デバッガーと、プログラムと、ぼくの友だち


 デバッガー。

 それはコンピュータプログラムのバグを見つけ、取り除く人のこと。


「……ってことは……ニャゴって、バグなの!?」

「KIDOにとっては、その通りですね」


 おどろくぼくに、貴堂クロヤはうなづいてみせる。

「KIDOの意図しないプログラムの変化。あまり大きな声では言えませんが、近頃そういうサイバクルスが増えていまして」

 ですから、と、クロヤは一歩後ろに控える黒騎士へと、目線を送る。

 黒騎士は何も言わずに、かちゃ、と鎧を響かせて、彼の前へと歩み出た。

「そちらのニャゴクルスは、ボクたちが確保させていただきます」

 黒騎士が、剣を構える。

 戦うつもりなんだ。ってことは、あれもサイバクルスなの……?

「ニャゴ、ぼくは……」

「良いから黙ってるニャゴ! お前は何もするなニャゴ!」

「っ、なんでそんなこと……!」

「お前は、ニャゴとは何の関係もない、ただの人間ニャゴ……!」

 このままだと、ニャゴが危ない。

 それはニャゴにだって分かってるのに、ニャゴは一言一言強調するように、はっきりとぼくにそう言った。

 関わるな、と。自分を助けるようなことはするな、と。

「……なるほど。少しは判断力のあるプログラムのようですね。……確かに、ボクに歯向かうということは、運営の意志に歯向かうということでもありますから……」

 クロヤは、うす笑いを浮かべながらニャゴの意図を口にする。

 そうか。クロヤは、KIDOから依頼されたデバッガーだから……

 下手な事をすれば、アカウントを停止させられて、二度とこの世界にはこれなくなってしまうかもしれないのだ。

「約束しましょう。そこで見ているだけなら、何一つペナルティは与えません。ですから……そのプログラムの言うように、大人しくしていてくださいね」

「そんな……」

 ぼくが動けないでいる間にも、ニャゴは戦いを始めていた。

 姿勢を低くし、黒騎士の周囲を駆けまわりながら、隙を狙って飛び掛かる。

 けれど、ニャゴがどれだけ速度を上げても、騎士は即座に反応して、その攻撃を剣で受け止めてしまう。

 その動作は、まるで精密機械のように一切のブレが無く、正確だ。

 明らかに、強い。あんなサイバクルスもいるんだ……

「チッ。けどまぁ、ニャゴは今満腹ニャゴからな……!」

 ニャゴも、やられっぱなしではない。

 とんとんと軽くとんで距離を取ると、ニャゴはあの時みたいに、光と稲妻に包まれて……


「ハァァッ!」


 だんっ! 姿を変えた彼が、さっきまでとは全然違う音で地面をけりながら、飛び出した。

 炎のような赤い体に、黒く走るイナズマ模様。

「……ほぅ。これはこれは……」

 感心したように、クロヤが呟く。

「そうだ、ライオクルスなら……!」

「このオレを捕まえるだと!? 思い上がるなよッ!」

 雄々しく叫びを上げながら、ライオがその前脚で騎士へと切りかかる。

「……っ」

 がぎん! だがそれは、またしても剣で防がれた。

 ずざ、と押し込まれ、ほんの少し後ずさる騎士。

「パワーが上がりましたか。ノワール、注意してください」

 ノワールと呼ばれた騎士は、何の反応も見せない。

 しかし意志は伝わっているのだろう。刃ではなく、剣の腹を前に出して、ノワールはライオの動きをうかがった。

 だが、ライオの攻撃は連続する。飛び掛かり、着地すると同時にまた、騎士へと飛び掛かる。目まぐるしく四方八方からくる攻撃を、騎士は防ぎきれない。

 ギンッ! ギンッ! ギンッ! ライオのするどい爪先で、ノワールの鎧が少しずつけずれていく。


 でもこれ……効いてるの……?


 ノワールはさっきから、何の反応もしないんだ。

 ダメージを受けているなら、声を上げるなり、よろけるなりしてもよさそうなものだけど、ノワールは一言も発さない。

 まるで……人形みたいに。

「ノワールは、特別製ですから」

 ぼくの疑問を見すかしたように、クロヤが言う。

「ノワールは、異常なサイバクルスを制圧するために、ボク自身が改造を施した戦闘用サイバクルスです。無駄な感覚や感情は、備わっていません」

「それってズルじゃないの!?」

「言ったでしょう? これは制圧用の道具なのですよ。アルケミストプレイヤーが用いる遊びの道具ではない」

 そもそも使い道がちがうのだと、クロヤは言う。

 でも、その言い方は……


「サイバクルスは道具か。気に入らん! ……アイツらが言っていたのはこういうヤツのことなんだろうな……!」


 ギンッ! ギンッ! ギンッ!

