第14話悪夢

(ああ寒い。しばらく眠っていればそのうち治るだろ)


しずくは体をぶるっと震わせると掛け布団を目の下の辺りまで引っ張った。


学校で緊張を強いられていたのがゆるんだせいか昼間の疲れがどっと出て


うとうとしてきた。まぶたが重くなってそのうち眠ってしまった。


 夢の中でしずくは雲一つない空の下,


どこか知らない公園のような場所をたった一人で歩いていた。


足下には赤茶色のレンガが隙間なくびっしりと敷き詰められていた。


前方では噴水が勢いよくはね上がりまわりには


朱色やオレンジ色の南国風の大きな花が咲き乱れる花壇があった。


頭上の空は見たこともないほど鮮やかな青で日の光がまぶしかった。


しずくは自分を取り巻く強烈な色彩に頭がくらくらした。


 ふと見るとそれほど離れていないところに


死んだ妹の後ろ姿を見つけどきりとした。


妹は肩に豊かな黒い髪をふさふさと垂らし


いつも着ていた空色のTシャツにベージュ色のサブリナパンツをはいていた。


 しずくは何も言わずに妹のところに向かって勢いよく駆けだした。


するとなぜか妹はものすごい勢いで逃げ出した。


 しずくも負けじとスピードを上げたが妹はなかなか足が速かった。


それでも段々近づいていき,もう少しで妹の背中に


手が届きそうなところまできた。


しかしどういうわけかそれ以上距離は縮まらずどうしても追いつけなかった。


 しずくは焦り始めた。何か言おうとしたが言葉は出ない。


妹は振り返りもせずに走り続けていた。


しずくは走りながらこれは夢なのだと気付いた。


(もし振り返ったらどんな姿なのだろう。


 生きていたときと変わってしまっているかもしれない)


そう思うと恐ろしくなりどうか後ろを振り返らないでほしいと思った。


その一方でどうしても追いつかなければならないと固く決意していた。


 追いかけっこはいつまでも続きそうに思われたが


夢はそこでとぎれてしまった。


 目を開けると辺りは真っ暗な闇だった。


(さっきまで夢を見ていたような気がするけどどんな内容だったかな)


夢の中ではあれほど必死でもがいていたのに


いざ目覚めてみるとわずかにさっきまでの緊張感の余韻が残っているだけだった。


(一眠りのつもりがずいぶんぐっすり寝ちゃったな。今何時だろ)


枕元に置いてある時計を見ると午後九時を指していた。


割れるように頭が痛い。のどもいがらっぽく痛みと不快感がひどかった。


顔がほてってほおが熱く,目の奥にずしりと圧迫感があった。


呼吸が苦しくのどの奥でぜえぜえといやな音がした。


体温計を脇の下に入れ熱を計ると38.5℃あった。


 あまりに心細いので母親を呼ぼうかと思ったが


その瞬間しずくは親が家を留守にする予定だということに思い当たり愕然とした。


父親は県外に泊まりがけの出張で家におらず


母もこのところ残業続きで午前様が続き今日も遅くなるのは確実だった。


静まり帰った家の中にゴボゴボと,しずくの咳の音だけが響いた。


少しでも楽になろうとして寝返りを打ってみたが


どんな姿勢になっても苦しいことに変わりはなかった。


(雨を浴びたのがよくなかったのかな。ちくしょう。誰が傘を盗ったんだ)


 しずくの脳裏には紺色の雨傘を盗まれたくやしさがよみがえって歯ぎしりした。


腹立ちのあまり壁をどんどんとこぶしで殴りつけた。


(おっといけない。家に傷をつけたらお母さんに怒られる。)


 ああなんてみじめなんだろう。誰も労ってくれる人もなく


 たった一人きりでこんなにもがき苦しまなきゃならないなんて。)


と思うとせつなくなり琥珀色の目には涙が浮かんできた。


夜中になるといよいよ熱は40℃になった。


咳がどうしても止まらず肺の奥に鈍い痛みを感じた。


かといって咳が出ないように我慢していると苦しくて息もできなかった。


(もしかしたらこのまま誰にも知られずに死んでしまうんじゃないだろうか。)


 しずくは不安で落ち着かなかった。


(誰かいてくれたらな。でももしここにお母さんがいても


 あんまり心配してくれそうもないな)


 小学生のころ学校で具合が悪くなり高熱を出して保健室で寝込んだ時も


母は仕事が忙しいからと言って迎えにきてくれなかった。


(ママは私より仕事の方が好きなんだな。)


母親に対してはあきらめのようなものがあったが


こんなに苦しい思いをしているのにと腹がたった。


幼いしずくは怒りを必死で押さえ込んだまま


天井をにらみつけて無言で横たわっていた


置き去りにされたような気がしてあまりのみじめさに涙がにじんできた。


ベッドのまわりはカーテンで囲まれていたので


しずくは涙を思うぞんぶん流して泣いた。

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