オオカミと、恨みと、タイムリミット



 高低差の激しい、ごつごつした山岳地帯。

 谷に近い部分に出来たほら穴に、彼はいた。


「……何故ここが分かった」

「記録されてたから」


 ヴヴヴ、と低い唸り声をあげながら、ヴォルフがぼくに牙をむく。

 明らかな敵意を向けられて、ぼくの心はざわついて落ち着かない。

 怖いし、近付きたくない。そう思いながら、でもぼくは一歩、ほら穴に入る。


「それ以上近付けば噛み砕く」

「やってみろ。オレが止める」


 す、とぼくの隣にイナズマが立つ。

 ぼくは「ありがと」とイナズマにお礼を言って、その場に腰をおろした。

 戦うつもりはない。そう示したつもりだ。


「……何の用で来た。今日はあの黒いガキは一緒じゃないのか」

「ぼくとイナズマだけだよ。クロヤはここには来ない」


 そうしてほしいと、ぼくが頼んだ。

 最深部の結晶には、この場所のことが記録されていた。クロヤがその気になれば、ヴォルフを捕える方法はいくらでもあったと思う。

 でも、それで解決するのはちがうな、とぼくは思ってしまったから。


「全部ね。確かめたんだ、君の言ってた事」

「……」

「人間が君の種族にしたこと。ひどいことだって、ぼくも思う」


 一条博士がサイバクルスを保護するため、プロテクトを掛けた後。

 ネクストワールドが一般リリースされる前に、KIDOはサイバクルスの扱いを協議した。一括の削除は出来ない。ならどうするべきか?


