第8話
しずくは読むともなしに雑誌をぱらぱらとめくっていた。
その傍らでは、由紀が何をするでもなく、いかにも退屈そうに寝転がっていた。
やがて面白い記事を見つけ、しずくが読みふけっていると、だしぬけに、由紀が
「お母さんはおねえちゃんのこと、あんまり好きじゃないみたいね。」
と、大きな声で言った。しずくはぎょっとして、机の上にあった麦茶の入った
コップを倒してしまった。あたふたとしているしずくの様子を由紀は
意地悪い薄ら笑いを浮かべながら見ていた。
「お母さんはあたしの方が好きみたい。あははは。」
と由紀の甲高い笑い声が響いた。しずくは怒りのあまり、手を振り上げたが、
その瞬間、何もかも消えてしまった、ふと我に返ると
電気もつけていない真っ暗な自分の部屋のベッドに横たわっていることに気づいた。
「なんだ、夢だったのか。」
と、つぶやくと、しずくは大きなためいきをひとつついた。
いつの間にか眠りこんでいたらしい。
昼間さんざんいやな思いをしているのに、
なんで夢の中でも昔のいやなできごとが再現されるのだろう、
せめて夢の中でくらい楽しいことがあたっていいじゃないか、としずくは思った。
さっきの夢の中のできごとは由紀が死ぬ2年くらい前のことだ。
勝ち誇ったように笑う由紀の顔つきが今でも忘れられない。
年が近くて性別が同じせいか、いつも一緒にいて自分たちほど仲のよい
姉妹はないと思っていたのに、ショックを受けた。
これまでのようにうかつに信用してはいけないのだと思い知らされ、悲しかった。
由紀に言われる前から、自分が母に愛されていないことは知っていた。
いやおうなしに苦い思い出がよみがえって、しずくは顔をしかめた。
あの頃はまだピアノ教室に通っていたからたしか8歳のころだった。
ある夏の夜、あまりの蒸し暑さに眠れなかったしずくはのどがからからに
渇いて目が覚めてしまった。そのころにはすでに一人で寝ていたが、
もぞもぞと起き出して台所に行った。コップに汲んだ水道水は生ぬるく、
渇きを完全には癒してくれなかった。
遠くを走る自動車の音がかすかに聞こえてきた。
しずくはしばらくぼうっとしていたが、自分の部屋に戻るために歩き出した。
廊下を忍び足で歩いていたが、両親の寝室からぼそぼそと話し声が漏れてきた。
母のすすり泣きがまじっていたので、しずくは、ハッとした。
やましい気持ちはあったが、何か自分に関係する事ではなかろうかと思うと、
わずかにあいているドアのそばにいって立ち聞きせずにはいられなかった。
「わたし、あの子がちっともかわいいとは思えないのよ。
由紀のことはかわいくてしょうがないのに。」
と、母は涙声で父に訴えていた。父親はそれをたしなめて、
「そんなこと言うもんじゃない。二人とも
平等に扱ってやらなきゃだめじゃないか。」と言った。
「何を考えているのかちっともわからないし、
顔を見たり声を聞くだけでいらいらする。子供らしくはしゃいだりないし、
ほかの子供とワイワイ遊んだりしない。宇宙人みたい。
由紀は明るくて元気で、わたしの子だわ。それにしずくは・・・だから」
と、一気にぶちまけた。最後の方がよく聞き取れなかったが、
それが母が自分を嫌う決定的な理由だということは察しがついた。
父親はあわてて
「おい、おまえそれは言わない約束だったろ。」と叫んで遮った。
残酷な宣告に、もはやそれ以上その場にいることができず、
しずくはよろよろともと来た道を帰っていった。
その晩、しずくは一睡もできなかった。
自分と由紀の扱いが違うことには薄々感づいてはいたが、
ここまではっきり言われると、つらかった。
そういえば、昔のアルバムを見ても、母親が赤ん坊のころの由紀を
抱っこしている写真、もう少し大きくなるとビニルプールに入っている
由紀と遊んでいたりする写真などがたくさんあったのに、
母と自分が一緒に写っている写真はほとんどなかった。
否、写真をあまり撮ってもらえなかったのである。
何か話しかけても忙しいからとあしらわれ、
転んでけがをしても、外でいじめられて泣きながら帰ってきても、
「おまえが不器用で弱いからいけないんだ」
とののしられたことは容易に忘れられなかった。
「なんであいつばっかり・・・」としずくは由紀に嫉妬した。
この夜の出来事はくりかえし悪夢になってしずくを苦しめた。
忘れたつもりでも、いくらずたずたに切り裂いても
よみがえって胸を締め付ける記憶だった。
母親が姉をないがしろにするのを見て、由紀がそれをまねるようになった。
姉の大事にしている物を取って壊しも、
召使みたいにこきつかっても母は黙認していた。
それでもしずくは孤独のあまり、由紀につきまとっていた。
学校では並外れて彫りの深い顔立ちと色素の薄さを「ガイジン、ガイジン」
とからかわれた。運動神経が鈍いことも不利になった。活発で外交的な妹と違って
幼稚園でも小学校でも仲間はずれにされ、いじめられていた。
そんな長女のことを母親は恥だとでも思っていることが
しずくには痛いほどよくわかった。
「もしかしてわたしは由紀のことを殺したのかしら・・・?」
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