ニャゴと、お肉と、ライオクルス
サイバクルス。
それは現実の生き物をモチーフにした、ネクストワールドの生き物。
彼らはネクストワールドのさまざまなエリアに生息していて、だいたいは元になった生き物と同じ場所に住んでいる。
だから。
ワニの姿をしたクロコクルスが、こんな森の奥に出てくるなんてあり得ない。
第一ここは初心者エリアで……! クロコクルスは、危険な上級サイバクルスと言われていて……!
「どうなってんだよもう!!」
ぼくはさけびながら走っていた
「うるせぇニャゴ! っていうか放せニャゴ!」
腕の中では、ボロボロのネコのクルスが暴れている。
こいつもこいつだ! サイバクルスは言葉を話したりしないはずなのに!
「ニャゴはアイツと戦うニャゴ!」
「ムリでしょ! そんなに傷だらけで! 大体勝てるわけないし!」
大きさがちがいすぎる!
こいつはちょっと大きめのネコくらいの大きさしかないけど、クロコクルスの大きさは軽トラックくらいはあるんだ。
「人間には関係ねぇニャゴ!! これはニャゴの問題ニャゴ!」
「ほっとけるわけないだろ……! えっと、お前は……」
そうだ、と思って腰のデバイスを手に取った。
たしか、なかには図鑑機能が……あった!
デバイスのカメラ機能が動いて、ネコの姿を映しとり……ぴこん、と音を立て、その名を表示する。
ニャゴクルス。
それがこのネコのサイバクルスの名前らしい。
「……聞いたことない」
ネコのモンスターなら、少しは人気がありそうなものだけど、ぼくの記憶にはそんなモンスターはいない。
「当然ニャゴ。ニャゴはそこいらのサイバクルスじゃ……っと、来るニャ!」
ニャゴが短く叫ぶと、背後の木々がめきめきと倒れる音がする。
ふり向けば、クロコクルスが重機みたいなめちゃくちゃなパワーで木をへし折りながら、ぼくらへと迫っているではないか!
「ヴァアアッ!!」
低くうなるようなクロコクルスの咆哮。
その瞳は、まっすぐにぼくらを見すえている。
「何でねらわれるんだ……!?」
「だから! アイツの目的はニャゴなんニャ! お前には関係ねぇんニャゴ!」
放せ、とニャゴはまた暴れだす。
……理由は分からないけど、アイツの目的はニャゴらしい。
なら、ニャゴを手放せばぼくは助かるんだろう。
……けど、そうなったら、ニャゴは無事じゃ済まない。
サイバクルスの中には、他のサイバクルスを食べてしまうものもいるのだ。
肉食系のクルスはまぁ、大体そう。だからこのままだとニャゴは……
「……っ、やっぱり、ダメだ。ほっとけないって……」
「お前バカニャゴ!?」
「大丈夫だって! ぼくがやられたって別になにも……」
言いかけた、その時。
何かが、ぼくの背中を強く打った。
「う、ぶっ……!?」
息のかたまりが、肺の奥から飛び出して。
ぼくはそのまま吹っ飛ばされて、木に叩きつけられる。
もう一度、全身に衝撃。背中から全身に重みのようなものが広がっていく。
「ぅ、え……?」
尻尾で攻撃されたんだと気付いたのは、ぼくの頭がドロの上に落ちてから。
体が、すぐには動かない。視界の端に、赤い警告画面が表示される。
『重大なダメージを受けました アバターの維持に不具合が生じました データの破損を確認しました リタイアを推奨します……』
はそん? こわれたってことか。なんで……
「……アイツも……普通のサイバクルスじゃないニャゴ……」
小さな声がする。目だけを動かして探すと、打たれた瞬間投げ出されたんだろう。離れたところに、ニャゴが倒れていた。
「……人間のデータを破壊出来る……汚染された……」
ニャゴは起き上がりながら、言葉を続ける。
だから、逃げろと。
アバターとはいえ……危険だから、と。
その目前では、クロコクルスが体勢を整えていて。
ニャゴの言葉が頭でぐるぐる回る。
普通じゃない。破壊出来る。汚染された……サイバクルス……
そもそも初心者エリアに出たのも。言葉を話すニャゴをねらっているのも。
何かしら、ぼくの知らないことが起こっていて。
それに首を突っ込んだら、危なくて。
リタイアする、と選択すれば、きっとぼくのアバターは街に戻るんだろう。
そしてほとぼりの冷めた頃にもう一度ここに来れば、ぼくは自分のサイバクルスを手に入れて、普通にゲームを再開出来るんだと思う。
ああ、そうだ。
これはゲームで、ここは現実じゃないんだ。
なのにぼくは、どうしてニャゴを守ろうとしたんだろう?
