第22話結婚に向かない

「何か怒らせるようなことをしたのだろうか」

とびくびくしながら下に降りていくと,父と母が神妙な顔つきで

そろって食卓に座っていた。

「色々話し合って決めたんだけど

 お父さんとお母さんは別々に住むことになったから」

と母が眉間にしわを寄せて険しい顔つきでいった。

幼い頃しずくと由紀は

「パパとママが離婚したらどっちの方に来たい?」

と何度も母に冗談めかして聞かれた。

そのたびに「ママ」と答えることが暗黙の了解だった。

あまりしつこく聞かれるので,うんざりしたしずくは

一度だけ「パパ」と答えて母親に三日間口をきいて

もらえなかったことがあった。

答えた直後にみるみるうちに鬼のような形相に変わった

母の顔を見てしずくは

「しまった。何でこんなこと言っちゃったんだろう」

と後悔した。後になってしずくは、心理的な圧迫を加える

母親に対して怒りを覚えたのだった。

器用な妹はいつも

「ママ大好き!」

と作り声で言ってご機嫌を取っていた。

しずくは要領がよい妹を憎みつつどこかでうらやんでいたのも事実だった。

 しかし今回は違った。両親の表情は真剣で、

いずれ正式に離婚するだろうということが

しずくにははっきりわかった。

しずくはボストンバッグ一つをもって玄関を出て行く父親の姿を呆然と眺めた。

父は極度に無口でその上いつも不機嫌で気むずかしかった。

仕事から帰ると自分の部屋に閉じこもったきり出てこなかった。

遊んでもらったりした記憶はない。しずくにも由紀にもあまり関心がなかった。

食事も一人で別なものを作ってたべていた。

そんな生活が由紀が生まれる前から続いていた。

「何だか怖い人だ。近寄らないようにしよう」

と幼心にしずくは思っていた。

「ただいま」とも言わず無言でいつのまにか玄関からするりと入ってきて,

三階にある自分の部屋に直行するので

家に帰ってきても誰にも気付かれないことがしょっちゅうだった。

たまに一階の居間に降りてきて母と鉢合わせすると必ず激しい口論になった。

いやな思いをしないよう両親が努めて

接触しないように住み分けているのは明らかだった。

しかしいるかいないかわからないのと実際にいなくなるのは別問題だった。

自分を憎んでいる母親と二人きりになることを思うとしずくは不安になった。

 しばらく重苦しい静けさが辺りをおおっていたがそれを破るかのように

「ところでしずく,今の学校は金がかかるから公立中学校に転校しなさい」

と母親が言った。

「ええっ!あんなに勉強がんばってやっと入ったのに,

 やめろだなんて勝手すぎるよ!」

としずくは取り乱して叫んだ。

「何言ってんの!月に三十万円も学費がかかるのよ!

 自分で稼いでいるわけでもないくせにえらそうなこと言うんじゃないよ!」

と怒鳴られた。しずくはわっと泣き出して二階の自分の部屋に退却した。

「転校なんていやだなあ。なんとかしてお金払えないかな。

 今よりもっと貧乏になるのかな。中学生だからバイトなんてできないし。

 離婚したら名字が変わるから何だかんだ言われるだろうな。

 母さんの旧姓は大江だって聞いたことがあるから『大江しずく』になるのか。

 大河と名前の順が近くなっちゃう。朝礼のときなんて名前の順に

 並ぶのにあいつの真ん前に立たなきゃならないなんて最悪だ。

 なんとかして元の名前のままで今の学校に通えないかなあ」

  その晩,しずくは心配事で頭の中がもやもやして

 寝付けず何度も寝返りを打った。

 結局一睡もできないまま夜が明けたのだった。





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