手に入った。三千年前の山東省あたりでは、貨幣経済など全く存在していなかったが、この塩と物々交換で、他の村から自給自足では足りない物を手に入れることもできた。


 村の暮らしは素朴ではあったが、豊かでおだやかなものだった。

 春には花が咲き、夏には熱く火照った大地を夕立ちの雨が冷やした。秋にはきれいな陽光のなかで麦が刈り取られ、冬には霜やたまに降る雪が刈り取りの後の畑を覆いつくし、大地に静かな休息を与えた。

 そんなふうにして、望の幼い毎日が過ぎていった。

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