ニャゴはあくまでデータ上の存在で、現実の生き物じゃない。
たとえ倒されても、消えるだけで、そもそも命なんてなくて……
「……キミの言う通り、だね……」
あきらめて、やり直せば良かったのに。
よくわかんないけど、このままここにいたら危ないっていうのは、感覚で分かるのに。
クロコクルスが、ぐっと足に力をこめ、後ろに下がる。
ニャゴは立ち上がるのが精一杯で、それ以上は動けそうにない。
「キミの言う通り……バカなんだと思う、ぼくは」
「ニャゴっ!?」
地面を、けった。
じじじ、と身体にノイズが走る。さっきまでより体が重い。
視界に妙な線が入って、消える。一瞬色が変になって、もどる。
そしてぼくの手は、ニャゴの身体をつかんで。
がちんっ!!
「ぅぁっ……!?」
片足の先の感覚が、消えてなくなった。
そのままぼくはごろごろと転がって、別の木にぶつかって、止まる。
「あー……やられた……そっちは平気?」
「お前、足を……!?」
「うん、食べられちゃったね……」
さっきの音は、クロコクルスの歯の音で。
ニャゴを助けるために飛び出したぼくは、一足おそくて左足の先を食べられてしまった。
「困ったな、立てない……」
でも痛くはないんだから、やっぱり仮想現実だよね。
『エラー 破損の拡大を検知しました ログインしなおしてください アカウントデータの異常を検知 エラー エラー……』
視界に赤い画面が広がって、消える。
それと同時に、他のメニュー画面も全部なくなってしまった。
きっと、そういう機能がさっきので食べられてしまったんだと思う。
「ホント、どうなってるんだか……」
「分からないなら帰ればよかったニャゴ!」
「それはいやだった」
ぼくは答える。それ以上の理由なんてない。
ニャゴはただのデータで、今回はエラーが起きたからあきらめよう、って考えられれば、それでよかったハズだけど。
「キミがしゃべってるからかなぁ。……それとも、暖かかったからかな」
腕のなかのニャゴの、柔らかい毛の奥の、体温。
それを、ただのデータだと切り捨てるのが、すごく……いやだった。
「……。バカな人間もいたもんニャゴね」
ニャゴはおどろいたような顔をして、ちょっと笑った感じでつぶやく。
それから、するりとぼくの腕を抜けて……
「……そこまでバカだと、説得する気も起きねぇニャゴ」
ぼくの目の前に立ち、じっと顔を見つめて、言った。
「これはニャゴの問題ニャゴ。
……けど、巻き込んじまったからニャ。力を貸してほしいニャゴ」
「うん。……ぼくに出来ることなら」
話してる間に、クロコクルスはぼくの足を呑み込んだみたいだ。
食べ損ねたエモノへと、もう一度ねらいを定めてようと動く。
「じゃ、まずは……」
ぼくはデバイスを操作して、回復キットを呼び出す。
水のかたまりみたいなそれをニャゴに投げつけると、草の香りと共に、ニャゴのキズが治っていく。
「これで動けるね」
「……ニャ。それと、もう一つ欲しいモノが……」
ニャゴが何かを要求しようとした時、クロコクルスが動く。
ぶんっ! にぶく風をきる音と共に、クロコの尻尾が再びぼくらへとせまった。
「ニャッ!」
だけどそれが届く前に、ニャゴがぼくの服をくわえて、さっと避ける。
「わ、速い……!?」
「ダメージがなきゃこんなもんニャゴ」
ふん、と自慢げなニャゴ。力も見た目よりはあるようだ。
そのままニャゴはぼくの身体を少し離れたところへ置いて、クロコクルスへと向かっていく。
「ヴァォォォォ!!」
「ほら、こっちニャゴ! このノロマ!」
ニャゴはクロコクルスの周囲を駆けまわりながら、時折、その身体をひっかいていく。
素早い動きに、クロコクルスはついていけていない。……のだけど、ニャゴの攻撃も全然効いてないみたいだ。
「人間!」
そして攻撃を続けながら、ニャゴはもう一度ぼくに呼び掛ける。
「なんでも……なんでもいいニャ! なんか食えるもんはないニャゴ!?」
「食える……? あ、肉ならあるけど」
デバイスの中に、エサに使うお肉データがいくつか入ってたはずだ。
「じゃあそれ! ありったけ出すニャ! ……ぐっ!?」
「ニャゴ!?」
クロコの牙をよけたニャゴは、だけど着地のタイミングで尻尾の攻撃をくらい、吹っ飛ばされる。
「気にすんニャ! まだいけるニャゴ! それより早く!」
「わ、わかった……!」
