第33話プールにて

二時間目は体育だった。

水泳の授業だったので,しずくは水着に着替えるため

女子更衣室で他の女子に混じって水着に着替えていた。

(しずくの学校は私立なのでプールは屋内にある)

更衣室ではみな派閥ごとに固まって着替えていた。

友人のいないしずくは,いつも部屋の隅の方が指定席のようになっていた。

 女子はみなタオルで体をすっぽり覆った格好で

悪戦苦闘しながら制服を脱いでいた。

「なんだ。ばかばかしい。男子に見られるわけでもあるまいに。」

と思いながらも,しずくは周囲にならって面倒な作業をしていた。

頭の中ではまだ,今朝男子に浴びせられた罵詈雑言が響いていて

気分がすっきりしなかった。

(一体どうしてわたしはあんな目に合わなければいけないんだ。

 ギャフンと言わせてやれるいい方法はないだろうか?)

「・・・のさん,山野さん!」

と自分を呼ぶ声がすることに

気づいてしずくはぎくりとした。

既に着替えを終えて車座になって談笑していた一団のうちの一人が

しずくに声をかけてきたのに考え事に夢中になっていて気づかなかったのだ。

「ねえ,山野さんは入試で4教科合計何点だったの?」

ときいてきた。しずくは正直に286点と答えた。

するとその答えをきいた途端,相手はくるりとしずくに背を向けて

他の女子のところに戻って他の女子に小声で何かささやいた。

一団はひそひそと小声でささやきあっていたが,

時折薄笑いを浮かべながらちらりとしずくの方を盗み見てきた。

(なんだ。こいつら。ヘンな態度取りやがって。気味悪いな。)

どうやら相手が自分をバカにしているらしいと気づき,

言葉では言い表しようもないほど不愉快になった

しずくは女子の一団をにらみつけた。

(なんだっていうんだ。わけがわからない。)

 しずくは着替えるとさっさと更衣室をあとにして

プールサイドに向かった。すると他の生徒たちが

しずくのことをじろじろと眺めまわしてきたのでしずくは戸惑った。

ずば抜けてスタイルがよい女性を見るときの賞賛をこめた

目つきではないことは明らかだった。

(変だな。なにかおかしいところでもあるのかな。)

 しずくはもやもやした気持ちのまま,準備体操を行った。

しずくは幼い頃から運動があまり得意ではなく,

いまだに自転車に乗ることすらできなかった。

中でも水泳は最も苦手なので,始まる前から憂鬱だった。

「おぼれるとわかっていて,入らなきゃならないなんて。」

 しずくは思わずため息をついた。

 以前プールの授業を受けたとき,水に浮いていることすらできずに

みじめな気分になったことを思い出した。

「いっそ見学しちゃえばよかった」

 しずくはおそるおそる,水の中に体を入れた。

背が低いので鼻のところまで水に浸かってしまい,

爪先立ちで立っていなければ息ができなかった。

「浮き輪でもあればなあ・・・。授業で使えるわけないけど。」

 その後ビート板を使って泳いだが,ともかくもしずくの体は沈みがちだった。

やっと終わってひいひい言ってしゃがみこんでいるしずくの耳に

「はーい,今度はビート板なしで25メートル泳ぎましょう」

という教師の声が聞こえた。しずくは胃がきりきりと痛むのを感じた。

やがてしずくの番になった。

なんとかして水に体を浮かせることはできたが,

いくら足をばたばたさせても,

一向に前に進まないのでしずくは悲しい気持ちでいっぱいになった。

どうみてもおぼれているとしかいいようがないしずくの姿を見かねて

「歩いてもいいからね。」

と教師は言ってくれた。

 ほうほうの体で陸に上がると,

しずくは他の女子が泳ぐ様子を見つめていた。

ひときわダイナミックな泳ぎを見せる女子の姿に

しずくの目は釘づけになった。

(あれは中山一じゃないか。水泳部の女子より断然うまいぞ。

 がっちりした体格だから有利なのかな。)

 他の女子がとびうおのようにすいすい泳ぐ光景を見て,しずくは

いくら頑張っても自分だけ泳げないのは不公平だと思った。

 ふと数年前プール教室に通っていたころの記憶がよみがえった。

そのとき,いくらもがいても泳げないしずくの姿を見て

インストラクターの女性が同僚に

「この子,足の曲がり方がおかしい。何かの病気じゃないの?

 無理に動かさない方がいいんじゃない。

 親から苦情がきたら困るから

 あんまりうるさくいわないようにしましょう。」

と言った。それっきり,誰もしずくのそばには寄ってこなくなり,

なんの指導も受けないまま放置されたのだった。

 当時小学校6年生だったしずくは低学年の新しく入ってくる生徒らに

どんどん追い越されていく屈辱を味わうはめになった。

そのプール教室では,上達の度合いに応じて

級が少しずつ上がるシステムを取り入れていたが

しずくはずっと一番下の級に

留め置かれて年下の子供らにからかわれた。

 おまけにそのことがしずくの通っている小学校の同級生

に伝わってしまい,笑いものにされたのだった。

 足の曲がり方がおかしいというインストラクターの言葉が

ずっとしずくの心に引っかかっていた。

(もしかして,わたしが泳げないのは,

 脊柱側湾症のせいなのだろうか?

 それに水泳に限らず,跳び箱も三段すら跳べないし,

 鉄棒も前回りすらできない。これはなにかの病気じゃないかと

 昔から疑っていたけど,いまやっとわかった。)

 しずくは骨の病気をもってはいたが,

一見何の問題もない健康体に見えるので,

運動が苦手なのは努力が足りないせいだと言われることも多々あった。

中には,しずくがまじめにやっていないとか

ふざけていると受け取る者もいた。

 その度にいくら努力してもできないのにと

しずくはもどかしい思いでいっぱいになった。

 しかし病気が原因だと結論づけてしまうと,

不思議と気が楽になったのだった。

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