 答えは、サイバクルスを操り、危険なサイバクルスを全滅させることだった。


「その結果、君の一族は、KIDO社のサイバクルスと戦って……」

「滅ぼされた。ああ、自分勝手な欲望でサイバクルスの意志を奪い、我らを根絶やしにしようとしたッ!」


 KIDOのサイバクルスとウルフクルスの戦いは長く続き、両方に多大な被害を出しながらも、結果としてKIDOの勝利に終わった。

 KIDOはその後、今の場所に街を生み出し、たくさんの人を呼び込んだ。


「更にニンゲンは、我ら一族に飽きたらず、他のサイバクルスたちさえ狩ろうとしているッ!」


 ゲームとして宣伝されたアルケミストは、実の所、ネクストワールド内のサイバクルスを管理するためのシステムに過ぎなかった。

 全ては、サイバクルスの世界に人間が安住するため。

 侵略と何も変わらない。

 ヴォルフが人間に憎しみを抱くのも、当たり前のことだ。


「であるならば。ニンゲンが我ら一族にしたように……我々サイバクルスがッ! ニンゲンを危険な外敵として狩り尽くしたとして、何の問題があるッ!?」


 全てのサイバクルスは、生き残らなければならないとプログラムされている。

 それは生きたいという感情に変化したんだろう。

 生きていて欲しいという願いも、生まれたんだろう。

 それを一方的な理由で消し去った。

 クロヤのように、サイバクルスをただのデータとして見れるなら、それを正当化することも出来るんだと思う。

 それでも。ぼくは隣のイナズマをほんの少し見てから……

「ごめん、ヴォルフ」

 深く、頭を下げた。

 ぼく一人が謝った所で、何一つ変わりはしない。ぼくが人間の代表ってわけでもないし、消されたウルフクルスが戻って来るわけでもない。

 それでも、この恨みを。憎しみを。ぼくは受け止めないといけないと思った。

 受け止めた上で、言わないといけないと思った。


「それでも、街を壊すのは、止めて欲しい」


 街には、この世界を楽しんでる大勢の人がいる。

 噴水広場のお姉さん。アリア。ぼく。他にもたくさん。

 それに、サイバクルスと人間の関係だって、ただ敵対するだけじゃない。

 友だちにだってなれるんだ、本当は。


「だから、それを無くしてしまうようなことは、しないでほしいんだ」

「ふざけるなッ!」


 ヴォルフが、ぼくの頭を吹っ飛ばそうと迫って来る。

 だけどぼくは、目を背けない。そのままの姿勢で、動かない。

 ぶしゅっ! そして、肉の切れる小さな音がほら穴にひびく。

「……止めろと、言ったハズだ」

 イナズマが、ヴォルフの爪を体で止めていた。

「イナズマ……!? 大丈夫……!?」

「平気だこのくらい! それより、本気でやってたぞ、コイツ」

「当然だ! こいつ、言うに事欠いて止めろだと!? 何の権利があってそんな」

「権利は無いよ。だから頼んでる。……だからイナズマ、今は……」

 今にも飛び掛かりそうなイナズマを、ぼくは止める。

「ごめんね、それ、すぐには治せない……」

「……別に良い。だがこいつに何を言っても仕方がないだろう」

 ヴォルフが受けたことを思うなら、それこそ分かり合えないのは当然だ、とイナズマは言う。

「ああそうだ。オレとニンゲンが分かり合う事はない。第一、そう……キサマとて、オレたちに恨みを抱いているハズだが?」

「……うん。ショウのことも、返して欲しい」

 こいつらがショウにしたことを、ぼくは全く許してない。

 ヴォルフの感情が正しくても、してることが正しいとは思ってない。

 それでも、最初から戦って決めるなんてこと、したいとは思えなかったから。

「破壊を止めろ。ニンゲンを返せ。要求してばかりだな、キサマは。それもニンゲンらしさというやつか」

 仲間を奪って、棲家を奪って。

 自分達からは何も奪うなと?

 ヴォルフは、ぼくをバカにしてせせら笑う。

「そんなバカな話は通らん。オレたちはキサマらニンゲンを許さない」

「同じことはもう二度と起こさせないから! そのための準備だって……」

「信用できん。ニンゲンは、オレたちサイバクルスの事をなんとも思っていないだろう。そんなヤツらばかりだった」

 あの日、チートツールを配ると聞いて集まって来たアルケミストたち。

 確かに彼らは、サイバクルスをおもちゃくらいにしか思ってなかった。

「それを変えるんだ! 人間とサイバクルスが友だちになれるように――」

「くどい!」

 グルル、とヴォルフは牙を剥く。

「これ以上下らない言葉を吐くなら、今度こそキサマらを食いちぎる」

「……ユウト、もうムダだ、あきらめろ」

「でも……!」

「話し合っても分かり合えないヤツはいる! 誰でも言う通りになると思うな!」

「っ……!!」

 イナズマの言葉に、ぼくはくちびるを噛む。

「お前がヴォルフの痛みを思うと言うのなら、なおさら……全てを言う通りにしようというのは、無理な話だろう……!」

「フン。それもニンゲンの自分勝手さだ」

 ヴォルフはぼくをにらみつける。

 話し合いは、むしろヴォルフの意志をより強くしてしまったのかもしれない。

「さぁ、キサマらの声はもう聞き飽きた。せめて最期に悲鳴を聞かせてからいなくなってもらおう……!」

「やるしか、ないのか……」

 ぼくは立ち上がり、一歩二歩と後ろに下がる。

 分かり合う事は出来なかった。ヴォルフを変えることは出来なかった。

「悔やむな。お前はやるべきことをやった。あとは……」


 あとは。

 爪で、牙で、決着をつけるだけだ。


 二匹の猛獣が、互いに距離をはかろうと、じりじりと円を描くように動く。

 戦いは止められない。言葉だけじゃ考え方は変えられない。

 だったらもう、腹をくくってやるしかない。


 深呼吸する。腰のデバイスに手を触れる。

 今、ヴォルフは一体だ。ぼくがサポート出来れば、きっと……!


「……なに?」


 だけどそこで、ヴォルフが声を上げた。

「本当か。……そうか」

 まるで、誰かの声を聴いたみたいに。

 いや、ホントに誰かと話してるのか……?

「イナズマ!」

「ダメだ、気配は感じられない……!」

 近くにはいないのか!?

 でもあの時だって、クモのクルスは突然現れて……


「――命拾いしたな、キサマら」


 はぁ、とため息混じりにヴォルフは吐き捨てる。

「時間切れだ。ライオ、ニンゲン。お前たちを食いちぎるのは、後だ」

「ここから出ていけるとでも?」

「同じような言葉を、前にも聞いたな?」

「っ……!? まさか……イナズマ!」

 言葉を聞いて、イナズマは返事するより先に飛び出した。

 だが、その爪先が届くほんの手前。

 ヴォルフの姿は、光に包まれて、消える。


「転送された……!」


「前のクモがやったのか?」

「かもしれないけど、ショウのデバイスかもしれない」

 アルケミストのデバイスには、マイルームのサイバクルスを呼び出す機能もついている。それを少し改造出来たなら、ショウのいる所ならどこでも飛べる。

 それよりも、問題なのは……!


「思ってたより早いよね……準備、終わってるかな……!?」


 画面を二重に開く。

 片方はクロヤへのメッセージ。元々決めていたワードを打ち込みながら、ぼくはもう片方の画面で彼女を呼び出す。


「もしもし、アミ!? 話し合いはダメだった!

 予定より早いんだけど、例のやつ……お願い!!」

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