 なおも攻撃を続けながら、ライオは怒りの混じった声で叫ぶ。

「だったら! お前の大事なデク人形、オレがぶっ壊してやる!」

 そしてライオは、一際高く飛び上がった。

 見上げる。ビルとビルの間、一本引かれた線のような青空に、バチバチと光る雷の獅子。

 あの時と同じ、ライオのスキルだ!

 両の前脚に力を集めながら、ライオは、一直線に地上のノワールへ向けて……


「……そこです、ノワール」


 一言。

 クロヤが口にした瞬間。

 黒い騎士は、動いた。ぶぉんっという低く重い音と共に、下から振り上げたのは、手にした剣。

「っ……!?」

 ライオの前脚が直撃する、その前に。

 ザンッ! 騎士の剣が、ライオの身体を、とらえた。

 ぶんっ! そのまま勢いよく振られた剣に、ライオの身体は吹き飛ばされる。

 ばがんっ! コンクリートの砕ける音がして、ライオの激突したビルの壁面が、ヒビわれて砂粒をこぼす。

「が、はっ……!?」

 ばたりと、ライオが地面にたおれ込む。

「ライオっ!? 大丈夫!?」

「いかに進化した個体と言えど、しょせんは野生の獣ですね」

 やれ、とクロヤが命令を下すと、ノワールはつかつかとたおれたライオへ近づいていく。

「待って! ライオをどうするつもりなの!?」

「言ったでしょう。確保すると。ボクには調べないとならないことがあるので」

「確保って……捕まえて、道具みたいに使うってこと!?」

 さっき、クロヤはサイバクルスを道具だと言った。

 ならきっとライオも、捕まれば道具みたいに扱われてしまう。

「……おかしなことを聞く人ですね。皆さんそうしてるでしょう?」

 戦わせるのも、可愛がるのも、全部人間が、自分のためにしていること。

 ならすべてのアルケミストはサイバクルスを道具として扱っているのだし、それは全くおかしなことではない。

 クロヤは、そう告げる。

「なぜなら彼らは、ボクたち人間が作ったプログラムなんですから」

「それはっ……!」

 言い返そうとして、言葉につまる。

 たしかに、その通りなんだ。

 ぼくだって、ゲームとしてサイバクルスを手に入れようとしていた。ニャゴと一緒に街を歩いたのだって、「そういう人たち」に憧れていたからでしかない。

 そして彼らが……サイバクルスが、人間の作ったただのプログラムだっていうのなら。

「でも! ……でも、ライオには……感情があるんじゃないの……?」

 短い間だけど、一緒にすごして。

 怒ったり、笑ったり、驚いたり、喜んだり……ニャゴには、ぼくらと変わらない感情があるように見えた。

 じゃあ、そんなライオを道具のように扱うのは……

「いいえ。それも、ただのプログラムですよ。そう見えるように再現されただけのものです」

 はぁ、とクロヤはあきれたようにため息を吐く。

 感情移入してしまうのは理解できますが、と。

「攻撃されれば怒る。想定外の事が起これば驚く。都合の良い事が起これば喜ぶ。そして、笑う。……カンタンなパターンに沿って行えば、感情があるように見えてしまうものです」

