第12話秘密と嘘

 しずくは全速力で階段を昇りきると、


非常扉を開け、息を切らして校舎の中に駆け込んだ。


さっきにらみつけてきた女の、憎憎しげにゆがめた顔が


脳裏によみがえり、しずくは身震いした。


(わたし、何か怒らせるようなことをしたかな?


 昨日話しかけられるまで全然話したこともなかったのに。

 

 それともわたしが気づいて 


 いないだけで何か人に嫌われるようなところでもあるのかな?)


と思うと、不安になって動揺した。


 さっきの女が追ってくるのではないかと思い、ろうかを小走りになって通った。


 途中、誰かが自分の名を呼んだような気がしてしずくは思わず振り返ったが、


辺りは静まり返って誰もいなかった。


曇っているので窓から光が差し込まないせいか、


昼だというのに夕方のように薄暗かった。


 誰も追ってこないので、ようやく安心したしずくは一息つこうと


立ち止まった。窓の外に目をやると、山の上で肩を寄せ合うように


ひっそりと立ち並ぶ墓石の群れが見えた。


その中で、妹が眠る墓はすぐに見分けがついた。


真新しい墓石は長年の間容赦ない風雨にさらされ、


磨り減った周囲の古い墓石に比べて格段に美しく、人目をひいた。


「こんなに近くにあったなんて・・・」


としずくは思わずつぶやいていた。


さきほど、非常階段に座り込んで妹の墓を見ていたとき、


しずくの心は波立っていた。


このところおさまっていた悲しみがまたよみがえってきそうになった。


細くてやわらかく、少し赤みがかったつやのある黒い髪の心地よい手触りや、


あでやかな笑顔、血色のよいほお、よく通る美しい声。


大変な努力をして無理に封じ込めていた記憶が徐々に頭の中によみがえってきた。


それらの残骸はみなあの墓石のところに置いてきたつもりだったのに。


(わたしは自分の罪から逃げようとしているのだろうか?)


としずくは自分に問いかけてみた。


自分は妹の死に責任があるとしずくは思っていた。


絶対にあの事故の真相を人に知られてはならない。


もしこの秘密を知ったら、誰もが自分を人殺しだと罵り、排斥するだろう。


妹があの一言を言い放ったとき、わたしはたしかに消えて欲しいと願った。


自分は重い罪を犯した。そしてその重荷を一生背負っていかなければならない。


力尽きて倒れるその瞬間まで苦しみぬく定めなのだ。


 しずくは誰かに責められているような、無言の重圧を感じていた。


いっそのこと秘密をぶちまけてしまえば楽になるだろうかと思うこともあったが、


どんなに非難されるかと思うと、たちまち勇気は消えうせてしまった。


 家庭内でも学校でも孤立して、しずくは孤独だった。


唯一心を許せた存在だった妹も、自分のせいで死んでしまった。


頭の回転が速く、ピアノもうまく、体を動かすのも得意で何もかも


姉を上回っていた妹はともすれば驕慢になりがちであった。


何年もの間、しずくは母や妹に隷属して自分を殺していた。


あのとき、押さえ込んでいた怒りが爆発したのかもしれなかった。


 しずくは亡き妹から責められているような気がした。


憎たらしい妹だったが、同時にできのよい妹がいることを誇りにも思っていた。


生きていたころ、しずくは妹に矛盾した感情を抱いていた。


しかし母やしずくなど残された家族の心の中で、


年々妹の記憶は美化されつつあった。


(わたしがあの子の代わりにあの下に消えてしまえばよかったのかな。)


としずくは墓を見つめながら思った。


 ポツポツと雨粒が窓ガラスに当たり始める音がした。


雨が降り始めていたのだった。


(そろそろ行かなきゃ。さようなら。近いうちにお墓参りにいくね)


と心の中で妹に語りかけ、手を合わせた。そして逃げるようにその場を後にした。


 しばらく歩くと、にぎやかに笑いさざめく声がした。


一年生の教室がある辺りは活気に満ち溢れていた。


ようやく人がたくさんいるところに


戻ってきたのだと思うとしずくはホッとした。


対人恐怖気味な自分が人恋しくなるなんて妙だな、としずくは苦笑した。


 途中で、ボーイッシュで長身の女性が声をかけてきた。A組の小宮だった。


クラスが違うが、前にも話しかけてきたことがあり、顔見知りだった。


気さくで、とても話しやすいので人見知りのしずくの心も徐々に和んだ。


 小宮のクラスでは次の時間、化学の授業があり、


今から実験室に行く途中だとのことだった。


「きれいな髪の毛だね。うらやましいな。色も白いし、目の色もきれい」


と小宮は褒めた。しずくはアルビノのように色素が薄い自分の外見をあまり好きに

なれなかったので、


相手が心底うらやましそうにしているのが意外だった。


「ええっ、目立つからあんまりいいことないよ。


 小さい頃、みんなと同じように髪が黒くなればいいと思って


 墨汁をぶっかけたこともあったもん。


 夏に海水浴に行くと、日焼けができないから火ぶくれができて


 痛くておふろに入るのがつらかったな。」


「へえ、大変なんだね。」といって相手は驚いていた。


「わたし、家族の誰にも似ていないの。


親も二人とも黒い髪で色黒だし、妹も少し赤かったけど黒っぽい髪だったんだ。」


「へえ、妹がいるの。てっきり一人っ子なのかと思った。今いくつなの?」


と小宮は尋ねた。しずくは困ってしまった。


「えっとね、二つ違いなんだ。今はわけあって離れて暮らしてる」


としずくは思わずウソを言った。なぜか死んだ事を正直に言えなかったのが自分で


も不思議だった。デリケートな問題がからむと察知して小宮はそれ以上追及しな


かった。しずくには、それがありがたかった。


そのとき、予鈴が鳴った。


「あっ、いけない。鐘が鳴っちゃったからそろそろ行かなきゃ。じゃあまたね。」


と言って小宮はばたばたと去って行った。

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