何に使うんだろう。ごはんってタイミングじゃないだろうけど……
不思議に思いながら、ぼくは言われた通りにデバイスの中から肉を取り出す。
生の、カタマリの肉だ。
それがどすどすと目の前に積まれていく。
……多分、ニャゴの体より量あるけど……
「よし、それもらうニャ!」
相手の攻撃の間をぬって、ニャゴがこちらへ駆けよる。
ひとつ、ふたつ。
くわえては戦線へ戻り、喰い終わると戻って、もうひとつ。
それを何度かくりかえし……
「ふぅ、腹一杯ニャ……」
体長の倍はあろうかという肉を、どこに入れたのか全部たいらげて。
「んじゃちょっと……本気、出すニャ!!」
ごうっ! その全身から、強い風が吹く。
「ヴォゥ……!?」
クロコクルスが警戒する中、風はニャゴの身体を包むように収束していく。
やがて、風の中に、炎と稲妻が混じり始めた。
バチバチと燃える火と、バリバリと空気を割る稲妻。
光と光に包まれ、ニャゴの姿が見えなくなったのは、ほんの数秒。
「……ウ、オオオオオオオオオッッ!!」
雄叫びが、森の木の葉を揺らした。
光のまゆが爆ぜ、周囲に火と雷を飛び散らせる。
そして、その中心にいたのは。
「……ニャゴ?」
「いや違う。お前の機械で見ればいい」
紅の獅子が、低い声で言葉を返す。
言われた通り、デバイスを使ってその姿を映し見る。
紅蓮のたてがみ。身体を走る稲妻のような黒。
鋭い黄金の眼は力強く敵をにらみ、四つの脚は太い爪で地面を掴む。
表示された名前を、口にする。
そこにいたのはさっきまでの小さなネコではない。
まさしく、百獣の王を思わせるそのサイバクルスは。
「……ライオ、クルス……!」
こくり、と。
ニャゴ……いいや、ライオクルスがうなづいた。
それから、ぐっと身体を低くしたかと思えば……どんっ!
ライオクルスが、地面をけって飛び出す。ぶわっ、と落ち葉が宙に広がる。
「ヴヴ……!?」
「遅い」
クロコクルスが反応するころには、もうライオはその目前へと辿りついていた。
とっさに口を開き、ライオをかみ砕こうとするクロコ。
だけどライオはもう、次の動きに入っている。
高く、とんでいたのだ。
大きく開いた口の、さらに上から。ライオはクロコクルスをにらんで、声を上げる。
「さっきはよくもやってくれたな……お返しだ!」
体をひねりながら、ライオは前脚の爪を伸ばし、ザンッ! 音を立てながら、その頭部へと鋭い一撃を与える。
「ヴォアアアッ!!?」
うろたえ、後ずさるクロコ。その頭には、三本のキズ。
さっきまで、どんなに攻撃してもダメージなんて入ってなかったのに……
「ヴォォォォォォッッ!!」
「だから、遅いと言ってる」
怒りくるったクロコは、むちゃくちゃに尻尾をふりまわしてライオを叩こうとする。でも、当たらない。さっきよりずっと大きくなったライオだけど、スピードもその分上がっているんだ。
「腹が減る前に終わらせてやる……!」
そしてライオは、隙をついてクロコクルスの真横に近付く。
ぐわっ。牙を剥き、ライオは立ち並ぶ歯をクロコの横腹に突き立て、噛み付いた。
当然、クロコクルスはそれを振り払おうと暴れるけれど、ライオは離れない。それどころか、ぐっと後ろ足に力を込めたライオは、そのままクロコクルスを……放り投げた!
「……すっご……」
思わず、ぼくはつぶやいてしまう。
速さも、力も、さっきまでとは比べものにならない。
あの強く恐ろしかったクロコクルスさえ、カンタンに……
「トドメだッ!」
びり、とライオの前脚に電光が走る。
そしてライオは大きくジャンプし、投げ飛ばされたクロコクルスの、さらに上まで行くと……空気をゆるがす、低い声で叫ぶ。
雷光が、勢いを増す。
同時に、前脚から聞こえる音は少しずつ大きく低く変わっていき……ついには、雷のようなバリバリという音になって。
両の前脚を振り上げる。
「オオォォォォオオオッッ!!」
雄叫びと共に、雷をまとった鋭い爪が……クロコクルスへと、叩きつけられる。
バァァンッ! 一際はげしい、落雷のような破壊の音。
クロコクルスは地面へと叩きつけられ、ばふん、と風が舞う。
その上へ、ライオはすとんとキレイに着地して……
「ああ、全く……
……もう、腹が減ってきた」
一言、つぶやいて。
力なく、倒れた。
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