 だから、気にする必要はありませんよ。

 クロヤは、ぼくに言い聞かせるように続ける。


 このサイバクルスを見捨てても、うしろめたく思う必要はないのです。

 ただデータの所有者が変わるだけのこと。

 ライオクルスのデータは、ネクストワールドの運営に役立てられて。

 キミはまた明日から、普通のアルケミストプレイヤーとして遊ぶことが出来る。


 だから、今は、諦めてください。


「きっと他にも、いいサイバクルスはたくさんいますよ」

「……そっ、か……」

 クロヤの言うことは、数秒おくれてから、ゆっくりとぼくの頭に染み込んでいく。たしかにそうだ、と思う。ニャゴはただのデータで、他にもサイバクルスはたくさんいて……


『……遊びたいだけなら、ニャゴじゃなくてもいいニャゴよ』


 とつぜん、思い出す。

 喫茶店を出た時に、ニャゴが言っていたこと。


『ニャゴは、飼い猫にはなれんニャゴ』


 飼い猫。その通りだ。

 ぼくはニャゴをただ飼いたかっただけ、なんだと思う。

 ニャゴのいる場所をしばって、自分の目的のために飼いならしたかった、だけ。


『ニャゴにはニャゴの生き方があるニャゴ。だから……すまんニャゴな』


 だからニャゴは背中を向けた。

 一緒には歩けないと言われた。

 そうだよね。ぼくがニャゴの立場だったら、同じことを言う。


 ぼくは、ゆっくりとたおれるライオに歩み寄って。

 ぜぇぜぇと息をする彼の元に、ひざをついた。

「……ごめん」

「なにを……謝る……アイツの言う通り、だろ……」

 気にしなくていい、とライオは今にも消えそうな声で言う。

「オレのことは、いい……お前には、関係のない……」

「いや、そうじゃなくてね……」

「っ……?」

「ぼくさ、ニャゴと一緒にいて、けっこう楽しかったんだよね」

 感情が本物かどうか、とか。

 ただのプログラムだ、とか。

 そういうことは最初っから分かってたはずだし、それでもぼくは、ニャゴと一緒にいて楽しいと思ったんだ。

 だったら、自分の言う通りになってもらうんじゃなくて、こうやって頼めばよかったんだって、いまさら、分かった。


「ねぇ、ニャゴ。ぼくと、友だちになってくれない?」


「……は?」

 ぼくの質問に、ライオはきょとんとした顔をして。

「いやそれ……今、言うこと、か……?」

 びっくりしたように聞き返してから、それでも。

「いや……まぁ、そうだな……」

 ぐぐ、と身体を持ち上げる。

 全身の傷口から、エネルギーデータが流れ出ている。

 今にも動けなくなってしまいそうな、そんなボロボロの身体なのに。


「友だちか。……それならいいぜ、ユウト」


 にぃ、と口角を上げて。

 ライオは笑って、そう答えてくれた。


「……ノワール、止めを」

「っ、やらせない!」

 ぼくはあわててデバイスの中から回復キットを取り出し、ライオに使う。

 瞬く間に、ライオのキズは回復して……せまりくるノワールの剣から、飛びのいて退避する。

「すまん、助かったぞユウト!」

「いいよ! それより今考えなきゃなのは……!」

 ぼくはデバイスを使って、ノワールを見る。

 正式名称はナイトクルス。鎧の防御と剣の攻撃力をあわせもつ、スキのないサイバクルスだ。

 ズームしてみると、ノワールの鎧の表面には、ライオがなんども攻撃したあとがキズになって残ってる。

「多分、ダメージ判定はあるんだと思う……!」

 理由は分からないけど、ノワールは別に無敵ってわけじゃない。

 それは、さっきライオがスキルを使った時に分かったことだ。

「ダメージが入らないなら、あんな風にカウンター決める理由もないもんね」

 攻撃が当たってからでも、十分反撃できる。

 そうしなかったのは、あの攻撃が当たるとマズいから。


「……。キミは今、自分が何をしているのか分かっていますか?」

「分かってるよ。友だちを、助けてる」

「言いましたよね。それはバグだと。そしてボクは運営側の人間だと」


 アカウントを消してしまっても良いのですよ、とクロヤは言う。

 たしかに、それは困る。まだ他の友だちと遊べてないし。でも。

「ニャゴはいやがってる。それにニャゴは悪い事は何もしてない!」

「何もしていなくても、その存在を見過ごせないと言っているのです」

 クロヤは心底呆れたみたいな顔をして、物腰はおだやかでも、なんだかバカにされているような気配がした。

 ……もちろん、ぼくのしてることは、KIDOにとっては間違ったことなんだろう。もしかしたら、他の利用者にとっても。

「でもさ。……だったら、どうして『捕まえる』なの」

 クロヤはずっと、ニャゴクルスを捕まえると言っていた。

 消去する、じゃない。正直、デバッガーだと名乗った時に、ニャゴを消しに来たんだとぼくは思ったくらいなのに。

「ニャゴになにかしてほしいことがあるの?」

「……データの確認をしたいだけ、ですよ。バグが起こったなら、その原因を突き止めないといけないでしょう?」

「もっともらしい理屈だな。……だがウソだ」

 クロヤの返答に、ライオが言い放つ。

「お前たちは知りたいんだろ? ほかの進化体の居所を」

「……」

 ライオの追求に、クロヤは口をつぐむ。

 図星、なのだろうか。

 っていうか、進化体。そういえばさっき、クロヤがそんなような言葉を口にしていた気がする。


「ノワール、行きなさい」


 クロヤはライオの言葉には答えず、ただノワールに命ずる。

 支持を受けたノワールは、だんっと強く地面をけり、ライオへ向けて思い切り剣を振り下ろす。

 ライオは横にとんでそれを避けるも、地面にたたきつけられた剣から、ぶわっと衝撃波が発生し、ほんの少しライオの動きを止める。

 その隙を、ノワールは逃さなかった。もう一撃、今度は横に振った剣で、ライオの頭部をとらえようとする。

 ライオの足は、間に合わない。

「っ、まだまだッ!」

 がつん! ライオはその剣を、口でつかんだ。ビッと切れた口の端から、データがもれ出す。

「ふがふがふがふ!」

 何を言いたいのか分からない!

 でもチャンスだ。剣を押し込もうとするノワールの足は、止まっていて。

「ライオ! 足元、思いっきりやって!」

「……!? ふがっ!」

「なっ……ノワール、引くのです!」


 ぼくの指示を聞いて、クロヤがはじめて、表情をくずした。


 けど、おそい。

 ライオの両前脚に込められたイナズマは、とっくに準備完了していて。

「ふがふんがっ!!」

 どぉん! ライオはその足で、地面を、ぶっ壊した。

「……」

 ノワールがバランスをくずす。ライオは剣から口を離して、短くその上へ、跳び上がる。


「さぁて、今度はそっちが喰らう番だぜッ!!」


 もう一度。

 前脚に込められた力が、よろめくノワールに直撃し……


 がらがららんっ! 鎧のくだける音と、土煙。

 それが晴れた頃には……勝ち誇るライオの姿と、片腕の吹き飛んだノワールの姿が、そこにあった。


「やっぱり、ダメージは通るんだね」


 予想した通りだ。ナイトクルスは無敵じゃない。

 ……でも、だとすると、変だなってぼくは思う。


「どうして? バグを消去したいだけなら、無敵に設定すればよかったんじゃないの? それに……」

「……KIDOコーポレーションは、ウソをついていますからね」


 ふぅ、と息を吐きながらクロヤは答える。

 さっき一度だけ変えられた彼の表情だけど、今はもう、うす笑いに戻っていた。


「良いでしょう。どうせボクの目的のために、そのクルスは生かしておく必要がありましたから。……今回は、見逃してあげます」


「何だお前、エラそうに。オレが勝ったんだぞ!」

「おや、ノワールはまだたおれてませんが?」

 怒るライオだったが、おどろいたことに、ノワールは腕が一本なくなっても平然と立ち上がって来た。

「対して、キミは……限界のようですね」

「あん? ……言われてみれば……流石に……腹が……」

 腹が減った。そう言ってライオはまた、ニャゴにもどってしまう。

 しまった、これじゃもう戦えない!

「ですから、引き分けということで。またそのうちお会いしましょう、綱木ユウト君。……ああそれと……」


 フレンドコード、送っておきました。

 そう言い残して、貴堂クロヤは立ち去って行った……


「ホントに送ってきてるし……登録、した方が良いのかな……」

 っていうか今回、ぼくにとっては謎が深まるばかりだったんだけど!

「進化体とか……デバッガーがなんでサイバクルスでおそってくるのとか……全部聞きそびれた……」

「ああ、それニャゴね……」

 と、うなだれるぼくに、ニャゴは言う。


「このセカイ、元々はニャゴたちサイバクルスだけの世界だったニャゴ」


「……なにそれ?」


「くわしい事は知らんニャゴ。んで、ニャゴたちサイバクルスの中には……突然、頭が良くなってしゃべれるようになったヤツがいたニャゴ」


「え、なに急に」

 いきなり真実を語り始めた!

 おどろいていると、「だって聞いたニャゴろ」とニャゴは答える。

 そういえば、『街を案内したらニャゴがしゃべる理由を教えてくれる』……って話、してたね……!?

 なるほど、突然変異で進化。全然分からないけど、分かった気にはなれる。


「それでニャゴね。

 ニャゴ以外の進化したサイバクルス、ニンゲンの街、壊そうとしてるニャゴ」


 前言撤回!!


「ごめん、何言ってんの!!?」


 もしかしてぼく、本当にヤバいことに首ツッコんじゃってない……っ!!?

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